第3回:月ピンポイント着陸を現実のものとするために─ 探査機を支える技術を開発する

松浦 晋也

「目的を絞って、小さく軽く、そして素早く」で、始まった小型月着陸実証機 「SLIM (Smart Lander for Investigating Moon)」の検討。目指すは、ピンポイント着陸という新規技術の実証だ。

「小さくまとめれば、素早く計画を立ち上げて打ち上げ、目的を達成できるはず」 ── しかし、そんなに簡単に物事は進んではくれなかったのだった。

「なんだかんだで、20年以上も経っちゃったんですね。SLIMは素早くぱっとやろうということで始まったんですが、気がつくとみんな自分の人生をこれに賭けちゃった、みたいな感じになりました」 ── 2025年2月、澤井秀次郎宇宙科学研究所(ISAS)教授は、しみじみという風に語り始めた。SLIM検討開始時点からの主要メンバーだ。

もちろん、SLIM検討開始の時点で教授であったわけではない、准教授でもなく助教ですらない。教授・准教授・助教という職制が導入されたのは2007年の学校教育法改正の時だ。それ以前は、教授・助教授・助手という名称で、2000年時点の澤井教授はISAS助手であった。

「私は1999年から2000年にかけて留学していまして、帰ってきた直後にSELENEから分離したSELENE-Bの検討チームに入りました。かっこよくいえばスカウトされたってことなんですが、実際には "人手が足りないから来い"という感じでしたね。当時のトップは中谷一郎先生(当時ISAS教授)で、若くてボケッとしていると、すぐに "おまえ、プロジェクトに入れ"と言われてどんどん働かされちゃうんですよ」。

slim07.jpg

澤井秀次郎教授 (クレジット:JAXA)

長い時間がかかったという感慨を福田盛介教授は「馬齢を重ねまして」と表現する。同じくSLIM検討開始時点からの主要メンバーだ。「自分は、2000年に宇宙研に助手として採用されました。1990年代半ばの学生の頃、ちょうど日本でも小さな衛星を開発しようという機運が高まって、その中で宇宙研のINDEX ── 2005年に打ち上げられて『れいめい』という名前が付く小型衛星ですが、その研究開発に参加して、小さな衛星・探査機で何が出来るかを研究テーマとしてきました。小さい衛星・探査機にすることで打上げ・運用の頻度を上げたいというのはずっと主張してきたことで、その流れで澤井先生と意気投合したというところです」。

slim08.jpg

福田盛介教授 (クレジット:JAXA)

── その小さくやりたいということで澤井先生と福田先生が意気投合したのは、いつ頃でしょうか。

「2004年ぐらいですね。SELENE-Bが宇宙研内の選考で落ちちゃった後です」と福田教授。宇宙三機関統合があって、宇宙開発事業団(NASDA)、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)が、ひとつになり、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足したのが2003年10月だ。その翌年から、SLIMに向けた検討は始まったのであった。

が、そこからが茨の道だったのである。最初の難関は、「そんなことできるのか?」という周囲の懐疑の目だった。

澤井教授は、当時かけられたこんな言葉を覚えていた。
「できるわけないでしょ!! あなた、どうしちゃったんですか?」

― 観測ロケットで月面までGo! ―

「小さくしようという福田先生の発想って、すごかったんですよ」と澤井教授は言う。「なにしろ小さな観測ロケットで、月に着陸するだけの試験機を送り込むことまで考えましたから」。

福田教授が目を付けたのが、高度800kmまで上がって科学観測を行うための2段式ロケット「SS-520」だ。通常は打ち上げられて800kmまで上がって観測を行い、海上に落下するという運用を行う。この当時、ISASが科学衛星・探査機を打ち上げるのに使っていた「M-V」ロケットよりもずっと小さい。が、かなり安いという利点がある。

そのSS-520に第3段を追加して、わずかな電子機器を積んだ超小型の着陸機を月周回軌道に向けて打ち上げる。着陸は、観測ロケット固体モーターでぎりぎりまで減速して月面に近づき、最後の着地のところだけほんのちょっとした液体推進で減速して着陸させる。

そこまで小さくなると着陸機に双方向の通信機すら搭載できない。だから、地上からの通信は一切不要で、全自動で着陸できるように設計する。地上側は探査機が送ってくるデータを見守るだけだ。

「聞いた時には、ええっ、福田先生本気ですかって、ものすごくびっくりしたんですが、でも技術検討としては確かに成立しているんですよ。で、これいいじゃないか、やろうよって言ったはいいけれど、さすがにここまで小さくするというのは周囲の理解が得られませんでした」。徹底的に切り詰めた、いさぎよい構想だったが、なにかトラブルが起きても地上からは一切打つ手がなく、リカバリー不可能という点が不評だったという。

その後、SS-520に第3段を追加した3段式のSS-520・5号機が、2018年2月3日に超小型衛星「たすき(TRICOM-1R)」を地球周回軌道に打ち上げることに成功した。これによりSS-520は世界最小の衛星打上げロケットとしてギネス世界記録に掲載された。また、ISASは2022年11月16日には、米航空宇宙局(NASA)の有人月探査用超大型ロケット「SLS」の1号機に、重量12.6kgの世界最小の月着陸技術実証機「OMOTENASHI」を乗せて打ち上げている。惜しくもOMOTENASHIは失敗してしまったが、技術的にはここまで月着陸機は小さくできるということを示した。

福田教授の「観測ロケットで月着陸」という構想も、2000年代半ばに具体的な計画として動き出していれば、あるいは興味深い成果を出したかもしれない。が、その時点では「理解を得られなかった」のであった。「できるわけないでしょ!!」である。

― カメラの画像と月面の地図とを照合する ―

澤井教授と福田教授を中心とした研究グループは、あらためて「もう少し現実的に見えそうな」月着陸試験機の検討を開始した。

目標は、SELENE-B検討時点で理学関係者が要求していた「精度100mのピンポイントで、山地やクレーター内部の、障害物が多い傾斜地にも着陸できる技術」だ。と、同時に福田教授の専門である「小型化技術」を、ピンポイント着陸とならぶ2本目の柱として追求することにした。ピンポイント着陸は理学研究者の要求であり、小型化技術の追求は宇宙工学の側からの要求だ。小型化技術は、月だけではなく、金星、火星、水星、さらに木星以遠の星々に探査機を送るための基礎技術となる。

この要求から、福田・澤井両教授のような工学研究者は、まず必要であるが、これから新たに開発しなくてはならない技術を割り出していく。

前回書いた3つの目標だ。

1) 探査機を着陸目標点の真上にどのようにしてピンポイントで誘導するか。
2) 着陸地点周辺の大きな岩やくぼんだクレーターなどの障害をどのようにして避けるか。
3) 着地した場所が傾斜地であった場合にどのようにして、ひっくり返るのを回避するか。

まず「探査機を着陸目標点の真上にどのようにしてピンポイントで誘導するか。」を調べる方法について考えてみよう。

精度100mで月面に着陸するために、まず必要なのは「自機が今、月面のどこの上にいるか」を知ることだ。月面を観測して月面の地図と照合し、自分がどこの上にいるかを知る技術である。

月面の地図はアポロ計画の時に、おもに月の赤道地域を中心に詳細なものが作成されていた。その後、アメリカの「クレメンタイン」探査機(1994年打上げ)が、月面のほぼ全体を高解像度で撮影した。さらには、この時点では計画進行中の日本の月探査機SELENEは解像度10mで月面全体を撮影する予定でもあった。つまり高精度着陸のために使える月面の地図はある。

そして地図と実際の地形の照合は、「2つの図形を同じものか。同じだとすれば、どことどこが対応するか」をコンピューターに判別させる「地形照合」という技術が、ロボット技術の一環として研究されていた。ロボットは障害物を避けて前進する時も、あるいはハンドで目の前の物体をつかむ場合も、最初にどこにどのような物体があるかを認識する必要がある。カメラで得られるのは2次元の画像だが、そこからどこにどんな物体が存在するかという情報を引き出さなくてはならない。

地球を遙か離れて別の星に赴く探査機もロボットの一種と考えることができる。散らかった部屋の中をロボットが障害物を避けて前に進むのも、月に着陸するのも、使う技術は同じというわけである。

基礎となる技術はすでに存在するので、次にそれを月のどこの上にいるかを知るために、どのように使ったらいいかを考える。

まず必要なのは、探査機が撮影した月面の画像から画像処理で特徴的な点を複数抽出することだ。次にその点の配置を、あらかじめ用意しておいた地図と比較する。点の位置が一致すれば、そこが自分が今いる場所ということになる。

月面の場合、クレーターという特徴的な地形がある。画像処理を使って撮影した画像からクレーターの中心点を抽出することは可能だ。複数のクレーターの中心点を抽出し、地図のクレーター位置と比較すればいい。

次に必要なことは、具体的な探査機のハードウエアで、これらの機能を実現することだ。

ここで一番問題になるのが、探査機に搭載するコンピューターの能力の低さである。宇宙空間は地上よりも強い放射線が飛び交っている。半導体チップに放射線が当たると、誤動作の原因となる。このため、衛星・探査機に搭載するコンピューターは、地上の最新半導体よりも半導体内に作り込む回路の密度が低い ──別の言い方をすると、半導体内回路の配線が太くて、放射線が当たっても誤動作を起こしにくい── チップを使っている。つまり動作速度が地上のコンピューターより遅い。

動作速度が遅すぎると、自分の位置が算出できても、もうその時には自分の位置が変わってしまっていて、計算結果が役に立たない、ということになってしまう。だから地上用よりも動作速度の遅いコンピューターで、十分な速度で自分の位置を算出できる手段を新たに開発しないといけない。

高速化の方法はいろいろとある。特徴点を抽出する手順 ──アルゴリズムという── を改善するという手もあるし、その手順を高速に実行するためにハードウエアの側を改良するという手もある。

大切なのは、できあがった装置が探査機に搭載して打ち上げることができて、宇宙空間できちんと動作することだ。どんなに速く計算できても、例えば電力消費が大きすぎて、探査機の電源では動かせないとなると無意味になってしまう。放射線のような宇宙の環境、探査機の重量や電源の容量といった制約をクリアできる装置を作り上げなくてはいけない。

― 着陸直前に岩石やクレーターを回避するために ―

では、2番目の「着陸地点周辺の大きな岩やくぼんだクレーターなどの障害をどのようにして避けるか」 をどうやって実現するか。

着陸の最終段階では、地上の障害物を検出して避ける必要がある。月面には地図には載らない程度に小さいが、着陸の障害にはなる程度には大きい岩石やクレーターが無数に存在する。着陸の最終段階では、月面を撮影した画像からそれらの岩石やクレーターを検知して回避しなくてはいけない。

しかも着陸の最終段階、もはやまったなしという状態で検知と回避を行うので、計算に時間がかかってはいけない。しかも検知できないというようなことがない、確実な方法でなくてはいけない。うっかり岩石の上にでも降りてしまったら、それだけで月着陸は失敗するのだ。

SLIMで採用されたのは「月面の光の反射の具合を使って検出する」という方法だった。クレーターはへこんでいるし、岩石は盛り上がっている。だから岩石にせよクレーターにせよ、月面全体の中では太陽光の反射が少し違うはずだ。要するに「周囲より明るかったり暗かったりする」。その違いを使えば着陸の障害物となる岩石やクレーターを検出できるだろう。

が、言うは易し行うは難し。どれぐらい明るければ、どれぐらい暗ければ、岩石なのかクレーターなのか。また誤検知を防ぐためにはどんなアルゴリズムを使えばいいのかは、ひとつひとつ考えていかなくてはならない。しかもそれは限られた探査機搭載コンピューターの能力で実行できる必要がある。

宇宙工学に限らず、工学が行う技術開発は、常に「現実の中に、設計時に意図した通りに動作する装置として実現する」という性質がある。「できるかも知れない」では無意味なのだ。現実の道具として形になっていて、それが想定していた環境で想定した通りに動作する ── というのが最終的な目標だ。そこに至るまでには、宇宙用コンピューターの計算能力の不足、宇宙機の電力供給の制約などなど様々な制約を乗り越える必要がある。

あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず ── そのような状態のなかで「あちらもこちらも立てて現実のものとする」のが工学という学問なのである。実現には、何度もの粘り強い試行錯誤が必要になる。

― 協力者を増やすも、ままならぬ外的状況 ―

科学衛星・探査機というのものは、思い立ったらすぐ作れるようなものではない。澤井・福田両教授(当時は助手だったわけだが)が意気投合して、最初にやったのはアイデア出し、そしてアイデアの妥当性を検証する検討と計算だった。どうすれば月にピンポイント着陸できるのか、そのためにどんな技術が必要か、その技術を現実のものにするためにはどうしたらいいのか。

検討の規模が大きくなってくると協力者が必要だ。学生や若い研究者に「ピンポイントで月に着陸する検討に参加しないか」と声を掛けて、仲間を増やしていく。仲間は研究所内部には限らないし、また宇宙工学の研究者だけとも限らない。特にSLIMの場合は、地形照合を研究している大学のロボット研究者と積極的にコンタクトをとって、検討に参加してもらった。

関係者が増えてくると、検討にもそれなりの額のお金が必要になってくる。そこで、検討チームを作って研究所内部の次世代のプロジェクト研究資金に応募する。うまく受かると、所内にワーキンググループ(WG)という組織ができて、研究費が付く。研究費が付くと、メーカーに「こういうことやってもらえませんか」とお願いすることもやりやすくなる。

SLIMの場合、WGが立ち上がるまでが長かった。まずは「小さな月着陸試験機」というコンセプトに対して「それって本当に成立するの?」という懐疑的意見が強く、説得できるだけの材料を揃えるの時間がかかったということが原因である。

また、不運もあった。2007年にSELENEが打ち上げられて「かぐや」と命名される。かぐやは日本初の本格的月探査機として2年間にわたって月周回軌道からの月の観測を行った。本来ならば、続けて検討に入っていた月着陸機「SELENE-2」計画が立ち上がって、次々の月探査を行うところである。ところが、この時期からアメリカの有人月探査計画「コンステレーション」が迷走し始めてしまい、先行きが不透明になってしまった。さらに、国内では、宇宙基本法の成立・施行と共に宇宙政策の主管庁を文部科学省から内閣府に移すという組織改革が動き出し、その中で月探査が日本の重要課題からすべり落ちてしまったのである。

小さくて、ピンポイントで月に降りる月着陸実証機という目標があまりに野心的過ぎるように見えたということもあったかも知れない。「これでよかろう」という案を作成し、研究所内で提案する。すると、あれがだめだこれがだめだと様々な指摘を受けて突き返される。が、あきらめず、また構想を練り直して提出する。

その繰り返しだった。

SLIMの場合、宇宙科学研究所の次期衛星・探査機候補としてWGになったのは2007年。澤井・福田両名が意気投合してから3年以上もの時間が経っていた。

― SLIMはいったいどんな形になるというのか ―

slim09.jpg

SLIM検討過程における探査機外観(クレジット:JAXA)

WGが立ち上がって使えるお金は増えても、基本的にはやることは変わらない。よりよい探査機を実現するための試行錯誤の繰り返しだ。それが具体的な形となって現れたのは、探査機の形だった。

ここで、3番目の「着地した場所が傾斜地であった場合にどのようにして、ひっくり返るのを回避するか」が課題となる。

月に安全に着陸するためには、機体はなるべく重心が低く、着陸脚を広く広げた形が好ましい。そうすれば着陸時にごろんと横に転がる可能性を低くすることができる。重心が低く、脚を大きく張り出していたら、着陸時に横方向の速度を完全に0にできなかった場合でも転がりにくくなる。まして月の斜面に降りようとするなら、なおさらである。

この点でお手本のような形をしていたのは、アメリカがアポロ計画での有人月着陸に先行して月に向けて打ち上げた「サーベイヤー」探査機である。探査機本体は平べったいパンケーキのような形をしていて、そこから3本の着陸脚が横に張り出しており、高さが必要なアンテナ太陽電池パネルだけが突き出したマストの上に取り付けられている。着陸脚は打上げ時には折りたたまれていて、宇宙に行ってから展開する。

[画像:slim10.jpg]

アポロ計画で有人のアポロ月着陸船に先行して月に着陸したサーベイヤー探査機(提供:NASA)

1960年代に設計されたサーベイヤーがお手本になるのなら、それを真似すればいいのかといえば、そう簡単な話ではない。

サーベイヤーの形状や寸法は、打上げに使った「アトラス・セントール」ロケットのフェアリングの容積に合わせて設計されている。同ロケットは直径3.05mあるので、その大きさを生かして探査機本体をフェアリングいっぱいの薄いパンケーキ型にして探査機の重心を下げた。

が、SLIMの場合、打上げには直径約2.5mの「イプシロン」ロケットを使うことを前提としていた。すると、探査機本体部分を薄いパンケーキにするというわけにはいかず、それだけ重心は高くなる。

打上げ後に着陸脚を広げる設計も善し悪しだ。宇宙空間での可動部位はそれだけで失敗の原因となりうる。特に着陸脚となると引っかかって開かないというだけで月着陸はできなくなる。

さらには展開式の着陸脚は重量増加の原因ともなる。特にSLIMは、後述するようにイプシロンロケットの打上げ能力では、徹底して軽量化しないと打ち上げが不可能になることが分かっていた。

さらには、横に大きく広げた着陸脚はそれだけ着地時にかかる横方向の力に対して踏ん張って転倒を防ぐわけだが、踏ん張るということは強い力がかかるということでもある。だから、その分丈夫に作らねばならない。つまり、着陸脚は重くなる。

さあ、SLIMは一体どんな格好にすべきなのか ──。

最初に考えたのは、「ピンポイント着陸の技術実証に必要なのは、目指した場所の真上数から数十mまで到達することだ。そこまで到達できれば、残る数mだか数十mだかを落っこちるだけである。なら、脚なんかなくてもいいではないか。外してその分軽くしてしまえ」ということだった。この場合、月面への最終段階は、数mの落下ということになる。これは前述の「観測ロケットで月着陸」の検討の中で出てきたアイデアだった。

「いや、落とすだけでは芸がない」という意見もあった。「エアバッグ持って行って膨らませ、最後の衝撃を吸収しよう」というのである。

エアバッグを使う着陸は、アメリカが1997年に火星着陸に成功した探査機「マーズ・パスファインダー」ではじめて採用した。その後無人火星探査車「スピリット」「オポチュニティ」(2004年に火星に着陸)でも使用した。その意味では実証済み技術だが、月での使用例はない。

[画像:slim11.jpg]

エアバッグを膨らませた状態のマーズ・パスファインダーの試験モデル。探査機本体は三角錐形状に畳まれた形状をしていて、各面がそれぞれ5個のエアバッグを展開する。火星大気に突入後、パラシュートで減速し、最後はこのエアバッグを展開して火星表面に落下。最後のエアバッグをたたんで探査機本体を展開する。(提供:NASA)

WGは、様々な方法を検討しつつ、対外的にはごく普通の4本の着陸脚を持つ形状を押し出していった。というのも、奇抜な着陸方式で周囲から「こんなこと、できないんじゃないの」と思われてしまったら、実現の可能性が遠のいてしまうからだ。あくまで、ごく普通の形を押し出しつつ、内部ではありとあらゆる方法を模索し続けた。

その中から、「これはひょっとしていけるのかも」という案が徐々に浮かび上がってきた。

「着陸脚を付けるのはなぜか。重心の高い機体が、着陸時にひっくり返らないためだ。ならば、着地後に重心が低くなるように探査機を倒してしまうというのはどうか、最初から倒してしまう前提ならば、着陸脚はずっと簡単で小さく、軽いものになるのではないか」という案だった。

しばらくのあいだ、このアイデアは秘密にして、内部で検討が進んでいった。

「そんな奇抜なこと、できっこないよ」と言われて、検討そのものを終わりにされないためであった。

― 機体を徹底軽量化するために ―

SLIMが本当に探査機として成立するかどうかという点では、軽量化は着陸脚以上に重要な問題だった。打ち上げに使うイプシロンロケットの打上げ能力は限られている。そして月着陸機は打上げ時重量の6割以上の推進剤を積まないと月に着陸できない。最終的に完成し、月に向かったSLIMの場合、打上げ時重量は715kg。この重量は、ロケットの打上げ能力で決まる。SLIM本体が1kg重くなれば、搭載できる推進剤が1kg減る。だから徹底して軽量化しないといけない。

SLIMの場合、軽量化を徹底するために、従来の「衛星・探査機を作る定石」を外す必要があった。

1960年代以来の技術の積み重ねで、安全確実な探査機を実現する設計は、ほぼ確立している。まず機体の中心に力を受け止めるがっちりした構造体を作り込む。構造体は円柱形であることが多い。この構造体のことをスラストチューブと呼ぶ。スラストチューブに推力を発生するロケットエンジンのような推進系や、重量が大きくなる推進剤タンクなどを固定する。電源や電子機器なども、スラストチューブに固定し、さらにその外側に外壁を巡らせ、温度を一定に保つサーマル・ブランケットで覆ったり、内部の熱を宇宙空間に逃がす放熱面を作り込んだりする。

が、この方法は、それ相応に重くなる。

一層の軽量化を要求される惑星探査機などでは、箱形の外壁が力を受け止めるように設計することもある。ケーキの箱が、中のケーキが潰れるのを防ぐのと同じだ。箱の内側には中を仕切る隔壁を作り込み、推進剤タンクのような重量物は隔壁に固定する。小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」などは、このやり方で作られている。

が、SLIMの場合はそれでも軽量化が足りなかった。そこで使ったのが、推進剤タンクを力を受け止める構造材として使うという方法だった。

衛星・探査機でもっとも大きな部品は推進剤タンクだ。だからタンクそのものを探査機の"背骨"として使う。機体にかかる力をすべてタンクが受け止めるわけだ。

ロケットエンジンも電子機器も電源系も通信系も、すべてタンク外壁に力がかかるようにして取り付ける。そうすれば「力を受け止めるだけ」という部材がなくなるので、その分軽量化できる。

もちろん問題もある。一番の大きな問題は、「タンクは膨張する」ということだ。推進剤を入れたタンクは、内部を加圧する。圧力で推進剤を押し出してエンジンに送り込むためだ。圧力がかかったタンクは膨張する。外壁に、機器をがっちりと固定していたら、タンクの膨張で機器が壊れてしまうこともあり得る。

そこで採用されたのが、「タンクから機器類を浮かす」ということだった。機器はデッキという台座にまとめて搭載する。その上で、力を受け止めるタンクとデッキの接合部を1箇所にする。こうすればタンクの伸縮が機器の固定に影響しない。さらにSLIMでは、軽量化のため、通常なら別々にする燃料と酸化剤、さらにはそれらを加圧する高圧ガスのタンクをまとめて一体化することまで行った。一体化することで、機体中央部にひとつの大きなタンクが位置することになるので、タンクがすべての力を受け止める設計をやりやすくなる。

とはいえ、デッキを浮かせる設計を成立させるのは容易なことではなかった。設計はそれでいいとして、個々の部品を本当に加工できるのか、加工できたとして組み立てられるのか。さらには、機体開発時に想定される試験時に、適切に分解したり再組み立てしたりできるのか ── 要するに打ち上げることができる「本物」の探査機として完成させることができるのか。

そこは実際に機体を製造するメーカーの腕の見せ所となったのだった。

― 理学研究者の強烈な情熱 ―

提案しては蹴飛ばされ、また考え直しては再提案を繰り返すSLIM。この時期のことを澤井教授は「浪人の日々」と形容する。

そのさなかの2013年に、SLIMの検討チームに、新たなキーパーソンが加入した。坂井真一郎教授。専門は制御工学で、具体的にSLIMを月面に着陸させるにあたっての制御を検討するために、チームに入った。年齢的は坂井・福田両教授が同年配で、澤井教授が5歳ほど年上だ。後に坂井教授は、プロジェクトが正式にスタートすると、SLIMプロジェクトマネージャに就任し、SLIM開発と運用の先頭に立つことになった。

坂井教授は「私は後からプロジェクトに加わったので、印象的だった話をしましょう」と、理学研究者の情熱を語り出した。

[画像:slim12.jpg]

坂井真一郎教授 (クレジット:JAXA)

そもそもSLIMは、「月面へのピンポイント着陸」という工学的課題を実際に試してみる、小型の工学試験機だった。だから、検討の過程で月面にピンポイントする以外の要素は極力削り、小型軽量化を徹底していった。

ところが、理学研究者は、どうしても観測機器を積みたがった。せっかく月面のいままでの探査機が降りたことがない場所に着陸するのだ。そこで観測を行わないなんてあり得ない ── 彼らは岩石を様々な波長の光で観測するマルチスペクトルカメラという観測機器の構想をまとめ、「可能ならばこれを載せてほしい」と主張した。さらに、マルチバンド分光カメラが最大の成果を上げられる着陸地点に降りてほしい、具体的にはクレーターの中央丘の斜面に降りてほしいと要求した。それもなるべく年代的に新しいクレーターが良い。クレーターの中央丘では、隕石の衝突によって月の内部の岩石が露出している。クレーター生成と共に月面に出てきた岩石は、太陽光や放射線などによる宇宙風化にさらされる。できるだけ風化の少ないフレッシュな岩石を観察したい、というわけである。

実は工学側も、探査機に重量的な余裕ができた場合に向けて、超小型の無人ローバーを搭載して月面を探査させるというオプションを用意していた。が、それはあくまでもオプションであって「もしも実現したらいいな」という位置づけだった。なにしろ検討段階のSLIMはずっと重量超過に苦しみ続けていたのだから。

月面にピンポイントで降りることができるなら、科学観測も超小型ローバーの試験もできたほうがいいに決まっている。が、それらを搭載することで、本筋の月面ピンポイント着陸が危うくなったら、それこそ筋違いというものだ。

なんとしても科学観測をしたい理学研究者と、それ以前に月面ピンポイント着陸を確実にしたい工学側との押し合いへし合いは、間にSLIMの重量を挟んで、延々と続いたのだった。

― いよいよプロジェクト化へ ―

「あなた、どうしちゃったんですか?」と言われ、「そんなの無理だよ」と蹴飛ばされて10年以上 ── それでもあきらめずにひとつひとつ技術的課題を詰めていけば、少しずつ形になっていく。形になれば、「そうか、このように工夫したのか」と耳を傾ける人も増えてくる。

そして、その時が来る。

2013年12月、公募型小型ミッションという新しい科学衛星シリーズの提案募集が始まった。2年に1機の割合で、100億円から150億円の予算でイプシロンロケットを使って打ち上げる科学衛星を公募し、プロジェクト化するというものだ。

1970年の最初の衛星「おおすみ」以来、長らく宇宙研は、年に1機の割合で科学衛星を打ち上げてきた。が、1997年により大きな「M-V」ロケットの運用が始まって以来、衛星が大型化してこのパターンが崩れ、宇宙研の規模では年1機の打ち上げが難しくなった。さらには、2003年の宇宙三機関統合によるJAXAの発足、2008年の宇宙基本法施行に伴う国の宇宙開発体制の変化、なにより世界的な科学の進歩と太陽系探査の進展で、より戦略的、かつメリハリのついた体制を組む必要が出てきた。

それに対する回答となる新しい体制が「2年に1機の公募型小型ミッション」、「10年に3機のより大きな戦略的中型ミッション」というものだった。公募型戦略で、研究者からの自発的ボトムアップのミッションを実現し、さらに長期的な大きな流れを見通した上で、より大きな衛星・探査機を開発し運用するというものだ。

その、公募型小型ミッションの初回公募が始まったのである。

並みいるライバル達のワーキンググループと共に、SLIMもこの公募に参加した。2014年2月に提案書を提出。その後SLIMは数々の審査を通過していき、2015年の春、研究所内の経営審査を通過。SLIM計画の実施は、宇宙研全体の意志となり、政府に提出された。

並行して、本番のプロジェクト立ち上げに向けての審査も進む。2015年4月から6月にかけてプロジェクト準備審査を実施。「設計や運用計画に問題点はないか、本当に実施できるのか」が厳しく審査される。

2015年12月、内閣府の宇宙基本計画の工程表という公文書に、2016年度から3年計画で開発し、2019年度に打ち上げる宇宙科学・探査として「小型月着陸実証機」が記載された。まだSLIMという名称にはなっていないが、内閣府の公文書に記載されたことで実質的にプロジェクトにゴーサインが出た。

ここからの国としての意志決定の事務手続きは一気に進んだ。2016年1月から2月にかけて、研究所内のプロジェクト移行に向けての審査を実施。3月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)内の審査で「プロジェクト移行が妥当である」というお墨付きを得た。

2016年夏、文部科学省・宇宙開発利用部会でもプロジェクト化の承認が得られた。

いくつもの審査を通過し、いくつもの公文書に名前が記載され、SLIMは日本が実施する正式の宇宙計画となった。澤井教授と福田教授が、「目的を絞って、小さく軽く、そして素早く」と検討を開始してから、すでに12年が経っていた。

しかしながら、ここまで来てもなお、後は2019年度の打ち上げに向けて、実機を開発するだけ── とはならなった。なにしろこの時点から、まだまだSLIMの形状は変化していくのである。

それは、SLIM計画に参加する人々の「よりよいものを」という情熱の表れでもあり、同時に「月面ピンポイント着陸」という目的の困難さ故の変化でもあったと言えるだろう。

加えて、プロジェクト化となったSLIMには、関係者の努力ではどうにもならない、外的状況の変化もかぶさってくるのであった。

(注記)本記事の一部は、筆者・松浦氏による取材や見解に基づき構成されています。

◇著者:松浦 晋也
◇プロフィール:ノンフィクション・ライター
1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学理工学部卒、同大学院メディア・政策研究科修了後、日経BP社の記者として宇宙開発等の取材経験を経て独立。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /