VOL.203 MAY 2025
[SPRING SPECIAL ISSUE] VARIOUS VARIETIES OF CHERRY BLOSSOMS IN JAPAN (PART 2): ADMIRING THE CHERRY BLOSSOMS AT CASTLES IN JAPAN
春の名城を彩るさくらの花の歴史的背景とその魅力
白亜の天守閣と満開のさくらの対比が美しい姫路城(兵庫県姫路市)
Photo: 姫路市
日本の春を彩るさくらの中でも、城址に植えられたさくらの美しさは筆舌に尽くしがたい。全国のさくらの保全活動を行う「公益財団法人 日本さくらの会」事務局長で樹木医でもある浅田 信行さんに、日本の城にさくらが植えられるようになった歴史的背景や見どころについて話を聴いた。
(備考:本記事においては、桜(サクラ)はひらがな表記としています。)
1964年に設立された「公益財団法人 日本さくらの会」事務局長。会はさくらの植樹・保全、さくらを通じた国際親善交流活動を行っている。
浅田さんが事務局長を務められている「日本さくらの会」について教えてください。
日本さくらの会は1964年に設立されました。この頃、1960年代から1970年代にかけては高度経済成長期であり大規模な都市開発やインフラ整備が進み、公園や河川の整備が積極的に行われていました。また、東京オリンピック開催に向けての整備のため、さくらも数多く伐採されました。そのため19世紀末から20世紀初頭に植えられたさくらの保全を目的に始まったのです。また「さくら名所100選の地」として、全国のさくらの名所を紹介するような周知活動も行っております。
日本には全国各地にさくらの名所と呼ばれている場所が非常に多くあります。中でも、お城や城跡に造成された公園のさくらは日本人には人気が高く、愛されています。日本さくらの会が選定した「さくら名所100選の地」にもそういった公園が含まれています。さくらの名所としてお城や城跡が広く日本人に親しまれるようになった経緯や歴史などをお教えください。
まず、さくらは日本人が農耕民族として生きていく中で、農作業の開始時期を知らせてくれる大切なパートナーでした。特に寒冷地では晩霜1の被害を避けるためにさくらの開花は肝要な目安となっていたのです。日本人がさくらを見ると特別な思いを抱くのは、そういった古来の記憶があるからかもしれません。また、江戸時代には徳川将軍への献上品として、特産の花を競って作る文化があり、さくらの種類も豊富になりました。現在では300種類から500種類以上の栽培品種があります2。
さて、城郭や城址にさくらが植えられるようになった歴史的背景についてですが、それは、19世紀後半に徳川幕府から明治政府へと政権が移り、それまでの封建制度が廃止される一連の施策の中で行われた廃城令3の後からかと思います。そもそも日本の城郭は軍事拠点ですから、石積みを壊さない為に、城郭内に根を地中深く広げる樹木を植えないことが基本でした。また土台をきっちりとつき固めるため、根を張る樹木など植物が非常に育ちにくい環境であったと考えられます。
ところが、城郭、城址にさくらが植えられるのは、「城址を記念して植える」「石積みとさくらの開花の対比がすばらしいと感じる」「新たにさくらを植えるとき、先例や景観をお手本にした」と言うようなことが主な理由だと思います。そして、比較的丈夫で育てやすいソメイヨシノが、ちょうどこのころ、19世紀の後半から大量に供給されたことも助長したと思います。例えば、弘前城の跡の弘前公園は今ではソメイヨシノを主として2600本ものさくらがあることで有名ですが、当初は京都からヤマザクラ系の品種を植樹しましたが生育が悪かったということです。比較的丈夫で城郭・城址に植えやすかったソメイヨシノという品種の出現は大きな要因だったでしょう。また、さくらというのは非常に根をはる樹木ですので、植栽には十分な空間が必要ですが、城郭・城址は植樹のための広い敷地を確保しやすかったと思われます。
なお、さくらの木の必要な空間の広さは地域によって異なります。日本は南北に長いため、ソメイヨシノであれば、例えば寒い東北地方では直径15メートルから20メートル、温暖な東海近畿地方では直径10メートル程度と、十分な空間を確保しなければ開花は望めません。さらにはさくらの生育には水はけの良い土壌が重要です。粘土質の土壌は根の成長を妨げるのです。城跡や河川沿いにさくらが多いのは、空間的な条件である、見栄えや視認性のよい場所として選ばれたのだと思います。
「日本さくらの会」でもさくらの植樹事業を行っていますが、これはどのような活動でしょうか。
「日本さくらの会」では宝くじ社会貢献広報事業の助成により、1967年から現在まで全国にソメイヨシノの若木を無償で寄贈、植栽の助言の支援を行っております。それによって古代から多くの和歌に詠まれるなど、日本人に愛され、日本文化の象徴とも言えるさくらを全国に普及させています。
現在の日本でよく見かけるソメイヨシノは日本古来のさくらの野生種であるエドヒガンとオオシマザクラの交配あるいは自然交雑によって生まれたと考えられており、江戸時代末期(1850年から1860年代)に「吉野桜」として売られていたものです。園芸品種としてソメイヨシノが全国に広がった理由としては、葉が出る前に花が咲くという特性があり、霜の被害を受けにくいこと、また前述の日本の近代化による廃藩置県や城郭取り壊し後の跡地に記念や鎮魂の意味で植えられたことが大きいと思います。
実は、現在のさくらの名所とされている場所の多くは、元々個人が植えたものが地域の財産として引き継がれてきたものが多く、国体や高校総体などのタイミングで整備された公園などに植樹されているものも多いです。また、オリンピックや皇室のご成婚記念など、国家的なイベントを記念して植えられた例も多いです。
しかし、最近は公共用地の減少によりさくらの需要も減り、それに伴って生産者が減少していることを懸念しています。「日本さくらの会」が全国に配布するさくらの本数も以前は年間4万本だったこともありましたが、現在は1万本程度に減少しています。また、安定的に供給できる品種は限られており、寄贈する品種の選定も難しくなってきました。
浅田さんがお考えになる、さくらの魅力について教えてください。
さくらは、毎年新しい枝を伸ばして花を咲かせるため、適切な栄養と水分があれば私たち人間よりも長く生き続けられます。大きく育ったさくらは人間の寿命を超えて生き続け、自然との関わりや時間の流れを感じさせる存在として価値があります。先ほども少し申し上げましたが、古代から日本人はさくらを命の源である農耕のパートナーであることから大切にし、神聖な木として位置付けてきました。また、花の美しさからたくさんの和歌に詠まれ、春に必ず花が咲くことからこの世や人生の象徴とすらなってきました。日本人自身がこうしたさくらの価値を再認識し、海外の人々にも日本人の心としてのさくらの姿を伝えることが重要だと思います。
樹木医でもある浅田さんが、保全活動、名所の選定など、ご自身の活動の中で各地の多くのお城などのさくらをご覧になってきたかと思いますが、特に印象に残っている場所、あるいはさくらの木がありましたらお教えください。
残念ながらさほど多くの場所を観ているわけではありませんが、弘前市の弘前公園は見事だと思います。特に、お堀に花びらが一面に散った花筏4の光景は目に焼き付いています。また、つむじかぜにのって花びらが川岸を走っていく様子は未だ記憶に鮮やかですね。また、福島県二本松市の霞ヶ城公園、兵庫県姫路市の姫路城、長崎県大村市の大村公園などのさくらも見事です。その鑑賞価値は多くの人に評価されていると思います。
春、花の咲く季節に日本を訪れる海外からの観光客のかたに浅田さんおすすめの、さくらが魅力的な場所や鑑賞のポイントがありましたらお教えください。
私たちが選定している「さくら名所100選の地」は日本全国47の都道府県ごとに最低1か所は選ぶ基準ですから、ぜひ参考になさっていただけたらと思います。城跡などのさくらの名所を訪れることで、日本の歴史や文化、政治について考える機会になると思います。自分の目で見て判断することで感性を磨き、日本文化の理解を深めることができます。「さくら」という言葉は植物としてのサクラだけでなく、日本人の感性や文化が込められた概念だと私は考えています。日本酒が海外でも「sake」と翻訳されるように、海外でも「cherry tree」ではなく「sakura」として認知されて欲しいと切に願っております。
- 1. 初夏の頃に降りる霜のこと。
- 2. 「HIGHLIGHTING Japan」2024年4月号「日本固有のサクラの種類と花を愛でる文化の歴史」参照
- 3. 城・城跡を軍用地として利用するための法令。全国の城・城跡を軍用地利用するか(陸軍省が所轄)、解体・払い下げするか(廃城)で区別した。
- 4. 散ったさくらの花びらが、川の水面を流れる様子。
By MOROHASHI Kumiko
Photo: Himeji City; PIXTA