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[コラム]父は東芝府中で活躍した名FB、女子7人制ラグビー日本代表・松田凜日、「体張ってチームに勢いを」東京五輪の代表落ち乗り越え...

2024年7月28日 09時36分

◇コラム「大友信彦のもっとラグビー」
世界の壁に苦闘を続けた男子に対し、躍進が期待されるのが女子ラグビーだ。2016年リオデジャネイロでは10位、21年東京では全敗の12位と苦しんだが、今回は世界のトップ国が集まるワールドシリーズで昨年は3度、今年は2度にわたって8強入り。メダルを射程圏に捉えている。
そんな女子7人制ラグビー日本代表で、エースと期待されるのが松田凜日(りんか、22)=東京山九フェニックス=だ。
父は東芝府中(現・BL東京)で活躍し、15人制と7人制で5度のW杯を経験した名FB松田努さん。凜日は中学生の頃から父譲りのダイナミックな走りで注目され、高1で日本選抜、2019年には高3で日本代表デビュー。次代のエースと期待されたが...悩まされたのが度重なるケガだ。四肢の筋肉が発揮する桁外れのパワーに、成長途上の骨格が耐えきれなかった。19歳で迎えた東京五輪ではいったん五輪代表に内定しながら足首の負傷が完治せず、開幕直前に代表落ち。
「落ち込んで、しばらくは立ち直れなかった。でも『このままでは終われない』という気持ちはずっと持っていました」
3年後のパリで必ず活躍すると誓った凜日だったが、選んだのはあえて7人制から離れることだった。ケガから復帰すると、22年は15人制ラグビーに専念。22年のW杯では全3試合に父と同じ背番号15の桜のジャージーを着てFBで活躍した。
「15人制をプレーして、試合中のコミュニケーションやフィジカル面で成長できたと思います」
重量級の選手が多い15人制のコンタクトプレーに対応するために体もリメーク。インナーマッスルを鍛え直してケガも減った――そんなプロセスを経て、23年から7人制に復帰。東京五輪を目指していた時期はBKだったが、今は172センチというチーム一の長身を生かし、FWでプレーする。

松田凜日(5月の熊谷合宿で)


「自分の役目はキックオフでのボール獲得。試合の最初に体を張ってチームに勢いをもたらすことだと思っています」
精神的にも成長した。
「3年前は自分のことで精いっぱいで、チームのことは考えられなかった」
東京五輪の代表落ちを告げられた日はショックで号泣。同じく落選した中村知春が失意を隠して「思い切り食べよう」と誘ってくれて、泣きながら食べたシュークリームの味は忘れられない。それから3年、19歳だった大学生は22歳の社会人になり、五輪の舞台に、その中村と一緒に立つ。
「パリでは私が知春さんにごちそうします。マカロンがいいかな?」
戦いの先には歓喜のスイーツが待っている!
▼大友信彦 スポーツライター、1987年から東京中日スポーツ・中日スポーツでラグビーを担当。W杯は91年の第2回大会から8大会連続取材中。著書に「エディー・ジョーンズの監督学」「釜石の夢〜被災地でワールドカップを」「オールブラックスが強い理由」「勇気と献身」など。
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