伝アインシュタイン・エレベーター
広報誌編集委員会
理学部1号館第3期工事にともない,旧1号館に設置されていたアインシュタイン (Albert Einstein) が乗ったとされるエレベーターを,総合研究博物館が保存することとなった。現在は,JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」内の展示室「GREY CUBE」に常設展示されている。展示解説にあるエレベーターの伝承の中から,アインシュタインに関する興味深い話をご紹介したい。
「伝アインシュタイン・エレベーター」展示の様子。この昇降機はエレベーター・カンパニー日本支社(現・日本オーチス・エレベーター)によって製作された。© Intermediatheque
空間・展示デザイン © UMUT works 2013
「アインシュタインは,1922(大正11)年の11月17日から12月29日までの一ヶ月半,改造社の招聘により日本に滞在した。来日直前に「光量子仮説」によりノーベル物理学賞受賞が決まったアインシュタインは,日本各地で熱狂的な歓迎を受け,数多くの講演を行った。東京帝国大学では11月25日から12月1日にかけて,計6回の特別講義が開催され,東大滞在中は物理学の田中舘愛橘名誉教授(1856-1952)の元研究室が控え室として使われていたという。物理学教室の中央講堂や田中舘の研究室があった理科大学本館は,1923(大正12)年9月の関東大震災により崩壊し,アインシュタインゆかりの場所はすべて消え失せてしまった。その後,岸田日出刀が設計した理学部旧1号館は,1924(大正13)年6月に着工・1926(大正15)年3月に竣工した建物であり,アインシュタインがこのエレベーターに乗ることはなかったはずである。この昇降機が「アインシュタイン・エレベーター」と伝えられてきた理由は定かでない。アインシュタインの一般相対性理論の基本となる等価原理は,エレベーターの思考実験から着想された。彼自身が「人生最高の思いつき」というこの大発見が,理学部最古の建築遺産の一つである旧1号館のエレベーターに結びつけられ,アインシュタイン来日の歴史的記憶を伝える象徴として伝説化されたものかもしれない。」(引用元:インターメディアテクの展示解説)
JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」
(HP: www.intermediatheque.jp )
東京都千代田区丸の内二丁目7番2号JPタワー/KITTE 2・3階