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【対談】「出会い」と「ものづくり」

(右)オオアサ電子株式会社 代表取締役社長 長田 克司
×ばつ(左)産総研化学プロセス研究部門 首席研究員 蛯名 武雄

オオアサ電子長田社長と蛯名首席研究員の写真

オオアサ電子株式会社が昨年発売を開始した「ハイレゾ対応無指向性スピーカー TS1000F」には、住友精化株式会社と産総研が共同開発した粘土を主原料とする新開発素材が採用されています。今回は、オオアサ電子株式会社・長田克司社長と、粘土膜材料の生みの親である産総研・蛯名武雄首席研究員にものづくりにかける思いを伺いました。

―26歳でオオアサ電子の社長になられたと伺いました。

長田もう35年くらい前のことですが、当時から、子どもが生まれたらいい大学へ行かせて、いい就職をさせてというのがありました。しかし、都会に出たままで、地元(旧広島県山県郡大朝町)に後継者がいなくなった。危惧された有志の方が、地元で働ける場所を作ろうということで、大企業の下請けの仕事を探してきてくれました。その時に丁度Uターンで帰っていて、君ら夫婦でやってみんかとチャンスをいただいた。当初は発光ダイオード関連の仕事をしていて、会社設立から3年くらいで、今主軸にやっている液晶をはじめました。爾来30年、目前とした5年前に、リーマンショックで、日本の中で製造していてもダメだということで、各社すべて海外へ行ってしまい、我が社も正に青天霹靂、仕事がゼロになりました。信頼関係の下、要の仕事はしていたものの100%下請けでやってきたので、会社を閉鎖するのが順当だったのかもわからないけど、当時、東日本大震災などの自然災害や海外に生産をシフトしてリストラの人災等を目のあたりにしており、このままでは日本は絶対にダメになるぞ、と。だったら、小さくても、今までの技術を活かして何かやってみよう。本来はやっても成功しないことだけれども、やらざるを得なかったですね。しかし、やっぱり、甘いものでなしに、生死を彷徨いました。まだ課題はありますが、仕事量を充足するのに5年かかりましたね。

蛯名私は東北センター勤務で、まわりは中小企業さんが多いという地域です。ロケーションとしては、中国地域は比較的、東北の状況と似ているところがあります。過疎化も起こっていますし、中小企業が非常に多くて、事業をどう継続していくかという難しい問題が、早めに顕在化している地域だと思っています。そういう意味で、オオアサ電子さんは、創業時から地元の方々が危機感を持たれ、作られた会社です。
産総研の各地域センターがそこにどう関わっていくかが、重要なポイントだと思うのです。

長田今まで下請けだったので、技術もないし、お金もない、設備もないと思っていたのですが、大手企業からの置き土産のように生産設備は譲渡して頂きました。それと、30年続けてきた仕事というのは、みんなプロになっているんですよ。それがうちの固有技術だとわかりました。
音響は以前からOEMという形で携わっていました。ただ、固有技術というのは深掘りしてみれば有るが、いざメーカーになろうとすると、今まであるものは20%くらいで、ないものが80%です。売ることもわからないし、事業計画やアフターフォロー、説明書もデザインもしなければなりません。デザインをプロの方にお願いしたり、エンジニアに社員として入ってきてもらったり、人も集まってきてもらっています。5年かかりましたというけれど、それが当たり前だったのかもしれません 。

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