深海魚とミトコンドリアゲノム遺伝子配置の進化
ミトコンドリアゲノムとは?
「ミトコンドリア」と言う言葉は,よく耳にすると思います.ミトコンドリアは,ほぼ全ての真核生物の細胞に存在する細胞内の小器官で,細菌からヒトに至るまで,生物が生きていくために不可欠なエネルギーを合成しています.このため「細胞の発電所」とも呼ばれます.ミトコンドリアは,細胞の核の遺伝子とは別に,ミトコンドリア独自の遺伝子を持っています。これをミトコンドリアゲノムと呼んでいます. 遺伝子は、アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4つの塩基が対(つい)を作って成り立っています。動物のミトコンドリアゲノムは,長さが 16,000〜20,000 塩基対で、輪になった二本の鎖から構成されます。普通は 13 個のタンパク質,2 個のリボゾーム RNA (rRNA) ,22 個の転移 RNA (tRNA) の計 37 個の遺伝子が,ほとんど隙間なく並んでいます(図1:中央).1980年にすべての生物の中ではじめて,ヒトのミトコンドリアゲノムの塩基の配列がすべて決定されました.それ以来,さまざまな動物のミトコンドリアゲノムの塩基配列が決定され,ミトコンドリアゲノムに並んでいる37遺伝子の種類は,どのような生物でもほぼ共通であることがわかってきました.また,これら37遺伝子の並び順(遺伝子配置)が,ヒトを始めとしてマウスやウシなどの哺乳類,イグアナなどの爬虫類,ツメガエルなどの両生類,コイなどの魚類を含む脊椎動物では,全く同じ順番で並んでいることが判明しました.そのため,比較的初期の段階では,脊椎動物のミトコンドリアゲノム遺伝子配置は,非常によく保存されていると考えられてきました.(図1).
図1
魚のミトコンドリアゲノムの遺伝子配置
しかし近年,ミトコンドリアゲノムの全塩基配列データが充実し,脊椎動物の中でも違う並び順(遺伝子配置変動)を持つものが見つかってきました(図2).この遺伝子配置変動という進化イベントは,生じる頻度がとても低いため、同じように変わった遺伝子配置を持つ生物は近い種類だと考えることができます.遺伝子配置変動が生じるメカニズムについては、注目を集めてはいますが,データが不足しており未だ解明には至っていません. 私は魚類を対象に、ミトコンドリアゲノムの遺伝子配置変動の研究を行っています.魚類は、脊椎動物全体の半分近くの種 (約27,000種) を含み,他の脊椎動物と比べてもっともデータが充実しています(2007年までで約400種)。この魚類のミトコンドリアに、どの程度の配置変動が生じ,どのようなタイプのものが多いかなどの解明を目指しています.これまでのところ,魚類では40以上のさまざまなタイプの遺伝子配置変動が新たに見つかりました.そしてその半数以上が,チョウチンアンコウやリュウグウノツカイなど,一般に「深海魚」と言われる魚種から発見されました.図3では,魚類でみつかった配置変動の一例として,代表的な深海魚であるソコダラ科のミトコンドリアゲノム遺伝子配置を示しました.このように,同じ科に属するとても近い間柄の種類でも,ミトコンドリアゲノムのさまざまな位置で,配置変動が生じていることが明らかになりました.
図2
図3
ミトコンドリアゲノム遺伝子配置変動と深海魚
これらの遺伝子配置データをもとに,魚類という大きなグループの進化の過程で,遺伝子配置変動がどの時期におこり,どのように伝わってきたのかを知ることが可能です.そのために,魚類全体の系統樹を作成し.これに遺伝子配置変動の情報を重ね合わせてみました(図4).その結果,遺伝子の配置変動は系統樹の先端に多く見られ,深海魚類とほぼ重なりあうことがわかりました.これはまだ想像の域を超えませんが,系統樹の先端部分に多くの配置変動があることから、それほど古くない時期に、魚類が深海という極限環境に適応するため,細胞の発電所であるミトコンドリアに何らかの変化をまねいた結果なのかもしれません. 以上のように,深海魚類のミトコンドリアゲノムを調べることによって,その魚種の進化の道筋はもちろんのこと,遺伝子配置変動という興味深い進化イベントのメカニズムにも迫れるものと考えています.
図4