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古墳の魅力って? さまざまな方に古墳にまつわる思い出や世界遺産登録への思いについてインタビューします!
今回は、京都府立大学の宗田好史教授です。
世界遺産に登録されるからといって、まちが変わるのではないと思います。そうではなく、世界遺産登録を契機として、人々が大阪という地域を見つめ直す大きな機会になるのではないかと期待しています。「文化は人に宿る」と思うのです。
古墳が造られたのは、日本というくにの形成期。当時、まだ「大阪」という概念はなく、「国境」という概念も現代のそれとは違っていたはずです。もしかしたら、地上を移動する関東地域と、船で海上を移動する朝鮮半島とを比較すれば、朝鮮半島の方が「近い」存在だったのかもしれませんね。そんな時代に、東アジアとの交流によって、人や技術、文化が伝わり、この古墳群が造られました。大阪は、そんな昔から国際性豊かな場所だったんです。
そういう意味で、百舌鳥・古市古墳群は、古代史における東アジアとの交流の象徴であり、古代史を語る上で重要なテーマになると思います。大阪という都市が、世界や東アジアにおいてどのような意味を持っていたのか、非常に興味深いですね。
古墳って、基本的に考古学・歴史学の観点から語られることが多いですよね。古墳の大きさや形は被葬者の権威や権力を表していて、当時の社会は古墳の築造によって統治されていた、と。でも、「1つの土木工事」と捉えたら、単純にスゴいと思いませんか?これだけ大きな墳墓を造るには、一体どれだけの人数が必要だったのか、1日でどれくらいの作業が進むのか・・・。また、人々が関わるということは、食料だって、調理するための薪木だって必要です。それだけの人員をどのように確保したのか、食料はどうやって調達したのか、そのように違う側面から考えてみると非常におもしろいですよね。
一方で、当時の技術力にも注目です。あれだけ大きなものが正確に造られているということは、測量の技術があった、計算という概念があったということなんです。
ちょっと余談ですが、実は私、小学生のときにモッコ(右下イラスト参照)を担いだことがあるんですよ(笑)1日一生懸命作業しても、本当に作業が進まないんですよ。
でも、当時、確かに古墳は造られています。それも1基だけでなくたくさんの数の古墳が、一部の地域だけでなく全国的に。現代のように、立派な機械もショベルカーもなかった時代に、すべて人の力で造られたのです。素直に感動を覚えます。
これまで、古墳は考古学の視点から語られることが
多かったけれども、多面的な見方をすることで
すばらしい資産だということがより一層理解されると思います。
また、世界遺産登録は、地元の人が、自分たちの住むまちが
誇る古墳群から、東アジアの古代の人々の交流の歴史に
思いを巡らせることで、大阪のすばらしさを見つめ直す
大きな機会になるのではないでしょうか。