なぜ、我々は若手を怒れなくなったのか?
――「優しい世代」流の部下マネジメント

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40代のみなさんなら、会社に入りたての頃、先輩や上司に真剣に怒られた経験をお持ちでしょう。私もそうでした。イヤと言うほど怒られました。
それから時間は流れ、後輩や部下が増えた今、自分がされたように強く怒ることがない、と思いませんか?
ひ弱な若手に迎合しているような、後ろめたさもなくはない。もっと偉くなった昔の先輩や上司から、「もっとガンガンやらないと舐められるぞ!」なんて言われることもあるかもしれません。
でも、ガンガンやれば、それで若手は育つのでしょうか?そもそも、「ガンガン」って、どんな指導を意味しているのでしょう?
私に、スッキリとした「解」があるわけではありません。
今回は、若手指導に関して、考える素材を提供します

怒らないことが、すなわち
甘やかしていることになるのか?

「そういえば、若手を怒ることはなくなりましたね。私だけでなく、職場全体にあてはまると思いますよ」
ある大手メーカーの人材育成担当者と、こんな話になりました。

彼は、40歳。入社して最初に配属されたのは、地方の支店。営業マンとして、キャリアをスタートさせました。

「いやあ、コワい先輩がたくさんいましたね。同行営業をして、クルマの中では怒られっぱなし。一通りの仕事を覚えて、自分ひとりで動くようになっても、何かにつけてカミナリを落とされたものですよ」

私にも、同じような経験があります。おそらく、この年代は先輩や上司にこっぴどく怒られた経験をだれでも持っているのではないでしょうか。

怒られたのは、自分の落ち度。未熟なのだから怒られるのは当たり前。そう思って、若い私たちは、悔しい思いをガマンしたのではなかったでしょうか。先輩や上司が怒ること自体について、それはおかしいとか、ひどいとか、思わなかったような気がします。

それは、もしかするとオヤジやオフクロが恐かったからかもしれません。もちろん、人によって状況はさまざまでしょうが、昔の親は子どもをガンガン怒っていた。親ばかりではなく、近所のおじさんやおばさんたちも、子どもが悪いことや危ないことをすれば、他人の子だろうが怒ったものです。

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