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キッズコーナー:青森港の歴史(青函連絡船の歴史1)

更新日:2021年11月17日




明治(めいじ)入り(はい )鉄道(てつどう)開通(かいつう)した(あと)青森市(あおもりし)交通(こうつう)商売(しょうばい)拠点(きょてん)として期待(きたい)されていました。
ところが、大きな(おお )問題(もんだい)がありました。もともと砂浜(すなはま)広がる(ひろ )青森市(あおもりし)海岸(かいがん)水深(すいしん)浅く(あさ )大きな(おお )(ふね)着ける()ことができなかったのです。
1908(ねん)(明治(めいじ)41(ねん))、函館(はこだて)青森(あおもり)結ぶ(むす )最初(さいしょ)青函(せいかん)連絡船(れんらくせん)比羅夫(ひらふ)(まる)」が就航(しゅうこう)しましたが、(ふね)(きし)着ける()ことができなかったため、青森駅(あおもりえき)着いた()人々(ひとびと)(えき)から遠く(とお )離れた(はな )浜町(はままち)桟橋(さんばし)(現在(げんざい)本港(ほんこう)地区(ちく)中央(ちゅうおう)埠頭(ふとう)付近(ふきん))まで歩き(ある )桟橋(さんばし)から「(はしけ)」と呼ばれる()小舟(こぶね)(ふね)乗ら()なければなりませんでした。


[画像:浜町桟橋と艀]

浜町(はままち)桟橋(さんばし)(はしけ)(明治(めいじ)末期(まっき)から大正期(たいしょうき))(青森県史(あおもりけんし)編さん(へん )資料(しりょう))

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