沿革

衛生上の主な社会問題と毒性部の果たした役割

1.サリドマイド事件

昭和32年(1957) 11月、ドイツのグリュネンタール社から発売された催眠薬サリドマイドは、日本でも昭和33年(1958) 1月から販売された。西ドイツのレンツ博士が妊婦の服用により奇形児を出産する疑いが強いと警告を発したことから、日本では昭和37年 5月に販売停止が通知され、 同年9月には製品回収が行われたが、被害を完全に防ぐことは出来なかった。この事件を教訓にして、危機対応や毒性被害予防を目的に発足した毒性部では、サリドマイドがウサギで催奇形性を示すことを確認し、ウサギによる催奇形性試験実施の基礎を確立した。これを受け、厚生省「医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験法」が昭和40年5月に改訂された。

2.イタイイタイ病とカドミウム汚染

富山県の神通川流域に全身の激痛を訴える奇病が多発し、この病気がカドミウムによることが昭和36年に学会に発表された。毒性部では塩化カドミウムの長期毒性研究を実施し、毒性の指標とされる一般的な諸検査のほかに、大腿骨のX線検査および強度試験を組入れて検討した。その結果、既知の各種の変化に比し、X線像で見られる骨萎縮像が鋭敏な反応であるという新知見を得た。

3.缶入りオレンジジュース中毒事件

昭和38年8月、 39年9月に缶入りオレンジジュースに由来すると考えられる中毒事件が発生した。主な中毒症状は嘔吐、下痢、発熱などで、中毒を起こした缶入りジュースには通常のジュースの4〜5倍の錫(スズ)が含まれることを示した。毒性部と薬理部で高濃度のスズを含有する缶入りオレンジジュースのげっ歯類等への投与実験を行い、本事件はスズが原因であることを示唆する知見を得た。

4.薬物乱用問題

日本では終戦後 間もなく発生した大規模なヒロポン中毒以来、モルヒネ系鎮痛剤、催眠剤、解熱鎮痛剤、シンナー、幻覚剤など薬物乱用が、保健衛生上はもちろん社会的にも大きな問題となっていた。毒性部では昭和40年より研究を開始し、モルヒネ、コデイン、フェンタニル、ベンタゾシン、LSD などの依存性の研究を行った。また、平成元年には、薬物精神依存性に関する試験実施のための施設整備および試験体制の確立を行った。

5.アンプル入り風邪薬中毒事件

昭和40年(1965)11月にアミノピリン、スルピリンを含有するアンプル入り風邪薬を飲んで数名の人が中毒死した事件が起こった。急を要する本事件に対する行政措置のために、毒性部では水溶液と散剤の毒性差について集中的に実験を行い、アミノピリンなどがアンプル型水剤で服用された場合は、毒性の発現が強いこと、および多数の配合剤が毒性を増強することを明らかにした。これらの結果により厚生省はアンプル入り風邪薬の販売自粛を業者に通知、回収をうながすことにより事件は収束した。

6.食品添加物 AF-2 の発がん性

AF-2(5-ニトロ-2-フリルアクリル酸アミドは昭和40年に食品添加物として許可された殺菌剤で、広く魚肉ハム・ソーセージ、豆腐などに使用されていた。しかし昭和47年頃よりその変異原性が問題となった。毒性部ではAF-2 の慢性毒性試験を実施し、前胃に腫瘍が発生することを明らかにした。この結果、昭和49年8月にAF-2は使用禁止となった。

7.米ぬか油中毒事件(油症)〜PCB汚染

昭和43年から44年にかけて、食用油によると思われる特異な症状の中毒被害が多発した。原因物質は食用油に混入したポリ塩化ビフェニール(PCB)であることが判明し、毒性部では急性毒性試験、亜急性毒性試験、慢性毒性試験、及び催奇形性試験を行ない、毒性プロファイルを明らかにした。

8.水俣病とメチル水銀汚染

昭和31年に熊本県水俣市で発生が確認され、昭和43年に公式にメチル水銀が原因物質と結論された。また、新潟県阿賀野川流域でも中毒患者が発生した(第二水俣病)。毒性部では昭和41年より塩化メチル水銀、酢酸フェニル水銀、酢酸水銀の2年間慢性毒性試験を実施し、水銀特有の症状を示すのは塩化メチル水銀のみであることを明らかにした。一方、メチル水銀による魚貝類の汚染は世界各国における重大な関心事であり、昭和45年にはWHOからもメチル水銀の2年間慢性毒性試験の依頼を受け、実施した。本試験は昭和48年に厚生省が定めた魚類中のメチル水銀の暫定許容量の一根拠となった。

9.スモン病

スモン(SMON,subacute myelo optico neuropathy、亜急性脊髄視神経症)は昭和30年頃より発生し、ウイルス説が提唱されるなど長らく原因が不明であった。昭和44年にスモン調査研究協議会が厚生省の研究班として発足し、毒性部も参画して、キノホルムの神経毒性を研究する一方、スモン患者の緑舌および緑尿について重金属分析を行った。その結果、キノホルムの連続投与による運動障害、知覚障害、末梢神経・脊髄の病変を認めた。厚生省は昭和45年9月やむを得ない場合を除いて販売を中止させる措置を取った。なお、緑舌の色素については田村善蔵東大薬学部教授により、キノホルムと鉄イオンがキレート結合したものであることが明らかにされた。

10.有機塩素系農薬による牛乳汚染

昭和44年に高知県衛生研究所から、牛乳および乳製品の、有機塩素剤とくにβ-BHC (ベンゼンヘキサクロリド)による汚染が高いことが報告され、次いで 各方面の機関からβ-BHCによる母乳汚染もかなり進んでいることが報告されてから、農薬として用いられていたBHCによる食品汚染は大きな社会不安を呼んだ。β-BHCの慢性毒性については当時充分なデータがなかったことから、毒性部では亜急性毒性試験、慢性毒性試験を行い、ヒトにおけるβ-BHC 中毒の診断基準についての基礎的資料を提供した。さらに異性体α、γおよび Technical BHC の長期毒性研究を実施した。厚生省は昭和46年5月、環境汚染防止のため有機塩素殺虫剤の輸入および製造を禁止し、農林省もこれら農薬使用の全面禁止に近い措置をとった。

11.食用色素(赤色101号および食用紫1号)

毒性部で行った赤色101号(ポンソーR、MX)の長期毒性研究から、本剤は肝腫瘍を発生させることが判明した。赤色101号についての当部のデータ、および本剤と類似の構造を持つ赤色1号(ポンソー3R)も肝腫瘍を発生させるという米国FDAのデータを基にして、厚生省は昭和40年に赤色1号および101号の使用を禁止した。また紫1号(ベンジルバイオレット4B)については大阪大学の発がん実験と毒性部で行った追試の結果、乳腺がんと皮膚がんが高率に発生することが確認され、昭和47年末に使用禁止となった。

12.合成甘味料サイクラミン酸塩(一般名チクロ)の使用禁止

日本ではサイクラミン酸塩は昭和31年から食品添加物として指定されていた。同剤の長期間投与により膀胱がんが発生したという米国の報告から、昭和44年には多くの国で使用禁止となった。日本も同年11月に食品添加物から除外し、医薬品に関しても一般的な使用を禁止する措置をとった。サイクラミン酸塩については学問的に発がんの事実を追試する必要があったこと、また合成甘味料のサッカリンの安全性についても検討する必要が生じたことから、毒性部ではサイクラミン酸塩およびサッカリンについて長期毒性研究を行った。その結果、両剤とも膀胱腫瘍発生は示さなかったものの、サイクラミン酸塩の特徴的な毒性として精子形成細胞障害が認められたことを明らかにした。

13.照射食品の安全性

原子力平和利用の一環として科学技術庁はγ線照射による食品保存を目的とした照射食品の開発を企画し、昭和42年に大規模な研究班を組織して、諸種の食品についての照射の効果と照射された食品の健全性について研究を行った。毒性部では安全性の面を担当し、馬鈴薯(ジャガイモ)、玉ネギ、米、小麦、ウィンナーソーセージ、みかん、グレープフルーツ、かまぼこ等について長期間の試験、研究を行った。これらの研究の結果、昭和47年8月厚生省によって馬鈴薯の発芽防止を目的とした照射許可が下された。

14.筋肉注射による大腿四頭筋拘縮症事件

昭和48年に山梨県で大腿四頭筋拘縮症が多発した。原因は乳幼児への筋肉注射であり、厚生省は昭和59年に「注射剤の局所障害性に関する試験法」案を公表した。毒性部は浸透圧を等張とした酢酸溶液を用いる改良法を考案した。

15.食品添加物 BHA の発がん性問題

BHA(ブチルヒドロキシアニソール)は酸化防止のため食品添加物として使用されている。昭和57年にBHAの発がん性が報告され、昭和58年4月 FAO/WHO の JECFA(食品添加物に関する合同専門家委員会)で BHAの発がん性が討議され、追跡実験の必要性が指摘された。日本では毒性部及び当所病理部の共同研究を行った結果、BHA最高濃度 1.0 w/w (一日摂取量 220mg/kg)まで投与しても胃、食道、十二指腸、肝等に病変は認められないことを明らかにした。

16.食品添加物臭素酸カリウムの発がん性問題

臭素酸カリウムは酸化剤として使用が認められている食品添加物で、パン生地の発酵促進用に使われている。昭和57年に当所病理部により腎発がん性が報告され、厚生労働省は同年パン以外への使用を禁止し、使用量を臭素酸として小麦粉 1kg につき 0.030g 以下とし、かつ最終製品には残存してはならないとした。その後も毒性部では研究を継続し、本剤の腎発がん性は DNA の酸化的傷害に基づくことを示唆した。

17.人工腎臓透析器による眼障害

昭和56年から57年にかけてセルロースアセテート中空糸型人工腎臓透析器を使用した患者に眼障害が発生した。厚生省は直ちに当該製品を収去するとともに、事故原因の究明を当所に依頼し、当所療品部と毒性部が対応した。最終的に抽出物中のアセチル化糖質(ヘミセルロース由来)が病因物質であると結論された。

18.バイオテクノロジー応用医薬品の非臨床における安全性評価

1980年代初期に開発が始まったバイオテクノロジー応用医薬品(バイオ医薬品)は、従来の化学合成医薬品に比べて種特異性や標的特異性が高いことから、それまでの非臨床試験の一律の適用では、適切な安全性評価が困難であった。このバイオ医薬品の非臨床安全性評価にあたり、井上達毒性部長(当時)は「適切な動物種」を用いたケースバイケース対応」を中心とした全く新しい考え方の導入を提唱した。この基本理念に基づいて作成されたガイドラインは、日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)での合意を経て、平成12 年に「バイオテクノロジー応用医薬品の非臨床における安全性評価」(医薬審第326 号)として厚生省から通達された。この通達は補遺の追加により改訂されたが、基本理念については、変更の必要がないことが確認され、保持されている。

19.中国製痩せ薬による死亡事件

2002年に輸入された中国製痩せ薬の服用により、死亡を含む重篤な肝障害を引き起こす事件が発生した。これらの痩せ薬に共通して N-ニトロソフェンフルラミンが含有量1〜3%で検出された。しかしN-ニトロソフェンフルラミンが原因物質か不明であったため、毒性部で28日間反復経口投与毒性試験を実施した結果、 N-ニトロソフェンフルラミンが肝障害を起こす事を確認した。なお、食欲抑制剤として知られるフェンフルラミンは日本では承認されておらず、さらにニトロソ基をつけた、N-ニトロソフェンフルラミンは肝障害に加えて発がん性も懸念されている化学物質である。

20.健康食品の安全性問題 (1)ガルシニアによる精巣毒性

柑橘系植物のガルシニアの果皮には、ヒドロキシクエン酸が大量に含まれており、このヒドロキシクエン酸が、糖質から脂肪を合成する生体内酵素活性を抑制することから、体重減少や血中脂質改善に有効であるとされ、ダイエット用「健康食品」として脚光を浴びた。ガルシニアはインドや東南アジアでも長年食され、安全性について問題は無いものと考えられていたが、科学的データに欠け、特に長期摂取による影響は不明であった。そこでガルシニアパウダーの1年間毒性試験を行った結果、精巣障害が明らかとなった。さらに主成分のヒドロキシクエン酸についても毒性試験を行ったところ、同様に精巣障害作用が認められ、ガルシニアによる精巣障害はヒドロキシクエン酸によって引き起こされていることが示唆された。2002年、厚生労働省はガルシニアの過剰摂取を控えるよう(ヒロドキシクエン酸に換算して1日1人当たり1.5g上限)注意喚起を行った。

21.健康食品の安全性問題 (2)アガリクスを含む製品による発がんプロモーション作用

ブラジル原産のキノコであるアガリクスは昭和40年にブラジルより移入されて以来、人工栽培されるようになり、このキノコを原料としたいわゆる「健康食品」が広く販売されている。アガリクス製品を対象に24週間中期発がん試験を実施したところ、アガリクス 3製品中、1製品で各種がんの発生数が有意に増加し、用量相関性が認められた(他の2製品では発がん促進作用は見られなかった)。厚生労働省は2006年2月にこれら3製品の評価を食品安全委員会に依頼することとし、発がんプロモーション作用の認められた1製品については念のため摂取を控えるよう呼びかけた。この製品は販売者により自主的な販売中止と製品の回収が行われた。

22.アスベストに良く似た形状のカーボンナノチューブにおける発がん性

アスベストによる被害は深刻な問題であり、日本では悪性中皮腫で今後40年で 10万人が死亡するとの予測もある。アスベストや人造繊維のうち、縦横比3倍以上、長さ10-20μmの繊維状粒子は、吸入曝露、強制経気道投与、胸腔内投与、或いは腹腔内投与により中皮腫に代表される発がんを呈することが報告されている。炭素系ナノマテリアルの一つである多層型カーボンナノチューブの中には、この形状に近い繊維状粒子が含まれることが知られており、毒性部では形状に基づく炭素系繊維状粒子の発がん性を調べた結果、クロシドライト(青アスベスト)と同じく、多層型カーボンナノチューブでも腹膜中皮腫の誘発が高頻度に認められた。厚生労働省は平成20年2月7日「ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について」の通達を出した。

年表

1964(昭和39)年 10月 毒性部発足(第一室、二室、15人体制)
1970(昭和43)年 7月 薬品病理部(現病理部)設置に伴い調査管理部廃止、動物管理室が毒性部に移行
1978(昭和53)年 1月 安全性生物試験研究センター設置
1978(昭和53)年 1月 第三室、第四室、機器試験室を設置し、3室から6室体制に
1978(昭和53)年 3月 用賀庁舎8号館へ引越
1989(平成元)年 5月 毒性部評価研究室新設
1991(平成3)年 4月 評価研究室が総合評価研究室(省令室)に格上
2006(平成18)年 10月 第五室(毒性オミクス等、分子毒性学)新設
2017(平成29)年 11月 川崎庁舎に移転

歴代毒性部長

初代 池田良雄 1964(昭和39)年〜1978(昭和53)年
第2代 戸部満寿夫 1978(昭和53)年〜1987(昭和62)年
第3代 黒川雄二 1987(昭和62)年〜1995(平成7)年
第4代 井上達 1995(平成7)年〜2002(平成14)年
第5代 菅野純 2002(平成14)年〜2016(平成28)年
第6代 平林容子 2016(平成28)年〜2018(平成30)年
第7代 北嶋聡 2018(平成30)年〜2025(令和7)年
第8代 山田隆志 2025(令和7)年〜

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