第2章 本屋のデキゴトいろいろ
1.ほ、本が来ない
◆だいやまーく灯台下暗し
私の店には伝説と化している「真保裕一事件」というのがございます。
一体何のことかと申しますと、それはまだ真保裕一氏が今ほどメジャーで無かった頃のおハナシなのですが、とある中年男性のお客様が真保裕一の『盗聴』を注文されました。それがそもそものコトのはじまり。
で、数日経って入荷してきたのが、『盗聴』は『盗聴』でも、ローレンス・サンダース著の『盗聴』が来やがりまして。いや、多分ウチが勘違いしたのではないかと思われますが。そして、同じマチガイが2回も続きやがりまして。いや、今のようにパソコンの検索システムが普及していないころのおハナシでございますので......。
2度も間違えられちゃあ、お客様もブチ切れます。そりゃあごもっともです。烈火の如く怒り心頭に達したお客様には、再度取次・出版社に手配するのはあまりにも時間が掛かり過ぎるので申し訳がないのでございます。
そこで、私は最後の切り札、伝家の宝刀つまり、他の書店から「定価のまま」現金で買って来る、という作戦つうか力ワザを発動することにしました。
まあ、現金で買えば利益ゼロですが、店にある販売用図書券を使えば5%程度の利益は出ます――ってその書店に行く交通費でチャラですが。
とにかく、お客様に一刻も早く本をお届けに上がるためにはそんなことは言っておられません。私は早速電話帳片手に片っ端から同じ地区内の書店に在庫確認の電話を掛け始めました。しかしながら、真保裕一氏、この時点では知名度無さすぎ。つうか、書店の皆様、作家知らなすぎ。全くもって通じないこと通じないこと。私は幾度も電話口で、
「シ・ン・ポ・ ユ・ウ・イ・チさんの『ト・ウ・チョ・ウ』ですっ!」
と、半ば怒り口調で繰り返したのでございました。
「え? 何ですって? 『トウキョウ』?」
......もういい、とは言いません。まるで外国人か耳の遠いお年寄りに説明しているかのような、回り道を幾度も繰り返しておりました。
結局、私の地区の書店は全滅でございまして、これは遠征しかあるまいよと、悲痛な覚悟を決めた私は遠方に住む知人に、電話帳の「書店」のページをコピー&ファックスしてもらいまして、また同様のローラー作戦を展開。
そして、例によって
「え? 『トウキョウ』?」
が繰り返され......。
そんなこんなで半日以上にも及ぶ悪戦苦闘のローラー作戦の末、私の店からはるか200キロほど離れたD書房という書店様にその本があることが判明いたしまして。私はその書店様に神を見る思いなのでございました。
事情を察して頂いたD書房さまのご好意で、その本は元払いにて私の店へと翌日送っていただくことに。で、無事真保裕一著の『盗聴』はお客様のもとへ。メデタシメデタシ。
さあて、私はその日まだ手付かずの文芸書の箱を、「検品しますか」と箱を開けた瞬間、めまいがしました......。その中には――、客注扱いではなく、文芸書定番セット扱いでたまたま偶然入ってきた真保裕一著『盗聴』がっ。
トホホ。まさに「灯台下暗し」というコトバがこれほどまでにピッタリと当てはまるシチュエーションが他にございましょうか。私はそれまでの半日以上にも及ぶローラー作戦が脳裏に浮かび、卒倒しそうに......。繰り返しますが、まだ書店IT化が進んでいない時代でございましたので、前もって何が入ってくるかなぞ全く知る由もない、開けてからのオタノシミ状態であったのでございます(言い訳)。
というワケで、未だに真保裕一さん・『盗聴』は私の中で「トラウマ」となっております。
◆だいやまーく小指の危機
それはある年の元旦のことでございました。私は新年早々元旦から仕事だったのですが、私がレジをしておりますとそこに一本の電話が掛かってまいりました。いわゆる「電話初め」ってやつで(違う違う)。声の感じからしてドスの効いた、その筋のお方と思しきお客様からのようでございます。
「あのよ〜、俺が予約していたマドンナの写真集入っているのか!?」
私は少々お待ちを、と早速調べてみましたが......。次の瞬間、血の気が引く思いをしたのでありました。
無い......。無いのですよどこにも。このお方のお取り置き分写真集が......。つうか、予約を受けた形跡すらありゃしません。いや、ウチの店側の初歩的ミスでございました。よりによって一番厄介なお客様の予約を漏らしてしまったのです。
さあどうする。一生一番の試練・修羅場でございます。って、私は一体全体何故新年早々元旦にドエライクレームを受けているのでしょう。それはさておき、こんな事情を説明しても、お客様が納得してくれよう筈もなく、お客様の怒りは電話口にて炸裂、機関銃の如くに罵詈怒号が飛んでまいります。元旦の書店は大層忙しく、私がクレーム対応しているその目の前にはレジ待ちのお客様の長蛇の列・列・列......。しかしながら私はその列を完全放置、それどころではございません。罵詈怒号を受け止めるのが精一杯。
そして、私の退路を完全に遮断するかのごとく、彼はこうダメ押しされました。
「いいか、何が何でもその写真集確保しろ! 無ければ買った客から買い戻せ! 菓子折りで済まそうなんて考えるなよ!」
と、完全に退路遮断状態。もしも商品確保出来なかった場合私はどうなってしまうのでしょうか? 小指の危機でございます。
私は例によって「電話ローラー作戦」を発動することに。元旦から営業している書店に片っ端から電話するも、この時爆発的ベストセラーであったマドンナ写真集の余り在庫などあろう筈もなく、ことごとく玉砕。
あぁもうだめだ〜と、頭を抱え、いよいよもって他のお客様に頭下げて買い戻さねばいけないか、とふと顔を上げて見ますと、あれま、そこには「キャンセル」と書かれたマドンナ写真集が! ついに神様ご降臨。つうか灯台下暗し。そんなワケで私は救われたのでございます。
で、そのお客様に喜び勇んで連絡差し上げたところ、
「うむ。流石だ。これからもよろしく。」
と、私はホッとするあまりその場にへたり込んでしまいました。
私のトラウマその2でございます。
【教訓】 注文事故はかなりの高確率で危険度の高いお客様のときに発生する。