長澤紀仁(ながさわのりひと)ギタリスト。
長澤紀仁(ながさわのりひと)
1961年東京都生まれ。
小学生のときにThe Beatlesを愛聴しギターを始め、大学在学中よりプロギタリスト
に。
日本のブラジル音楽界を代表するギタープレイヤー。
2006年にはリオデジャネイロにおいてDurval Ferreira氏のプロデュースでブラジル
デビュー。
鈴木重子、中島啓江、noon、葉加瀬太郎、吉田和雄、hiro(ex:Speed)、島田歌穂、岩
崎宏美、chie、渡辺真知子、Wilma de Oliveira、Lica Cecato、西岡たかし、大澤誉
志幸、すがはらやすのり、柏木広樹ほかと共演。音あそび、Beat Boys、もにじんな
どの自己
ユニットでも活動中。
公式サイト:http://web.mac.com/jinjin.violao/jinjins_web/
文・インタビュー 佐藤ヒロオ(さとう ひろお)
荻窪ルースター http://ogikubo-rooster.com
ボサノヴァの曲調は皆さんご存じのとおりですよね。
発祥の地はブラジルなんです。
でも、ブラジルにはサンバとか、ショーロ、MPBほかいろんな音楽がありまして、ボサノヴァはその中のひとつ。
日本でもいろんなジャンルの音楽があるのと同じですね。
たとえば昔のフォークなんか日本独自の感じの曲って多いですよね。
その後、ニューミュージックと呼ばれる音楽が登場しました。
ボサノヴァもちょっとだけ似ているかもしれないのが、先にサンバとかショーロとかあって、それがあったからボサノヴァが生まれてきた。
ポルトガル語なんですけどボサノヴァって「新しい傾向」っていう意味なんです。
その意味ではなんだかニューミュージックっぽいですよね。
■しかくなるほど、ボサノヴァはブラジルの新しい音楽であったわけですね。
ではいつごろに誕生したのでしょうか?
新しいと言ってももうずいぶん前のお話しになりますね。
諸説ありますが、1958年、ジョアン・ジルベルトっていうギターを弾いて歌う人がいて、彼を中心に新しい音楽を作ろうみたいなことになっていったんですね。
で、後に世界的にヒットする「イパネマの娘」の作曲者でお馴染みのアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した「Chega de Saudade(想いあふれて)」っていう曲が発売されたんですけど、これが最初のボサノヴァって言われています。
■しかく1958年と言えば、昭和33年ですね。日本では長嶋茂雄が巨人に入団して、日劇ではウエスタンカーニバルをやっていた頃。地球の反対側ではボサノヴァが生まれていたんですね。
そう。もう50年以上前なんですよねー。
その意味ではボサノヴァってずっと親しまれていますよね。
つまり、流行で消えちゃうものではなかったわけです。
■しかく当時、ジョアン・ジルベルトたちは何歳くらいだったんでしょうか?
年齢的には大学生くらいですね。
そうそう「イパネマの娘」はビートルズの「イエスタデイ」の次に多くカヴァーされた曲なんですけど、ビートルズにしても20代前半で世界に影響を与える音楽を作っています。
やっぱり、若い人たちが新しい音楽を始めるんですかね。
おっと、年寄りみたいな発言になってしまいました(笑)。
■しかくいやいや、もう若くはないですよ(笑)。
で、いよいよその「イパネマの娘」が世界的にヒットするわけですが、これはいつ頃のことでしょうか?
1963年ですね。
ブラジル人のジョアン・ジルベルトとアメリカ人のジャズサックス奏者であるスタン・ゲッツと共演したレコードが発売されました。
アルバム名はふたりの名前を取って「ゲッツ/ジルベルト」。
これが大ヒットしたんですよね。
で、その中に「イパネマの娘」が入っていてシングル盤になったんです。
歌っていたのはジョアンの当時の奥さんであるアストラッド・ジルベルト。
これがなんて言いますか、囁くような歌い方なんですが、ボサノヴァのイメージって
こういう感じっていうのを強烈に広めることになったんです。
ただ、これってブラジル人からしてみるとサックスがアメリカ流なので違和感があるんです。
言ってみれば日本のお正月、おせち料理と一緒にチョコレートが出てきたみたいな...(笑)。
その意味では完全にこれがブラジルのボサノヴァのアルバムですとは言いにくいんですね。