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U-FILE CAMP オフィシャルブログ

U-FILE CAMP
にじゅうまる1974年12月15日 新日本プロレス ブラジル・サンパウロ・コリンチャン
スタジアム

☆N.W.F認定世界ヘビー級選手権試合 時間無制限1本勝負

アントニオ猪木(19分31秒 両者リングアウト)アンドレ・ザ・ジャイアン


(注記)猪木が9度目の防衛。





昨年1年間で終わると想定して始まった連載ですが年を跨いでようやく最終回を迎え
ました。

小林との大勝負からわずか4日後にアンドレとタイトルマッチを行う猪木のバイタリ
ティには感服します。

しかも地球の反対側のブラジルまで移動しての試合ですから恐れ入るしかありませ
ん。

知っている方も多いと思われますが、猪木は一家揃ってブラジルに移住してそこで力
道山に見出されて帰国後プロレスラーとなりました。

猪木にとっては第2の故郷と言えるブラジルで試合するのは日本プロレス時代には実
現しなかった事で、自ら旗揚げした新日だからこそ実現したと言えるでしょう。

実はブラジルをはじめとする南米諸国には今も昔もプロレスの文化が根付いていませ
ん。

ブラジルは当時からリアルファイトの国だったので、この興行も全部新日の持ち出し
です。

きっと経費もかかった事でしょうがオーナーでワンマンエースの猪木だから実現した
のでしょう。



本来であれば3月の小林戦がアンドレの挑戦で然るべきところだったので9ヶ月遅れ
で実現した一戦です。

しかし、全盛期中の絶頂期であった猪木が第2の故郷に錦を飾る一戦という完全有利
なシチュエーションであっても両者リングアウトで引き分けるのが精一杯だったとい
う一点を持って当時のアンドレの充実度も知る事が出来ます。

それまでのモンスター・ロシモフからアンドレ・ザ・ジャイアントに改名して世界の
大巨人となりノーフォール・ノーギブアップ伝説を築き始めた頃でアンドレにとって
も全盛期で例外的な世界最強だったと言って過言ではなかったと思います。

つまり実質的に実力世界一決定戦だったわけで、双方にとって引き分けも止む無しと
いったところでしょうか。



1年ちょっとの連載で多くの名勝負・名レスラーを書き記す機会に恵まれました。

本当にこの昭和49年という年が日本プロレス史60年の中で黄金の1年だったと再
確認出来ました。

それでは、これにてリングベルを鳴らしたいと思います。


カテゴリ:
野村聡史

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