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にじゅうまる1974年12月5日 全日本プロレス 東京・日大講堂

☆N.W.A認定世界ジュニアヘビー級選手権試合 60分3本勝負

ケン・マンテル(1−1)ジャンボ鶴田

1 マンテル(12分39秒 体固め)

2 鶴田(4分44秒 片エビ固め)

3(3分2秒 両者リングアウト)

(注記)マンテルがの防衛。





連載第50回はまさかの鶴田がジュニアヘビー級に挑戦した一戦です。

前回取り上げた馬場vs.ブリスコは鹿児島大会の結果に関わらず東京大会でのダブル
タイトルマッチが決まっていました。

それは次回に取り上げますが、この日日本プロレス史上最初で最後となるN.W.A世界
ヘビー級とジュニアヘビー級のタイトルマッチが同時に行われたのですが、そのジュ
ニア王座の挑戦者に選ばれたのが鶴田でした。

わたしもプロレスファンになって3〜4年の頃に知ったのですが、最初は信じられま
せんでした。

後のスーパーヘビー級の鶴田を見ている世代からすると「何言ってんだ?」な話しで
すが、当時の鶴田はまだ108〜110Kgだったそうです。

全日では今も昔もジュニアヘビー級のリミットが105kgなので予め決まっていれば
減量可能な体重ではあったわけです。

それにしても鶴田をジュニア王座に挑戦させようという発想が凄いですね。

馬場としては史上初のN.W.A2階級開催を全日が誇るスター2人で挑戦(馬場は王者
になったけど・・・)したかったのでしょう。



試合は1−1から両者リングアウトに終わっています。

マンテルと鶴田の実力を考えれば、まだデビュー2年弱だったとは言え鶴田が勝って
当然と思いますが勝てませんでした。

おそらくこの試合が長く続く鶴田の善戦マン時代の幕開けだったと思います。

実力やキャリアで上回るドリー、ブリスコ、テリー、レイス、ニック、ロビンソンに
引き分けまではいくけど勝てないのはある程度納得いきます。

しかし今回のマンテルはキャリアは上ですがジュニアの選手ですし、後にケリー・
フォン・エリックやリック・マーテルといったキャリアも実力も下の相手に勝てな
かった時のガッカリ感たるやファンとして数ヶ月のリハビリが必要なくらいに落ち込
みます。



前回N.W.Aという組織は世界ヘビー級王座だけが大事と書きました。

では今回の世界ジュニアヘビー級王座はどうかと言えば、極論すればオクラホマの有
力プロモーター、レロイ・マクガークが管理・運営している個人所有のようなタイト
ルです。

マクガーク自身が現役時代に同王者だった思い入れもありますが、日本以上にヘビー
級偏重だったアメリカマット界にとってはジュニア王座はあってもなくてもどうでも
いいという認識でマクガークが管理したいのならば任せておけという現状でした。

しかし任されていたマクガークはキチンと運営していたので、全米に複数存在したN.
W.A世界タッグ(N.W.A本部は未公認)と違ってこの時代はひとつのベルトしかなくて
ジュニア王座としての権威は腐っても世界一だったと考えられます。

ただし、わたし個人のと言うか多くの日本のファンの認識としては本連載時から3年
1ヵ月後に藤波辰巳がW.W.W.F認定ジュニアヘビー級王者になって防衛ロードを重ね
るまではという注訳付きですが。

結局、ベルトの価値って巻いている王者が上げたり下げたりするものです。

藤波が巻いてからはW.W.Fジュニア王座が世界一のジュニア王座だったのは絶対に間
違いありません。
カテゴリ:
野村聡史

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