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U-FILE CAMP オフィシャルブログ

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にじゅうまる1974年11月20日 国際プロレス 東京・蔵前国技館

☆A.W.A認定世界ヘビー級選手権試合 61分3本勝負

バーン・ガニア(1−1)ビル・ロビンソン

1 ガニア(20分48秒 裸絞め)

2 ロビンソン(15分15秒 体固め)

3 (9分35秒 両者カウントアウト)

(注記)ガニアが防衛。





連載第45回は国プロ史上最高の名勝負と誉れ高い至高の外国人対決です。

本連載を始めるにあたり、「昭和49年はあまりにも名勝負が多過ぎて省略するのが
惜しい。」と書きましたが、まさに今回のガニアvs.ロビンソンを埋もれさせたくな
いから本連載を始めたと言っても過言ではありません。



本場アメリカA.W.A直輸入のドル箱カードであると同時に国プロ経由でA.W.A入りした
ロビンソンのサクセスストーリーを知る日本のファンにとっては二重の意味で堪らな
い一戦です。

そして21世紀の現在から振り返って見れば翌年の猪木戦と並んでロビンソンのキャ
リアにおいても全盛期の集大成と言っていい名勝負だったと思います。



この素晴らしいカードで勝負に出た国プロは蔵前国技館を使用しますが、観客動員は
4,000人前後だったと言われています。

遠く九州から駆けつけたマニアもいたそうですが、つまりはどんな豪華カードでも外
国人対決では商売にならない時代だったと言うことです。

新日の大物日本人対決がブームになった年ですが、やはり基本は日本人vs.外国人
だった時代で、やっぱり国プロは早過ぎたんですね。



試合は1本目をガニアが得意のスリーパーホールドでギブアップを奪い、2本目はロ
ビンソンがワンハンドバックブリーカーでフォールを奪います。

3本目はロビンソンのダブルアームスープレックスやワンハンドバックブリーカーを
自力でキックアウトするガニアのスタミナと言うか底力に敬服します。最後はタック
ルで両者共に後頭部を強打したために立ち上がれずに両者カウントアウトの裁定でガ
ニアの引き分け防衛に終わりました。

第2のホームリング、第2の故郷である日本でロビンソンが遂にA.W.A奪取か!とい
う期待は叶わなかったものの内容的にはクリーンでテクニカルなストロングスタイル
の名勝負だったと思います。



そして同時にロビンソンの限界と言うかガニアの評価の厳しさを思い知らされます。

上記した通りガニアvs.ロビンソンはA.W.Aでドル箱カードでした。

そのロビンソンを獲得できたのは国プロのお陰です。

つまり国プロとロビンソンのお陰で散々金儲けをしたにも関わらず最後までガニアは
ロビンソンにベルトを渡さなかったという事です。

遠い日本で一時的にベルトを明け渡してもミネアポリスで奪回すれば、それはそれで
ビジネスになったと思います。

それすらも許さず最終的にガニアは後継者にニックを選び、ニックの長期政権下でも
ロビンソンの王座奪取を許さなかったのは歴史が証明しています。

後年、ロビンソンと長期のビジネスを続けた馬場もロビンソンをレスラーとしての強
さでは認めても王者としては評価しませんでした。

なのでU.NやP.W.Fを奪取させても長期政権は許しませんでした。

ロビンソンは全日時代はフロリダでも活躍していてN.W.A王座にも何度か挑戦してい
ますが、やはり王座奪取には至りませんでした。

フロリダのプロモーター、エディ・グラハムはN.W.A主流派の大物ですのでグラハム
のプッシュがあれば王座奪取も可能だったと考えられますが、単に王者がフロリダを
サーキットした時の挑戦者の一人でしかなかったようです。

それがプロモーターのロビンソンへの評価なのでしょう。



ファンとレスラーとプロモーター全てに評価される超一流レスラーは稀有な存在なの
だと痛感しますね。
カテゴリ:
野村聡史

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