2015年09月18日08:51
◎にじゅうまる1974年10月7日 国際プロレス 埼玉・越谷市体育館
☆I.W.A認定世界ヘビー級選手権試合 61分3本勝負
マイティ井上(2−1)スパースター・ビリー・グラハム
1 井上(12分4秒 逆片エビ固め)
2 グラハム(6分15秒 カナダ式背骨折り)
3井上(3分48秒 逆さ押さえ込み)
※(注記)井上が第9代王者となる。
連載第37回は国プロが悲願のI.W.A王座奪還に成功した一戦です。
この年にストロング小林の王座返上→決定戦でロビンソンが新王者→アメリカでグラ
ハムが奪取と流転した看板タイトルを奪還するべく吉原社長が白刃の矢を立てたのは
小兵の井上でした。
その理由を「超パワーファイターのグラハムに対してヘビー級の木村や草津では分が
悪い。動きの早い井上の方が勝機がある。」と語っていました。
そんな吉原社長の期待に応えるべく井上はシリーズ中で3度挑戦して3度目にして王
座奪還に成功します。
2本目をカナディアンバックブリーカーでギブアップさせられたものの3本目に再び
カナディアン〜に担ぎ上げられたところを背後に着地しての電光石火の逆さ押さえ込
みで逆転フォール勝ちは確かに井上にしか出来ません。
吉原社長の期待に見事に応えてそれまでの日本のプロレス界では存在しなかった(考
えられた事もなかった)ベストウェイトがジュニアビー級の看板タイトルのヘビー級
王者が誕生しました。
この新王者誕生劇はグラハム対策だけで実現したわけではありません。
日本プロレス界は力道山以来ヘビー級らしいヘビー級が団体エースでありチャンピオ
ンに君臨してきました。
国プロもその路線を維持してストロング小林王者時代が最もビジネス的に安定してい
ました。
しかしその小林が離脱してグレート草津やラッシャー木村では馬場・猪木といった不
世出のスターには対抗出来ない事は聡明な吉原社長にはよくわかっていたのでしょ
う。
困った時程アイデアを発揮するのが国プロの歴史でもありましたので、ここでも日本
プロレス界の常識を打ち破る発想に打って出たというのが真相でしょう。
ただ井上王者時代は長く続かずわずか8ヶ月でマッドドック・バションに破れて王者
転落すると、王座はラッシャー木村に移り以後は木村時代が続く事になります。
井上は3度木村に挑戦しますが再君臨はなりませんでした。
これは井上王者奪取時はA.W.Aとのビジネスが継続中で井上と手の合うA.W.A圏のテク
ニシャンを多くブッキング出来る展望だったのですが、そのビジネスがこの年の12
月で終止符を打ち(その理由は後の試合で書きます)国プロはカナダ・カルガリーの
ジョー大剛に外人レスラーのブッキングを一任します。
大剛がブッキングするのは大型ラフファイターになる事が確定していたので、それな
らば金網デスマッチを得意とする木村の方が手が合うし馬場・猪木とは違う個性を提
供できると判断したための路線変更だったことは歴史が証明しています。
結果的には時代の仇花のよな井上時代でしたが、後のプロレス界に与えた影響は計り
知れません。
藤波辰巳がジュニアヘビー級からヘビー級に転向してエースに成長したのを筆頭に三
沢や高田のようにジュニアヘビー級王者を経験してからヘビー級に転向する小型ヘ
ビー級化の先駆けと言っても過言ではありません。
現在のプロレス界は日本だけじゃなくてアメリカでも小型ヘビー級(っていうか完全
に90kg台)が平気で王者になる時代ですからね。
個人的には馬場さんが言っていたように「プロレスラーはデカクなきゃ駄目。」に賛
成しているので今のプロレス界の流れには納得いかないですね。
グラハムについて何も言っていないので少し補足します。
この時が初来日のグラハムはかなり前評判は高かったのですが、典型的なボディービ
ル上がりの直線的なパワーファイターで正直期待に応える活躍をしたとまでは言えま
せんでした。
この後は新日に何回か来日しますが最後まで高い評価を得られませんでした。
しかしアメリカにおいては押しも押されぬスーパースターでブルーノ・サンマルチノ
の長き王者としての歴史に終止符を打ちW.W.W.Fで最初の本格的なヒール政権を築く
など長年に渡り活躍する事になります。
グラハムにしてみたら遠い日本で小兵の井上に苦杯を喫したことなどそのキャリアに
とっては小さい句読点に過ぎなかったと思われます。
☆I.W.A認定世界ヘビー級選手権試合 61分3本勝負
マイティ井上(2−1)スパースター・ビリー・グラハム
1 井上(12分4秒 逆片エビ固め)
2 グラハム(6分15秒 カナダ式背骨折り)
3井上(3分48秒 逆さ押さえ込み)
※(注記)井上が第9代王者となる。
連載第37回は国プロが悲願のI.W.A王座奪還に成功した一戦です。
この年にストロング小林の王座返上→決定戦でロビンソンが新王者→アメリカでグラ
ハムが奪取と流転した看板タイトルを奪還するべく吉原社長が白刃の矢を立てたのは
小兵の井上でした。
その理由を「超パワーファイターのグラハムに対してヘビー級の木村や草津では分が
悪い。動きの早い井上の方が勝機がある。」と語っていました。
そんな吉原社長の期待に応えるべく井上はシリーズ中で3度挑戦して3度目にして王
座奪還に成功します。
2本目をカナディアンバックブリーカーでギブアップさせられたものの3本目に再び
カナディアン〜に担ぎ上げられたところを背後に着地しての電光石火の逆さ押さえ込
みで逆転フォール勝ちは確かに井上にしか出来ません。
吉原社長の期待に見事に応えてそれまでの日本のプロレス界では存在しなかった(考
えられた事もなかった)ベストウェイトがジュニアビー級の看板タイトルのヘビー級
王者が誕生しました。
この新王者誕生劇はグラハム対策だけで実現したわけではありません。
日本プロレス界は力道山以来ヘビー級らしいヘビー級が団体エースでありチャンピオ
ンに君臨してきました。
国プロもその路線を維持してストロング小林王者時代が最もビジネス的に安定してい
ました。
しかしその小林が離脱してグレート草津やラッシャー木村では馬場・猪木といった不
世出のスターには対抗出来ない事は聡明な吉原社長にはよくわかっていたのでしょ
う。
困った時程アイデアを発揮するのが国プロの歴史でもありましたので、ここでも日本
プロレス界の常識を打ち破る発想に打って出たというのが真相でしょう。
ただ井上王者時代は長く続かずわずか8ヶ月でマッドドック・バションに破れて王者
転落すると、王座はラッシャー木村に移り以後は木村時代が続く事になります。
井上は3度木村に挑戦しますが再君臨はなりませんでした。
これは井上王者奪取時はA.W.Aとのビジネスが継続中で井上と手の合うA.W.A圏のテク
ニシャンを多くブッキング出来る展望だったのですが、そのビジネスがこの年の12
月で終止符を打ち(その理由は後の試合で書きます)国プロはカナダ・カルガリーの
ジョー大剛に外人レスラーのブッキングを一任します。
大剛がブッキングするのは大型ラフファイターになる事が確定していたので、それな
らば金網デスマッチを得意とする木村の方が手が合うし馬場・猪木とは違う個性を提
供できると判断したための路線変更だったことは歴史が証明しています。
結果的には時代の仇花のよな井上時代でしたが、後のプロレス界に与えた影響は計り
知れません。
藤波辰巳がジュニアヘビー級からヘビー級に転向してエースに成長したのを筆頭に三
沢や高田のようにジュニアヘビー級王者を経験してからヘビー級に転向する小型ヘ
ビー級化の先駆けと言っても過言ではありません。
現在のプロレス界は日本だけじゃなくてアメリカでも小型ヘビー級(っていうか完全
に90kg台)が平気で王者になる時代ですからね。
個人的には馬場さんが言っていたように「プロレスラーはデカクなきゃ駄目。」に賛
成しているので今のプロレス界の流れには納得いかないですね。
グラハムについて何も言っていないので少し補足します。
この時が初来日のグラハムはかなり前評判は高かったのですが、典型的なボディービ
ル上がりの直線的なパワーファイターで正直期待に応える活躍をしたとまでは言えま
せんでした。
この後は新日に何回か来日しますが最後まで高い評価を得られませんでした。
しかしアメリカにおいては押しも押されぬスーパースターでブルーノ・サンマルチノ
の長き王者としての歴史に終止符を打ちW.W.W.Fで最初の本格的なヒール政権を築く
など長年に渡り活躍する事になります。
グラハムにしてみたら遠い日本で小兵の井上に苦杯を喫したことなどそのキャリアに
とっては小さい句読点に過ぎなかったと思われます。
- カテゴリ:
- 野村聡史
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