3月3日の上巳(※(注記)1)の節句は、「桃の節句」や「雛祭り」とも呼ばれ、女児の健やかな成長を祈って雛人形を飾るのが習わし。その際、人形飾りに供えるのが、ひし餅や雛あられなどの菓子だ。これらの菓子が全国で用いられるのに対して、その地域だけに根付いている菓子も少なからずある。
四国各地にも特色のある菓子があり、いずれも地元の人にとっては馴染み深いもの。徳島県の「阿波ういろ(※(注記)2)」、高知県の「花きび」、愛媛県の「りんまん」、香川県の「うずまき」は、春の訪れを感じさせる「雛菓子」。それぞれの作り手は、郷土の食文化の担い手としての誇りをもって作り続けている。そこで4つの菓子の作り手を訪ねて、一足早い春の訪れを満喫する。
※(注記)1...五節句の一つ。古代中国で旧暦3月の最初の巳(み)の日を意味し、不祥を払う行事が行われた。のちに3月3日になった。
※(注記)2...徳島県では「ういろう」をこう呼ぶのが一般的。
寛政時代(1789〜1801年)、阿波和三盆の製糖に成功したことに由来して誕生したといわれている「阿波ういろ」。その祝いで、徳島藩主や領民が旧暦3月3日に食べたと伝わっている。「これ以降、家庭で作るお菓子として受け継がれてきたようです」と話すのは、1852年(嘉永5)創業の「日の出楼」の六代目 松村清一郎さん。徳島市内の金刀比羅(こんぴら)神社門前に位置するこの店は、阿波おどりの歌に「日の出は餅屋じゃ」と歌われていたように餅屋として営業していた。その後、家庭で作る習慣が廃れ始めたのに合わせて、「阿波ういろ」の製造も始めた。
日の出楼では、小豆餡と米粉、餅粉を練り合わせて、蒸篭(せいろ)でじっくりと蒸し上げたものを販売している。愛知県の「名古屋ういろう」、山口県の「山口ういろう」と共に「日本三大ういろう」に数えられているが、淡白な味わいの名古屋、わらび餅のような食感の山口に対して、もっちりとした食感や小豆の風味が特徴となっている。
「阿波ういろ」は、上巳の節句の際に行われていた遊山(ゆさん)にも欠かせないもの。「遊山箱という三段重にご馳走や阿波ういろを詰めて、子どもたちが野遊びや磯遊びを楽しむという徳島県独自の風習です」と松村さん。遊山は徳島ならではの雛祭りとも言え、今でも楽しい記憶とともに味わう人も多い。現在は徳島銘菓として複数の菓子店で年中製造をしている「阿波ういろ」だが、「うららかな初春、野山に思いを馳せながら味わってほしい」と願う松村さんだ。
住所 | 徳島県徳島市二軒屋町1-8 [フレーム] |
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電話番号 | 088-622-6775 |
営業時間 | 9:00〜18:00(日曜は〜13:00) |
定休日 | 水曜日 |
駐車場 | 有り |
備考 | オンラインショップあり |
URL | http://www.hinodero.com |
高知県の雛菓子である「花きび」は、1965年(昭和40)頃に久保田商会の久保田容市さんが考案したもの。ポップコーンとシュガーコーンの製造をしていた久保田さんは、幼い頃に農家の女性が「花きびいらんかえ」と炒ったトウモロコシを行商していたことにヒントを得て、桃色、若草色、菜の花色に色付けしたシュガーコーンを混ぜた「花きび」を売り出した。春の野山を思わせるこの品を雛祭りの時期だけの菓子としたところ、たちまちヒット商品となった。
ところが2003年(平成15)、体調を崩した久保田さんは工場を閉鎖することを決意する。それを耳にしたのが、珍味の二次加工をする「あぜち食品」を経営していた畦地多司世(あぜちたしよ)さんと佳(よし)さん夫妻。「花きびがなくなったら寂しいね、と存命だった夫と相談しました」と佳さん。久保田さんにその話を持ちかけたところ、なくなることに寂しさを感じていたのであろうか、大喜びでその話を受け入れ、機械や従業員を引き継いで、話から1ヶ月後には急造の工場が稼働し始めた。
2006年(平成18)頃には、畦地さんの長女・和田史秀子(しほこ)さんが中心となり、インターネットによる販売もスタート。2018年(平成30)からは史秀子さんが社長となり、佳さんとともに会社を盛り立てている。
「今や県外からも注文が入るようになりました」と笑う史秀子さん。2人の奮闘ぶりに、泉下の久保田さんや多司世さんも目を細めているかもしれない。
住所 | 高知県高知市大津甲595-6 [フレーム] |
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電話番号 | 088-866-5453 |
備考 | オンラインショップあり |
URL | https://www.azechifoods.com |
愛媛県の雛祭りは、4月3日(旧暦3月3日)に祝うのが慣例で、あられやピーナッツを水飴で固めた「ひな豆」を味わうことが多い。唯一、松山市内では餡を包んだ餅生地に、色付けした餅米をトッピングした「りんまん」と呼ばれる餅菓子が馴染み深い。製造元の一軒である「白石本舗」は、1883年(明治16)に創業。初代の白石ハナさんは、郷土菓子の醤油餅に餡を入れて売り出した。「醤油餅は江戸時代から歴史があり、各家庭でこしらえお雛様に供えていたようです」と話すのは、四代目の息子である白石隆聖(たかまさ)さん。
一方、「りんまん」の発祥は明らかではなく、白石本舗でも記録は残っていない。同じような菓子には、山形県の稲花(いが)餅、広島県呉市のいが餅などがある。これらは三重県の伊賀地方が発祥ともいわれ、色付けした餅米を稲の花に見立てて、五穀豊穣を祈願するために考案された菓子とされ、愛媛県にも伝わり、明治時代には各家庭で「りんまん」として受け継がれたと推測される。「当店では、上にのせた餅米が魚の鱗(うろこ)のようであることから、鱗(りん)まんと呼ぶようになったと伝えられています」と白石さん。
ピンクが桃の花、黄色が菜の花を思わせる「りんまん」は、やがて醤油餅に変わる雛菓子として松山地方に定着した。白石本舗では2月半ばから4月上旬まで、「りんまん」を店頭に並べている。販売時期には90歳を超えたお客さまが訪れ、「子どもの頃に母が作ってくれました」と昔話に花を咲かせることも。「りんまんが思い出となる様子に、菓子の力を感じます」と白石さんは顔をほころばせる。
住所 | 愛媛県松山市本町4-1-6 [フレーム] |
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電話番号 | 089-924-4507 |
営業時間 | 9:00〜18:30 |
定休日 | 日曜日 |
駐車場 | 有り |
URL | http://shiraishi-honpo.com/ |
香川県東部の引田地区の伝統菓子であった「うずまき」は、米粉と餅粉に餡を混ぜてピンクに色付けした生地と小豆餡生地を重ねて巻き上げることで、美しい渦巻き模様に仕上げている。
引田町でこの菓子が生まれた理由は、かつて町と隣接する徳島県鳴門地区の間で、漁場争いが起こっていたためとする説がある。引田の人が鳴門の海に思いを馳せながら作り出したのが、渦潮を思わせる「うずまき」だというのだ。いつしか愛らしい「うずまき」は、家庭で作る雛菓子として定着し、冠婚葬祭のときにも味わうようになった。
1985年(昭和60)頃までは引田町内の菓子店でも作られていたようだが、いつからか、あまり見かけなくなった。地元の婦人グループなどが雛祭りに合わせて作ることはあるが、日常的に口にする機会は少なくなったのだ。それを残念に思ったのが、東かがわ市にある「正華堂」の和菓子職人・大路征男(おおじゆきお)さん。今から約30年前、大路さんは独自に研究して作った「うずまき」を売り出した。「翌日になっても、生地のやわらかさを保てるよう、配合や蒸し時間など試行錯誤しました」と振り返る。やがて「懐かしい」と買い求めにくる引田地区の人も目立ち始め、「この味を守ってくれてありがとう」と感謝されたこともある。
「歴史ある菓子は味わい以上の物語を秘めています」と大路さん。「雛菓子」は、幼い頃の記憶や地域に根付いている風習を呼び覚ましてくれる大切な食文化の一つなのだ。
住所 | 香川県東かがわ市湊1844-3 [フレーム] |
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電話番号 | 0879-25-4636 |
営業時間 | 8:30〜18:30 |
定休日 | 月曜日 |
駐車場 | 有り |
URL | http://seikadou66.sakura.ne.jp |
各施設の営業状況、営業時間はHP等でご確認ください。
撮影のためマスクを外している場合があります