森田 思軒
- 生没年
-
文久元年7月21日 〜 明治30年11月14日
(1861年8月26日 〜 1897年11月14日) - 出身地
- 岡山県
- 職業・身分
- ジャーナリスト 、 文学者
- 別称
- 森田文蔵(本名)、埜客(やきゃく。別号)、白蓮庵主人(別号)、羊角山人(別号)、紅芍園主人(別号)
解説
新聞記者、翻訳家。明治7(1874)年慶応義塾大阪分校に入学、矢野竜渓に師事した。9年上京し、慶応義塾で英文学を学んだ。15年郵便報知新聞に入社し、中国各地やヨーロッパに特派され通信を投稿した。その後、事実上の編集責任者として腕を振るうとともに、自身の翻訳や評論を紙面に掲載した。29年黒岩涙香に招かれ萬朝報に入社し、同紙を刷新した。ヴェルヌの『十五少年』やユゴーの『探偵ユーベル』等、多数の外国小説を「周密文体」ともいわれる文体で翻訳して好評を博し、「翻訳王」と称された。
関連資料
翻訳
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森田 思軒
森田思軒の肖像
- 森田思軒の肖像1枚目
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