千石 興太郎
解説
明治28(1895)年札幌農学校卒。各地で農業技師、農学校教師を勤め、39年島根県農会技師となる。大日本産業組合中央会島根支会などでの活動により頭角を現す。大正9(1920)年産業組合中央会主事となり、以後同会の理事、会頭を務める。この間産業組合の拡充や産業組合中央金庫、全国購買組合連合会などの農業関係団体の設立に尽力し、「産業組合の独裁王」とも称された。昭和13(1938)年貴族院議員に勅撰。20年東久邇宮内閣で農商相(後に農相)。21年公職追放となる。
関連資料
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千石 興太郎
千石興太郎の肖像
- 千石興太郎の肖像1枚目
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