陸 羯南
解説
父は弘前藩士。東奥義塾、宮城師範学校に学ぶ。明治9(1876)年上京して司法省法学校本科へ入学するが、12年4月退学処分を受けた。16年太政官文書局に勤務し、18年内閣制創設とともに内閣官報局編輯課長となる。21年条約改正と欧化政策に反対して辞職。東京電報を発刊し、翌年日本と改題。39年病のために譲渡するまで社主・主筆を務め、国民主義を主張した。
関連資料
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陸 羯南
陸羯南の肖像
- 陸羯南の肖像1枚目
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父は弘前藩士。東奥義塾、宮城師範学校に学ぶ。明治9(1876)年上京して司法省法学校本科へ入学するが、12年4月退学処分を受けた。16年太政官文書局に勤務し、18年内閣制創設とともに内閣官報局編輯課長となる。21年条約改正と欧化政策に反対して辞職。東京電報を発刊し、翌年日本と改題。39年病のために譲渡するまで社主・主筆を務め、国民主義を主張した。