獣医師記者・若原隆宏
◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」
「左手根骨粉砕骨折」。記者にとって、ひょっとしたらファン歴30年以上の少なくない競馬ファンにとっても、特別な診断名だ。1998年11月1日、サイレンススズカが命を失った骨折である。手根骨は腕節、いわゆる前膝の関節を構成する骨。重篤な骨折でしばしば、早期に救命をあきらめざるを得ないことは、ビギナーの域を脱した競馬ファンの多くが知るところだろう。その手根骨粉砕骨折から救命に成功したという症例報告が、1日の「第67回競走馬に関する調査研究発表会」であった。
調教中の事故で左第3・4手根骨粉砕骨折を発症した3歳牝馬に、関節をまるごと固定するプレートで患部を固定。術後は馬体をつるす器具で四肢への負重を減らし、7カ月の加療で繁殖に上げることができた。
発表で公開された動画では、加療中で関節が固定されたまま患肢を回すように前に進めて歩く様子や、退院直前の多少機械的な跛行が残るものの、ほぼ問題なく歩く様子が示された。
報告されたもう1症例は競走中に右第3手根骨で発症した6歳牝馬。同様の手術を施したが、術後管理に苦労することになり、対側肢の蹄葉炎で術後140日で安楽死となった。
発表の現場には橋田満元調教師もいた。後刻聞くと「つらくなって、途中で出てしまった」という。あの時助けてあげられなかったことへの葛藤に、今も苦しんでいる。
JRAで初めての挑戦で、1例でも成功と言える結果を引き出したのは、あの時の関係者をも慰めるはずの大きな一歩だと思う。馬主が所有権を手放さない前提の現役競走馬で、JRAとして症例の積み重ねがない術式を適用するのは、馬主らに説明する材料が足りなく、実行の提案もできない。98年当時としては何ともならなかったというのは間違いない。
以前にも当欄で「外科の挑戦は、助けられる"領地"を拡大する闘い」と書いた。今後は、症例や経済的条件によっては救命に挑戦し得る下地ができた。
もちろん依然課題も多い。助かった3歳馬は報告ベースで馬体重418キロなのに対し、助けられなかった6歳馬は同498キロと、術後管理上の条件が大きく違っていたし、発症状況も症例によって千差万別だ。でも、今後も東西トレセン診療所の地道な挑戦の積み重ねは、〝外科の領地〟を少しずつ広げていく。
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