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【復刻配信・北の富士コラム特別寄稿2】北の富士さんに言わせると、マージャンは力士にとっても「即アウト」...遊んでいいのは、花札だとか。さて、その理由は!?

2025年2月7日 13時06分

厳しく稽古に目を光らせた出羽海親方(元横綱・常ノ花)

厳しく稽古に目を光らせた出羽海親方(元横綱・常ノ花)

11月12日に82歳で亡くなった本紙評論家の北の富士さんは、新型コロナの影響で中止となった2020年夏場所のコラムの代わりに特別に寄稿していました。自身の"相撲人生"を振り返った16回を再掲載します。
◇北の富士コラム「はやわざ御免」特別寄稿〜2〜、2020年5月25日付
北の富士場所2日目は、今話題の賭けマージャンであります。北の富士さんに言わせると、マージャンは力士にとっても「即アウト」。遊んでいいのは、花札だとか。さて、その理由は-。
こんにちは、お元気ですか。24日のNHK総合テレビ、見ていただきましたか。私も若かったし、故千代の富士(元九重親方)も絶頂期を迎えんとしていた時期だけに、自信にあふれて、いい顔をしていたね。北勝海(現八角親方)は、まだ初々しくかわいかったが、今では理事長である。私なんぞは側にも寄れない存在であります。この2人で10連覇、9連覇と怒濤(どとう)の進撃が始まるのであります。まさにこの世の春を体験させてもらいました。
さて、きょうは何を書きましょうか。何しろ肝心の相撲がないので、どのように話を進めていいのか苦労する。入門時から始めようと考えてはいましたが、気になることがニュースになったので、ちょっとだけ触れてみたいと思います。長いこと、この仕事をさせてもらってますが、固い話はなかったと思う。まして私風情が政治を語るとは恐ろしい世の中になったものです。
気になった話とは黒川検事長が、賭けマージャンで辞任したことであります。ちなみに私はマージャンはしません、できません。多分、父親が大変なマージャン好きで、母と年中けんかをしているのを見て育ち、自然にマージャンは悪い遊びと思ったのでしょう。
ところが相撲部屋に入門して驚きました。関取衆は稽古が終わり飯を食うとすぐにマージャン。暇さえあればマージャン。夜も遅くまでマージャンが続く。腹がすくとラーメンを頼め、水を持ってこい。われわれ若い力士は寝る暇さえないほどで、ますますマージャン嫌いになったのです。後年、武蔵川理事長(元幕内出羽ノ花)に「おまえはマージャンをしないのだけが偉い」とほめられました。
話は戻ります。入門当時の師匠だった出羽海理事長(元横綱常ノ花)が大のマージャン嫌いだったのです。親方いわく「パイを交ぜる時、打つ時に脇が空くマージャンをやると脇が甘くなる」が持論でした。時々マージャンをやっているところを見つけると、いつも持ち歩いている象牙のステッキで思い切り頭を殴ってました。
話は続きます。これからが面白いのです。師匠はこうも言いました。「マージャンは脇が空くので相撲の為にはならないが、その点花札は、札を打つ時に脇が締まるので稽古になる」。言い得て妙な話である。それ以来私は花札が好きになりました。何の娯楽もない時代であります。ちゃんこ場の片隅で座布団を挟んで兄弟弟子と一文10円、1、2時間取ったり取られたりしてせいぜい何百円。ささやかな楽しみです。
師匠はこんなことも言っています。「マージャンは中国から来たもの。花札は日本古来の文化。大いにやるべし」。いい時代でした。というわけで今回の黒川さんの件はアウト。やはり出羽海親方はすごい。「マージャンは脇が空くから駄目」。黒川さんは文字通り脇が甘かったようだ。おしまい。お後がよろしいようで。 (元横綱)
▼九重部屋 出羽海部屋の横綱千代の山が1959(昭和34)年9月に11代九重親方を襲名した。九重親方は、そのまま出羽海親方として出羽海部屋を襲名すると思われていたが、後継者に指名されたのは、横綱佐田の山だった。九重親方は分家独立を目指したが、当時の出羽海部屋は「分家独立を許さず」という不文律があり、67年に九重親方は出羽海一門から破門された。救済に動いたのは、高砂一門の高砂親方(元横綱前田山)。九重親方は、北の富士らを引き連れて、高砂一門に移籍し、九重部屋をおこした。
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