日誌

校長日誌

第2学期始業式校長講話

投稿日時 : 2023年09月01日 principal カテゴリ:

ナラティブについて

まずは40日間の夏休みに大きな事故もなく、皆さんがこうして元気に登校できたことを嬉しく思います。4年ぶりに思いっきり、やりたいことができた夏休みだったのではないかなと思います。それぞれが違うことに一生懸命取り組んだことと思います。部活動に頑張った人、海外に行った人、家族旅行に行った人、コンクールなどに出場した人、夏休み課外に頑張った人、そして勉強合宿に参加したり予備校に行ったり、受験モードで頑張った人、それぞれが貴重な体験をしたと思います。

今日は「ナラティブ」についてお話をします。最近この「ナラティブ」と言葉をよく耳にします。物語、ストーリー、言説などと訳されます。このナラティブ、すなわち物語、ストーリーが人々の心をつかみ、人を動かす。ナラティブの内容によって、人を憎しみにも、希望にも、対立にも連帯にも駆り立てる、そして長く記憶に残るということです。

最近、毎日新聞の記者、大治朋子さんが「人を動かすナラティブ」という本を出しました。その本の中で、「バカの壁」で有名な解剖学者の養老孟司さんの言葉が紹介されていました。それは、「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね。教科書だけでは理解しない学生たちも、実習を通じて頭の中に物語ができ上ると理解が進む。また過去に起こった出来事をどうやって凝縮して伝えるか。物語形式以外の形式を人間は持っていないんです。必然的に物語になる。」と語っています。

たしかに歴史の教科書を読むより、歴史小説や歴史まんがを読むほうが、起承転結がある物語として覚えられる。もっと言うと皆さんが毎日受けている授業で、教科書の中身より先生がふと語った個人的なお話、いわゆる雑談のほうが覚えているなんてこともあるかと思います。これもナラティブです。

ここで、キーとなるのは「共感」と「経験」です。人はナラティブに共感すると行動を起こすと言われています。アメリカの国防総省の国防高等研究計画局、通称「ダーパ」と呼ばれる組織があります。そのダーパでは2011年にナラティブを研究するチームを立ち上げました。そのチームが研究したことで面白いのは、脳内ホルモン「オキシトシン」の研究です。「オキシトシン」は哺乳類の脳の視床下部で生成され「共感ホルモン」と呼ばれていて、ネズミの実験ではオキシトシンが減ると雄は攻撃的になり、雌は育児放棄に走ったそうです。人を使った実験では、語りある動画を見た方が語りのない動画を見た時よりもオキシトシンの濃度が上がったそうです。つまり効果的な語り、ナラティブで共感するか否かが決まるようです。そしてその内容が本当の事かうそなのか、正しいことなのか、間違ったことなのかはあまり関係ないということです。共感できるナラティブの内容次第で人は攻撃的にも融和的にもなれるということです。

トランプに熱狂する多くのアメリカ人、プーチン大統領を今もなお支持するロシア人もナラティブに動かされています。そして100年前の今日、発生した「関東大震災」の時、中国人や朝鮮人が井戸に毒をまいたとの流言、ナラティブに惑わされ、日本人が多くの中国人や朝鮮人が虐殺したのも、このナラティブに動かされた結果です。100年前にもこういった、ナラティブに惑わされ、大衆が動いてしまうのですから、SNSが情報交換の主流となる現代社会では、なおさら気を付けなければならないことです。やはり共感する前に真偽を確かめる努力と考える姿勢が必要でしょう。

そしてもう一つのポイントは「経験」です。養老孟司さんが言っているように「実習や実験を通じて頭の中に物語が出来上がる。そうすると理解が深まる」ということです。これは皆さんも経験していると思います。つまり1人1人が実際に経験したことだけが、ナラティブを作り個人の記憶に残り思考を深め、みなさんの人格形成に寄与するということです。そしてその思考に基づいて行動することが大切だと私は思います。

現象学者の村上晴彦大阪大学教授の「客観性の落とし穴」という本があります。その中で「客観」の反対語は「経験」だと彼は言っています。数値や数式や平均や偏差値がとりこぼしてしまう個々の経験。触覚・味覚・嗅覚を含む個別具体的経験の中にこそ、本当に普遍的なものがある。だからこそ人は、面と向かった交流を通じて他者の経験に共感し合い、何か共有することができるのだと言っています。

少し難しい話になりましたが、私が今日、皆さんに言いたいことは要するに、経験したことを大切にしてほしいと言うことです。そして経験したことを元に思考を深めてほしいということです。具体的には、たとえばこの夏休みに経験したことを振り返り、文章にまとめてみる、そして文書にまとめたものを元に友達や家族、先生などと話し合いをするなどが有効でしょう。そして話合いの中では、経験し学んだことを「今後の自分の人生にどう生かすか」をしっかり言えるようになるまで思考を深めることが大切です。1学期の始業式にも同じようなことを話しましたが、それは皆さんに経験、体験を大切にしてほしいという、私の切なる願いがあるからです。是非、実践してほしと思います。

2学期が始まりました。2学期には体育祭や修学旅行などの大きな行事があります。また、3年生は第一志望を目指して、受験モードに突入です。皆さん一人一人が、多くの経験、体験を重ね、人間的に成長してほしいと思います。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

夏課外実施中!

投稿日時 : 2023年07月28日 principal カテゴリ:

今年の夏も国語、数学、地歴公民、理科、外国語のそれぞれの教科で述べ26講座の夏課外授業を行っています。私も「英語の発音 理論と実践」と題して7月27日に授業をしました。私は大学で音声学(phonetics)を専門に学んでいたので「日本人の英語がなぜ英語らしく聞こえないのか?どうすれば英語らしく聞こえるか?」などについて実践を交えて来てくれた生徒に伝えました。この授業を聞いていきなり発音が綺麗になるわけではありませんが、生徒諸君には、これをきっかけに英語の音に意識を持ち続けてくれたら嬉しいです。久しぶりの授業でしたので、90分しゃべり続けてかなり疲れましたが、大変楽しい時間でした。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

第1学期終業式校長講話

投稿日時 : 2023年07月24日 principal カテゴリ:

落としどころを見つけるということ

皆さん、おはようございます。明日から夏休みになりますが、各教科から夏休みの宿題・課題が出ていると思います。皆さんは課題に取組む際、ふと「ChatGPTを使ってみようかな」と思うかもしれません。皆さんがChatGPTを使うことについては、我々教員、学校側はなかなか止められません。ですから使ってもいいのですが、私から1つだけアドバイスをしたいと思います。それは「自分がよく知っていることには使ってもいいが、よく知らないことには使わないほうがいい。」ということです。よく知っていることについてChatGPTが何と言うか、意見を聞くことはいいと思います。しかし、よく知らないことについては、ChatGPTがくれた情報が正しいかどうか判断できません。これは大変危険なことです。例えば、ChatGPTに「和光国際高校はどんな学校ですか」と尋ねるといろいろなことを言ってきますが、最初に「東京八王子市にある私立高校です。」と出てきます。和光国際高校を知っている私たちは間違いとわかりますが、知らない人は「和光国際高校は八王子にある私立高校なんだ」と信じてしまいます。ChatGPTは、堂々ともっともらしく間違ったことを教えてくれます。見事な知ったかぶりです。ですから新しい知識を得るためには使わないでください。少なくとも学術的なレベルでの知識習得には使わないでください。学術的でないこと、例えば「池袋のお勧めの焼肉屋さんはどこ?」ぐらいのどうでもいいこと、間違っていても大した問題ではないようなレベルで遊びながら使ってみるのが現段階での正しい使い方だと思います。

さて、今日は「落としどころをみつける」について話したいと思います。この4月の入学式の式辞で私は「グローバル・リーダーになるには、時間と約束を守り、落としどころを見つけ知恵も持て」とお話しました。国際理解に必要なのは「共感」とかではなく「落としどころを見つけることだ」と言われると、若い皆さんからすると何か、いやな言い方だなと思うかもしれません。勿論、違う文化を理解し共感することが理想ですが「共感」できない時どうするか。ここが大事なのです。

わかりやすい例を紹介しましょう。私がJICAに勤務している時、カンボジアに出張しました。カンボジアの首都プノンペンには、イオンモールがあります。私が訪れた2016年の2年前にオープンしたばかりのカンボジア最大のショッピングモールです。比較的、裕福な人々が住む地区にあり、買い物客は服装や持ち物から一見して富裕層が多かったのを覚えています。そのモールに日本の百円ショップを出店している店長さんとお話をする機会がありました。お話の中心は従業員との関係でした。勿論、現地のカンボジア人を雇っているのですが、これがなかなかルールを守らない。服装が乱れていたり休憩から帰ってこなかったりスマホをお店に持ち込んだり、日本のルールではありえないことする。そこで、日本の店のルールを守らせようと厳しくする。すると現地のカンボジア人はどんどん辞めてしまうのです。カンボジアの水準からすれば、かなり高額な給料を払っているにもかかわらず厳しすぎると辞めてしまうそうです。この店長さんは、最初は「カンボジア人はこんなに職業倫理が低いから、だめなんだ。本当に豊かになりたいのだろうか。」などと思い、怒りがこみあげたり、諦めたくなったりしたそうです。しかし従業員がいなければ店は営業できませんから、彼女は従業員と話し合い、落としどころを見つける努力をしました。例えば、スマホはお店に持ち込んでもいいけど、お客さんが自分の売り場に来たらいじるのをやめなさいなど、彼らの言い分と、こちらの求めるものとの間、つまり落としどころを見つける努力をしたそうです。そうすることで日本のお店では、これまでありえなかったルールを話し合いの中で受け入れることでお互いの納得する場所を見つけたそうです。そして辞めてしまう従業員は激減したそうです。

この話から学べることは日本の常識・価値観をそのまま、海外に持ち込んでも通用しないということです。文化・言葉・習慣・気候など、すべてが違う国に住む人々には、その人々の常識・価値観があるのです。日本のルールは通用しません。1年中、365日、今の日本のように熱い国にはその気候にあった常識と習慣があるのです。

国際協力・援助に携わる人のやりがちな過ちは、「これだけ援助してやろうとしているのに、理解しない、言うことを聞かない、職業倫理がないからこの国は発展しないんだ。」と上から目線で相手を見てしまうことです。上から目線で見た瞬間に信頼関係は壊れてしまいます。どんなに貧しい国の人々にもプライドはあるのです。それを忘れては絶対にいけません。

そもそも日本は全てがちゃんとしているので、ちゃんとしていないことに厳しい社会です。お店の店員はちゃんと接客をしてくれて、ちゃんと時間どおりに電車がきて、宅配便は指定した時間にちゃんと届く。こんな国は珍しいです。「みんなちゃんとしていないから、ちゃんとしていなくても気にならない。お互い様だ」という社会は世界中にはいくらでもあります。

海外で活躍する人材になるためには、自分たち日本人の常識や価値観をまずは疑ってみることです。そして違った習慣・価値観を理解し落としどころを見つける知恵を養うことです。勿論、共感することのできる想像力を養うことが理想ではあります。しかし、どうしても共感できない時は、共感する必要はないのです。コミュニケーションをしっかり取り、共通理解を図ることです。このことは是非、覚えておいてください。

今日お話したカンボジアでは、昨日総選挙がありました。野党が選挙に参加できないという異常な選挙でした。カンボジアは、ポルポト政権時代、そしてその後の内戦など辛い悲しい歴史を背負った国ですが、1990年代、日本の支援により民主的な国に生まれ変わりました。しかし今また、とても民主的とは言えない国になってしましました。私たち日本人は、これからのカンボジアをしっかりウオッチしていく必要があります。

明日から長い夏休みが始まります。AIを使って経験していないことをいくらでも語れる時代です。そんな時代だからこそ「経験」に根差したことを語ることが大切になります。みなさんはこの夏、多くの新しいことを経験し、その中で感じたことを「自分の言葉で」語ることのできる人間となってください。期待しています。9月1日、元気な顔を見せてください。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

令和5年度入学式式辞

投稿日時 : 2023年04月07日 principal カテゴリ:

式 辞

新緑が芽吹く春、すべての生命が躍動するこの佳き日に、PTA副会長八木英之様、後援会会長・増田真由美様のご臨席を賜り、保護者の皆様をお迎えして、令和5年度埼玉県立和光国際高等学校入学式を挙行できますことは、本校教職員にとって大きな喜びであります。

ただ今、入学を許可いたしました317名のみなさん、ご入学おめでとうございます。在校生、教職員一同、みなさんを心から歓迎いたします。

保護者の皆様におかれましても、お子様のご入学、誠におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。

本校は、1986年に全国初の公立の国際高校として開校し、37年目を迎えました。「国際社会で必要とされるグローバルリーダーの育成」という目標を掲げ、生徒・教職員が一丸となって、特色ある教育に取組んでまいりました。新入生の皆さんも、今日からそのチームの一員として、本校の新しい歴史を創っていってほしいと思います。

皆さんはコロナ禍の中で中学校の3年間を過ごし、我慢しなければならないことも多くあったと思います。しかしそんな中、本校への合格を目指し、日々勉学に励み、何事にも前向きに取組み、入試という大きな壁を乗り越えて、本校へ入学されました。今日、晴れて本校の門をくぐった気持ちはどうだったでしょうか。きっと、これから始まる高校生活への大きな期待と緊張感で身の引き締まる思いでいることでしょう。今日のその気持ちを3年間ぜひ忘れずに、たくさんの事に挑戦してほしいと思います。アフターコロナの和国での高校生活を思いきり謳歌してほしいと思います。そのスタートとなる入学式にあたり、私から心掛けてほしいことを3つ申し上げます。

1つ目は「自分の考え、意見を持つ」ということです。国際社会は今、多くの課題を抱えています。ウクライナでの戦争が象徴するように、世界の各地でこれまでの国際社会の秩序が破壊され、自由や人権、民主主義が脅かされています。また気候変動、経済格差など簡単に正解が見つからない問題が山積しています。「国際社会で必要とされるグローバルリーダー」になるためには、まずは今世界で何が起きているのかを知り、探求し、深く考えることが必要です。そしてそれらの問題を解決していくための「考え、意見」を持つことが重要です。いくら外国語が流暢に使えても、自分の考え、意見がなければ、国際社会で通用しません。是非、本校での3年間で多くを学び、探求し、自分の意見をしっかり持ち、発信できる人になってください。

2つ目は「多様な価値観を認める」ということです。社会のグローバル化とは、なにも海外だけの話ではありません。日本の社会における「内なるグローバル化」は確実に進んでいます。現在、我が国には約296万人の外国人が暮らしています。また埼玉県内の外国人も増え続けており、令和4年6月末で20万5千人、県の人口に占める割合は2.8%となり、約50人に1人は外国人です。コロナの影響で、一時的に人の動きは止まりましたが、これからは再び世界中から多くの人々が我が国を訪れ、この国を支える人材となってくれるでしょう。みなさんが社会に出るころには、外国人と働き、共に暮らすということがあたりまえになるのです。ですからみなさんには、多様な文化、宗教、価値観に関心を持ち、オープンな心で接し理解しようとする態度を養ってほしいと思います。近い将来、世界中から集まる人々と共に、平和で豊かな多文化共生社会を築いていくのは、まさにみなさんなのです。こういった「共感力」、共に生きる「共生力」といった力は、机に向かっているだけでは養うことはできません。本校での3年間で、行事や部活動、海外研修やボランティア活動などに積極的に取り組み、多くの人と触れ合い、学び合い、語り合う中で育っていくものです。是非、多くのことに挑戦し豊かな人間性を育んでください。

3つ目は「グローバルリーダーの資質とは何か」を考え続け、その資質を養ってほしいということです。そのヒントとなる言葉を紹介しましょう。日本人女性で初めて国連の事務次長・軍縮担当上級代表に就任し、世界的に活躍している中満泉さんの言葉です。

「謙虚さや自己主張が苦手といった日本人の資質が、国際舞台では足かせになるという考えを私は一蹴します。教育レベルの高さや勤勉さ『押しどころ』と『引き際』を心得たバランス感覚など、日本人であることは逆に強みになります。また、日本人は地道に努力して、何でも一生懸命にやりますから仕事を安心して任せられると信用されています。たとえば時間を守るとか私たちの体に染みついているごく基本的なことが、国際社会で働くときには評価されるのです。」

是非、この言葉をしっかりと噛みしめてほしいと思います。グローバルリーダーの資質は、何も特別なことではないのです。時間を守り、約束を守る、勤勉でバランス感覚があること。これが大切だと中満さんは言っているのです。明日からの高校生活の過ごし方の指針となる言葉だと思います。3年間この言葉を忘れずに、一生懸命に勉強し、約束と時間を守り、何事にも真摯に向き合い、将来の夢に向かって進んでいってください。

最後に保護者の皆様にお願い申し上げます。学校教育においては、学校・家庭・地域の連携が不可欠です。特にご家庭の協力なしには教育の成果は期待できません。私たち教職員一同、一丸となって指導にあたる所存ですが、各ご家庭におかれましても、本校の教育方針をよくご理解いただき、健康的な生活習慣や家庭学習について、ご指導いただきますようお願い申し上げます。

結びに、限りない可能性をもった新入生の皆さんの大いなる成長を祈念するとともに、保護者の皆様には本校へのご理解、ご協力をお願い申し上げ、式辞といたします。

令和5年4月7日

埼玉県立和光国際高等学校長

鈴木 啓修

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

令和5年度第1学期始業式校長講話

投稿日時 : 2023年04月07日 principal カテゴリ:

「体験することの大切さ」

皆さん、おはようございます。まずは春休み中大きな事故もなく、こうして今日、みんなで元気に体育館に集まり、2023年度1学期始業式を開催できたことを大変嬉しく思います。

春休みはどうでしたか?充実した時間を過ごせましたか?それぞれが2022年度の自分を振り返り、気持ちを新たに今日のこの日を迎えていると思います。

今日は「体験することの大切さ」について話したいと思います。WBCで大活躍し、今、最も注目されている野球選手と言えば、大谷翔平選手かもしれませんが、4年前にシアトル・マリナーズを引退したイチローさんのことは皆さんもよく知っていると思います。彼はオリックスからメジャーリーグのシアトル・マリナーズに2001年に移籍し、その後ヤンキース、マリーンズなどでプレーし、通算で19年間メジャーリーグで活躍しました。その間アジア人で初のシーズンMVPを受賞したり、新人王、首位打者7回など、本当に輝かしい業績を残しました。

そういうイチローさんですが、実は彼は故郷の愛知県、豊山町で「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」という大会を毎年開催していました。しかし1996年から続いたこの大会は、彼がメジャーリーグを引退したということで、2019年が最後の大会となりました。その閉会式でイチローさんは、少年たちに最後のメッセージを送りました。彼は次のような話をしました。

「今は、調べればいろいろなものが分かる時代になった。世界が小さくなったように思えるけど、僕が28歳で米国に渡って大リーグに挑戦し、調べれば知識として分かることであっても、外に出て初めて分かることがたくさんあった。傷つくこともあるし、楽しいことだってある。ただ知識として持っているのではなく、体験して感じてほしい。そういう経験を将来みんなにしてほしい。あって当たり前のものは決して当た り前ではないと気付く、価値観が変わる出来事をみんなに体験してほしい。28年のプロ野球生活を終えて僕が強く感じていることなので、ぜひみんなに覚えておいてほしいと思います。」

ここで彼が伝えたかったことは「とにかく実際に体験して感じてほしい」ということです。皆さんはスマホを片手に、自分の知りたい情報を簡単に入手できる時代に生きています。インターネットのおかげで、世界中で今何が起きているかを瞬時に知ることができます。しかしインターネットで情報を得るということと、実際にその場で体験し感じることとは大きな違いがあります。その場で体験し感じるという経験は時には人生を大きく変えるインパクトがあると思います。高校生という多感な時期に五感をフルに使って感じ取ることが大切です。例えば、その場所、その場所の空気の匂いがあります。沖縄には沖縄の匂い、プノンペンにはプノンペンの匂い、バンコクにはバンコクの匂いがあります。そんな空気の匂いは、オンラインでは感じることのできないものです。

「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソンは、次のような言葉を残しています。

「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」

彼女の最後の著書「センス オブ ワンダー」にある言葉ですが、この言葉を文字通りに浅く受け取ると、「知ること・知識」は重要ではないと言っているように聞こえます。しかしそんなことはありません。彼女はこのようにも言っています。

「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれた時の感激、思いやり、憐れみ、驚嘆や愛情などの様々な感情がひとたび、よびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。」

体験をせず、本やSNSで得た知識だけに頼って実体験がなければ、その知識は身につかない、役に立たないということを彼女は言いたいのだと思います。

3月の終業式では、「スマホを置いて、本を読め」と言いました。今日は、「スマホを置いて、外に出かけて体験せよ」と言いたいと思います。コロナも収束に向かい、制限なく自由に行動できる世界がついにやってきます。是非、皆さんにはこの3年間行けなかったところへ出かけ、できなかったことにチャレンジしてほしいと思います。思いっきり、青春を謳歌してほしいと思います。

最後に今日の午後、新入生が入学してきます。是非、新入生を温かく迎え入れてください。そしてここにいる皆さんは新入生が憧れるようなロールモデルとなって、彼らをリードしていってほしと思います。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

3学期終業式校長講話

投稿日時 : 2023年03月23日 principal カテゴリ:

粘り強く自分の頭で考えよ

今日で令和4年度、2022年度が終了します。皆さんにとってこの1年はどうでしたか? 自分で満足できる1年が過ごせましたか?自分の行動は自分自身が一番わかっています。是非、立ち止まって振り返ってみてください。いつも言っていることですが、節目、節目で自らの行動をしっかり振り返ることは皆さんの成長にとって欠かせないことです。

さて今日は「粘り強く自分の頭で考えよ。」という話をします。今日こうやって久しぶりに体育館に集まって終業式ができました。4月からはマスクも個人の判断に委ねられます。いよいよ本当のアフターコロナの生活、コロナ禍前の生活が始まります。まだ正式な通知が県からありませんので確かなことは言えませんが、今後これまでのような学校行事や部活動、日々の教育活動に関して細かく規定したガイドラインは国や県から出ないかもしれません。そもそも5月8日に新型コロナウイルスが感染症法上の2類相当から5類になれば、国や県といった行政機関が私たちの行動を規制することは法律的に難しくなります。たぶん国や県は「換気などをしっかりして感染に気を付けて、各自で判断してね」ということになるか思います。そうなるとどうなるか。学校現場においては、各学校が主体的に考えて判断することになると思います。例えば6月の文化祭については、すでに生徒会の皆さんを中心にいろいろ検討していると思いますが、まさしく私たち和国の生徒、先生方が主体的に「何がやれて、何がやれないか」を決めていくことになると思います。これまでのように、ガイドラインが「これはよい、これはダメ」と言ってくれれば楽かもしれません。しかしこれからは、我々自身が自分の頭で考え判断しなければならなくなるのです。

物事の判断は人によって様々です。特に感染症の問題は、慎重派とそうでない派の意見は大きく違います。これまでの3年間を見ても分断を生みやすい問題です。だからこそ自分の頭で粘り強く考え、粘り強く議論を尽くすことが大事になります。短絡的な思考や単純化した議論は分断を生むだけで、秩序をもたらすことはありません。

今の世の中は、あまりにも目まぐるしく変化し生活のテンポが速いため、粘り強く考え、粘り強く議論する姿勢が弱まったように感じます。またSNSなどのインターネットは、人を短絡的な思考に走らせる影響があると思います。過激な言動で支持を集めたりする政治家や、フェイクニュースで認知戦を仕掛ける国があることが、今回のウクライナ戦争を見ても世界中にはびこっていることがよくわかります。

最近、ガーシーという参議院議員が、国会に登院せず除名処分になったことがニュースになりました。彼は芸能人のスキャンダルを取り上げる「暴露系ユーチューバー」として有名になったそうで、昨年7月の参院選でも政治家のスキャンダルを暴くという選挙公約をユーチューブで発信し、約28万票を獲得して当選しました。彼は当選してもドバイで議員活動をすると言っていたそうですが、そもそもこれは国会法という法律を変えないとできないことです。今の法律では、国会議員は国会が開かれ招集されれば登院しなければならないことになっています。法律に基づいて物事を進めることは民主主義の基本です。彼に投票した人はこの国会法第5条を知っていたのかどうかはわかりませんが、既成政党に不満を持つ人々が面白半分に投票したのかもしれません。

いずれにせよ最近、このように政治家の目に余る質の低下が見られます。これは、日本だけの話ではありません。アメリカやヨーロッパなどの民主主義の大先輩の国々でも起きています。またこれは、我々有権者の政治的リテラシーの低下ということも原因の1つであります。私たち有権者にも責任があるのです。

私はこのような政治家や有権者の質の低下は、インターネット社会の弊害が少なからずあると思っています。少なくともインターネットが、この問題を助長していると思います。先ほどお話しした「自分の頭で考え粘り強く考え、粘り強く議論する態度」をネット社会が妨げているように思えてなりません。

もちろん自分の知らない言葉や事柄をインターネットで検索して、素早く知識を得ることは現代の社会では当たり前であり、また必要な事であることは否定しません。しかしその中で、自分の興味のあること、関心のあること、また自分の生活や将来にとって大切なことを深く掘り下げて調べ考えてみることは、とても大事なことだと思っています。

2020年7月、読売新聞が行ったインタビューでアメリカの神経科学者のメアリアン・ウルフ氏が「デジタル媒体は速読向きで、この読み方に染まると人は短絡的になり得るのに対して、紙の本は深く読む脳を育む」と述べていました。「紙の本でじっくり読む、何度も何度も読み返す」そんな読書が、今必要なのかもしれません。

紙の本の効用をお話したので、最後に皆さんに紹介したい本があります。それはスペインの哲学者オルテガが書いた「大衆の反逆」という本です。この本はヨーロッパが急激に産業化し、大量消費社会に発展した1930年に書かれました。ここで言う「大衆」とは、自らのコミュニティや足場となる場所を見失い、もっぱら自分の利害や欲望だけを考え行動する人たち、また自分の行動になんら責任を負わず、自らの権利のみを主張する人々のことを指しています。そして自ら判断・行動する主体性を失い、根無し草のように浮遊する形や名前のない集団をオルテガは「大衆」と呼びました。またこの「大衆」は「みんなと同じ」だと感じることを快楽として生きている、そしてみんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除されるべきだと考える、異なる他者への寛容性を失った集団でもあるとオルテガは言っています。

この本は、今からおよそ90年前に書かれたにもかかわらず、現代の民主主義、ネット社会が直面している問題を予言するかのように言い当てている古典的な名著です。ネットが存在していない時代でも「人間の群集心理・本質は同じなのだな」と改めて痛感させられます。そしてネットが近代以来のこの人間の特徴を助長していると思うのです。そしてオルテガが理想とした生き方をする人を、彼は「精神的な貴族」と呼んでいます。この「精神的な貴族」については、ここでお話する時間がありませんので是非、本を読んでみてください。和国の図書館にもあるそうです。

それでは、4月7日、元気な顔を見せてください。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

第34回卒業証書授与式校長式辞

投稿日時 : 2023年03月13日 principal カテゴリ:

厳しかった寒さも和らぎ、春の息吹きが感じられるこの佳き日に、PTA会長 柴田恵子様、後援会会長 増田真由美様、PTA・後援会顧問 吉田功治様のご臨席を賜り、保護者の皆様をお迎えして、ここに埼玉県立和光国際高等学校、第34回卒業証書授与式が挙行できますことは、卒業生はもとより、教職員にとりましても、誠に大きな慶びであります。

只今、卒業証書を授与された305名の卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。入学以来、3年間の努力が実を結び、めでたく卒業するみなさんに、心からお祝い申し上げます。

みなさんにとって高校生活の3年間は、まさにコロナ禍の3年間でした。中学3年生の3月に突然始まった約3ヶ月にもおよぶ臨時休業。入学式が6月にずれ込み、和国での生活に、夢と期待を膨らませていたみなさんにとって、出鼻をくじかれた思いだったと思います。また、その後も何度も緊急事態宣言等が発令され、先行きの見えない不安な日々を過ごしたと思います。分散登校、黙食、グループ活動や調理実習の自粛など通常では考えられない学校生活が続きました。部活動の大会やコンクールが中止になり、思うように活動ができなかったこともあったでしょう。また、みづのき祭などの学校行事も、大きく制限された中での開催でした。さらに1、2年生の時は海外研修も実施できず、実体験から学ぶ機会や、仲間との思い出づくりの場も奪われてしまいました。しかしみなさんはこの3年間、そうした状況にしっかり向き合い我慢をし、わきまえた行動を続けてくれました。苦しい現実から何かを学び前向きに努力をし、1歩1歩前に進み乗り越えることで、今日の日を迎えることができました。改めて心からお祝い申し上げます。

卒業は人生にとって大きな節目であり、新しい世界へ羽ばたく出発点であります。この輝かしい門出に当たり、私から3つのことをお話したいと思います。

1つ目は「意思決定のプロセスに参加する」ということです。ロシアがウクライナへ軍事進攻をはじめて1年が過ぎました。多くの人々が命を奪われ、家を追われ、家族がバラバラになり、国土が壊れていく、悪夢のような現実が目の前で繰り広げられています。人間の尊厳はもとより、少なくとも冷戦後30年間、続いてきた世界の秩序と民主主義を破壊する戦争が、今この世界で起きているのです。私たちは、まさに歴史の分岐点を目の当たりにしているのです。では民主主義が脅かされる時、つまり政治や社会がおかしな方向に進もうとしている時、私たちはどうすればいいのか。それこそが「意思決定のプロセスに参加する」ことです。自らの意志を社会に示し、物事を決めるプロセスに参加することです。自分の意見を言葉にし、間違っていることには間違っているとはっきりと伝える。そして正しいと信じることを訴えていく。そうすることで意思決定のプロセスに参加し、民主的な社会を創り上げていく当事者になることです。それは皆さん1人ひとりの義務であり責任なのです。選挙で1票を投じること、つまり選挙権を行使することは勿論ですが、しかしそればかりではありません。平和的なデモに参加する、SNSで意見を発信する、会議で発言するなど、自分の意志を示す方法はいくらでもあります。本日、和国を巣立つみなさんには、是非責任のある大人として民主的な社会の「守り手」になってほしいと切に願っています。

2つ目は、「共感する心を持つ」ということです。これからみなさんは新しい世界に羽ばたいていきます。新しい環境に身を置き、新しい多くの人々と出会うことになります。自分と全く違った考え方、価値観を持った人と出会うことでしょう。また異なった文化や習慣、言葉や宗教を持った人々とも出会うことでしょう。先ほど民主主義について触れましたが、世界には民主主義を知らない人々もいることを忘れてはいけません。違った価値観を持つ人と出会った時、「この人は自分と違う」といって理解しようとすることを諦めたり、排除したりしないでください。理解しようと努力する姿勢、共感する心を養ってください。そしてもしどうしても「共感」できない時は、少なくとも「落としどころ」を見つける知恵を持ってください。自分と違った価値観を認め、理解しようとする「共感力」、そして共に生きていこうとする「共生力」は、本校の教育方針でありグローバルリーダーを目指すみなさんにとって必要な資質です。そしてこのことは、みなさんの人生を豊かにすると共に、これからの日本の社会も豊かにしていくのです。

そして最後は「自分で自分のことを決める」ということです。コロナ禍は「人間は、この地球の主人公ではなく、世界をコントロールできるわけではない。」ということを痛感させられた3年間でした。人生には不条理なことが沢山あり、世の中は常に理性的でも予測可能でもないことを知りました。そして私たちは、不安なると何かに頼ったり、信じられる何かを求めたりするようになります。そしてその結果、多くの人がインターネットやSNSで常に他人の動向や、様々な言説を気にするようになり、時にはフェイクニュースや陰謀論に惑わされてしまうのです。スペインの哲学者オルテガが「大衆」と名付けた「主体性を失い、根無し草のように浮遊する集団」に組み込まれてしまう危険があるのです。だからこそ情報が溢れ、認知戦が激しくなるこれからの時代、自分で自分のことを決める能力が求められます。みなさんには、自分の人生にとって何が大切であるのかを、自分で決められる人になってほしいと思います。空疎な言葉や短絡的な思考に惑わされない重厚な知性と人格を養ってください。科学、歴史、哲学、宗教など様々な分野から多くを学び、知的な胆力、粘り強い知力を養ってください。そして自分の人生の幸せの形を自分で描き、それに向かって力強く歩んでいってほしいと思います。

最後になりましたが、保護者、ご家族の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。この3年間で立派に成長されたお子様の晴れ姿を目にされ、喜びもひとしおのことと存じます。皆様には入学以来、本校の教育方針をご理解いただき、終始、温かい御支援と御協力を賜りましたことを心より感謝申し上げます。

結びに本日、このように第34回卒業証書授与式を保護者の皆様と共に挙行できましたことに感謝すると共に、305名の卒業生のみなさんの、今後の限りないご活躍を心から祈念いたしまして式辞といたします。

令和5年3月10日

埼玉県立和光国際高等学校長

鈴 木 啓 修

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

3学期始業式校長講話

投稿日時 : 2023年01月06日 principal カテゴリ:

「レベルの高いエビデンス」

皆さん、新年明けましておめでとうございます。まずは大きな事故もなく、こうして3学期を迎えられることを大変嬉しく思います。冬休みはどうでしたか?充実した時間を過ごせましたか?今回は、3回目のコロナ禍の年末年始ということでしたが、帰省や初詣などの人出はかなり多かったようです。国内の移動については、ほぼコロナ前に戻ったという報道もありました。皆さんの中にも、今年がよりよい年になるよう地元の神社やお寺に出かけ、お願いした人もいると思います。特に受験を控えている3年生諸君は、受験に成功するよう神仏に手を合わせた人も多いと思います。しかし、神仏に手を合わせただけでは受験は成功しません。「人事を尽くして天命を待つ。」という言葉があります。最後の最後まで人事を尽くしてほしいと思います。

さて、今日は「レベルの高いエビデンス」という話をします。先月の20日に、3年生の外国語科「英語表現」の卒業論文の発表会を見に行きました。当日は8名の発表がありましたが、どの発表も説得力のあるレベルの高いエビデンスを用いた素晴らしい発表でした。また英語力もさすが3年生、立派なものでした。さらに発表者だけでなく、オーディエンスの生徒も、発表後に進んで質問をしたり、感想を述べたり、大変、積極的に発表会に参加していました。また英語力も大変高いなと感心しました。とても楽しい時間でした。この発表会で感じたことは、やはり自分の意見をサポートするエビデンスのレベルの高さが重要であるということです。エビデンスのレベルが高ければ高いほど説得力が増すということです。つまり、客観的で、科学的で、バイアスのないエビデンスのことです。

このエビデンスレベルの高さを目指した研究方法に「ランダム化比較試験」というのがあります。これはざっくり言うと、例えば新薬やワクチンの開発する時に、被験者を2つのグループに分けて、一方に効果を確かめたい薬やワクチンを与え、もう一つのグループには、偽の薬、いわゆるプラシーボを与え、その違いを調べるというものですが、その際、被験者をランダムに分けてバイアスを排除するというやり方です。この研究方法は、医療分野などの自然科学で主に行われますが、経済学などの人文科学の分野でも広く用いられています。

このことで思い出されるのが2019年のノーベル経済学賞です。この年のノーベル経済学賞はマサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー、エスター・デュフロ、そしてハーバード大学のマイケル・クレマーという3人の教授の共同受賞でした。この3人は、発展途上国での貧困問題について、実証実験を行うことで、具体的な解決策を示したことが評価されました。これまでにも貧困問題に関する研究でノーベル経済学賞を受賞した研究者はいますが、この3人が最も画期的だったことは、さきほどお話した「ランダム化比較試験」の手法を取り入れたことです。彼らがこの手法で何をしたかと言うと、例えば子供たちが、なかなか学校に通うことのできない貧しい村で、無料で給食を提供するグループと、そうでないグループを比較し、どちらのグループでより多くの子供たちが学校に通うようになるか、という実験を実際に行って、その結果を比較、検証したのです。彼らはこのような試験を多く実施することで、とても興味深い結果が得ました。例えば寄生虫を駆除するための薬を配ったり、親に教育の大切さをしっかり伝えることのほうが、お金や制服、教科書を配るより学校に通う子供の数が圧倒的に増えたということが、ケニアの小学校での実験で明らかになりました。これは意外ですよね。お金や制服、教科書を与えるほうが学校に行く子どもが増えるように思いますよね。しかし実験の結果はその反対でした。物を与えるよりも、基本的な衛生環境を整え、親に教育の大切さを根気強く伝え理解してもらうことが、実は最も効果的だったのです。

これまでの発展途上国への援助は「こうすればこうなるはずだ」という思い込みが我々先進国、すなわち与える側にありがちでした。「お金や物を、たくさん援助してあげれば、貧困は減るはずだ。減らないとしたら、その国の政府が悪いか、人々が怠け者なのだ。」などと与える側である私たちの常識で物事を決めつけ、途上国側を非難したり、援助を諦めたりするような傲慢な態度も、しばしば途上国援助の分野では見られました。しかし、この3人は実験の結果を通して、エビデンス、すなわち科学的根拠を世界に示したのです。思い込みでなく「こういう実験をしたらこういう結果が出ましたよ。」と世界に示したのです。この功績は、その後の途上国援助、貧困対策に大きな影響を与えました。

このことを通して今日、皆さんに伝えたいことは、レベルの高いエビデンスをもとに物事を判断してほしいということです。多くの皆さんが興味・関心を持っている国際協力・途上国援助の分野でも、思い込みや感情に流されるのではなく、客観的なエビデンスを元に実施することが大切なのです。この「ランダム化比較試験」は、先ほども言いましたが、多くの分野で活用されています。将来、大学で医薬品や化粧品などの研究をする人、自然科学を研究する人は勿論ですが、経済学や経営学などの人文科学を学ぶ人もこの手法を活用して研究をすることになると思います。是非、レベルの高いエビデンス、客観的で、科学的で、バイアスのない根拠を大切にする人になってください。そして「こうすればこうなるはずだ」という思い込みを押し通すような高慢な人間にはならないでほしいと思います。これは、目の前の事象に、常に謙虚であるという人間性の問題でもあります。

今日から3学期が始まります。3年生諸君は、体調に気を付けて全力を出せるよう祈っています。1,2年生諸君は、次の学年に進むための大切な時期です。目の前にある課題を客観的に見つめ、それに真摯に取組む謙虚な姿勢を持ってほしいと思います。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

2学期終業式校長講話

投稿日時 : 2022年12月23日 principal カテゴリ:

学生たちに捧げるレクイエム

まずは、12月14日〜15日に行われた、ウクライナの人々のため、そしてレバノンの難民のための募金活動、有難うございました。これは、ある3年生外国語科の生徒の提案で実現しました。彼は「ロシアがウクライナに侵攻して約10カ月になるが、以前に比べてテレビの報道も減り、人々の関心も薄れている。しかしいまだに戦争が続いていること、そして毎日ただ平和に生きたいと願う罪のない多くの人々が死んでいるということを思い出し、国際高校として学校をあげて行動を起こし、自分たちに何ができるかを考えるきっかけにしたい」という思いから始まりました。こういう生徒が本校にいるということに、私は校長として本当に嬉しく誇らしく思います。和光国際高校の生徒としての「自覚」と「問題意識」を持ってこのような声をあげてくれる生徒がこれからもたくさん出てきてくれることを期待しています。

今日は、みなさんにジョルジョ・アガンベンという人が書いた「私たちはどこにいるのか?」という本を紹介したいと思います。アガンベンはヨーロッパを、あるいは世界を代表する現代で最も著名なイタリアの政治哲学者です。そのアガンベンが2020年2月から7月まで、新聞や雑誌などの様々な媒体に書いた論文をまとめたのがこの本です。アガンベンは、この本の中で世界の多くの国家権力が、このコロナのパンデミックを保健衛生上の緊急事態であり、これをある種の「例外状態」として、これまで民主主義社会では当たり前であった自由や権利を奪ったと、国家権力を激しく糾弾しています。多くの民主国家の為政者たちは、外出や集会の権利を奪い、学校で学ぶ権利を奪い、死者を弔う権利さえ奪った。そして「社会的距離の確保」という理由からすべてが「デジタルテクノロジー」に取って代わられた。人間関係は零落し、人間的・情感的な次元のすべてを失った、とコロナ禍の世界でのロックダウンなどのコロナ対策を厳しく批判しています。そして「恐怖」とは何か。また、「身体的な生」と「精神的な生」とは何かを問いかけています。そしてこの状況の中で沈黙する宗教者や法律家を強く非難しています。しかし、2020年の2月から7月までとは世界がどんな状況だったか思い出してください。得体のしれない未知のウイルスがまん延し死者が増え、イタリアに限らず世界がパニックになっていた時です。ですからアガンベンの議論に耳を傾けたり、擁護する人はほとんどいませんでした。世界中で、このウイルスにどう対処したらいいかという具体的な対策が、マスコミを含めた言論の場を支配し、彼の議論は言論の場から締め出され、ある意味、嘲笑と黙殺の対象となってしまいました。彼自身もそのことは十分理解していましたが、あえて議論と弁明を続けました。この本はそういう意味で「抵抗の書」です。日本でも一部の学者が取り上げましたが、ほとんどのマスコミや知識人と言われる人も相手にしませんでした。日本も例外なくマスコミなどの言論の世界は、感染防止対策一色でした。人間はパニックになると全員が1つの色に染まり、同じ方向を見て語り、違った見方をする人間、違った意見は排除されてしまうものです。たしかに、彼の議論に科学的な不備がないわけではないし、書かれている内容を表面的に理解すると、ちょっと過激で偏っているのではないかと思うところもあります。私もこの本を読んで、そこまで言うのかと、ちょっと首をかしげてしまう部分もあります。

ではなぜ今、みなさんにこの本を紹介しているのかと言うと、この本の中に「学生たちに捧げるレクイエム」という章があり、この内容については、是非、皆さんに紹介したいと思ったからです。

そのきっかけになったのは、先日ある大学の先生と授業について話したことです。その大学教授によると、いまは、ほぼ8割程度の授業は対面に戻ったが一部はまだリモートで授業を行っているそうです。しかし対面の授業でも一方的な講義形式の授業をやっていると、学生から「この授業形式ならリモートでやってください。」と言われてしまうそうです。またある時、リモートで授業をしている時、カメラを切って顔が見えない学生がいたので声をかけると「今移動中で電車の中なので、応答できません。」とチャットで伝えてきたというのです。「大学の授業は本当に変わってしまった」とその先生は嘆いていました。私もその話を聞いてとても心配になりました。小中高校は、コロナ前になるべく戻ろうと先生も生徒も努力していますが、大学はそんな状態なのかとショックを受けました。そこで、今日みなさんに、アガンベンの「学生たちに捧げるレクイエム」という章の一部を紹介しようと思いました。彼はこの章で次のように述べています。

「物理的にそこにいるという要素は、学生と教員の関係において、いつでも非常に重要なものだったが、教授法が変容することによって、これが決定的に姿を消す。セミナーにおいて集団でなされる議論は、教育の最も生き生きとした部分だったが、これも姿を消す。生の感覚の経験がすべて消し去られ、まなざしが亡霊的なスクリーンに持続的に監禁されるという状況を私たちは今生きている。」

「大学は、ヨーロッパにおいては学生組合、「ウニウェルシタス」から生まれ、大学(ウニヴェルシタ)という名はそこに由来している。つまり、学生の生活形式は、何よりもまず、次のような生活形式だった。すなわち、それを規定するのは、たしかに研究と授業の聴講であったが、それにおとらず重要なのは、他の学生たちとの出会いや熱心な意見交換だった。しばしば学生たちは非常に遠い場所から来ており、それぞれの出身地によって同郷人会(ナティオネス)として集まった。この生活形式は何世紀ものあいだ、さまざまなありかたへと進化していったが、中世の放浪学僧(クレリクス・ヴァガンス)から20世紀の学生運動に至るまで、大学という現象の社会的次元は恒常的に存在していた。大学の教室で教えたことのある者であれば知っていることだが、いわば教師の目の前で友人関係が結ばれ、文化的・政治的な関心にしたがって小さな研究グループが構成され、彼らは授業が終わった後も会い続けていた。こうしたことすべてが、10世紀近くにわたって続いたが、それが今や、これを限りと終わってしまう。学生たちは、もはや大学の置かれている都市で生活することはなく、誰もが自室に閉じこもって授業を聴講することになるだろう。以前であれば、自分の仲間だったはずの他の学生たちとは、何百キロも離れていることもあるだろう。かつて威信のあった大学の置かれている小都市の街路からは、しばしば当の都市の最も生き生きとした部分を構成していた、あの学生共同体が姿を消してしまうだろう。」

どうですか。皆さんは今の文章を聞いてどう思いましたか。中世から近代・現代と大学が果たしてきた社会的役割が少しでも理解できましたか。アガンベンはその重要な役割が、今、消えていこうとしている現実を、レクイエム、鎮魂曲として学生たちに警告しているのです。

みなさんが大学で学ぶ時には、世の中がどうなっているのか、私にもわかりません。しかし今日紹介した文章を忘れないでください。学問の世界には便利さや効率だけでは測れない価値があるのです。今日配布した和国通信にもこの引用を載せておきましたので、もう一度、読んでみてください。また、この本を司書の宮崎先生にお願いして図書館に入れてもらいました。興味のある人は是非、読んでみてください。

最後に、明日はクリスマスイブです。クリスマス、そしてお正月は、日頃、いることが当たり前すぎてあまり語らない存在、とても大切なのに大切にできない存在、つまり家族の人たちと大切な時間を過ごす時期です。是非、この季節は家族の一員として、大切な時間を過ごしてください。それでは、1月6日、元気に登校してください。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}

2学期始業式校長講話

投稿日時 : 2022年09月01日 principal カテゴリ:

国際協力

まずは40日間の夏休みに大きな事故もなく、みなさんがこうして元気に登校できたことを嬉しく思います。コロナはなかなか収まりませんが、みなさんはそれぞれ充実した楽しい夏休みを過ごしてくれたのではないかと思います。

学校としても、この夏は勉強合宿をはじめ海外研修、部活動の合宿など、3年ぶりに実施しました。特に海外研修については、この夏に実施することはまだ不安なことが多いので、断念した高校も多かった中、先ほどの発表を聞いても、本校は実施してよかったなと思っています。コロナの影響で帰国が遅れてしまった人もいましたが、何とか無事に終了しました。参加者それぞれが、貴重な経験ができたと思います。

コロナ禍での学校行事には、常にリスクはあります。しかし、いつまでも心配だからといって縮こまってはいられません。皆さんの高校生活は3年間しかありません。

この2学期も多少のリスクがあっても、通常の教育活動を維持していきたいと思います。ただそのためには皆さんの自覚、感染防止の努力が必要です。クラスで2人の陽性者が出たら、学級閉鎖になるというルールは変わっていません。学校生活を維持していくためには、みなさんの責任ある行動が不可欠です。協力をお願いします。

さて、今日は「国際協力」について話したいと思います。先日、8月28日にチュニジアで開催されていた「TICAD 8・第8回アフリカ開発会議」が閉幕しました。閉幕に際し「チュニス宣言」が採択され、国際ルールを順守したアフリカ開発や「人への投資」の重要性が確認されました。

そもそもTICADは、日本政府が国連やアフリカ連合、世界銀行と連携して始めたアフリカの開発をテーマとする国際会議です。今から約30年前の1993年に、冷戦後の世界におけるアフリカの重要性をいち早く認識した日本が主導し、初めて東京で開催され、その後3年ごとに開催しています。

ではなぜ日本政府は、積極的にアフリカを支援するのか?それはアフリカの「可能性」です。現在約14億の人口から2050年には24億人にまで増えると予想され、世界経済の「最後のフロンティア」と呼ばれています。日本にとってアフリカ支援は、将来的な「市場開拓」という意味合いがあります。またその可能性を各国も注目しており、2000年には中国も「中国版TICAD、中国アフリカ協力フォーラム」をスタートさせています。中国は日本と全く違ったやり方で、アフリカにアプローチし、今では大きな影響力を持っています。

しかし今日みなさんに認識してほしいことは、そういった日本政府の国家的な戦略や中国の思惑と言った話ではありません。皆さんにしっかりと理解してほしいことは、日本の途上国支援に関する理念です。もっとミクロな末端の現場の活動についてです。

日本が途上国支援の現場でこれまで大切にしてきた基本理念が2つあります。1つは、途上国と同じ目線で協力するということです。日本のODAの実施機関であるJICA、「国際協力機構」は皆さんも知っているとおもいますが、JICAのCは、Cooperation すなわち「協力」です。彼らは、援助(AID)という言葉は、好んで使いません。途上国と同じ目線で「協力」していくという姿勢を貫いています。どんなに貧しい国にもプライドがあります。上から目線で「援助」してやるという姿勢では信頼関係は生まれません。私はJICAへの2年間の出向でそのことは肌で感じました。

2つ目の理念は、「人づくり」を重視することです。どんなに多額のお金を支援して港や橋や道路を作っても、そこに住む人たちが自立しなければ、その場所の発展は持続可能ではありません。日本政府は、日本人を現地に送り、現地の人と共に汗を流しながら必要な技術を伝え、人を育て、現地の人々の自立を支援することを基本としています。「お腹を空かした人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という考えです。

その姿勢を表す最も象徴的な事業がJICAの「青年海外協力隊」です。「青年海外協力隊」は、途上国のニーズに合った技術・知識・経験を持ち、それを「途上国の人々のために生かしたい」と望む若者を現地に派遣し、現地の人と共に働き、信頼関係を築きながら人材育成をしていく事業です。このような事業を行っている国は他にありません。

私は2年間、JICAに勤務する中で、多くの協力隊員が活動する現場を見てきました。その中で感じたことは、日本の社会では当たり前にある技術を、途上国に紹介することの大切さです。特に学校の現場ではそれが顕著です。日本の学校で当たり前にやっていることの多くは、実は途上国の学校では、当たり前ではありません。日本で当たり前にやっていることを途上国に紹介するだけで、教育の質が大きく変わるのです。

例えば、「日直」という制度。これはみなさんにとっては当たり前のことですが、今、アフリカの学校教育を変えようとしています。アフリカの農村では1クラスに生徒が50人から80人ぐらいいるのが普通です。そして先生は教壇のそばに自分の気に入った生徒を座らせ、身の回りの世話やお手伝いをさせ、言わば「助手」のように使います。後ろの方に座っている生徒たちはほとんど無視、という状態です。しかし日本の日直の制度を導入することで、毎日違う生徒がリーダー的な役割を与えられ、それを責任も持って果たします。日直の日は先生の手伝いをし、クラスから注目されます。クラスの生徒全員が日直をやることで平等に扱われます。生徒の自己肯定感も高まるわけです。クラスの雰囲気、先生と生徒の関係がガラリと変わります。

日本では、これも当たり前の「運動会」が今、アフリカで広まってきています。アフリカの多くの学校では、生徒や教員が一同に集まり協力して行事に取り組むといった機会がほとんどありません。学校はまとまらず、組織として機能していない場合が多いのです。そこで運動会をやることで、生徒、先生が一緒になって同じゴールに向かって頑張る。学校がまとまるという成果が出るわけです。私は西アフリカのセネガルで、実際に「運動会」の普及活動をしている協力隊員の青年に会いました。「運動会」を行うことで学校が一つになったと喜んでいました。

また途上国の多くの学校では、音楽や美術のような芸術教育がありません。そういった心を豊かにする情操教育を行う余裕がないのです。そこでカンボジアでは、NGOが日本で使われなくなったリコーダーを現地に寄付し、そのリコーダーを活用して音楽を教えている音楽教師の協力隊の授業を、現地で見学させてもらいました。子供たちの目がキラキラと輝いていたのが忘れられません。

勿論、このことは学校現場だけではありません。カンボジアの地方都市の病院で出会った看護師の協力隊員は、「厳密な衛生管理が必要な部屋に入る時に、履物を変えるといった日本ではごく当たり前なことを教えることから始まります。」と言っていたのが印象的でした。

また、ある程度豊かになった中進国のタイでは、高齢化が社会問題になっています。日本で介護士として勤務していた協力隊員が、現地の介護施設で日本の介護の技術を、共に働きながら伝えている姿に感動したことを覚えています。

途上国支援と聞くと、UNICEFの広報で見るような、紛争や干ばつなどの影響で極度の貧困で栄養失調になっている子供たちを支援するための募金活動などを思い出しますが、実はそれだけではありません。私たちの社会に既にある、当たり前の技術・知識・経験を途上国に伝えるだけで世界は大きく変わるということを覚えておいてください。

JICAの「海外青年協力隊」は、教育、保健医療、社会福祉、農業などから、土木、建築、工学などの分野まで、実に約190種類以上の職種から自分に合った仕事を選ぶことができます。言い換えれば、ほとんどすべての専門分野の技術や知識が途上国の安定、発展、そこに暮らす人々の幸せに繋がるものなのです。

今日から始まる2学期。3年生諸君は、これから卒業後の進路について真剣に考え、和国を卒業したあと何を専門的に学ぶのか、決定していくことになります。基本的には自分が好きな事、本当に興味のあることを追求してほしいと思います。

そしてみなさんが選んだ全ての分野の先には「国際協力への道」が繋がっていることを改めて認識してほしいと思い、今日はこの話をしました。和国の卒業生が世界に羽ばたき、世界のどこかを照らす人になってほしいと切に願っています。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}