学校法人清明学園
| 学校法人清明学園 | |
|---|---|
| 国公私立の別 | 私立学校 |
| 設置者 | 学校法人清明学園 |
| 校訓 | 子供と共に生き、子供を生かし、子供を通して生きる。 |
| 設立年月日 | 1930年(昭和5年) |
| 創立記念日 | 4月5日 |
| 創立者 | 濱野重郎 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 一貫教育 |
小中一貫教育 (準完全一貫制・施設隣接型)[1] |
| 学期 | 3学期制 |
| 所在地 |
〒145-0066 東京都大田区南雪谷三丁目12番26号 |
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学校法人清明学園(がっこうほうじんせいめいがくえん)は、東京都 大田区 南雪谷三丁目にある学校法人。 大正自由教育(新教育運動)を実践した濱野重郎によって創立され、以下の学校を設置・運営している。
幼稚園から中学校(9年生)までの一貫教育を行っており、初等学校5年までを「初等部」、初等学校6年から中学校3年までを「中等部」とする独自の「5-4制」を採用していることが特徴である。
概要
[編集 ]1930年(昭和5年)、成城学園(成城小学校)で大正自由教育(新教育運動)を実践した濱野重郎によって創立された。 創立以来、「子供と共に生きる」という理念の下、児童中心主義の教育を行っている。創立者の濱野が提唱した「遊び」や「体験」を重視する姿勢は現在も受け継がれており、知識の詰め込みではなく、五感を使った実体験を通した探究心を育むカリキュラムが特徴である。
1966年(昭和41年)より、発達段階に合わせた教育を行うため、独自の「5-4制」(初等部5年・中等部4年)を導入した。都内の私立学校の中でも、半世紀以上にわたりこの区分での一貫教育を実践している数少ない学校である[2] 。
教育体制とカリキュラム
[編集 ]幼稚園から中学校(9年生)までの期間を一貫した教育課程と捉え、初等学校(初等部)と中学校(中等部)を合わせた独自の「5-4制」を採用している。 発達段階に応じた「3つの教育期」を設定し、創立者・濱野重郎が提唱した「体験(労作)」重視の教育を9年間を通じて実践している。
第1教育期(幼稚園 - 初等部2年)
[編集 ]「夢の時代」と位置づけられ、感性や表現力の素地を養う。 初等部1・2年(小学1・2年)では、教科の枠を超えた「低学年総合学習」が行われる。
- 手づくり:自分のイメージを形にする体験。
- 散歩:自然の中を歩き、季節の変化や小さな命を発見する。
- 文学:物語の世界に親しみ、豊かな想像力を養う。
- そうごう:以下のテーマに分かれ、正解のない問いに対してありのままの自分を表現する。
- 木工
- 実験
- 土
- 表現
- 音
第2教育期(初等部3年 - 中等部7年)
[編集 ]初等部3年(小学3年)から中等部7年(中学1年)にかけての時期にあたる。 基礎学力の定着と共に、他者との関わりを学ぶ期間としている。特に「劇」の授業が重視されており、役作りや協働を通してコミュニケーション能力や他者理解を深めるカリキュラムが組まれている。 また、一般的な小学校より1年早い「6年生」から中等部となり、教科担任制へ移行することで、進学時のギャップ(中1ギャップ)を解消している。
第3教育期(中等部8年 - 9年)
[編集 ]中等部8・9年(中学2・3年)にあたる。 自己の将来を見据え、主体的に進路を選択する力を養う期間としている。
高校を併設しない理由
[編集 ]本学園は高等学校を併設しておらず、卒業生は全員が高校受験を行う。これには「義務教育の改善こそが重要である」という創立者・濱野重郎の信念が反映されている。 濱野は、澤柳政太郎の言葉を引用しつつ、内部進学という環境に甘んじることなく、15歳という多感な時期に「受験」という試練を乗り越えることこそが、青少年の「立志・自覚」を早め、人間的な成長を促すと説いた。 単なる「準備教育(詰め込み)」ではなく、9年間の体験教育で培った「自分で考える力」を土台に、生徒が自らの意志で進路を切り拓くことを教育の最終目標としている。
沿革
[編集 ]- 1930年(昭和5年) - 濱野重郎により、東京府荏原郡池上町(現・大田区南雪谷)に清明小学校(現・清明学園初等学校)が創立される。
- 1933年(昭和8年) - 清明幼稚園を設立。
- 1949年(昭和24年) - 創立20周年記念式典を挙行。
- 1950年(昭和25年) - 学校法人清明学園の設立認可を受ける。濱野重郎が理事長に就任。
- 1951年(昭和26年) - 清明学園中学校を設立。
- 1957年(昭和32年) - 初等部・中等部一貫の「九年制教育」の完全実施に着手。
- 1958年(昭和33年) - 濱野重郎理事長の藍綬褒章受章を記念し、幼稚園新園舎が完成。
- 1961年(昭和36年) - 創立30周年記念式典および初等部新校舎落成式を挙行。学園内にボーイスカウト東京第189団を結成。
- 1962年(昭和37年) - 中学校開校10周年記念式典を挙行。創立者考案の遊具「遊円塔」が実用新案登録される。
- 1964年(昭和39年) - 中学校舎および講堂が落成。長野県に「清明学園浅間寮」を開設し、自然体験学習の拠点を整備。
- 1966年(昭和41年) - 初等部5年・中等部4年の新学制(5-4制)を導入し、研究的実践を開始。
- 1969年(昭和44年) - 学園歩道橋が開通。
- 1970年(昭和45年) - 創立40周年記念式典を挙行。
- 1972年(昭和47年) - 学園内に叙勲記念館(濱野重郎の瑞宝章受章記念)が竣工。
- 1975年(昭和50年) - 創立者・濱野重郎が永眠。
創立者・濱野重郎
[編集 ]濱野重郎(はまの じゅうろう)は、日本の教育者であり、本学園の創立者である。 戦前より児童教育や図書館経営に関する研究を行い、専門書を出版するなど精力的に活動した。 その教育理念は、現在の清明学園の「子ども中心の教育」の基礎となっている[2] 。
著書
[編集 ]濱野の主な著書には以下がある。
関連書籍
[編集 ]- 濱野重郎先生遺稿集編集委員会 編『和楽の園:濱野重郎先生遺稿集』清明学園、1977年(昭和52年)。
教育理念
[編集 ]濱野は、教師と児童が一体となって学ぶ姿勢を重視した。遺稿集には以下の言葉が残されている。
我が清明学園の同人は、児童と共に遊び、共に学び、共に労作し、共に念じ、共に研究し、共に試行し、共に体験して、学園を以って共同学習の殿堂たらしめたい。[4]
この「遊び」から始まり「研究」「試行」へと至るプロセスは、現在の同学園の教育目標にも通底している。
脚注及び参照
[編集 ]- ^ 中等部の募集要項-学校法人清明学園には、「平成24年入学考査」の募集人数は「中学1年生 男・女 若干名」と掲載されている。
- ^ a b c 国立国会図書館サーチ 『子供とともに』 2024年閲覧。
- ^ 国立国会図書館サーチ 『児童図書館の経営方法と優良図書目録』 2024年閲覧。
- ^ 濱野重郎先生遺稿集編集委員会 編『和楽の園:濱野重郎先生遺稿集』清明学園、1977年、p.xx。
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]この項目は、東京都の学校に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育/PJ学校)。