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ナチ・マオイズム

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フレーダが所属していた新秩序(オルディーネ・ヌオーヴォ)の旗。

ナチ・マオイズム(英語: Nazi-Maoism)は、1968年頃にイタリアで人民闘争(ロッタ・ディ・ポポロ (イタリア語版))として知られるグループの結成とともに現れた政治運動およびイデオロギーである[1] ローマ・ラ・サピエンツァ大学の学生たちによるこのグループは[2] フランコ・フレーダの著作と思想に多大な影響を受け[3] 極左極右双方の思想を結合させることを提唱した。ネオ・ファシストのグループである第三の位置によれば、ナチ・マオイズムは「資本主義でもなく共産主義でもなく、赤でもなく反動でもない」という立場をとっていた[4] 。フレーダのようなナチ・マオイストは、「ファシストのプロレタリア独裁」の形成を望み[5] マオイストのゲリラ戦略である人民戦争を用いて政府とブルジョアジーを打倒しようとした[6]

ナチ・マオイズムは、1973年にロッタ・ディ・ポポロが解散した後、ほとんど消滅したと考えられている。ナチ・マオイズムのいくつかの形態は、ロッタ・ディ・ポポロほど活発ではなかったものの、1970年代後半まで他の類似のグループで存続した。いくつかのスローガンは、第三の位置やフォルツァ・ヌオーヴァといった議会外右翼の多くのグループに見られる。極右に典型的な顕著な反共産主義とナショナリストの立場にもかかわらず、彼らは社会問題に強い関心を持ち、また暴力的な反米主義反シオニズムを掲げている[7] [8] [9]

イタリア国外

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フィンランド

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SSの退役軍人であるサカリ・ハイカラとアールネ・ロイハは、毛沢東主義的なフィンランド・中国協会の創設メンバーであり[10] 、その理事も務めていた[11] 。中佐でありファシスト政党の国会議員であったパーヴォ・スシタイヴァル (英語版)は、冗談めかして自身を「マオイスト民主的ファシスト」と称していた[12] [13] 。フィンランドの極右における親マオイストの立場は、少なくとも部分的には毛沢東の中国の反ソビエト的な立場に動機づけられていた。ハイカラは次のように語っている。「我々はヘルシンキの中国大使館を訪れ、そこで彼らは、大歓声を上げる中国軍がソ連への攻撃を要求する反ロシアのプロパガンダ映画を見せた。我々も歓声を上げた、これがフィンランドの救済だと。今でもそう思っている」[14] カイ・ムロス (英語版)はフィンランドの著名なネオファシスト思想家であり、自身をマオイストであると認識している[15] [16]

フランス

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フランスでは、イタリアのロッタ・ディ・ポポロの姉妹組織が「人民の闘争」(Lutte du Peuple)と呼ばれていた。それは、主にジャン・ティリアールによって広められた思想を中心に構成された姉妹組織であったジョーヴァネ・エウローパとジュヌ・ヨーロッパの残党から作られた。Lutte du Peupleの創設者の中には、オルドル・ヌーヴォーの反体制的な左翼ナショナリストや、イヴ・バティーユが率いる「若きヨーロッパのために」(ティリアールが率いたジュヌ・ヨーロッパとは異なる)のヨーロッパ社会主義者たちがいた。これらの組織は、ティリアールのテーゼとヨーロッパの情勢に適応したマオイズムを混合したものであったが、根本的な違いがあった。ティリアールにとってマオイズムは二次的な要素であったのに対し、ナチ・マオイスト組織にとっては基本的な要素であったからである[17] 。ナチ・マオイストの思想は、国家・欧州行動連盟のイデオロギーに顕著に現れていた[18]

ウクライナ

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2019年後半、ウクライナのアゾフ運動の文学クラブ兼出版社であるプロミン(ウクライナ語で「炎」)は、フレーダの著作のウクライナ語訳を発表した。フレーダの思想は、ウクライナではネオナチグループのカルパツカ・シーチやヴォータン・ユーゲントによっても推進された[19]

その他

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ドイツでも、人民の事業/国家革命組織構造(Sache des Volkes / Nationalrevolutionäre Aufbauorganisation, SdV-NRAO)のような姉妹組織が作られた[20] [18]

関連項目

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出典

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  1. ^ Sheehan, T., 1981. "Italy: Terror on the Right". The New York Review of Books, 27(21), pp.23–26.
  2. ^ Bessarione, Giuseppe Bessarione, 1979. Lambro / Hobbit. Right-wing youth culture. In Italy and Europe, Rome, Arcana Editrice, 1979, pp. 99–100
  3. ^ Andreoli, M., 1979. "Perspicacity of Nazi-Maoism Case of Freda, Franco and Massacre at Piazza-Fontana Effects On Italian Right". Ponte-Rivista mensile di politica e letteratura, 35(4), pp. 384–386.
  4. ^ Hoffman, B., 1989. The contrasting ethical foundations of terrorism in the 1980s. Terrorism and Political Violence, 1(3), pp.361–377.
  5. ^ Griffin, Roger, 2003. "From Slime Mould to Rhizome: An Introduction to the Groupuscular Right". Patterns of Prejudice, 37(1), pp.27–50.
  6. ^ Lebourg, N., 2015. "Arriba Eurasia? The Difficult Establishment of Neo-Eurasianism in Spain". Eurasianism and European Far Right: Reshaping the Europe-Russia Relationship.
  7. ^ Rossi, Gianni, 2003. La destra e gli ebrei: una storia italiana, Soveria Mannelli, Rubbettino Editore.
  8. ^ La strage di Stato, Rome: Samonà e Savelli, 1970.
  9. ^ Bessarione, Giuseppe, 1979. Lambro/Hobbit. La cultura giovanile di destra. In Italia e in Europa, Rome: Arcana Editrice, 1979, pp. 99–100
  10. ^ "Ambassador Chen Li Hosts Reception for Finland–China Society". Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  11. ^ Koska kotimaa meidät lähetti — SS-mies Sakari Haikala Hitlerin eliittijoukoissa ISBN 978-952-291-257-2
  12. ^ "Unohdettu Susitaival". Sarastus (2024年1月11日). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  13. ^ Paavo Susitaival: Aktivisti ei hellitä (WSOY, 1981). ISBN 9512318377
  14. ^ "Sakari Haikala, Kouvolan veturimies 1970-luvun alussa" (2024年1月11日). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  15. ^ Sakari Timonen (2024年5月13日). "Aatetta tunnustaen". Apu . Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  16. ^ Zúquete, José Pedro (2018). The Identitarians: The Movement against Globalism and Islam in Europe. University of Notre Dame Press. ISBN 9780268104245.
  17. ^ L'ALTERNATIVE NATIONALE-COMMUNISTE
  18. ^ a b LA STRAGE DI STATO. III CAPITOLO I fascisti. La nuova tattica: infiltrazione e nazimaoismo
  19. ^ "Ukraine's Far Right Is Boosting A Pro-Putin Fascist". Bellingcat (2024年1月12日). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  20. ^ https://www.apabiz.de/archiv/material/Profile/SDV-NRAO.htm

外部リンク

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