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福祉のまち推進事業30周年記念インタビュー2

福祉のまち推進事業30周年記念インタビュー


第2回目は、手稲区手稲中央地区の濱谷信子さん。
濱谷さんは福まち設立から20年以上活動に携わっており、現在は地区福祉のまち推進センターの運営委員長としてご活躍されています。

  • 話し手:濱谷 信子さん
  • 聞き手:大井戸 麻衣さん(手稲区社会福祉協議会事務局長)
  • と き:令和7年6月11日(水)
  • ところ:手稲コミュニティセンター 福まち事務室

濱谷信子さん(写真左)と大井戸麻衣さん(写真右)


大井戸局長)福まち開設30周年。濱谷委員長は平成17年4月から福まちに携わっていらっしゃるので、もう20年以上になりますね。
濱谷委員長)そんなになるんですね。
大井戸局長)まずはこれまでの取り組みを振り返って、特に思い出に残っていることはありますか?
濱谷委員長)福まちを設立するにあたっては、すごく頑張った記憶があります。
当時、消防団や青少年育成、子ども会の活動で一緒だった樋口さんが、私を福まちに引っ張り入れて、私は福祉を勉強する機会をもらって、やっとの思いで福まちを立ち上げたけど、そこからがまた大変でした。お年寄りに向けた活動をしたことはありませんでしたし、樋口さんが町内の回覧などで、福祉に関心のあるボランティアを4人も5人も集めてきたんですけど、町内会の福祉部長とかではないし、まだ組織としてもしっかりしていないから、定例会を開いても、人が来たり来なかったり。それでも、1か月に1回は必ずちゃんと定例会はやりました。そうやって福祉推進員ができていったんです。
ボランティアは事務局には入ってくれないだろうと思っていました。でも月に1回の会議を続ける中で、そのうちにサロンやろうとか、お風呂の券を配って入浴会をやろうとか、徐々に色々な取り組みが始まっていきました。立ち上げから最初の1年は、一生懸命人を集めて会議を開いていたけど、もしかしたら、あんまり中身はなかったかもしれない。自分たちも何をしたらいいかわからなかったから。新発寒地区が先に福まちを立ち上げていたので、やり方を聞いたりしていました。
いま考えても、単町から人を出してもらったのは理想的なやり方だったと思います。
大井戸局長)他の地区に自慢できることですね。毎回福祉部長が集まる会議があって、事務室があって事務局員が常駐して。
濱谷委員長)他ではやっていなかったかもしれないですね。ボランティアがいたことは良かったと思います。
大井戸局長)ボランティアはどういう方でしたか?
濱谷委員長)主婦の人、女性の人が多かったですね。(町内会、民生委員などのような)活動の母体が無い、本当にボランティアの人が多かったですよ。サロンをやるとなれば、色紙くらい必要でしょうとか、お茶くらい出そうとか、ボランティアの人たちが気づいて、買い物に行ってくれたりしていました。

常日頃、となり近所の人が仲良く見てくれるのが大切

大井戸局長)福まちの中で自慢できる取り組みはなんですか?
濱谷委員長)福まちの仕事ってなんだろう?考えると、やっぱり見守りだと思っています。見守りが中心なんだから、それであれば福まちの事務局ではなく単町の人に見守りしてもらおうと思って取り組みを進めてきました。見守りの成果とか、見守りをやっていることは、なかなか分かりづらいことです。だから、人を集めたイベントもやろうということになって、そこから今のふれあい交流会になりました。人を集めることで福まちの存在が少しずつ知られていったと思います。講演会をやったり、民生委員との懇談会をやったり。それはそれで良かったのですが、でも結局のところ、常日頃となり近所の人が仲良く見てくれるのが大切で、それができるのはやっぱり町内の人達、役員さんたちしかいないんですよね。
私自身そんな大したことはできないですけど、少しでも地域にお返しできるとすれば、それは夜回りじゃないけど、日中でも近所の人たちを気にかけて、町内で残念なことが起こらないようにすること。民生委員はどちらかというと決まった対象者を訪問して活動しますが、福祉推進員は「あそこのおばあちゃん、買い物が大変って言っていたから、何か持っていってあげるかな」とか、「おにぎり作ったから持ってきたよ」とか、いまだにそんなことをやっている人もいます。
そういう人達と協力しながら、これまでやってこれたことが自慢できる取り組みと言えるかもしれません。

地理的特性に合わせた集いの場

大井戸局長)集いの場でいえば、「転ばん塾」の立ち上げが平成29年で、もう8年になりますね。
濱谷委員長)もう8年になりますか。
手稲本町は山坂が多いところです。だから、転んで手を折った、足を折ったという人が本当に多かった。そこで立ち上げたのが「転ばん塾」でした。山坂でも転ばないように、運動に特化したものをやりたかった。そして、そうやって体動かす目的で、月1回でもいいから興味を持って家から出てくれば、それも良いことだし、家に帰ってからも体動かせば、それだけでも絶対違うと思っていました。そういう先生を予防センターに見つけてもらって。「塾」という名前にしたのは、みんなで勉強しようよという意味です。あとは、「軽川塾」という、町内会長を集めた勉強会というか企画会のようなものがもともとあって、それもあって「転ばん塾にしよう!」ということになったんです。
大井戸局長)手稲本町という山に近い地理的特性を活かしたわけですね
濱谷委員長)線路の方から上がってきて、みんな大変そうなのを見ていましたからね。前田のようにフラットなところに住んでいたら、こういう取り組みはしていなかったかもしれませんね。今は「転ばん塾」が根っこになって、その参加者だった人たちが自分たちで自主的に体操教室を1つ2つ3つ4つと立ち上げています。ラジオ体操をしたり、さっぽろスマイル体操をしたり。そういう、集う場所、出てくる場所があることは大切ですね。
大井戸局長)周り近所に気にかける見守りと、集い・通いの場、この2本立てがメインだったんですね。それで人と人との関わりを絶やさないようにする。
濱谷委員長)ちょこちょこと、あちこちに集まる場所が増えてくれたらいいかな。うちは最初から見守り活動やっていました。今は生活安全部と合体して、社協からもらった活動記録表を渡して、訪問や見守りの記録をメモしてもらって、3月〜4月にそれを回収して、そのデータを社協に提出している。何十回も電話かけている人もいるし、たくさん訪問している人もいる、担当が1人の人もいるし2人の人もいる。そういうのをみんな、正の字で報告してくれている。それでなかったら、そんなの私が聞き取って把握はできない。みんなに協力してもらっている。
最近は単町の聞き取り。今年で3年目。最初はお隣の町内同士を集めてやったけど、いまはごちゃまぜにシャッフルして、2〜3の町内会で、区社協にも入ってもらってやっています。



大井戸局長)あれはコロナ禍がきっかけだったんですか?
濱谷委員長)そうなんです。コロナで何もできなくなって、みんな「何やってる?」「何もやってない。」って。だから、そんなに何もできていないなら、どんなにできていないか、全部の町内会の話を聞こうと思って。皆さんから話を聞いたら実は「こんなことしてる」「こうしているよ」とか、いろんな話が聞けて、本当に良い取り組みになった。
大井戸局長)3〜4つの少ない単町ごとにやったから良かったですね。
濱谷委員長)そうそう、みんなダーと並んだ会議で、専門機関も並んでいるような会議では、なかなか意見が出ないですから。黙ってしまう人もいる。それではマズいので、話しやすいように心がけました。話を聞いたら、「やってない、やってない」といいながら、みんな何かしらやっていた。ポケットティッシュを持って一人暮らしの家を訪問して、「コロナでお会いできませんが、お元気にしていますか?」と書いたメモとティッシュを郵便受けに入れたり。そして、それを見て電話がきたという話も聞きました。コロナの時はそんな風にして、みんな工夫してやっていたみたいです。
大井戸局長)コロナ禍では、これまで当たり前にやっていた活動ができなくなりました。福まちの基本である見守りにおいては、町内会から聞き取りをすることでそれぞれの活動状況を把握できたし、参加した町内会にとっては他の活動を知る勉強の機会になったんですね。
濱谷委員長)うちの町内では、毎月10日を見守りの日にしていますが、ある時、役員さんが子どもを連れて参加してくれたことがありました。子どもの頃から町内のことに関わってもらうのは、とってもいいですね。中高生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちが何かやってくれないかな、町内会の役員として入れたいな、と思いました。担い手が少なくなってきていますから。

相手との距離が近いといろんなことを話してくれて、
でもそんな話の中に大切なことがあるんです。

大井戸局長)30年福まち活動をしてきて、地区も変わってきていると思います。福まちが始まったころ、手稲中央地区が一番高齢化率の高い地区でしたが、今は一番低いですし。
濱谷委員長)あのころ、他の地区は家を建てたばかりの若い人たちがいました。今はそういう人たちが高齢化している。いっぺんに若くなって、いっぺんに高齢化率が上がるんですね。
今は駅前がマンションになって、戸建ては数件だけ。山の上の方の地区は高齢化。子どもたちが育って家を出て、戻っては来ない。全国のあちこちで活動しているし、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住むかといったら、そうはならない。空き家や売り家も増えてきています。世代交代してきていますね。山の上に住んでも大変だからと、駅前のアパートやマンションに移り住んだ人もいます。
担い手も、昔はもっとたくさんの人が活動していましたが、今は町内会もクローズしてきている時代。残念ながら毎年1つくらい町内会が無くなっています。あんなに活動していたのに何で?という町内会が解散したりしている。町内会長のなり手がいなくて、どうするかを町内回覧で聞いたら、「町内会は無くて良い」となったところもあったようです。昔ながらの人もいなくなって、担い手がいなくなった。様変わりしてきました。戸建ての人は高齢化して、施設に入って。若い人は駅の方に集まって。それだけは、福まちでもどうにもならないことです。一人の人が困っているなら助けられますが、町内会まるごとは難しい。
でも、そういう町内の人が、今みんなサロンに来ています。私が声掛けして。「町内会の無いところから参加している」と言う人もいますが、来るものは拒まずでやっています。回覧がないから口伝てしかないですけどね。
大井戸局長)今は必死で、その人たちののつながりを保とうとしていらっしゃるんですね。そういうところに来る方は、まだ元気な人。その人たちが元気でいられて、ご自宅のご近所さんを気にかけてくれたらいい。そういうことですね。
濱谷委員長)民生委員の見守りは、私もやったことがあるのでわかるんですが、ある程度決まりがある中でするのが普通ですが、福まちは違います。「ごはん持ってきたよ」と言って伺ったら「まあ、家に上がっていきなさい」と言われたり。そして、家の中でいろんな話をして、そういう時に「福まちでこんな行事しているんですよ」と言えば本当に来てくれる。出てきてくれる。玄関口でチラシ渡すだけではダメですね。相手との距離が近いといろんなこと、聞かなくていい事まで話してくれて、でもそんな話の中に大切なことがあるんです。
大井戸局長)そういう近所づきあいの延長が福まち活動ならではですね。
濱谷委員長)そうですね。そういうことをやっている人、何人もいますよ。町内会の懇談でも聞きました。仲良くしていると、普段聞けないことも聞けたりします。
大井戸局長)ゆるやかだけど、しっかり繋がること。きめ細かさが福まちの強みですね。



濱谷委員長)あるときの話。一人暮らしのしっかりした人がいて、19時ころに電気がついていなかったから少し心配して、次の日にピンポンしたら「はーい」と元気そうだったので、「濱谷です。元気ならそれでいいから、出てこなくていいから」とお伝えして終わったんです。次の日、19時過にピンポンしたら、私が来ると思ってカツラかぶって待っててくれてた(笑)。そして、「来てくれて嬉しい」って。いつ、どこ、ということなく、本当に気にかかる人を見ている。そういうのって、やっぱりいいなと思います。町内会長や民生委員をしている人もいるけど、そうじゃない人もいる。ゆるやかでいいので、長くやってね、と言って、みんな楽しくやっています。
大井戸局長)以前に聞いた記憶あるんですが、ここ(福まち事務室)によく来ていた方がいらっしゃるとか。
濱谷委員長)いました。今は施設に入ってしまったけど、本当に聞いているだけでも涙が出てくるくらいの話。その人は「濱谷さん入れて3人にしか言っていないんだよ」と言っていました。家族のこと、お墓のこと、子どものこと、家のこと、自分のこと。あれは辛いだろうなと思う。「私はだれにも言わないよ」と言って、本当に誰にも言っていません。ここにきて、お茶飲んで、話して帰るだけ。それでも、少しは楽になるんだと分かった。「濱谷さん、今度はいついる?」と聞かれて、それを伝えたらその時に来て。そういう時は他の人を入れないように気を付けました。相談しているのがわかったら、嫌だろうなと思って。ずっと心に残っています。
大井戸局長)この相談スペースで聞いていたんですね。
濱谷委員長)そう。そして、もう1つ忘れられないのが、私が主任児童委員をしていたときのこと。あるマンションの1階に住む方お母さんで、子どもたちにパンツも履かせないで、黒いゴミ袋を山ほど積んで、だらしなくて、と近所から邪魔者のように扱われていた人がいました。その人のことで区役所から連絡があったので、お宅に伺ってみたら、子どもが大泣きしていた。見れば、布おむつからおしっこがダラダラ垂れていて。「お母さんは?」と聞いたら「ママいない」と。奥には指吸って寝てる赤ちゃんもいるし、これは大変だと民生委員さんのところに飛んで行ったんです。民生委員さんは「子どもに食べさせるご飯を持っていくから、濱谷さんはその家にいて」と言ってくれました。民生委員さんが、その子たちのおばあちゃんの連絡先を調べてくれて連絡したら、電話先で「あ、またやったかい」って言ったそうです。どうやら、お母さんはパチンコに行っているらしくて、パチンコの閉店が23時までだから、その時間になったら帰ってくることがわかりました。民生委員さんと相談して、私が21時、民生委員さんは21時から23時まで見ることになって。それは3月30日のことで、だからまだ寒くて。哺乳瓶のゴムが固くなっているから、お湯でも沸かしてミルクを飲ませられないかと思ったけど、それもできなくて。そんな中で子ども達が泣きつかれて寝てしまったところで、民生委員さんが来て交代になりました。
その後、お母さんはのうのうと帰ってきたそうです。民生委員さんも「いいだけ言ってやったさ」と言うので、「そうだよ、言ってやったらいいよ」と言って。お母さんには私の名刺を渡したんので、大家さんにも私のことが知れて、その後は「家賃を払ってもらってない」という連絡が私に連絡来るようになりましたよ(笑)。

みんな仲良くすること。そうでないと、物事は進んでいかない。

大井戸局長)大変なケースを担当されていたんですね。これまで、福まち活動をされていて、良かったと思うことは何ですか?
濱谷委員長)どれもこれもみんな思い出深いけれど、ずっと続けてきたことで、すごく自分の勉強にもなったと感じています。皆さんにたくさん教えられて。辛かったこともあったけど、それよりも、やっててよかったという思いが強いです。転ばん塾やっててよかったな、見守りしてきてよかったな、そのおかげでこの地域ではあまり事件や事故がなく過ごせてきたのかな、と思ったりします。あとは、お年寄りから学ぶことが沢山ありました。なんでも経験を教えてもらいました。自分は早くに母親を亡くして、子どものころからまわりの大人にかわいがってもらって育ったので、その延長みたいですね。
大井戸局長)これまでの活動の中で大事にしてきたことは何ですか?
濱谷委員長)みんな仲良くすること。そうでないと、物事は進んでいかないですよね。福祉って特にそういうものじゃないの?って思います。福祉の人が喧嘩していたら、誰も寄ってこないですよね。それぞれの考え方はあるだろうけど、福祉を担う人は、仲良くあってほしいとも思います。
大井戸局長)確かに、濱谷委員長が怒ってる顔を見たことないですね(笑)いつでもここに来たら、ニッコリして帰れるというか。
濱谷委員長)ガツガツする必要ないから。以前、老人福祉センターに、いつもニコニコしてとてもやさしい職員さんがいて、「ああ、こういう人なんだな」と思ったことを思い出します。

好きなことをやらせてもらっているのが、元気の秘訣

大井戸局長)濱谷委員長ご自身の元気の秘訣は何ですか?
濱谷委員長)この前、青少年育成委員会の会長になったんです。何年も前からお願いされていたけど、とうとう引き受けることになって。でもそれが、とても忙しくて。委員を辞める人の手続きとか、入る人の委嘱とか、そんなことをやっている時に、夫が「そんなに頼りにされるのは本当に良いことなんだけど、あなたの一番は何?うち?外?」と聞かれてしまいました。今までは「うちが1番」と思ってやってきたけど、あんまり忙しいもんだから「今はこの仕事を1番にしなきゃダメなの」と言ったら、「えっ!?外が一番かい」と言われてしまいました。ご飯も買い物も、全て後回しにしてしまっていました。夫は山登りする人だから、一緒にモンベルのお店に行ける日を楽しみにしていたのに、忙しいから延び延びになって。喧嘩にはならないですけどね(笑)夫も町内会長とかやってた人だから、分かってくれています。好きなことをやらせてもらっているのが、元気の秘訣かな。
山を歩いていていると、何もかも忘れますね。今は手稲山くらいしか行きませんけど。最近は手稲山にもクマがでるから、あまり上まで行かなくなった。でも、ちょっと自分に負荷をかけるのもいいことだと思います。
無理しない程度だけど、ちょこちょこと銭函まで歩いていくこともあります。ずっと歩いていくと、線路の脇に野菜を作っている人達がいっぱいいて、キュウリやナスがなってたり。そんなのを見ながら歩くのが楽しいですね。
家の中にいないで、外に出る。テレビはあんまり見なくなりました。本当はどっちかというと、スカート履いておしゃれして、家の中にいる人だったけど、子ども会を受けてから、とんでもないことになりました(笑)

人と会ったとき、ちょっと時間があったら一言お話しできる人になれたらいい

大井戸局長)最後に、これからの地域に必要なこと、福まちで大事にしていってほしいことを教えてください。
濱谷委員長)福祉の役割を引き受けた人は、いろいろ学んでほしいと思います。例えば、お話の仕方で「ピンポンの会話」というのがあります。「こんにちは」と言って「こんにちは」と返ってきて、これがピンポン。それに「どちらに行くんですか?」とか「お元気ですか?」とか、さらに一言加えると、相手も「いや、今日はさ」とか「最近、足痛くてね」とか話が広がるので、必ず自分にとって得るものがあります。勇気をもって一言だけでも投げ抱えるのが大切ということです。そういうことって、学ばないとなかなかわからないですよね。
大井戸局長)それは社協に求められる役割かもしれませんね。福祉推進委員になった方に、初歩的な相談援助の研修をするとか。
濱谷委員長)そういう機会があるといいですね。人と会ったとき、ちょっと時間があったら一言お話しできる人になれたらいいですよね。そのほうが、お互いに居心地がいいじゃないですか。そして、何かあった時には、そういう人に相談がくるんだと思います。自分のところに相談がくるって、面倒に感じることがあるかもしれないけど、あの人に言ったら何とかしてくれるかなって思われるのはやっぱり嬉しいこと。
だから、こういう困りごとはここに相談したらいいとか、そういうことも少しだけ勉強したら良いですね。
あとは、誰とでもちょっと顔つなぎしておくことが大切だと思っています。それが次につながる。最近うちの町内会で、増設するゴミステーションの場所で少しトラブルになったことがあります。ここに決めたらこっちの人がダメ、場所をずらしたら他の人がダメと言って。サロンがあるんだし、町内の清掃活動にも顔をだしたりして、常日頃からつながりがあれば、「そうだね」となるかもしれないのに、コミュニケーションが無いからお互いに一方的なことを言ってしまうんです。
大井戸局長)濱谷委員長は本当に地域の潤滑油になってますね
濱谷委員長)そういってくれる人もいます。




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