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福祉のまち推進事業30周年記念インタビュー1

30周年記念 レジェンドインタビュー

第1回目は、北区幌北地区の小田島清勝さん。
小田島さんは、福祉のまち推進事業が開始された当初から活動に携わっており、今も地区福祉のまち推進センターの運営委員を務め、ご活躍されています。

  • 話し手:小田島 清勝さん
  • 聞き手:高谷 亮介さん(南区社会福祉協議会事務局長)
  • と き:令和7年5月26日(月)
  • ところ:北区役所別棟C会議室


小田島清勝さん(写真左)と高谷亮介さん(写真右)

高 谷)ご無沙汰しています。お元気でしたか。
小田島)高谷さんに会えてうれしいよ。
高 谷)お変わりないですね。
小田島)もうね、ガタガタです。すり減って骨と血管だけしか残ってない。そういう感じなんだよね。
高 谷)今日は歩いてお越しいただいて。
小田島)元気なふりをして、人の見ていないところではもうこんななってね。誰か見ているとピシっとなってね。でも、ごまかしがやっぱり効かなくなりますよ。
高 谷)今も、地区福まち運営委員会に参加されて、ご活躍と聞いています。
小田島)昔と変わらず、今も福まちで会議があると、関係機関の皆さんが来てくれて、会議が終わった後で、各町内会に問題があると、すぐ相談して、いろんなことやっていただけるから、区役所まで行かなくてもいいくらいで。そういう点では、本当にいい会議になっていると思っています。
高 谷)活動を始めたきっかけは?
小田島)30年前に、きっかけがあったと思うな。
30年前は、まだ仕事していましたね。町内会の役員会で会長さんが、「これからはみんなでお年寄りを見ていく時代になったんだよ」ってね。 みんな、「おーそうなのか」っていう感じでした。連合町内会の会議でも、「これからは、みんなで見守っていくんだぞ」とそういう話をされてね。当時は、民生委員が中心になって、65歳以上のふれあい名簿っていうのを整備していたけど、まだ、そんなにお年寄りが心配な状況ではなかったから、「あ、そうなのか」っていう感じでした。
町内会では組織をつくらなければということで、町内会の役員や民生委員を中心に、福祉推進委員会を設置して、厚生部長が会長になった。今は、大体、町内会長がやっていますけどね。
高 谷)当時、小田島さんは民生委員として?
小田島)民生委員は平成8年の終わり頃から平成19年あたりまで。うちの隣の人が民生委員だったけど、病気になって、もう変わってくれって言われてね。
高 谷)会長なられたのって?
小田島)始めてから3年くらいかな?副会長やって、そして会長になった。福まちの運営委員会を幌北地区で平成19年に立ち上げた。その後、みんなの顔が見えるような形でやった方がいいんじゃないかっていうことで、各町内会から福祉推進員の代表、老人クラブの代表、ボランティアグループの代表、連合町内会の女性部と厚生部、民生委員の代表などが入って、地区福まちの運営委員会になりました。
高 谷)幌北地区さん、本当に色々な団体が連携をきちんとできていると感じています。
小田島)いわゆる地区社協の理事会のメンバーに入ってもらうという感じになっていますね。地区福まち運営委員会は、地区社協の活動部隊っていうかね。地区社協は方針なんかを決めていくけども、実際に動くのは福まち運営委員会だからね。
いろんなことをやっていくと、各町内会で実際にやってる人たちに入ってもらってということで、自由にいろいろな意見を言い合うことができたことが、よかったのかな。
やぱり、みんなが発言するっていうのは大切だね。黙って、我慢しているよりははるかにいいですね。

会議や組織運営、連携を円滑に進めるためには、みんなの意見を大切にする。
なんでもプラスに考える

高 谷)小田島さんの司会の会議は、お話しの振り方、まとめ方がすごく勉強になりました。
小田島)皆さん、結構、熱心だから、血気盛んな様々なご意見が出るんだけど、最後に私がこう冗談も交えてまとめるのだけど、上手くいかないと、みんなでフォローしてくれた。
だから、もう笑しかないけど、おかしなところがすぐ出てしまうね。でも、やっぱり楽しくないと。
高 谷)いやいや、でも、あえてやっている感じでした。
小田島)小さい時からいたずら小僧だから。
結構ガーって言う人がいても、ちょっと冗談を交えて話しをすると場が和む。10人12人いたら、一人2人は、他の人と違う意見を言う人がいますよ。そういう方の話しはちゃんと聞いてね。やっぱりいいことも言っている。言い方がきつい方もいますが、いいこと言っているなら大事することも大切だね。
高 谷)そうですよね。本当、その辺、心がけていらっしゃったのかなと思います。
小田島)僕は世の中にはいろんな人がいて、全て自分と同じ意見ではなく、違う視点でものを見てくれる人が、当然いるんだから、それは大事にしなきゃいけないなと思っている。ただ、そういう人は気をつけないと、みんなから嫌われてしまう。でも、嫌われる感じにならないように心掛けていた。僕は、変わった人が好きだからさ。今でもね、僕と話をしたいと言って、「福まちとは」、「民生委員とは」、「社協との関係は?」って聞いてきてくれる人がいますよ。それだけ関心を持ってくれる人がいるっていうことは、 ありがたい。無関心よりは、やっぱりなんか反対意見でも、自分の意見をお話しされる方の方がいいと思います。そこにね、いいことが混ざっている可能性があるからね。
なんでも自分のプラスにね。僕は耳悪い、小さい時に猩紅熱(しょうこうねつ)やったり、何が原因か自分では分からないけど、耳が悪くなった。戦争中に自分もこの国のために頑張らなきゃいけないと思って。海軍に入ってと思って、死を覚悟して試験を受けに行ったら、丙種合格だったので、どこにも行けず、横須賀にも行かないで、ちゃんと生き残った。だから、耳、悪いのも大して悪くないなと。今、元気なのは、そのおかげかもしれない。試験勉強やっているときも、雑音が何も聞こえないとね、集中できる。耳が悪いから、一番前で授業を受ける、そしたら悪いことはできないもんね。でも、先生にしたら、熱心な生徒と勘違いされている。なんかこうマイナスなことがあったら、それはそれでね、いいんじゃないかっていうことで、そのマインドがやっぱり幌北に浸透してるような気がします。やはり皆さんにも、とにかく遊び遊びです。確実に浸透してますよ。
高 谷)専門機関(包括や保健師など)が、よく来てくれるとお話されていましたけど、専門機関の間では、「幌北地区福まちの運営委員会は、すごく勉強になるので、見学してきなさい」って言われていました。本当に、会議の持ち方、話し合いの仕方、内容自体もとても勉強になっていました。
小田島)運営委員会の生の声を聞いていただいてね。そして、区社協や包括からも、みんなにいろいろなお話しをしてくれて本当に助かっていました。

福まちは、災害時にも機能する

高 谷)個別ケースの話しもされていましたね。
小田島)心配な方がいると、委員会の場で相談されたりしていましたもんね。
高 谷)平成22年くらいには、「福祉マップ」、「救急キット」、「ふれあいカード」の取組みがスタートしていましたね。
小田島)福祉マップは、やって良かった。
福祉推進委員会のときにグループに分かれて、担当の所を端からずっと見て、「ここ大丈夫だね、ここも大丈夫だね」っていう感じで確認するのには、やっぱり福祉マップがあると見落としがない。みんなで同じもの見ながら、話しながら、担当者は、「ここのお宅は大丈夫とかね?」、「今度、行くことにした方がいいね」と、福祉推進委員会で、一人一人に担当者を決めるから、「自分はこの人を見る」、「私はこの人を見る」っていう感じになるから、そういう点では福祉マップはいいです。「福祉マップをやろう」って言ってくれたこと、ありがたいと思った。
福まちは、平成7年度に札幌市が福祉のことをやろうと決めたんだけど、福祉推進委員会をつくったのは札幌だけなんだよね。ネットで福祉推進委員会を調べても、札幌市しか出てこないね。
名簿をつくって組織をつくっておいたので、その後、お年寄りが増えた時にすぐ使えた。そういう点では、早めに福まちを推進してくれて良かったと感じています。


福祉マップづくりの様子

でも、全市的に平成7年度からスタートしましたけど、なかなか軌道に乗ってなかった地区もあった
と思うんですけど、幌北地区が軌道に乗ったのは、やはり、その時の地区社協の会長さんとか、その人
たちが、始まった当初から研修会やったり、各町内会に活動費として、年間に2万円ずつ出して、組織
をちゃんとつくってきたからだね。そして、 毎月、各町内会がお互いに意見交換して交流していたから
ね。
本当に福祉推進委員会があって良かったと思ったのは、この前の地震があった時です。皆さんが自分たちの担当する世帯が分かっていたので、自分はどこを見ればいいかっていうのは分かるわけ。「あ、あの人の所ね」、「この人は大丈夫」というふうに行ける。 日頃から、見守りと福祉マップをつくっていることが、やはり災害の時にも役に立ったということです。夜中だったからね。朝の段階で、「大丈夫です」って確認はできたけども、お昼になって、再度、行ってみると、一人暮らしの家は、タンスがひっくり返っていて、一人ではどうしようもない状態だった。だから、近所の人で助けようって、男の人に声かけて、ベッドの上に倒れているタンスを直したり、茶ダンスを直したりしましたね。一人暮らしの人は、女性の方が多いのさ。そういう点では、何かあった時に行くところがはっきりしているし、安否確認した後でもう1回行ってみるとそういう状況だったから、みんなで支えてあげることができた。そういう組織がなかったら、なかなかそういうことにならなかったかも知れない。福祉推進委員会は、災害を想定した会でなく、普段の見守りしか考えてなかったけど、何か起きたら行かなきゃいけないでしょ。福祉推進委員会は、防災の一つの組織としても使えるんじゃないかと思います。
福祉推進委員は、町内会の役員の中からやってもらう。そうすると、町内会役員の大半の人が、福祉推進委員会を知って、一緒にやっていける訳だから、災害時に、福祉推進委員会が機能してくれると助かるよね。
高 谷)本当ですよね。
小田島)地震になって分かった。そういう経験をしてみることで、福祉推進委員会があって良かったなっていうことになるね。

まずは、知ってもらう。まずは、知ることで広がる。

高 谷)いろいろな取組みをされていましたけど、一番心に残っている取組みは何ですか?
小田島)心に残っているのは、平成7年に「町内会はこれから高齢者を見守る。福祉をやっていく。」って言われたスタートの時かな。あと、予防センターですこやか倶楽部をやってくれた。それが新鮮だった。それまでは、みんなで踊ったり、遊んだりというのは、あまりなかったんだよね。老人クラブぐらいだった。だから、すこやか倶楽部って、いいなっていう印象を持ちましたね。ありがたいって。


すこやか倶楽部の様子。新聞を引っ張り合って、破れた後にどちらの方が多いかを競うゲーム。会場は銭湯でした。


高 谷)まだブログも続いていますね。
小田島)ブログもやっているけど、連合町内会のフェイスブックも書いている。フェイスブックにいろんな写真を載せていて、まめに更新している。
高 谷)「ネット幌北」は、早い時期からやっていましたね。
小田島)そうね。皆さんにいろいろな情報が伝わればと思ってね。まだまだ見てくれる人が少ない。
取組みが早かったのは、パソコン講習会があったからです。20人ぐらい参加していたかな。いろいろ書いています。「清掃をやったよ。」、「月曜日は鈴蘭公園に遊びに行った」とか、いろいろなものを載っけて、みんなに知ってもらう。記録にもなるしね。「清掃に手伝いに来ました」と言って、来てくれる人もいる。認知症の方の施設の職員と入居者の方4人ぐらいで来て、清掃のお手伝いに参加してくれたこともある。フェイスブックも見てくれる人はいる。そういうことも続けることが大切だね。
高 谷)専門機関の方々も見ていましたよ。幌北さんがどういう動きしているのかって気になって。
学生とも連携していますね。

小田島)北大の近くなので、学生さんが部屋借りて住んでいる。それでね、学生さんと話しをしていて、第9町内会の永野会長が「夏祭りを一緒に手伝ったらどうだ」って提案したら、手伝ってくれることになった。これは面白いと思って、組織を作ろうということになって、幌北に根を下ろすで「ネオロス」っていう会を作った。それから各町内会のいろいろな行事にメンバーを割り当てて参加してもらった。この間も、うちの町内の花の苗植えの時にちゃんと来た。お年寄りのお出かけ行事で、北広島のホテルに行って、あちこち見たり、食べたりしたんですけど、学生さんもちゃんと来てくれた。学生さんもいろいろな経験をすることで、地域のためにも役立つし、学生さんが就職していった所でもそういった活動をしてくれる存在になれば良いことが広がるかなと思っています。北大があるという地域の特性を生かした取組みだった。それが10年以上も続いているのがね、僕はすごいと思う。4月には、ちゃんと看板作って「ネオロスに入りませんか?」って、仲間は勧誘している。やっぱり新しい人が入ってくることが大切。これが大学の教授が始めたものだったら、その教授を辞めた途端にその組織なくなっていると思う。学生同士で上手くバトンタッチしている。初めの頃の人たちは、社会人になっても、ちゃんと幌北のフェイスブック見ているって言ってくれる。中には、子供さん連れて、北海道に来たからって寄ってくれる人もいる。
うまくインターネットも使って、繋がりができています。「ネオロス」もフェイスブックもあるから、つながりがありますよね。そういう点では、行政でパソコン講習会をやってくれたのが良かった。昔の幌北会館の二階で、パソコン講習会が10年も続いた。
すごいなと思う。その時にやった人たちが、今、70代、80代になっている。行事のポスターやいろいろなものを作っていた。あの時やって良かった。今、80過ぎても、月二回、オンラインでサロンやっています。コンピューター、ネットの技術が進んできて、ありがたい。僕なんか土曜の夜9時になると、息子夫婦とリモートで生きているかどうかを確認されています(ハハハ)。安否確認ね。だから、本当にいい時代になった。我々はなんかそれを上手く使ったっていう感じだね。いいものができたからね、どんどん使おうやって、やってきた。今は、できる人が多いけど、昔はみんな出来なかったからね。


ネオロスのホームページはこちらから
https://horokita.sakura.ne.jp/?page_id=1079

『やれることをやれるときだけ!』できっかけをつくる

高 谷)地域でも担い手不足と言われていますが、何か手立てはありますか?
小田島)町内会の活動を活発化していくことが大事だと思う。最近、町内会のないところもあるけども、そういうところは福祉推進委員会もできない。うちの町内で一つやっているのはね、「土日でもいいよ。」「やれる時でいいよ。」と言って、係を一つ作っちゃうんです。行事支援部ってね。「休みの時に出て来れる人は来てください。そうでない時は、お仕事してください。」そういう自由な行事支援部を作ったんです。行事のときだけ。普段の活動はしなくてもいい。ただ、行事支援部の人もあの、例えば、やれることがあって、ちょうど職場休みだったら手伝っているけどね。
それからね、町内会でいろんな行事をやるけども、とにかくいろいろな人に声を掛けて、一緒に遊んでやっていこうって、一緒に遊んでいるうちにね、いつの間にか、町内会の役員に入っていたりするかも。やっぱり声掛けをするってこと。なんかしないとね。町内会には、中々、入ってこないからね。それで活動したらね。ゴミなんかの行事をやったら、必ず帰りにお茶を一本持たせる。働いたってしるし。花の苗植える作業なんてね、あれは大変だから、次はお弁当も用意しして持たせるんだけどね。いろいろなことをやる時に、フェイスブックや町内会の回覧板で、お知らせする。何月何日、何やりますと、「やれる人、お手伝いできる人は来てください。」、そしたら、健康にもいい訳だから、お年寄りも来て、一緒にゴミ拾っている。一緒にやることで仲良くなったらいいでしょ。ほら、パークゴルフから、役員になった人が結構いるんです。パークゴルフをやりたくて参加していて、気がづいたら、いつの間にか町内の役員になっている。だから、一緒に遊ぶとか、一緒に何かをやるっていうことが、仲間になるってことですね。
あとは若い人をどうやっていくかね。小学校にいる間は、ラジオ体操に行っているから、みんな仲良く来ているんだけど、その上に行ったら離れちゃうわけね。 ただ、これから災害が起きた時に、若い人の力が必要。町内会によっては、学生部を作っている所もあると聞いている。やれる時だけでいいよっていうのを感じて、名前だけ載っけておいてもらえば、いざという時に力になってもらえると思う。「ネオロス」も既にやってくれているけど、近所に住んでいる訳でないから(全市から来ています)。できれば、近所にいる若者に参加してもらいたいね。やはり、日常活動も大事なんだけども、町内会で防災の組織の中に、福祉推進委員会を入れると良いと思う。
札幌市が、町内会活動を活発にしましょうということで、補助金も出してくれている。助かっています。そういうものを活用して、仲間集めをしないと駄目だと思う。

楽しいことと挨拶プラスで、仲間集め

高 谷)仲間集めのヒントは?
小田島)目に見える行事。 イベント的な、楽しく参加できるような遊び。この間、すずらん公園、滝も行ってきたし。中島公園をぐるっと回ってきませんかっていうイベントもやろうと思っているんだ。前には、すすきのお寺を全部回りましょうというのをやった。
高 谷)面白そうですね。
小田島)すすきのの周りにたくさんお寺があるでしょ。歴史も感じながら巡る。そういうことをやったりね。新しくできたNHKも行って見学した。そういう感じで町内会で面白い行事をやって、仲間を増やす。お年寄りの健康維持のためにもね。ごめん、僕もお年寄りだよね(ハハハ)。「小田島さんもちゃんと歩いていましたよ」ってね。うちのワイフに報告していた人いるんだよ。チェックされていたんですね。参ったなぁって思ったけど、まあ、そういう感じで。やっぱり楽しいね。
子供のラジオ体操をやるってなったら、赤ちゃんをベビーカーに乗っけて、お父さんがラジオ体操楽しんでいるの。お父さんが体操して子供に見せている。小さい子供がお母さんと体操しに来たのに、お母さん同士で話しているとかね。そういうふうな感じで、ラジオ体操一つとっても、その行事でやっぱいろんな人がいる。いろんなことで会話もできる。盆踊りにしても、バーベキュー懇談とかそういういろんなことをやってみる。連合町内会の夏祭りでも福祉券みたいなのをやりました。券を渡すことによって参加。夕方6時まで来たお年寄りには500円の無料の券を配りましたよ。


幌北地区連町/地区社協のホームページはこちらから
https://rencho.mimoza.jp/?page_id=307


もう一つ大事なのは、「挨拶プラス」。挨拶だけでなくて、もうちょっとお話をして繋がりを作りましょう。それが大事だと思う。どこで会っても、「こんにちは」という感じでね。まあ、中にはなかなか返事しない人もいるんだ。なんで俺に声かけるんだっていう感じ。まあ、それでも100回ぐらいかけたら、そのうちに1回ぐらい返ってくるかなって、そういう感じ。1回返ってきたら儲けもんだろうね。まあ、そんな感じで、みんな仲良くなっていくことが大事なんだと思うんだ。福まちをやるようになってから。隣近所が、今までより以上に仲良くなっていると思う。

(注記)「挨拶+対話」は平成27年度幌北地区社協(会長:梶浦茂男氏)事業計画で提唱

途切れなく、続けること

高 谷)元気の秘訣は?
小田島)切らさないこと。60歳で終わって、3月31日に退職して、4月1日から務めて、そして、地域の活動。途切れなく。一旦、途切れると、「もういいわ」ってなって辞める人もいる。僕は、民生委員をやってくれって言われて、民生委員が終わったら、今度は地区社協でしょって。次は、福まち運営委員長。だから途切れていないね。だから、これが秘訣なんですかね、きっと。ちゃんと毎日、家を出るっていうのは必要だね。「今日、行く」(きょういく)。やっぱり動かなきゃダメだね。
59歳の時に俳句を始めた。ひと月に2回、俳句の会に30年以上、今も通っています。休むとすぐ心配して、手紙来る。退職する前に、退職したら次に何やるかをちゃんと用意しといた方がいいと思う。町内会があって、福まちがあってね、ありがたい。だから、僕が生きているのは、福まちのおかげかもしれないね。
高 谷)すごい、名言ですね。
小田島)2日前に福まちの事務局会議があったから、「もういいんでない」って言ったら、駄目だって。100歳まではやれと。いや、そんなにやれる訳ないでしょうってね。ちょっと、みんな、甘えてるね。でも、ありがたい。「ちゃんと歩いていましたよ」って報告がくるしね。しかも、僕に言わないで、ワイフにこっそり。悪い人がいるんですよ(ハハハ)。悪いわけじゃない。本当にありがたいです。

高 谷)今、福まち30周年ですけど、これから、福まち活動は、まだまだ続いていくと思うんです。今、活動している人に向けて、メッセージ、これからどうして行ったらいいのか。ヒントをいただきたい。
小田島)今、やっている人は、みんな一生懸命やっているからね。無理しないで、やれる範囲で、やりましょうと、やれる範囲でやればね、続くかも知れないよとね。一人でやるんじゃないから。
あとは、そのやっている人たちの姿を見て、他の人が「私もやろうかな」ってね。言ってくれるような人が出てくれば、いいね。「私も見守りしてあげますか」って言って、町内会の役員になった人もいたからね。そういう点では、日常の活動が大事なんだろうな。そうやって活動することで、見ている人は見ているから。やっぱり広報誌とかにも力を入れましょう。メンバーを増やすことだね。メンバーが増えることで、活動が充実していく。結局、世代交代できなければね、下手したら福まちは消滅するかも知れない。だって、町内会が消滅したら、無くなっちゃうね。仲間を増やすことが、やっぱり一番大事なんだろうな。それと、さっき言った「楽しいこと!」。「まずは、参加してもらうこと!」。いろんな広報で活動の様子を発信したりして。

小田島さんにとって、福まちとは?

高 谷)最後に、小田島さんにとって福まち活動とは?
小田島)大切な生活の一部だね。みんなが幸せに暮らしてくれればいいなって、そのことを常に気にしる。みんなが幸せに暮らすためにやっているんだから。本当に自分にとっては、生活の一部になるんでない。



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