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DNAが語る日本のコイの物語
特集 日本の自然共生とグローバルな視点
【研究ノート】
馬渕 浩司
みなさんは、コイといえば何を思い浮かべるでしょうか。5月の空にはためく鯉のぼり、庭園の池を泳ぐ錦鯉、また「あらい」や「こいこく」などの郷土料理を思い起こす人もいるかもしれません。徒然草の第118段には「鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり」とあり、古くは格式の高い食材でした。また、応挙や若冲など伝統的な絵画の中にもよく登場します。日本人にとってコイは文化的にも付き合いが古く、最も身近な魚といっていいでしょう。しかし、ここ15年ほどのDNA解析をきっかけに、日本のコイに対する科学的な見方は大きく変わりました。日本の生物多様性を守るという観点から、守るべき在来コイと、これに悪影響を及ぼす可能性の高い外来コイの存在が明らかになったのです。本稿では、このような結論に至った私のこれまでの研究とその背景を紹介し、現在行っている調査についても触れたいと思います。
コイが盛んに放流されるようになった明治時代から、日本の河川や湖沼には体型の異なる2タイプのコイがいるといわれてきました。比較的細長い「野生型」(図1-A)と、タイのように縦に平たい「飼育型」(図1-B)のコイです。後者のようなコイを飼育型と呼んだのは、放流されていたコイがこのような体型だったからで、食用のため背中の肉付きがいい品種が養殖されていたことを反映しています。野生型は滅多に見かけませんが、放流されるコイとは体型が違うので、もともと日本に生息する在来系統と考えられていました。一方、盛んな放流により普通にみられる飼育型は、在来系統に由来するのか外国系統に由来するのか、あまり問題視されていませんでした。
世界に眼を向けると、コイは日本だけでなく、中国を中心とした東アジアから黒海・カスピ海沿岸にかけて、ユーラシア大陸の温帯域に広く自然分布するとされていました。また、欧米の研究者の間では、現在では説得力を欠く形態にもとづく議論により、コイの起源はカスピ海周辺であり、日本のコイは全て大陸から導入されたものと信じられていました。これに対し日本の研究者は、現生コイと区別がつかない咽頭歯が縄文貝塚や古琵琶湖層から出土することから、日本のコイは人間が大陸から持ち込んだものではなく、もともと分布していたと考えていました。しかし、つい最近まで盛んに放流が行われていた現在の湖沼のコイが本当に日本在来かどうかについては、確たる証拠がない状態でした。
このような状況の中、私は、別の魚種で共同研究をしていた神奈川県立生命の星・地球博物館の瀬能 宏先生から、琵琶湖の野生型コイを入手した話を聞きました。以前から上記の問題を気にかけていた私は、さっそくDNA解析を含むコイの共同研究を提案しました。当時(1990年代後半)は、ミトコンドリア(mt)DNAの塩基配列を用いた系統解析がようやく一般化した時期であり、技術的にはすぐに行える研究でしたが、まだ誰も手を付けていませんでした。野生型コイは希少で入手が難しいのと、地域的な遺伝子の違いがあったとしても、これまでの盛んな移殖・放流によりおそらくその痕跡は消失していると考えられていたためです。
最初に解析した野生型コイは3個体だけでした。しかし、mtDNAの塩基配列を大陸コイのそれ(DNAデータベース上から取得)と合わせて系統解析を行うと、琵琶湖の野生型コイと大陸コイとの遺伝的な違いは予想外に大きく、現在世界で見られるコイは、古い時期にこの2つの系統に分かれたことが分かりました。私は以上で得られた結果を「琵琶湖からのコイ古代系統の発見」と題し、2005年に論文発表しました。
次に、飼育型も含めて国内の11箇所(宮城県から高知県まで)から166個体のコイを収集して上と同様の系統解析を行いました。その結果、図2のようなmtDNA系統樹が得られました。日本の湖沼から得られたコイ(の塩基配列)は矢印で示されています。この系統樹からは、日本には在来のコイ(赤い矢印:琵琶湖の野生型コイも含まれています)が存在する一方で、大陸由来のコイ(青い矢印:大陸グループに含まれていることからその由来が分かります)も存在することがわかりました。さらに、この結果をふまえて各個体の由来を集計すると、日本の湖沼で採集されたコイの半数以上(166個体のうち97個体)は、大陸由来のコイであることがわかりました。日本の自然水域には予想外に高頻度で国外由来のコイが生息していることが判明しましたので、この研究成果は「mtDNA 解析により暴かれたコイ外来系統の隠れた大規模侵略」と題し、2008年に論文発表しました。
この研究によって初めて、現在の日本の自然水域には、日本在来のコイと、これを脅かす可能性がある大陸由来のコイが存在することが判明しましたが、ここで強調しておきたいのは、大陸由来のコイをそれと見破り、日本の在来系統をそれと認識することができたのは、大陸のコイとともに系統解析を行ったからこそなのです。日本の生物の貴重さを理解するためには、国外に分布する同類の生物との比較が決定的に重要であることを如実に示している例と言っていいでしょう。
その後、筆者たちの研究チームは、日本系統と大陸系統を識別する核DNAマーカーを開発し、個体毎の交雑度を算出できるようにしました。これを用いて国内の様々な湖沼における日本・大陸系統間の交雑状況を調べたところ、国内の多くの湖沼では交雑が進行しているものの、琵琶湖の深層部(20-100m)のみは例外的に、比較的純粋に近い日本在来コイが残存していることがわかりました。そこで次に、日本在来コイの本来の姿を知るため、琵琶湖の深層及び浅場に生息するコイを用いて、形態的特徴と交雑度の関係を調べました。その結果、純粋な在来系統に近いコイほど細長い体型をしていることがわかりました。このことから、体型に基づく従来の野生・飼育型が、それぞれ系統的には日本・大陸系統に対応することが初めて確認されました。
琵琶湖産コイの形態的特徴と交雑度とを比較した研究からは、純粋に近い在来コイほど腸が短く、また、浮き袋と食道を結ぶ気道弁が太く発達していることも分かりました。魚類の一般的傾向として、植物食性が強いほど腸が長くなりますので、在来コイは大陸・飼育コイより肉食性が強いと考えられます。また、発達した気道弁は、急に深場へ移動して水圧が増したときに浮き袋から口外へ気体が漏れることを防ぎ、再上昇するときの浮力を保持すると考えられます。したがって、気道弁の発達する琵琶湖沖合の在来コイは、深浅移動を伴う生活に適応していると推察できます。
琵琶湖の在来コイは、上のような形態的特徴から、遊泳性の動物(小型魚類やエビなど)を、深浅移動を伴うダイナミックな遊泳活動により捕食している姿が想像されます(ルアーに食いつく事例も知られています)。そこで私たちの研究チームでは現在、動物装着型のビデオカメラや運動・水深記録計を用いて、この仮説の検証を行っています。一方の大陸・飼育コイは、浅い沿岸域で底生生物を漁っていると考えられますので、このような生活場所や暮らし方の違いが、産卵場所である沿岸水草帯への移動の時期や好みの場所の違い等につながり、交雑がある程度防がれているのではないかと想像しています。
系統によって産卵の時期や場所が異なるという可能性を検証するため、私たちは様々な場所・時期に水草に産み付けられた産着卵の系統判別も進めています。以上のような研究から、これまで見えなかった琵琶湖沖合での在来コイの生活の全貌が明らかになるとともに、大陸・飼育コイとの交雑を最小限にとどめ、日本在来系統を守っていくための基礎知見が得られると期待しています。
執筆者プロフィール:
高校卒業後、仙台、愛媛・南予、大阪、京都、東京・中野、千葉・柏を経て、この春、約25年ぶりに故郷の滋賀に戻りました。少年期に経験した多様性豊かな琵琶湖の復活を目指し、研究その他の活動を展開しています。
目次
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