医学系研究倫理指針の改正を検討している「医学研究における個人情報の取扱いの在り方に関する専門委員会」の事務局が、迷走あるいは独走しているようで、委員の皆さんが困惑されている。近く始まるパブコメに備え、業界の関係者はアクションを起こすべく、危機感を持って状況を把握された方がよいと思う*1 。
委員の反乱は、9月11日の回にあった。根本的なところからやり直すべきとの意見が相次ぎ、タスクフォースの設置を求めたが、次の10月22日の回を傍聴したところ、タスクフォースの設置は先送りとされ、中身のほとんどない取りまとめ案が示されて、年内にパブコメへという話になっていた。傍聴はYouTube Liveの録画を視聴できたが、10月22日の回の配信はすでに消されて(非公開にされて)いる。ところがなぜか、9月11日の回の配信はまだ見える(おそらく設定変更忘れ)ので、消されないうちに見た方がいい。何人もの委員が事務局に対して苦言を呈している生の声を聴くことができる。
さて、いったい何が起きているのか。精密に書くのはすごい面倒だなーとぐったりしていたが、例によって例の如く、LLMによって楽々と文章化できたので、それを貼っておく。結論から読みたい人は最後のターンまでスキップするとよい。
まずは、9月11日の回の議事録の分析から。
武藤委員が最も直接的に批判しています:
田代委員が率直に:
吉田委員:
長神委員が何度も:
吉田委員と横野委員が最後に「タスクフォースやワーキンググループで事務局と委員数名でたたき台の案をつくるほうがよい」と提案していることも、現状の議論の進め方への不満の表れだと言えます。
丁寧な言葉遣いの中に、かなり強い危機感と苛立ちが込められていることが読み取れますね。
次に、ClaudeのWeb検索機能を使って、これまでの経緯や資料を調べさせたが、あっという間に長さ制限に達して止まってしまった(Claudeはその用途には使い物にならない)ので、ChatGPTで同様に調査を進めた。今年8月から使えるようになったGPT-5はかなり優秀になっており、ほぼ正確に状況を抽出してくれた。しかし、いかんせんChatGPTの出力は説明が下手なので読みにくい。そこで、ChatGPTとの会話をClaudeに貼って、書き直させた。
ご提示いただいた議事録での委員の苛立ちは、実は長年積み重なってきた構造的な問題が背景にあります。その中核にあるのが「新規・既存」という概念の混乱です。
「新規か既存か」という区分が、医療データの二次利用における同意の要否を決定する最重要の分水嶺になっているにもかかわらず、その定義が曖昧で、しかも事務局が委員の議論を経ずにガイダンスで定義を改変してきたという構図があります。
医学界では「仮名化すれば匿名化(=非個人情報化)できる」という誤った理解が広がっていました。当時の倫理指針も:
個人情報保護法の大改正で状況が一変しました:
これにより、従来の「匿名化」前提が崩壊。医学界は強く反発しましたが、学術研究の適用除外という調整で着地しました。
ここで奇妙なことが起きます。個情法では学術研究を適用除外としたにもかかわらず、倫理指針は個情法相当(それ以上)の規制を維持し続けたのです:
個情法が学術研究例外を設けた趣旨は:
「学術研究の自律性を尊重し、研究コミュニティが独自に適切な倫理ルールを策定・運用すること」
しかし倫理指針は、この独自性を発揮できず、個情法の規定を忠実にトレースしてしまいました。田代委員が議事録で「諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わない」と強く批判したのは、この点です。
この区分が決定的に重要なのは:
つまり、どちらに分類されるかで研究の実施可能性が大きく変わるのです。
既存試料・情報:
1 研究計画書が作成されるまでに既に存在する試料・情報
2 研究計画書の作成以降に取得された試料・情報であって、取得の時点においては当該研究に用いられることを目的としていなかったもの
ところがガイダンスには次のような例示が加わりました:
研究目的でない医療の際に上乗せして、あらかじめ研究に用いられることを目的として患者から直接取得する試料・情報は、「既存試料・情報」に該当しない
この「上乗せ」という概念が重大な混乱を生みました。*2
試料の場合:
情報の場合:
倫理指針の「取得」:(ヘルシンキ宣言由来)
個情法の「取得」:
同じ「取得」という語が、全く異なる概念で使われているため、さらに混乱が深まっています。*3
武藤委員が第5回会議で強く批判したのは:
議事録の残る合同会議の場を離れ、議事録の残らない場で様々な書き込みが進むことについては強い懸念を持っております
「適正な手続を経て取得された試料・情報」という新たな基準をガイダンスに書き込む提案...倫理指針の簡素化に反する
つまり:
この定義の混乱は、政府が推進する医療データの二次利用政策と真っ向から対立します:
議事録で複数の委員から繰り返し出ている批判の背景には:
田代委員の発言:
ガイダンスで整理しますという話ではなく、しっかり合同会議の場で議論していただきたい
横野委員・神里委員の指摘:
既存・新規という時間軸ではなく、一次利用・二次利用という目的を軸とする考え方への転換
これらは全て、この構造的欠陥への frustration の表れなのです。
しかし事務局は第6回会議(2025年10月22日)で「今回は見直さず、引き続き検討」と先送りしました。これが委員の苛立ちをさらに強めているのです。
以上が、議事録で見られた委員の強い苛立ちの背景にある「新規・既存の定義問題」の全体像です。この問題は単なる用語の問題ではなく、医療データの二次利用による研究の実施可能性を左右する、日本の研究政策の根幹に関わる構造的欠陥なのです。
ここで再びClaudeの長さ制限に達してしまった(議事録が長いため)ので、新しい会話にこのまとめを貼って続けた。
(略)
(略)
高木浩光さんの記事を読みました。非常に重要な理論的枠組みが提示されていますね。
(略)
初めまして、突然のメール失礼いたします。
〓〓 〓〓と申します。
とある国立大学において、医学系研究の倫理審査事務を担当しております。
(挨拶部略)
高木様は個人情報保護法の本来の目的から、決定利用ではなく統計量への集計であれば
同意を得ることなく個人データの二次利用が可能(目的外利用とみなさない)とお考えで、
その個別分野として医療分野を挙げられていることから倫理指針の対象となる
医学系研究での利用についても同様とのお考えかと思います。
例:大学病院が、通常診療で得たデータを統計量として集計し特定の疾患の病態等を調べる研究
→同意不要
一方、もし上記研究が通常診療で得られるデータのみでなく、研究のために新たに
取得するデータも必要なものであれば、当該研究に関して説明し同意を得たうえで
実施することとなります。
この点、倫理指針では個人情報保護法ではなく、ヘルシンキ宣言に基づき
「研究への同意をいつでも不利益なく撤回できること」が定められており、
個人情報保護法に基づく利用停止等ではなく、研究への同意が撤回されることにより
その時点で論文等で公開されていないデータの利用を取りやめることとなっております。
直接説明を受けて同意した医学系研究に対してですら撤回(データ利用の拒否)ができる以上、
説明を受けていない医学系研究に対しても自身のデータの利用は拒否出来て然るべきであり、
上述のとおり当該拒否は個人情報保護法に基づくものではないことから、個人情報保護法上は
同意不要となる「統制された非選別利用」であっても、倫理指針の対象であれば最低でも
拒否機会の保障(オプトアウト)が必要になるというのが私の考えとなります。
(挨拶部略)
しかし、いくつかの重要な概念の混同があると思われます。高木さんのブログ記事そのものに、実はこの質問への答えが含まれています。
質問者は「研究への同意をいつでも不利益なく撤回できる」というヘルシンキ宣言の原則を、統計目的の二次利用にも適用しようとしています。
しかし、欧州評議会1997年勧告の第14段落(高木さんの記事で引用されている)が、まさにこの区別を明確にしています:
a. 生物学および人間科学において、研究過程の多くは実験を伴う。この領域では、個別化された介入(personalised intervention)が研究の基礎となっており、統計的分析が後の段階で用いられる可能性があるとしても、ここで定義される統計の分野には含まれない特定の倫理的・法的規則を必要とする。
これに対して、本勧告が対象とする統計は、基礎情報を提供するデータ対象者への干渉(interference)を最小限にするという原則に基づいて機能する。一方で、問題となる情報は統計調査に先立って存在していたものであり、データ対象者の状態、行動、または意見に対する実験的な変更を伴わない。他方で、後者による情報収集の実際の過程を通じて、可能な限り混乱を最小限に抑えるよう、あらゆる努力が払われる。このような統計的枠組みの中で収集されたデータは、研究目的のために使用することができるが、ただし、関係する個人への個別化されたフィードバック(personalised feedback)が一切ないという厳格な条件の下においてのみである。
つまり:
介入を伴う研究(臨床試験等)
質問者は「同意した研究ですら撤回できるのだから、説明を受けていない研究でも拒否できるべき」と論じています。
しかしこの論理には飛躍があります:
介入を伴う研究での撤回権
統計目的の二次利用での「撤回」
高木さんの記事の説明覚書第88、89段落がこの点を明確にしています:
88. 原則7.1は、条約における保証を喚起している:すべての者は、自己に関する個人データへのアクセスを得ることができ、また、それらのデータが誤りである場合や不正確である場合には、管制者にそれらを訂正させることもできなければならない。この規定の目的は、特に、ファイルに保持され管制者により第三者に開示される可能性のある誤りのあるまたは不正確なデータに基づいて、個人に関する措置または決定(measures or decisions)が講じられないことを確保できるようにすることである。
89. データが専ら統計目的で収集・処理される場合、そのようなリスクは存在しない(第65段落を参照)。さらに、原則3.1の下では、管制者は統計目的で収集されたデータを正当に修正することができ、アクセス権の目的(データの正確性を保つこと)は、この文脈では意味をなさない(第65段落cを参照)。(略)したがって、起草者らは、条約の目的に照らし、ここではアクセス権と訂正権の制限を認めることが望ましいと考えた。(略)
つまり、統計目的では開示請求権や訂正権すら制限できるとされているのです。なぜなら、措置・決定に用いないので、データの正確性を確保する必要性が低いから。
質問者は「個人情報保護法に基づくものではないことから、個人情報保護法上は同意不要となる『統制された非選別利用』であっても、倫理指針の対象であれば最低でも拒否機会の保障(オプトアウト)が必要」と論じています。
この点、高木さんの記事の注30が重要です:
実際、英国の国内法では、GDPR 89条1項を受けた規定(19条3項)で、措置または決定(measures or decisions)の目的の場合には、approved medical researchである必要があり、倫理審査を要する旨が規定されており、裏を返せば、データ保護法からの要請で倫理審査を要するのは、措置または決定(measures or decision)の目的がある場合である。日本の医学系倫理指針もこれに倣って、データ対象者に対する措置または決定の有無で区分して、倫理審査のあり方を整理するのがよいだろう。
つまり:
現状の日本の倫理指針は:
質問者の懸念を言い換えると:
「たとえ理論上は同意不要でも、研究対象者の心情として『自分のデータが勝手に使われた』と感じる可能性があり、倫理的配慮としてオプトアウトは必要ではないか」
これは重要な論点です。しかし答えは:
この質問は、まさに前の会話で議論した倫理指針の構造的欠陥を現場から突いています:
この質問者は、おそらく高木理論を理解しようと努力されていますが、現行の倫理指針の枠組みとの間で混乱しています。これは個人の理解不足ではなく、倫理指針そのものの理論的混乱の反映なのです。
高木さんがこのメールにどう返信されるか、非常に興味深いですね。
「研究への参加(participation in research)」
「研究への参加」ではない
質問者(〓〓氏)は次のように論じています:
もし上記研究が通常診療で得られるデータのみでなく、研究のために新たに取得するデータも必要なものであれば、当該研究に関して説明し同意を得たうえで実施することとなります
この「研究のために新たに取得するデータ」とは:
これらは患者に「研究への参加」を求めているから、ICが必要なのです。
そして質問者はこう続けます:
直接説明を受けて同意した医学系研究に対してですら撤回(データ利用の拒否)ができる以上、説明を受けていない医学系研究に対しても自身のデータの利用は拒否出来て然るべき
「研究への参加」を同意した場合
「研究への参加」を求められていない場合
ケース1:アンケート調査への参加
ケース2:公開統計データの分析
医療データの二次利用は、ケース2に近い構造です(ただし、医療データは公開されておらず、より強い保護措置が必要という違いはあります)。
現行の日本の医学系研究倫理指針は、この区別ができていません:
混同の結果
本来あるべき区別
EUのEHDS(European Health Data Space)が明確なのは:
もし高木さんがこのメールに返信されるなら、こう答えるべきでしょう:
ご指摘の混同について
ヘルシンキ宣言は「研究への参加」についての倫理原則です。研究のために被験者に何らかの行為を求める場合(採血、検査、アンケート等)、それは「研究への参加」であり、ICと撤回権が必要です。
しかし、通常の医療で既に記録されたデータを統計的に分析する場合、患者は「研究に参加」していません。参加者が存在しないのですから、「参加への同意」も「参加の撤回」も概念的に成立しません。
ご質問の例で「研究のために新たに取得するデータ」を使う場合にICが必要なのは、それが「研究への参加」を求めているからです。それに対して、既存データのみの統計的分析は「研究への参加」ではないので、ICや撤回の対象外です。
これは個情法の問題とも別です。データ保護法の観点からは、統計目的で措置・決定に用いない限り、権利侵害が発生しないため、本人同意は不要です。保護すべきは、転々流通や決定利用への流用であり、これは透明性と保護措置で対応すべきものです。
この明快な区別こそが、議論の出発点であるべきですね。質問者は誠実に理論を理解しようとされていますが、現行指針の混乱した枠組みの中で混乱してしまっているのです。
日本の医学系研究倫理指針をめぐる混乱の根源には、ヘルシンキ宣言という医学研究倫理の基本原則の適用範囲に関する根本的な誤解がある。この誤解が、個人情報保護法との整合性を欠いた指針の運用を生み、医療データの二次利用を阻害する構造的欠陥を生み出している。
ヘルシンキ宣言は、第二次世界大戦中のナチスによる非人道的人体実験への反省から生まれた医学研究倫理の基本原則である。その核心は「研究への参加は自由意思に基づくものでなければならない」という点にある。したがって、研究者が被験者に対して何らかの行為を求める場合、すなわち研究のための採血、検査、投薬、アンケート回答など、被験者が研究のために通常の生活では行わない行為を求められる場合には、十分な説明に基づく同意が必要であり、いつでも不利益なく参加を撤回できる権利が保障されなければならない。これがインフォームド・コンセントの原則であり、ヘルシンキ宣言が守ろうとする価値である。
しかし、医療データの二次利用は、この「研究への参加」とは本質的に異なる行為である。患者が通常の医療を受ける過程で既に記録された診療情報を、後から研究目的で統計的に分析する場合、患者は研究のために何もしていない。研究者は患者に何も求めていない。患者は「研究に参加」しているのではなく、過去に医療を受けた結果として記録された情報が、集団として分析されているに過ぎない。ここには「参加者」が存在しない。参加者が存在しない以上、「参加への同意」も「参加の撤回」も、概念として成立しない。
この区別は、単なる言葉の遊びではない。ヘルシンキ宣言が保護しようとしている価値、すなわち被験者の身体的・精神的負担からの保護、実験的介入による危険からの保護という価値は、既に記録された情報を統計的に分析する行為には当てはまらないのである。統計分析のために患者が新たに何かをする必要はなく、したがって新たな負担も危険も発生しない。 ところが、日本の医学系研究倫理指針は、この根本的な区別を明確にしていない。指針は「既存試料・情報の利用」についても原則としてオプトアウトの機会を提供することを求めているが、このオプトアウトとは何をオプトアウトするのか、理論的な基礎が曖昧である。もしそれが「研究への参加」をオプトアウトするのだとすれば、そもそも参加していないのにオプトアウトという概念は成立しない。もしそれが「データの利用」をオプトアウトするのだとすれば、それは個人情報保護法の利用停止請求の話であって、ヘルシンキ宣言の問題ではない。
この混乱が生じた背景には、個人情報保護法の平成27年改正と、それに続く倫理指針の改正過程がある。平成27年改正で個人情報保護法は大きく変わった。それまで医学界では「仮名化すれば匿名化(非個人情報化)できる」という誤った理解が支配的だったが、改正法は真の匿名化には復元不可能性が必要であることを明確にした。これにより、従来の「連結可能匿名化」は単なる仮名化に過ぎず、依然として個人情報であることが明らかになった。医学界は強く反発したが、最終的に学術研究については個人情報保護法の適用除外という調整が図られた。
この適用除外の趣旨は、学術研究の自律性を尊重し、研究コミュニティが独自に適切な倫理ルールを策定・運用することを認めるというものだった。しかし、2017年の倫理指針改正において、奇妙なことが起きた。個情法から適用除外を受けたにもかかわらず、倫理指針は個情法の規律をそのまま内在化してしまったのである。個人識別符号、要配慮個人情報、匿名加工情報といった個情法の概念をそのまま導入し、個情法と同等かそれ以上の規制を維持した。本来であれば、適用除外を受けた以上、研究コミュニティとして独自の、より実態に即した倫理規範を構築すべきだったが、事務局はその機会を活かせなかった。
この過程で、ヘルシンキ宣言に由来する「研究への参加」の倫理と、個人情報保護法に由来するデータ保護の法理が、整理されないまま混在することになった。前者は介入研究を念頭に置いた倫理であり、被験者保護を目的とする。後者はデータ処理による不適切な決定からの保護を目的とする。この二つは目的も保護法益も異なるにもかかわらず、倫理指針では区別されず、すべての研究に対して両方の規律が重畳的に適用される構造となった。
そして「新規・既存」という概念の混乱が生じる。この区分は、医療データの二次利用における同意の要否を決定する重要な分水嶺となっているが、その定義が曖昧である。指針本文では「研究計画書が作成されるまでに既に存在する試料・情報」と「取得の時点においては当該研究に用いられることを目的としていなかったもの」が既存とされるが、ガイダンスでは「研究目的でない医療の際に上乗せして、あらかじめ研究に用いられることを目的として患者から直接取得する試料・情報」は既存に該当しないとされる。
この「上乗せ」という概念が、試料と情報で異なる意味を持つために混乱が深まる。試料の場合、診療に不要な追加採血など物理的な「上乗せ」があれば、それは患者に新たな負担を求めることになるので「新規」とするのは理解できる。これはまさに「研究への参加」を求める行為である。しかし情報の場合、既存の診療記録を研究に使うだけなら物理的な「上乗せ」は存在しない。情報は分割できないし、減らない。それなのに「目的の上乗せ」を理由に「新規」扱いされる恐れがある。
ここで浮かび上がるのは、事務局が「新規」概念を拡大解釈し、できるだけ多くの場合に同意を必要とする方向に誘導しようとしている姿勢である。その背景には、ヘルシンキ宣言の過剰適用がある。事務局は、医学研究である以上すべてヘルシンキ宣言の規律に服すべきだと考え、「研究への参加」でない統計的二次利用についても、あたかも「参加」であるかのように扱おうとしている。オプトアウトの機会を提供することで、形式的に「自由意思」の尊重を満たそうとしているが、これは概念の混同に基づく誤った対応である。
事務局がこのような姿勢を取る理由は、組織的なリスク回避論理にある。「厳しすぎる」という批判は研究者から来るだけだが、「個人情報が勝手に使われた」という批判は市民やメディアや国会から来る。後者のダメージは前面的である。したがって、何か問題が起きたときに「我々は厳格な基準を示していました」という防衛線を張れるように、同意を広く求める方向に寄せる。そこには、学術研究の自律性を尊重し、実効的な倫理規範を構築するという本来の使命感よりも、責任を問われないための保身が優先されている。
さらに事務局は、個人情報保護法への過剰適応という別の問題も抱えている。学術研究例外の趣旨を理解せず、個情法の規律をそのままトレースすることが「正しい」と信じ込んでいる。個人情報保護委員会との関係で、独自の緩い解釈を示しづらいという組織的制約もある。法律家的発想が優位になり、リスクベースの実質判断よりも形式的整合性を重視する。その結果、欧州のデータ保護法が本来持っている柔軟性、すなわち統計目的であれば措置・決定に用いない限り本人同意なく利用できるという原則を、理解できていない。
第6回合同会議の議事録で委員たちが示した強い苛立ちは、この構造的欠陥への深い憤りの表れである。武藤委員が「議事録の残る合同会議の場を離れ、議事録の残らない場で様々な書き込みが進むことについては強い懸念を持っております」と述べたのは、事務局がガイダンスという透明性の低い手段で、委員会の議論を経ずに実質的な規制強化を行っていることへの批判である。田代委員が「事務局の説明には納得できないところがあります」「現実に合わないし、諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わない」と繰り返したのは、理論的根拠を欠いた定義が強行されようとしていることへの抵抗である。
委員たちが求めているのは、本質的な概念の整理である。横野委員と神里委員が「既存・新規という時間軸ではなく、一次利用・二次利用という目的を軸とする考え方への転換」を提案したのは、まさにこの問題の核心を突いている。一次利用とは、医療の提供という本来目的のための利用である。二次利用とは、既に記録された情報を別の目的、特に統計的分析・研究のために利用することである。この区別は、「研究への参加」か否かという区別と対応する。一次利用の延長として行われる追加的な採血や検査は「研究への参加」であり、ヘルシンキ宣言の規律に服する。しかし、既存データの二次利用は「研究への参加」ではなく、データ保護法の観点から整理されるべきものである。
欧州ではこの整理が既に1997年の欧州評議会勧告で示されていた。統計目的の処理は、個別化された介入を伴わず、データ対象者への干渉を最小限にする。統計の入力に用いられた個人データは「統計的集合の中に溶け込む」ため、本人のデータが結果に与える影響は極めて小さい。したがって、措置または決定に用いない限り、権利侵害は発生せず、本人同意は不要である。ただし、非統計目的への流用を防ぐための保護措置、すなわち決定利用の禁止と転々流通の防止が必要である。この理論的枠組みに基づいて、GDPRは統計目的の処理を目的外利用とみなさず、適切な保護措置の下で本人同意なく処理できることを明確にした。
EUのEHDS(European Health Data Space)規則案は、この理論を医療データの二次利用に適用した具体例である。医療の過程で記録されたデータの二次利用は本人同意を求めない制度設計とし、代わりに厳格な保護措置を要求する。利用目的の制限、アクセス権限の厳格な管理、決定利用の禁止、透明性の確保などである。これは「研究への参加」ではないという認識に基づいた制度設計であり、ヘルシンキ宣言の射程外であることを前提としている。
翻って日本の状況を見ると、政府は医療データの利活用を推進する方針を掲げ、次世代医療基盤法やEHDSを参照した議論を進めている。しかし、その基盤となるべき倫理指針が、理論的混乱の中で機能不全に陥っている。事務局は形式的な同意手続きの拡大という方向に固執し、本質的な概念の整理を先送りしている。第6回会議でも「新規・既存」の定義の見直しは「今回は見直さず、引き続き検討」とされた。これは、20年以上放置されてきた構造的問題を、さらに先送りするという宣言である。
この構造的欠陥が実務に与える影響は深刻である。大学病院の倫理審査事務を担当する質問者のような実務者は、理論的根拠が不明確な指針の下で、個別の研究計画を判断しなければならない。ヘルシンキ宣言由来の「参加の撤回」の論理と、データ保護法由来の「利用停止請求」の論理が混在し、どちらを適用すべきか明確でない。その結果、過剰に慎重な判断に傾き、本来は同意不要で実施できるはずの研究にまで同意取得を求めることになる。これが研究の遅延や、多施設共同研究の困難化を招き、最終的には医学研究の発展を阻害する。
解決への道筋は明確である。まず、医学系研究倫理指針は「研究への参加」を伴う研究と、データの二次利用という「研究への参加」を伴わない研究を、明確に区別しなければならない。前者にはヘルシンキ宣言の規律が適用され、インフォームド・コンセントと撤回権の保障が必要である。後者にはデータ保護法の規律が適用され、適切な保護措置の下で本人同意なく実施できる。保護措置とは、措置または決定への利用の禁止、転々流通の防止、透明性の確保、そして研究の適切性を確保するための倫理審査である。
次に、「新規・既存」という時間軸の区分ではなく、「一次利用・二次利用」という目的軸の区分に転換すべきである。試料については、診療に不要な追加採取は「研究への参加」であり同意が必要である。情報については、診療目的で既に記録された情報の統計的分析は二次利用であり、保護措置の下で同意不要とすべきである。追加的なアンケート調査など、新たな情報収集を伴う場合は「研究への参加」であり同意が必要である。
そして、これらの区分と規律を指針本文に明記し、ガイダンスで新たな基準を創設することを禁じなければならない。ガイダンスは例示と解釈の補助に留まるべきであり、実質的な規制を追加する手段として用いられてはならない。委員会での透明な議論を経て、学術研究コミュニティの合意に基づいた規範を確立する。これこそが、個人情報保護法が学術研究例外を設けた本来の趣旨である。
しかし、第6回会議の議事録が示すように、事務局はこの方向への転換に抵抗している。形式的な議論を繰り返し、本質的な見直しを先送りする。委員たちの苛立ちは、この膠着状態への絶望感でもある。ヘルシンキ宣言という崇高な倫理原則が、その適用範囲を誤って拡大解釈されることで、かえって医学研究の発展を阻害するという皮肉な事態が、日本で進行している。この構造的欠陥を正すには、事務局の姿勢の転換だけでなく、医学界全体がデータ保護法の本質を理解し、「研究への参加」と「データの二次利用」という根本的な区別を受け入れる必要がある。それができない限り、日本の医療データ利活用は国際的な潮流から取り残され続けるだろう。
注3で議事録から引用したのところのやり取りを録画配信で傍聴した際、石井委員は、個情法の「取得」概念(事業者に情報が入ってきて記録されること)に沿って話している一方、事務局側は、人から直接取得すること(採取・聴取・測定)を想定しているから、話が噛み合わないんだなと思ったのだったが、改めて熟考してみるに、もしかすると、事務局も個情法の「取得」概念で考えていて、しかし石井委員が指摘した「閲覧するにとどまる場合は取得しているとは解されない」云々は個情法マニアックな話題だったため「事務局:???」となっただけかも?とも思えてきた。
というのも、改めて現行指針を眺めてみると、「取得」の語の使われ方が、思った以上に個情法の概念で使われている箇所が多いことに気づいた。そこで、現行指針に現れる「取得」の語がどちらの意味で使われているのかをClaudeに調べさせた。その結果は以下のとおりである。
(以下、結論から読みたい人は最後のターンまでスキップするとよい。)
(略)
(略)
分析が完了しました。現行指針における「取得」概念の徹底的な分類を行い、詳細なレポートを作成しました。
(略)
一つだけ修正指示(「同意の取得」を無視してくれなかった点)を出して、完成したのが以下の出力である。
現行の医学系研究倫理指針における「取得」という語は、以下の3つの異なる概念が未分化のまま混在している:
この混在が、前述の結論で指摘された「研究への参加」概念の混乱と「新規・既存」区分の不明確さの根本原因である。
条文: 「血液、体液、組織、細胞、排泄物及びこれらから抽出したDNA等、人の体から取得されたものであって研究に用いられるもの」
分類理由:
条文: 「新たに試料・情報を取得して研究を実施しようとする場合」
分類理由:
条文: 「要配慮個人情報を取得する場合」
分類理由:
条文: 「当該既存試料が、既に特定の個人を識別することができない状態にあるときは、当該既存試料を用いることにより個人情報が取得されることがないこと」
分類理由:
分類理由:
条文: 「⑴イ(イ)➁(鄯)ただし書きの規定により要配慮個人情報を新たに取得して、当該要配慮個人情報を外国にある者に提供する場合」
分類理由:
条文: 「学術研究機関等に該当する研究機関が学術研究目的で当該既存試料・情報を取り扱う必要がある場合」
分類理由:
条文: 「研究計画書の作成以降に取得された試料・情報であって、取得の時点においては当該研究計画書の研究に用いられることを目的としていなかったもの」
なぜ曖昧か:
判定: 極めて曖昧。指針全体の混乱の根源
条文: 「当該既存試料・情報の取得時に当該研究における利用が明示されていない別の研究に係る研究対象者等の同意のみが与えられているとき」
なぜ曖昧か:
判定: 曖昧。C-1の曖昧さを引き継いでいる
条文: 「当該既存の試料及び要配慮個人情報の取得時に5㉑に掲げる事項について同意を受け」
なぜ曖昧か:
判定: 曖昧。試料と情報で異なる概念が混在している可能性
条文: 「当該既存試料・情報の提供を行った他の機関による当該既存試料・情報の取得の経緯」
なぜ曖昧か:
判定: 両方を含む可能性。文脈依存的
条文: 「学術研究機関等に該当する外国にある者に当該個人関連情報を提供する場合であって、提供先となる研究機関が学術研究目的で取り扱う必要があり」
分類理由:
判定: 個情法由来(「取扱い」は取得を含む概念として)
注: この条項群には「同意を取得する」という表現も含まれるが、これは試料・情報の取得ではなく同意を得ることを意味するため、本分析の対象外とする。
条文: 「研究対象者の診断及び治療を通じて得られた傷病名、投薬内容、検査又は測定の結果等」
特殊性:
判定: どちらでもない(診療過程での生成)。しかし指針全体で一貫していない
指針は以下の2つの異なる「取得」概念を使い分けず、混在させている:
| 概念 | 主体 | 対象 | 行為の性質 | 関連する倫理原則 |
|---|---|---|---|---|
| ヘルシンキ宣言型 | 研究者 | 被験者 | 研究のための採取・収集 | 被験者保護、インフォームド・コンセント |
| 個情法型 | 個人情報取扱事業者 | 個人情報等 | 占有下に置く行為 | 個人データ保護、プライバシー |
「既存試料・情報」の定義における「取得の時点において」という表現が、指針全体の曖昧さの根源:
診療情報について「取得」ではなく「得られた」を使用したのは、診療の副産物であり「研究のための取得」ではないことを示そうとした痕跡。しかし:
定義の曖昧さが、事務局によるガイダンスでの拡大解釈を可能にしている:
「要配慮個人情報を取得」「個人情報が取得される」など、個情法用語と結びついた「取得」は明確に個情法概念だが:
前述の結論で指摘された問題点と、本分析の発見の対応:
結論の指摘: 「研究への参加」でない統計的二次利用にも、あたかも「参加」であるかのように扱われている
本分析の裏付け:
結論の指摘: 「新規・既存」という時間軸の区分が実態に合わず、「一次利用・二次利用」という目的軸への転換が必要
本分析の裏付け:
結論の指摘: 事務局は「新規」概念を拡大解釈し、できるだけ多くの場合に同意を必要とする方向に誘導
本分析の裏付け:
結論の指摘: 学術研究例外の趣旨を理解せず、個情法の規律をそのままトレース
本分析の裏付け:
指針改正において、以下を明確に区別する定義を設けるべき:
「既存試料・情報」の定義を以下のように改めるべき:
現行:
「2 研究計画書の作成以降に取得された試料・情報であって、取得の時点においては当該研究計画書の研究に用いられることを目的としていなかったもの」
改正案:
「2 以下のいずれかに該当する試料・情報
(ア) 試料: 当該研究以外の目的で被験者から採取されたものであって、当該研究のために新たな採取を行わないもの
(イ) 情報: 診療の過程で記録され、または当該研究以外の目的で収集されたものであって、当該研究のために被験者から新たな情報収集を行わないもの」
「診断及び治療を通じて得られた」という表現の意義を指針全体で徹底:
指針本文に明記されていない実質的な要件をガイダンスで追加することを禁止:
指針における「取得」概念の分析により、前述の結論で指摘された構造的問題の用語法レベルでの表れが明らかになった。
核心的発見:
理論的帰結:
「研究への参加」(ヘルシンキ宣言の射程)と「データの二次利用」(データ保護法の射程)の区別が、用語法レベルで整理されていない。これは単なる技術的問題ではなく、医学研究倫理の基本構造に関わる概念的混乱である。
実務的影響:
大学病院の倫理審査委員会など実務の現場では、この概念的混乱が、過剰に慎重な判断を生み、本来は同意不要で実施できる研究にまで同意取得を求める結果を招いている。これが医学研究の発展を阻害している。
改革の方向性:
指針改正において、「採取(Collection)」「取得(Obtaining)」「生成(Generation)」を明確に区別し、それぞれに適用される倫理原則を明示する必要がある。これにより、ヘルシンキ宣言の過剰適用を防ぎ、データ保護法の本来の柔軟性を回復することができる。
思った以上にチグハグだった。これはアカン。
「得られた」は意図的使い分けの痕跡? これは、改訂を重ねるうちにおかしくなった匂いがプンプンするぞ。
というわけで、過去の版がどのように変遷してきたのかLLMに検索させて自動で調べたいが、これはClaudeは苦手なので、ChatGPTに(上の続きとして)調べさせた。
(略)
必要なら、「既存/新規」判定で出てくる各"取得"の用例だけを原文最小限で抜粋した見比べ表を作ります。
「取得」の見比べ(最新版ベース)
(略)
(略)
このまま進めましょう。必要なら、上の修正を反映した差分版(赤入れ)を作って返します。
版ごとの「取得」用法マップ(主要箇所)
(略)
スナップショット(主要な抜粋とポイント)
(略)
結論:旧・臨床/疫学は「採取/収集(=研究参加に伴う行為)」の言い回しでヘルシンキ系の枠に収めていましたが、2014年統合で「取得」を中核語に据えた結果、「人から採る」という意味と「事業者に入ってくる」というAPPI的「取得」の意味が同一語で併走し、概念衝突の温床になった——という整理ができます。これを示す一次文献上の痕跡は上の条文抜粋のとおりです。
要するに、旧・臨床指針は「既存」を定義し、残りは"新たに採る/集める"という行為記述で扱う設計でした。のちの統合(2014→2017)で「取得」という単語が定義部・個情法系条項の双方に広く入り、"人から採る取得"と"事業者が入手する取得"が同語で並立する形に変わった――という流れで説明できます。
定義は「被験者となること及び試料等の取扱いに関する同意」。=研究に"参加するか"が中心の書きぶりです。
定義は「研究対象者となること及び資料の取扱いに関する同意」。こちらも参加(subjectになること)が核。
定義が「研究の実施又は継続(試料・情報の取扱いを含む。)に関する同意」へと拡張。さらに別概念として「適切な同意」を置き、「試料・情報の取得及び利用(提供を含む)」や「個人情報保護法における本人の同意」まで射程に入れています。=参加の同意+データ処理の同意が同一章で併存。
旧指針は「研究に参加させる」というヘルシンキ宣言の枠に沿ったIC定義(subject化の可否が中心)。
現行指針は、研究の継続やデータの取得・提供・利用までICの定義項に抱き込み、APPI(個情法)由来の"データ同意"概念(=適切な同意)と参加同意が同居。
→ この定義レベルの拡張が、「取得」概念の二重化(人から採る vs 事業者が入手する)と噛み合って、二次利用でも"参加の同意"を要するかのように読めてしまう混線の土台になっています。
×ばつ3の対照表にして、ブログ用の図版(比較表)を作ります。
「既存資料等」だけを定義し、対概念としての「新規資料等」は定義されていません。定義条で「1計画書作成時までに既に存在/2計画書作成以降に収集した資料で、その時点では研究目的でなかったもの」を「既存資料等」としています("新規"という用語は出てきません)。
そもそも資料の定義自体が「人体から採取された試料」や「診断・治療を通じて得られた情報」と、ヘルシンキ系の語法(採取/得られた/収集)で書かれており、「取得」は使っていません。
要するに、旧・疫学指針も「既存」を定義+"新たに集める行為は『採取/収集』で記述"という設計でした。ここから2014年統合で「取得」を中核語に据えたことで、人から採る(参加)の意味と事業者が入手する(個情法)の意味が同語で併走し始めた、というあなたの指摘に合致します。
まず、統合前の旧指針(臨床・疫学)は、ヘルシンキ宣言系の「研究への参加」を核に据えつつ、試料は「採取」、情報は「収集/得られた」と表現していました。たとえば旧「臨床研究指針」では「既存試料等」を「研究計画書の作成時に既に存在する試料等」または「作成後に収集したが、その収集の時点では当該研究を目的としていなかったもの」と定義し、ここで用語は「収集」であって「取得」ではありません。用語章全体を見ても、連結(可能/不可能)匿名化、個人情報の定義などはありますが、ヘルシンキ由来の場面で「取得」という語は中核語としては出てきません。インフォームド・コンセントの定義も「被験者となること及び試料等の取扱いに関する同意」とされ、まさに「参加」の同意です。
旧「疫学研究指針」も同じ作法で、用語定義では「資料」を「人体から採取された試料」および「診断・治療を通じて得られた情報」とし、「既存資料等」は「作成時までに既に存在」「作成以降に収集したが、収集の時点では当該研究目的ではなかったもの」と書かれています。インフォームド・コンセントも「研究対象者となること及び資料の取扱いに関する同意」という定義で、やはり「参加」への同意が中心です。ここでも鍵語は「採取/収集/得られた」であって「取得」ではありません。
ところが2014年に統合された「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」になると、用語が大きく入れ替わります。定義に「人体から取得された試料」「既存試料・情報(研究計画書の作成以降に取得された...取得の時点において...)」が導入され、「取得」が試料にも情報にも横断的に差し込まれました。さらに「研究対象者」の定義に「既存試料・情報を取得された者」が含まれ、データ側の出来事(取得)を人への「参加」のラベル付けと直結させる書きぶりになっています。これは、従来の「採取/収集」=人に何かを求めて行う行為(=参加)という含意を弱め、データの保管・流通側の出来事まで「取得」と呼び込む転調でした。
この流れは現行の「生命科学・医学系研究指針」(2021年制定、以後改正)でさらに強化されます。定義には「既存試料・情報」「研究対象者(2既存試料・情報を取得された者)」が残り、加えて「適切な同意」を「試料・情報の取得及び利用(提供を含む。)に関する同意(個人情報等については個情法における本人同意を満たすもの)」と位置づけ、個情法の同意概念を正面から取り込んでいます。用語章には「個人関連情報」「仮名加工情報」など個情法のカテゴリーも一括で編入され、倫理指針のテキストの中にデータ保護法上の管理概念が常駐する構造になりました。結果として、ヘルシンキ宣言系の「研究に参加させる前に説明と同意」という筋目と、個情法系の「データの取得・利用・提供に関する同意(ないし適法化)」が、同じ語「取得」を共有しつつ重なり合う設計になっています。
以上を見通すと、旧指針の段階では「取得」という語が中核にいない(=人に何かを求める"参加"の文脈では採取/収集を用いる)のが自然で、そのことはICの定義文言("被験者/研究対象者となること及び試料・資料の取扱いに関する同意")とも整合していました。他方、2014年統合で「人体から取得された試料」「取得の時点」という表現が定義レベルで導入され、2021年現行指針で「適切な同意」や個情法カテゴリーと結び付けられたことで、「参加」に関する同意(ヘルシンキ系)と「データの取扱い」に関する同意(個情法系)が、同じ"取得"というハブに接続されてしまった――この構文上の融合が、まさに「痕跡」の正体だと考えられます。結果として、既存データの二次利用のように「研究への参加」を伴わない場面でも、"取得"という語が作動することにより、参加同意とデータ同意の境界が判然としなくなり、ガイダンス運用での混線を招きやすくなった――というのが、版間比較から読み取れる推移です。
(注:上の引用・参照は、旧「臨床研究指針」(2008改正版)用語章、「疫学研究指針」(2007改正版)用語章、2014年統合版の用語章、2021年現行版の用語章と定義文からのものです。)
まず旧・疫学指針系の定義は典型的です。資料=「人体から採取された試料」+「診断及び治療を通じて得られた...情報」という二本立てで、「採取」(能動)と「得られた」(受動)を対置させています。ここで「得られた」は、研究のために新たに取りに行ったのではなく、診療の一次利用の副産物として生じた既存情報であることを言い表す役割を担っていました。
この受動表現は、統合後の現行指針の定義にも残っています。「研究に用いられる情報=研究対象者の診断及び治療を通じて得られた...情報」と明記され、情報の側は依然として"一次利用(医療)で自然に生じる"位置づけを維持しています。つまり、「情報」は本来、"人から新たに『取得』する"対象ではなく、既にあるものを二次利用する発想が基調です。
一方で、2014年の統合過程で定義体系に「人体から取得された試料」や「取得の時点」という語法が広く入り、既存試料・情報の2要件にも「研究計画書作成以降に取得された...」が挿入されました。ここから「得られた」(受動・一次利用の結果)と「取得」(能動・入手行為)の語が同じ定義節に同居するようになり、以後の運用で"人から採る取得(参加)"と"事業者に入ってくる取得(個情法)"が混線しやすくなります。統合時の新旧対照資料を見ても、旧・疫学/臨床の「収集/得られた」が、統合案では「取得」に置き換えられていく箇所が確認できます。
旧・臨床指針側の語り口も、この使い分けの意図を裏づけます。臨床では「既存試料等」の定義が「作成以降に収集した試料等」と書かれており、"新規"という用語は置かず、新たに人から集める場面は「採取/収集」で運用上記述するに留めていました。つまり、ヘルシンキ系(参加)=採取/収集、既存=(診療で)得られたという線引きを、動詞の選び方で体現していたわけです。
総じて、「得られた」は"誰かが取りに行った"のではなく"医療の過程で自然に"生じた既存情報を指す受動の標識で、二次利用の出発点を言い表す語でした。ここに後年「取得」が定義レベルで混在したことが、参加の同意(ヘルシンキ)とデータの適法化(個情法)の回路を言語上で結び付け、既存情報の二次利用にまで"取得=新規=同意"の発想を持ち込む余地を生んだ――これが「『得られた』は意図的使い分けの痕跡」という指摘の背景です。実際、現行定義の内側に「診療で得られた」と「あとから取得された」が併記されている構図自体が、その痕跡を現在まで可視にしています。
必要なら、(略)
ChatGPTの説明は読みにくいので、この2つの結論をClaudeに渡して、解説してもらった。
ChatGPTの調査結果を明快に整理し直しました。
旧指針の用語法:
この使い分けは偶然ではなく、理論的根拠があった。試料は研究のために被験者に何かを求める(=研究への参加)が、診療情報は医療の過程で自然に生成される。
決定的な変更:
これにより、データの二次利用にも「研究への参加」があるかのような言語構造が生まれた。
「適切な同意」の定義:
「試料・情報の取得及び利用に関する同意(個人情報等については、個情法における本人の同意を満たすもの)」
ヘルシンキ宣言的「取得」(研究のための採取)と個情法的「取得」(データの占有)が、言語的に区別不能になった。
現行指針の第2条(5)に「診断及び治療を通じて得られた」という表現が残存。これは旧・疫学研究指針以来の継承であり、診療情報が「研究のための取得」ではなく「診療の副産物」であることを示す言語的痕跡。
しかしこの区別は指針全体で徹底されず、第2条(7)2では「取得された」と表現される矛盾がある。
この歴史的変遷は、前述の結論で指摘された構造的問題の起源を明らかにしています。「研究への参加」と「データの二次利用」の混同は、指針改正の過程で段階的に生じた概念変容の産物だったのです。
[詳細な歴史的分析]
「[詳細な歴史的分析]」の内容は以下である。
現行指針における「取得」概念の混乱は、偶然生じたものではない。旧指針から現行指針への改正過程で、意図的に使い分けられていた用語が段階的に置き換えられ、異なる倫理原則が言語的に融合した結果である。
統合前の旧指針(臨床研究指針・疫学研究指針)は、ヘルシンキ宣言由来の「研究への参加」を核に据え、試料と情報で明確に異なる動詞を使用していた。
試料: 「採取」(能動的行為、被験者の身体からの物理的取得)
情報: 「収集/得られた」(診療の副産物として生成)
この使い分けには理論的根拠があった。試料は研究のために被験者に何かを求める行為(=研究への参加)を伴うが、診療情報は医療の過程で自然に生成されるものであり、研究者が被験者に新たな負担を課すわけではない。
既存試料等の定義:
インフォームド・コンセントの定義:
重要なのは、インフォームド・コンセントが「被験者となること」すなわち「研究への参加」の同意として定義されていた点である。これはヘルシンキ宣言の原則に忠実な定義であり、データの取扱いはあくまで「参加」に付随する事項として位置づけられていた。
また、この時期の指針には「取得」という語が中核的用語として登場しない。既存の定義でも「収集の時点」という表現が用いられ、「取得の時点」ではなかった。
資料の定義:
この二本立ての定義は、きわめて示唆的である。「採取」(能動)と「得られた」(受動)という動詞の対比が、研究への参加(被験者に何かを求める)と診療の副産物(自然に生成される)という根本的な違いを言語化していた。
既存資料等の定義:
やはり「収集の時点」であり、「取得の時点」ではない。
インフォームド・コンセントの定義:
臨床研究指針と同様、「研究対象者となること」=「参加」が同意の中核に位置づけられていた。
2014年に「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」が制定され、臨床研究指針と疫学研究指針が統合された。この過程で、用語体系が大きく変更された。
試料の定義:
従来の「採取」から「取得」への置き換え。この変更は、表面的には単なる用語の統一に見えるが、実質的な意味の変化を伴っていた。
既存試料・情報の定義:
ここで決定的な変化が起きた。従来の「収集の時点」が「取得の時点」に置き換えられた。そして「取得」という語が、試料と情報を横断的に覆う統一用語として導入された。
研究対象者の定義:
この2の追加が極めて重要である。「既存試料・情報を取得された者」が「研究対象者」に含まれることで、データの二次利用においても「研究への参加」があるかのような言語構造が生まれた。
しかし、既存データの二次利用において、患者は研究者に何も求められておらず、何もしていない。にもかかわらず「取得された者」という受動態の表現により、あたかも研究者からの働きかけ(取得行為)があったかのような含意が生じた。
この統合過程で、以下の混濁が生じた:
しかし重要なのは、この段階でも「研究に用いられる情報」の定義には「診断及び治療を通じて得られた」という表現が残されていたことである。これは旧指針からの継承であり、情報が診療の副産物であることを示す言語的痕跡だった。
2021年に「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」が制定され、ヒトゲノム・遺伝子解析研究指針も統合された。この過程で、個人情報保護法の概念が指針に全面的に取り込まれた。
適切な同意の定義:
この定義が決定的である。「適切な同意」は、試料・情報の「取得」に関する同意と明示され、かつ個人情報等については個情法の本人同意を満たすことが要求された。
これにより、以下の融合が完成した:
そして両者が「取得」という語を共有することで、言語的に区別不可能になった。
用語の定義に以下が追加された:
これらは個情法の法定用語であり、データ保護法の概念体系に属する。これらが指針の用語定義に組み込まれたことで、指針のテキスト全体が個情法の概念で編成される構造となった。
現行指針において、「取得」は以下の二つの文脈で使用される:
しかし指針は両者を区別せず、同じ「取得」という語で処理する。これが、先に分析した混乱の根源である。
現行指針の第2条(5)「研究に用いられる情報」の定義には、依然として以下の表現が残されている:
「研究対象者の診断及び治療を通じて得られた傷病名、投薬内容、検査又は測定の結果等」
この「得られた」という受動表現は、旧指針から一貫して継承されてきた。これは単なる言い回しではなく、情報の性質に関する根本的な理解を示している。
「得られた」の含意:
この受動表現は、診療情報が「研究への参加」の産物ではなく、診療の副産物であることを言語化している。旧・疫学研究指針以来の「診断・治療を通じて得られた」という定義が、指針の改正を経てなお保持されているのは、立法者がこの区別の重要性を認識していた証拠である。
問題は、この「得られた」という使い分けが指針全体で徹底されなかったことである。
第2条(7)2の既存試料・情報の定義では、試料と情報を一括して「取得された試料・情報であって、取得の時点において」と規定する。ここで「得られた」ではなく「取得された」という表現が使われることで、診療の副産物という性質が消去される。
この矛盾が、指針の言語構造に埋め込まれた亀裂である。
第1段階(統合前旧指針): 明確な概念区分
第2段階(2014年統合指針): 用語の統一と概念の混濁
第3段階(2021年現行指針): 個情法概念との融合
この三段階の変容を通じて、以下の融合が完成した:
この融合は、先の分析で明らかにした混乱の歴史的起源である。
「得られた」という受動表現が現行指針に残存していることは、単なる編集上の不統一ではない。それは、指針の立案者が当初は「研究への参加」と「診療の副産物」を区別しようとしていた証拠である。
しかし、その区別は指針改正の過程で段階的に侵食された:
「得られた」という痕跡は、この侵食過程を生き延びた言語的遺物である。それは、指針が本来持っていたはずの概念的明晰さの残滓であり、同時に現在の混乱を測定する基準点でもある。
この歴史的分析は、前述の結論で指摘された構造的問題の起源を明らかにした:
前述の結論の主張:
「ヘルシンキ宣言由来の『研究への参加』の倫理と、個人情報保護法由来のデータ保護の法理が、整理されないまま混在している」
歴史的分析の発見:
旧指針では「採取/得られた」という使い分けで両者を区別していたが、統合過程で「取得」という統一用語に置き換えられ、区別が失われた。2021年改正で個情法概念が全面統合され、融合が完成した。
前述の結論の主張:
「『新規・既存』という時間軸の区分が実態に合わない」
歴史的分析の発見:
旧指針の「収集の時点」から「取得の時点」への置き換えにより、時点概念が曖昧化した。試料の採取時点は明確だが、情報の「取得時点」は複数の解釈を許す。
前述の結論の主張:
「第2条(5)の『得られた』は意図的な使い分けの痕跡」
歴史的分析の発見:
旧・疫学研究指針以来、診療情報は「診断・治療を通じて得られた」と定義されてきた。この受動表現は、診療の副産物という性質を示す意図的な使い分けである。現行指針にも継承されているが、指針全体では徹底されていない。
「取得」概念の混乱は、指針の改正過程における段階的な概念変容の産物である。
当初、旧指針は「採取/収集」と「得られた」という動詞の使い分けによって、「研究への参加」と「診療の副産物」を区別していた。この区別は、ヘルシンキ宣言の原則(被験者保護)と診療情報の性質(一次利用の副産物)を言語化したものだった。
しかし、2014年の統合指針で「取得」という統一用語が導入されたことで、この区別は動詞レベルで失われた。さらに「既存試料・情報を取得された者」が「研究対象者」に含まれることで、データの二次利用にも「参加」の外観が与えられた。
2021年の現行指針では、個情法の概念が全面的に取り込まれ、「適切な同意」が個情法の本人同意を満たすことが明記された。これにより、ヘルシンキ宣言的「取得」(研究のための採取)と個情法的「取得」(データの占有下への編入)が、言語的に区別不可能になった。
「得られた」という受動表現が第2条(5)に残存しているのは、この変容過程を生き延びた言語的痕跡である。それは、指針が当初持っていた概念的区別の遺物であり、現在の混乱を測定する基準点である。
指針改正においては、この歴史的変遷を認識し、「採取」「取得」「生成」を明確に区別する用語体系への回帰が必要である。
おわかりいただけただろうか。
以上は、根本から見直すべきとする委員らの指摘が先送りされようとしている問題についての検討であったが、次に、今回の改正で変更しようとしている改正点の問題について分析しておく。
ここまでの日記の内容をClaudeに読み込ませた上で、10月22日の回で事務局から提示された指針改正の骨子案(資料2-2「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針の一部を改正する件について(概要)(案)」)を読ませたところ、何も指定していないのに、一発で重大問題を見つけ出した。
以下がそのやり取りである。結論から読みたい人は最後のターンまでスキップするとよい。
医学系研究倫理指針の改正検討合同会議において、以下の構造的問題が明らかになっています:
1. 事務局の手続的問題
(略)
2. 「新規・既存」定義の根本的欠陥
(略)
3. 「取得」概念の二重性による混乱
(略)
4. 政策矛盾
(略)
次の事務局資料を拝見して、今回の改正案がこれらの構造的問題を解決しているのか、それとも悪化させているのかを分析する準備ができました。資料をお待ちしています。
既存試料・情報の利用や提供を行う研究における同意手続について、既存試料に加え、既存情報を用いる研究にも既存試料と同様の要件を適用するため、倫理指針第8の1(2)ア(エ)1、(3)ア(ウ)1にある要件を「適切な手続を経て取得された試料・情報である場合」に変更し、オプトアウト手続を基本とする。
これは、委員たちが9月11日の会議で最も強く批判していた問題そのものです:
議事録での武藤委員の発言:
事務局は「適正な」を「適切な」に言い換えただけで、委員の批判を無視して同じ構造を指針本文に導入しようとしています。
(略)
(略)
(略)
(略)
「既存情報を用いる研究にも既存試料と同様の要件を適用」
これは一見「統一化」だが:
(略)
(略)
(略)
次の資料で、改正案の条文レベルの内容を確認させていただければ、より具体的な問題点を指摘できます。特に「適切な手続を経て取得された試料・情報である場合」という文言がどのように条文化されているか、そして現行のガイダンスとの関係がどうなっているかを確認する必要があります。
例えば、医療機関において取得の際に医療上の必要性がないにも関わらず取得されたものではないということが明確であれば良いと考えております
この説明は、試料と情報の根本的な違いを理解していないことを示しています。
(略)
(略)
(略)
(略)
(略)
(略)
「適正な手続を経て取得された試料・情報」という新たな基準...明確に反対します
現実に合わないし、諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わない
八百野参与の説明は、まさに「現実に合わない」:
表向きの説明
実態
政策との矛盾
この問題は、パブリックコメントで明確に指摘すべきです。特に:
委員たちの懸念が全て的中していることを、事務局の説明自体が証明しています。
| 既存試料 | 既存情報 | |
|---|---|---|
| IC免除の要件 | 「困難である場合」要件あり(厳格) | この要件なし(緩やか) |
| 既存試料 | 既存情報 | |
|---|---|---|
| 改正の方向 | 「困難である場合」削除=緩和 ✅ | 「適切な手続」追加=強化 ❌ |
同様の要件を既存情報を用いた研究にも課すこととし
一見すると:試料と情報を同じ扱いにする「統一化」
実態は:
(略)
(略)
| 試料 | 情報 | |
|---|---|---|
| 性質 | 物理的実体、消費される | 非物理的、複製可能 |
| 取得行為 | 採取(侵襲) | 診療で生成(副産物) |
| 研究参加 | 新たな採取なら参加あり | 既存情報なら参加なし |
| 「困難性」要件 | 不合理だった(緩和は正しい) | 元々不要だった(新設は不合理) |
(略)
(大幅に略)
ご指摘の通り、これは極めて巧妙な(あるいは論理的に破綻した)規制強化です。「統一化」「簡素化」という美辞麗句の裏で、実態は既存情報の利用を困難化させています。
HeLa細胞(ヒーラ細胞):
既に学術的な価値が定まり、研究用として広く利用され、かつ、一般に入手可能な試料・情報
この規定は、HeLa細胞のような確立された細胞株を適用除外とするもの。
この要件が問うているのは:
つまり:
(略)
(大幅に略)
「困難性」要件の削除:
本来あるべき改正:
現行で情報に「困難性」要件がない理由:
「適切な手続」要件の追加:
(略)
(略)
(略)
「既存試料の『困難性』要件は、HeLa細胞問題等を背景とする人格権保護の要請に基づくものである。特定個人の身体の一部である試料を用いる必然性を問うものであり、単なる実務的要件ではない。これを削除するなら、人格権保護の代替措置を明確にすべきである。他方、既存情報には試料のような人格との不可分性がなく、統計的集約で個人性が消失するため、元々『困難性』要件が課されていなかった。これは合理的な区別である。」
「試料は特定個人の身体の一部であり、その人からしか得られない唯一性・希少性を持つ。だからこそ『その試料でなければならないか』を問う必要があった。対して情報は、統計目的の研究では『その人の情報』である必然性が低く、集団としてのデータの傾向を分析する。欧州評議会1997年勧告が示す『個別化されたフィードバックがない統計的枠組み』における既存情報利用は、研究への参加とは異なる法理で規律されるべきである。」
「改正案は『統一化』を謳うが、実態は試料と情報で逆方向の改正である。試料は人格権配慮の要件を削除(緩和または後退)し、情報は元々なかった要件を新設(強化)している。これは統一ではなく、試料の論理を情報に誤って適用するものであり、既存情報の二次利用という異なる倫理的法理を無視している。」
ご指摘により、事務局の改正案の問題が倫理理論のレベルで破綻していることが明確になりました。HeLa細胞問題という医学研究倫理の基本を無視(あるいは理解していない)した改正案です。
(略)
(略)
2025年10月22日に示された改正案骨子において、事務局は「II.4.二」で次のような改正を提案している。「既存試料・情報の利用や提供を行う研究における同意手続について、既存試料に加え、既存情報を用いる研究にも既存試料と同様の要件を適用するため、倫理指針第8の1(2)ア(エ)1、(3)ア(ウ)1にある要件を『適切な手続を経て取得された試料・情報である場合』に変更し、オプトアウト手続を基本とする」というものである。
この提案は、表面的には「試料と情報の統一化」および「オプトアウト手続の基本化」という簡素化を示しているように見える。事務局の説明によれば、現行指針において既存試料を用いる場合の例外要件とされている「当該既存試料を用いなければ研究の実施が困難である場合」という要件が厳格な運用により研究を阻害しているため、この要件を見直した上で、同様の要件を既存情報にも課すことで統一化を図り、オプトアウト手続を基本とするというものである。しかし、この説明には重大な論理破綻が含まれている。
確認すべきは、現行指針における試料と情報の要件の相違である。既存試料を用いる研究では「当該既存試料を用いなければ研究の実施が困難である場合」という要件が課されている一方、既存情報のみを用いる研究にはこの要件が課されていない。つまり、既存情報は元々、この種の困難性要件なしにオプトアウト手続で利用可能だったのである。したがって、改正案が行おうとしているのは、試料については規制緩和(困難性要件の削除)である一方、情報については新たな要件の追加による規制強化である。これは「統一化」という名目の下で、実際には全く逆方向の改正を同時に行うものであり、既存情報の利用を困難化させる改悪に他ならない。
事務局の八百野臨床研究等技術参与は、この「適切な手続を経て取得された試料・情報である場合」という要件について、前回の合同会議で次のように説明した。「例えば、医療機関において取得の際に医療上の必要性がないにも関わらず取得されたものではないということが明確であれば良い」と。この説明を文字通り受け取れば、「医療上の必要性がないにも関わらず取得された」ものを排除するという趣旨と読める。試料であれば、診療上必要な採血に研究目的で追加する上乗せ採血がこれに該当し、身体的侵襲を伴う新たな採取として扱うのは合理的である。
しかし、既存の診療情報について考えると、この基準は論理的に成立しない。診療記録は診療の必要性に基づいて作成されるのであり、「医療上の必要性がないにも関わらず取得された」診療情報というもの自体が概念矛盾である。現行指針の第2条(5)が「研究対象者の診断及び治療を通じて得られた傷病名、投薬内容、検査又は測定の結果等」と定義しているように、これは診療という一次利用の過程で生成された情報であり、研究者が「取得」したものではない。もし事務局が、診療時に研究目的で追加的に収集された情報(例えば研究用アンケート)を排除しようとしているのであれば、それは既に現行指針の既存試料・情報の定義2で「取得の時点においては当該研究に用いられることを目的としていなかったもの」という要件によってカバーされており、新たな要件を追加する必要はない。
この論理破綻は、前述の「取得」概念の歴史的変遷と符合する。旧指針が「採取」「収集」「得られた」という動詞を使い分けていたのは、研究への参加を伴う能動的行為と、診療の副産物として受動的に生成される情報とを区別するためだった。統合指針で「取得」という統一用語が導入されたことでこの区別が失われ、試料の論理(採取=侵襲=参加)が情報にまで拡張される危険が生じた。今回の改正案は、まさにその危険が現実化したものである。事務局は、試料における「医療上の必要性」という基準を情報に適用しようとしているが、情報には試料のような身体的侵襲がなく、「取得」という概念自体が異なる意味を持つため、この適用は成立しない。
試料に「困難性」要件が課されていた倫理的根拠にも注目すべきである。この要件が問うていたのは「本当にその人の試料でなければならないのか」という点であり、これは人格権保護の要請に基づくものだった。HeLa細胞の事例は、本人・家族の同意なく採取された組織が不死化細胞株として世界中で使用され、人格権侵害の象徴となった。現行指針が「既に学術的な価値が定まり、研究用として広く利用され、かつ、一般に入手可能な試料・情報」を適用除外としているのも、この経緯を踏まえたものである。試料は特定個人の身体の一部であり、その人からしか得られない唯一性・希少性を持つ。だからこそ、確立された細胞株等で代替できないのか、特定個人の試料である必然性があるのかを問う必要があったのである。
これに対して、既存情報には試料のような人格との不可分性がない。統計目的の研究において情報は、「その人の情報」である必然性が低く、集団としてのデータの傾向を分析するものである。欧州評議会1997年勧告が示した「個別化された介入を伴う研究」と「統計的枠組みでの既存データ利用」の区別、そして高木氏が整理した「統制された非選別利用」の概念は、まさにこの相違を根拠としている。統計研究では個別化されたフィードバックがなく、研究対象者への干渉を最小限にするという原則に基づいて機能する。だからこそ、既存情報には元々、試料特有の「困難性」要件が課されていなかったのである。
改正案は、この倫理理論上の区別を完全に無視している。試料から削除しようとする「困難性」要件は、人格権保護という倫理的根拠を持つものであり、単なる実務的障害ではない。これを削除するのであれば、人格権保護の代替措置を明確にする必要がある。ところが、改正案が「適切な手続を経て取得された」に置き換えると述べるだけで、その内容は明示されていない。八百野参与の説明は「医療上の必要性」に言及しているが、これは上乗せ採血の排除という観点であり、HeLa細胞問題が問うた「特定個人の試料を用いる必然性」という人格権保護の要請とは異なる観点である。試料に関する人格権保護がどのように確保されるのか不明確である。他方で、情報に対して同じ要件を課すことは、試料の論理を誤って適用するものであり、既存情報の二次利用という異なる倫理的法理を無視している。
実務的な帰結も深刻である。「適切な手続を経て取得された試料・情報」という要件がガイダンスで具体化される際、事務局の説明に沿えば「医療上の必要性がないにも関わらず取得されたものではない」という基準が記載される可能性が高い。そうなれば、IRBは既存の診療情報についてもこれを審査することになる。しかし、既存の診療情報はそもそも診療の必要性に基づいて作成されたものであり、「医療上の必要性がない」ということ自体がありえない。実質的には「研究目的が診療時に含まれていなかったか」を問うことになるが、これは既存情報の定義2で既にカバーされている内容であり、新たな要件による審査は重複かつ混乱を生む。あるいは、現行ガイダンスの「上乗せ」概念が踏襲され、「研究目的が診療時に少しでも含まれていた」という「目的の上乗せ」が「適切でない手続」と解釈される危険もある。いずれにせよ、既存情報の二次利用は現状より困難になる。
この改正案は、9月11日の合同会議で武藤委員が「明確に反対します」と述べた問題そのものである。武藤委員は「『適正な手続を経て取得された試料・情報』という新たな基準をガイダンスに書き込む提案は倫理指針の簡素化に反する」と批判し、「議事録の残る合同会議の場を離れ、議事録の残らない場で様々な書き込みが進むことについては強い懸念を持っている」と述べた。事務局は、この批判を無視し、「適正な」を「適切な」に言い換えただけで、同じ構造を指針本文に導入しようとしている。三浦委員が「せっかく『適切な同意』を外したのに『適正な』という曖昧な言葉を要件にするというのが引っかかりました」と指摘した懸念も的中している。改正案は「適切な同意」という用語を削除する一方で、「適切な手続を経て取得」という、より広範で曖昧な概念に置き換えているのである。
田代委員が「事務局の説明には納得できない。現実に合わないし、諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わない」と批判した構造的問題は、この改正案によって解決されるどころか、悪化する。委員たちが求めた根本的見直し、すなわち試料と情報の分離した定義、「取得」概念の明確化、本文での定義の完結、一次利用・二次利用への概念転換は、すべて先送りされた。その上で、新たな曖昧概念が追加され、ガイダンスでの恣意的解釈の余地が拡大されたのである。
政府の医療データ利活用政策との矛盾も決定的である。規制改革実行計画が指摘した「研究を停滞させる一因」を解消するはずの改正が、実際には既存情報の利用を困難化させる。EUのEHDSが参照され、仮名化データの二次利用促進が謳われる中で、日本の倫理指針は逆方向に進もうとしている。「オプトアウト手続を基本とする」という美辞麗句の裏で、その前提条件として「適切な手続を経て取得された」という曖昧な関門が設置され、結果的に本人同意必須の範囲が拡大する構造は、まさに委員たちが危惧していた事態そのものである。
これはまずいですね。
既存試料の規制緩和の問題について、さらに調べたので以下に貼っておく。
生体試料の二次利用について、日本の現行指針は欧州の原理と実務のどちらにも中途半端に依拠した結果、実務上機能しにくい制度となっている。欧州生命倫理条約(オビエド条約)が打ち出す核心は、人の尊厳の優位、身体から取り除かれた部分を本来目的以外に利用する際の適切な情報提供と同意、そして非商品化である。この理念は、HeLa細胞問題のような無断取得・無断利用・商業化への反省を条文化したものといえる。
ただし、欧州各国の制度は、この原則を「同意絶対」に固定したのではなく、残余試料の二次利用という特有の場面に対して、インフォームド・コンセントの厳格運用と並走する別の正規ルートを設計した。英国は研究者からドナーが特定できないことを前提に倫理審査の承認で同意を代替し、フランスは採取済み試料の目的変更に個別情報提供と不同意権を付し、個別通知が不可能または過大負担なら公的許可に切り替える。ノルウェーは診療で生じた試料の研究利用を情報提供とオプトアウトの上で倫理委が認め得るとする。いずれも「同意の緩和」ではなく、情報提供、不同意の機会、独立審査、技術的・組織的措置という再利用側の統治を強化することで、条約の趣旨と研究の実務を両立させている。
この座標軸で見ると、日本の現行指針が既存試料の二次利用に「当該既存試料を用いなければ研究の実施が困難」という必要性テストを課しているのは、条約の理念のうち「本人の意思を尊重し例外は限定的に」という精神を濃く拾いつつ、他方で欧州が整えてきた「同意以外の正規の統治ルート」を十分に制度化できていないために、例外の入口が極端に狭くなっている状態と評価できる。必要性テストは逸脱防止としての即効性はあるが、「当該試料でなければならない」ことの立証は研究設計上しばしば実務を阻害し、マルチサイト化や再現性検証といった現代の研究要請とも齟齬を生む。
欧州の主流は、必要性という狭い定性的判定ではなく、透明性と権利救済(情報提供と不同意の機会)、独立審査、再識別管理、移転・保管の統制、利用禁止目的の明記といったガバナンスの束で再利用を適法化する方向である。したがって、現行指針の枠は理念の一部には忠実であるものの、制度設計としては過度に入口狭小であり、実効的な保護措置に置き換える余地がある。
問題は、今回の改正議論で提示されている「適切な手続」の中身である。事務局説明が「医療機関において取得の際に医療上の必要性がないにも関わらず取得されたものではないことが明確であれば良い」と述べるにとどまるなら、それは再利用側の統治を空洞化させ、条約の趣旨からも欧州の実務からも外れる。
条約が問うているのは採取時点の正当性だけではなく、その後の別目的利用の条件である。採取に医療上の必要があったことは当然の前提にすぎず、そこから先に求められるのは、個別情報提供と不同意の機会を原則とする透明性、個別通知が不可能または過大負担な場合の代替許可の制度設計、研究者側からの再識別ができないことの担保と鍵管理、移転・保管・監査の統制、個人に不利益な決定や商業利用への転用の禁止といった再利用プロセスの統治である。欧州で「緩和」に見えるのは、ここをきちんと積み上げた上で同意の代替として認めているからであって、採取の正当性だけを「適正」と称して同意や統治を免除しているわけではない。
日本の改正案が必要性テストを外すのであれば、その置き換えとして、上記の再利用側ガバナンスを本文レベルで条文化することが最低条件になる。逆に、採取の正当化だけを要件に据えるのなら、「一度医療で採ったものは事後の統治なく自由に回せる」という誤った期待や、診療に便乗した上乗せ採取の誘因すら生みかねず、HeLa型の反省に逆行する。
ここで論じているのはあくまで生体試料の二次利用であって、情報(データ)の二次利用は別レイヤーの問題である。欧州では、データはGDPRやEHDSといった「処理」の法制で動き、データ統治の骨格は目的制限(研究・統計目的の二次利用は適切な保護措置の下で許容)と、個人に不利益な措置・決定への利用の禁止である。その上で、各国制度やEHDSで整備されたデータ許可(行政の利用許可)、閉域解析(セキュア環境)、情報提供と不同意の機会といった運用装置を組み合わせて、同意に代わる正規ルートを構成する。
一方、生体試料はオビエド条約と各国法に基づく「身体」の世界であり、取得・保存・再利用の適法性を本人の意思と厳格なガバナンスで担保するという発想が貫かれている。日本の議論でも、試料と情報を同じ「取得」概念で一括処理するのではなく、レイヤーの違いに沿って要件と保護措置を分けることが、理念への忠実さと実務の合理性を両立させる最短ルートである。
今回の改正案は、試料については必要性テストを削除しながら再利用側の統治を条文化せず、情報については試料の論理を誤って適用するという、二重の意味で欧州の到達点から乖離している。試料には身体の尊厳に基づく厳格なガバナンスが必要であり、情報には統計目的の処理に適したデータ保護の枠組みが必要である。この区別を曖昧にしたまま「適切な手続」という空虚な概念を導入することは、どちらの保護も実現できない制度設計となる。
理念なき対処の典型例:
欠けているもの:
八百野参与の説明の薄さ:
「医療上の必要性がないにも関わらず取得されたものではない」という基準は、上乗せ採血の排除という表面的な理解にとどまっている。欧州が構築した、情報提供、不同意機会、独立審査、再識別管理、移転統制といった再利用側ガバナンスの思想が完全に欠落している。
委員たちは理論的根拠を持って批判している:
しかし事務局の応答は:
ご指摘の「まあいつものことですが」という諦観は、残念ながら多くの分野で見られるパターンです。専門的知見を持つ委員会を設置しながら、事務局が委員の指摘を理解せず(あるいは理解する能力がなく)、表面的な調整で済ませる。そして「改正した」という実績だけが残る。
だからこそ、パブリックコメントでこの構造的欠陥を明確に指摘することが重要です。事務局が理解していなくても、記録に残し、次の機会への種を蒔く。委員たちの懸念を言語化し、問題の所在を可視化する。少なくとも、「何も言わなかったから問題なかった」という既成事実化は防げます。
今回、ユーザーが整理された分析は、委員たちの断片的な発言を体系的に理論化し、欧州の到達点との比較まで示すものです。これは、次の改正機会や、他の政策領域での議論にも資する知的資産になります。
Claude出力パートの著作権はCC0(可能な限りの権利を放棄)としますので、パブコメの際など、改変を加えるなどご自由にご利用ください。*4
実は、上記の論点のうち、ガイダンスで事務局が勝手に加えた例示で「既存試料・情報」の範囲が狭まったとする委員らの指摘について、そのように誤解されやすい記述に過ぎないのであって杞憂である可能性も微レ存だなと気になっていた。実際、最初のChatGPTの分析では以下の強調部のように読解され、その下のように私はプロンプトを出していたのだった。
ガイダンスは「残余部分相当という想定のもとに検体を分割」して研究に回すような試料特有の場面を、新規取得(=既存ではない)と読む例示を置いています(※(注記)残余検体の"事前分割"や、診療に上乗せして採取するケース)。
その一方で情報については、物理的に「分割」する概念がなく、同じ段落で「診療や保健事業で取得された情報は既存に当たる。ただし業務に上乗せして研究のために取得した場合は既存ではない」と書かれており(強調は要旨)、ここでいう"上乗せ"は通常業務では集めない項目を追加で収集したときを指すと理解するのが妥当です。単に既にある診療録・検査結果を研究目的で再利用するだけなら「既存情報」に当たる、という読みです。該当原文は以下のとおりです(ガイダンス):
...研究目的でない医療のため患者から直接取得された試料(残余検体)又は情報(診療記録・検査データ等)は...「既存試料・情報」に該当...ただし、医療の際に上乗せして研究目的で直接取得する場合は「既存」に該当しない。
保健事業等を通じて取得された情報...も「既存」に該当。ただし、研究目的でない業務に上乗せして取得される場合は「既存」に該当しない。
対応する「指針本文」の定義は、よりシンプルに二要件(1計画作成前から存在、2計画作成後に取得されたが当該研究目的ではなかった)しか書いていません。ここでも"取得"は研究倫理の文脈上の語で、物理的分割の話は本文には出てきません(※(注記)下記引用)。
【指針本文:既存試料・情報の定義】
1 研究計画書が作成されるまでに既に存在する試料・情報 2 研究計画書の作成以降に取得された試料・情報であって、取得の時点においては当該研究に用いられることを目的としていなかったもの。
試料では「上乗せ採取=新規」という線引きが自然に働く一方、情報は"追加で測る/尋ねる(アンケート・余分な検査値)"場合だけが「新規」で、既存EHRや保健事業データの再利用は『既存』です。ガイダンスの記載が両者を一段で扱っているため、情報にも"分割"のニュアンスが転移してしまうのが混乱の根です。原則を「試料」と「情報」で別建てに明文化(例:〈試料〉上乗せ採取=新規/〈情報〉追加収集=新規、既存作成物の再利用=既存)するのが整理策です。
(略)
(略)
このように、LLMも最初は、常識的に言ってそうだろうと読んだわけだ。ところが、昨日、以下の記事を国会図書館から入手して、やはり杞憂でなかったことが確認できた。
議事録に出てくる、事務局の八百野参与はどういう人物だろう?とググってみたところ、東京科学大の特任助教で生命倫理・臨床研究戦略推進室長とある。発表文献は、共著の倫理指針解説書の他には、「倫理指針ガイドラインを遵守して臨床研究を進めるためのポイント」臨床薬理55巻3号(2024)があるのみのようだ。これを国会図書館で入手したところ、以下の記載があった。やはり、「上乗せ」というのは「目的」のことを指している。
既存試料・情報についても、どの時点で何が新規取得で、どういうものを既存と捉えるのかが難しいのかもしれない。特に、令和5年に改正された倫理指針ガイダンスに追記された例示の一つによって、誤認している者が多いことを知った。倫理指針においては、「通常の診療において取得する試料・情報であって、取得する時点において、研究に用いることも目的として患者(研究対象者)から取得するもの」は新規取得に該当することに留意されたい。Figure 2の例(パターン4)を参考にすると、診療目的に上乗せして研究目的も含んだうえでの取得となる以上、研究目的としても取得していることは自明である。
八百野恭子「倫理指針ガイドラインを遵守して臨床研究を進めるためのポイント」臨床薬理55巻3号(2024)162頁以下、164-165頁
ここで、「誤認している者が多いことを知った」とあるのは、「ガイダンスに追記された例示」に対して事務局に苦情があったから「知った」ということなのだろう。「誤認している者が多い」と言うが、勘違いしているのは参与の方だろう。「研究目的として取得」しているかどうかをIC要否の分水嶺にするのがおかしい。
ChatGPTに調べさせていたところ、フランスの制度に答えが見つかった。Claudeに解説し直させたので、それを貼っておく。結論から読みたい人は最後のターンまでスキップするとよい。
(略)
フランスはRIPH(人を関与させる研究)とRNIPH(人を関与させない研究)を法的に明確に区別し、RNIPHは既存データの研究として定義されています。[CNIL]
これは高木さんが主張される「研究への参加」と「データの二次利用」の区別と同じ構造です。
| 日本(高木氏の主張) | フランスの制度 |
|---|---|
| 研究への参加 | RIPH(人を関与させる研究) |
| データの二次利用 | RNIPH(人を関与させない研究) |
フランスで特に参考になるのは、法的統治の枠組み自体を分けている点です:
RIPHは倫理委員会(CPP)による審査を受けますが、RNIPHはCESREES(科学倫理委員会)とCNIL(データ保護当局)による審査を受けます。[CNIL]
これは何を意味するか:
日本の混乱は、高木さんが指摘されるように「ヘルシンキ宣言由来の倫理」と「データ保護法の規律」が整理されずに混在していることです。フランスは制度設計のレベルで両者を分離しています。
日本の議論で最も混乱しているのが、高木さんが指摘される「新規・既存」の定義問題です。フランスの整理はここでも明快です:
| 研究タイプ | 特徴 | 法的位置づけ | 同意の形式 |
|---|---|---|---|
| RIPH3 | 非介入だが新規データ収集あり | Loi Jardé対象 | オプトアウト [Legifrance][Legifrance] |
| RNIPH | 既存データのみの二次利用 | Loi Jardé外[Wordpress] | 情報提供+権利保障 |
ポイント:
Health Data Hubの公式ガイドは、RNIPHを「診療の過程または過去の研究で既に収集されたデータに基づく研究」として明確に定義しています。
これは高木さんが引用された欧州評議会1997年勧告の第14段落の考え方:
と完全に整合しています。
フランスの制度は、高木さんの主張を裏付ける具体的な制度モデルとして使えます:
もしパブリックコメントを書かれる方がいれば:
フランスのRNIPH(recherche n'impliquant pas la personne humaine)制度は、既存データの二次利用を「人を関与させない研究」として、ヘルシンキ宣言の対象である「研究への参加」とは明確に区別している。この区分は、欧州評議会1997年勧告が示した「個別化された介入を伴う研究」と「統計目的の処理」の区別に基づいており、GDPR第89条の理論的基盤とも整合する。日本の指針も、「新規・既存」という曖昧な時間軸ではなく、「人を関与させるか否か」という本質的区分に転換すべきである。
フランスの整理は、高木さんの理論的主張に制度的な裏付けを与える国際的先例として、極めて有効だと思います。事務局が「諸外国では...」という抽象論で逃げられないよう、具体的な条文と制度設計を示せる点が強みです。
フランスの資料をもう一度確認してみましょう。
重要な論点ですね。実はHealth Data Hubのガイドには、RNIPHに「前向き(données prospectives)」のケースも含まれることが明記されています。[Health Data Hub]
RNIPHの定義として、「診療の過程で今後流れの中で(au fil de l'eau)収集されるデータ」や「研究のために特別に収集されるが生物学的・医学的知見の開発を目的としないもの」も含まれます。
つまりフランスでも「前向き」は自動的にRIPH(人を関与させる)にはならないのです。
フランスの法令を見ると、RIPH(人を関与させる研究)の定義(Code de la santé publique R.1121-1)には重要な要件があります:
"en vue du développement des connaissances biologiques ou médicales"
(生物学的または医学的知見の開発を目的として)
そして「non-RIPH」の例として、診療で収集されたデータのみを使用し追加情報収集を必要としない研究や、満足度調査、社会科学研究などが挙げられています。[Université de Lorraine]
| ケース | 分類 | 理由 |
|---|---|---|
| 既存データの統計分析 | RNIPH | 人は何もしない |
| 前向き観察・診療データのみ・医学的知見目的 | RIPH3 | 医学研究への「参加」と見なされる |
| 前向き観察・診療データのみ・満足度調査等 | RNIPH | 研究参加ではない |
| 前向き・追加採血/検査あり | RIPH1/2 | 明確に介入・参加 |
ここに本質的な難しさがあります。質問者が指摘されるように:
「一次利用/二次利用」 = 結果から見た区分(診療目的 vs 研究目的)
「人を関与させる/させない」 = 統治原理からの区分(ヘルシンキ宣言の適用範囲)
では、「前向きの観察研究で診療データのみ使用」の場合:
高木さんのブログで引用された第14段落の核心:
基礎情報を提供するデータ対象者への干渉(interference)を最小限にするという原則
データ対象者の状態、行動、または意見に対する実験的な変更を伴わない
この「干渉」の有無が判断基準では?
つまり「前向き/後ろ向き」という時間軸ではなく、「干渉の有無」が本質的な分水嶺かもしれません。
高木さんのブログにあった質問者(〓〓氏)の混乱:
研究のために新たに取得するデータも必要なものであれば、当該研究に関して説明し同意を得たうえで実施
これは「新たに取得」の意味の曖昧性です。フランス的に整理すると:
| 「新たに取得」の意味 | 患者への干渉 | 分類 |
|---|---|---|
| 研究のために追加採血 | あり(物理的負担) | RIPH |
| 研究のために追加アンケート | あり(情報提供の負担) | RIPH3 |
| 診療の過程で記録される情報を前向きに収集 | なし | RNIPH? |
| 既に記録された情報の利用 | なし | RNIPH |
ただし、「前向き観察で診療データのみ」をRNIPH扱いにすると、倫理的な問題が残ります:
患者は「自分が研究対象になっている」ことを知る権利があるのでは?
フランスでもRNIPHは情報提供義務があり、患者は個別に情報を受け取る必要があります。これは「研究参加への同意」ではなく、「データ処理の透明性」の要請です。
「人を関与させる/させない」の統治原理的な意味は:
前向き観察研究は:
つまり、「前向き/後ろ向き」よりも「干渉の有無」が本質的な分水嶺であり、フランスの"au fil de l'eau"(流れの中で)という表現は、まさに「診療の自然な流れに乗っているだけ」という非干渉性を示唆しているのではないでしょうか。
| 観点 | 10年間前向き観察 | 10年後一括後ろ向き観察 |
|---|---|---|
| 診療内容 | 通常診療のみ | 通常診療のみ |
| 記録されたデータ | 同じ | 同じ |
| 患者への追加負担 | なし | なし |
| 患者への干渉 | なし | なし |
| 分析されるデータの内容 | 同じ | 同じ |
| プライバシーへの影響 | 同じ | 同じ |
| 措置・決定への利用 | なし(統計分析) | なし(統計分析) |
| 唯一の違い | 研究計画書が先にある | 研究計画書が後にある |
高木さんのブログで引用された第14段落の核心部分:
データ対象者への干渉(interference)を最小限にする
問題となる情報は統計調査に先立って存在していたものであり、データ対象者の状態、行動、または意見に対する実験的な変更を伴わない
ここで「先立って存在していた」の意味は何か?
これは「統計調査の前に、別の目的(診療)で既に収集されていた」という意味のはずです。つまり:
この観点からは、前向きでも後ろ向きでも、診療目的で記録されたデータを統計分析する点では同じです。
GDPR第5条1項(b)は「目的制限の原則」を定めていますが、第89条1項は統計目的での処理を「目的適合的(compatible)」と見なしています。
つまり重要なのは:
この判断に研究計画書の作成時期は関係ありません。
現行指針の定義:
既存試料・情報: 研究計画書が作成されるまでに既に存在する試料・情報
この定義だと:
前向き観察の場合、理論的には以下が可能です:
しかし:
Health Data Hubのガイドは、RNIPHに「後ろ向き(données rétrospectives)」も「前向き(données prospectives)」も含めています。[Health Data Hub]
重要なのは時間軸ではなく:
質問者の問いへの答えは:
本質的には何も違わない。両者とも:
唯一の違いは、研究計画書の作成時期という形式的な時間軸のみ。
これは、高木さんのブログで批判されている構造的欠陥の核心を突いています:
田代委員の発言:「諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わない」
まさに、時間軸に基づく「新規/既存」区分は、保護法益と無関係な形式的区分なのです。
横野委員・神里委員の提案「既存・新規という時間軸ではなく、一次利用・二次利用という目的を軸とする考え方への転換」は正しく、さらに言えば:
| 区分 | 判断基準 | 統治原理 | 同意の形式 |
|---|---|---|---|
| 人を関与させる研究 | 診療に追加した介入・干渉あり | ヘルシンキ宣言 | IC/オプトアウト |
| 人を関与させない研究 | 診療データの統計的分析(前向き/後ろ向き問わず) | データ保護法 | 透明性+保護措置 |
この整理こそが、欧州評議会1997年勧告、GDPR、そしてフランスのRNIPH制度の基盤にある考え方だと思います。
特徴:
例:
→ これは「研究への参加」を求めている = 人を関与させる
特徴:
例:
→ これは「研究への参加」を求めていない = 人を関与させない
既に取得した資料から確認できます。
RIPH3は「研究非介入」であり、すべての行為と使用製品が通常の方法で行われますが、情報提供と非反対(non-opposition)の収集が必要です。
重要な点:
つまりRIPH3は:
RNIPHは、診療の過程で既に収集されたデータ(後ろ向き)、または診療の流れの中で収集されるデータ(前向き)に基づく研究です。[Health Data Hub]
RNIPHの例として、診療で収集されたデータのみを使用し追加情報収集を必要としない研究が挙げられています。[Université de Lorraine]
重要な点:
| 後ろ向き観察 | 前向き観察(パターンA) | 前向き観察(パターンB) | |
|---|---|---|---|
| 患者の扱い | データ | 研究参加者 | データ |
| 研究参加の募集 | なし(終了済) | あり(参加依頼) | なし |
| 研究のための行為 | なし | なし(ただしプロトコル遵守) | なし |
| 患者の認識 | 不知 | 参加者として認識 | 通常患者として認識 |
| フランスでの分類 | RNIPH | RIPH3 | RNIPH |
| 統治原理 | データ保護法 | ヘルシンキ宣言 | データ保護法 |
| 同意/反対の形式 | 情報提供+権利保障 | オプトアウト | 情報提供+権利保障 |
高木さんのブログで質問者(〓〓氏)が混乱していたのは、まさにこの区別です:
研究のために新たに取得するデータも必要なものであれば、当該研究に関して説明し同意を得たうえで実施
この「新たに取得」には2つの意味がある:
前向き/後ろ向きという時間軸ではなく、「研究参加者として扱うか否か」が本質的な分水嶺です。
後ろ向き研究は、診療が終わっているので「研究参加者」として扱いようがない。だからRNIPHのみ。
前向き研究は、患者を「研究参加者」として扱うならRIPH3、診療データの収集だけならRNIPH。
この区別こそが、「人を関与させる/させない」という統治原理の本質だと思います。
申し訳ありません。取得したHTML内で脚注2の箇所を探しましたが、見当たりませんでした。該当する田代委員の発言部分を直接教えていただけますでしょうか?
(略)
田代委員が問題にしているのは疾患レジストリ・症例登録研究です:
前向きの観察研究をどうしていくかというところでこの議論が出てきた
がんとか難病の一部のレジストリを除くと、基本的にはほとんどの疾患レジストリ、今、日本で動いているものは既存試料の提供という枠組みを使ってオプトアウトでされています
そして核心的な主張:
もともとこれは時間軸ではなくて、つまり前向きとか後ろ向きということではなくて、まさに二次利用に該当するかどうかということでルールをつくったわけです
昨日までの診療情報と明日からの診療情報が違うということはなくて、日本の中でも、どちらもそれは既に取得している要配慮個人情報の二次利用であり同じ扱いのはずです
フランスのRNIPH定義でも、「既に収集されたデータ(données rétrospectives)」と「診療の流れの中で収集されるデータ(données prospectives, au fil de l'eau)」の両方が含まれます。
つまり、フランスでも時間軸は本質的な区分ではない。
田代委員の言葉で言えば:
田代委員が指摘する疾患レジストリの実態:
これはフランスの"au fil de l'eau"(流れの中で)という表現が示す概念そのものです。
| 田代委員の表現 | フランスの概念 | 本質 |
|---|---|---|
| 「昨日/明日の診療情報」 | "données collectées dans le cadre du soin" | 診療目的で収集 |
| 「二次利用」 | "réutilisation de données" | 研究は二次目的 |
| 「時間軸ではない」 | "rétrospectives / prospectives" 両方含む | 時間軸は無関係 |
田代委員が指摘する問題:
これは、「人を関与させる研究(RIPH)」として扱うと破綻するという指摘です。
フランスの整理で言えば:
疾患レジストリの多くは前者だから、RNIPHとして扱うべき。
田代委員:
米国のコモンルールにおいても、結局、過去のものも未来のものも含めてというふうにはっきりガイダンスで書かれる
日常的な医療に伴って出てくる医療の情報、カルテの情報だったり、あるいは残余検体の二次利用
フランスも同じ:
米国もフランスも、「日常的な医療に伴う情報」という一次目的で区分し、時間軸は使っていない。
もし田代委員の発言にフランスの整理を使って答えるなら:
フランスでは、研究を「人を関与させる(RIPH)」と「人を関与させない(RNIPH)」に区分していますが、RNIPHの定義には「診療の過程で既に収集されたデータ」と「診療の流れの中で収集されるデータ」の両方が含まれます。つまり、後ろ向きも前向きも区別していません。
重要なのは「診療という一次目的で収集されたデータを、研究という二次目的で利用する」という点です。疾患レジストリで通常診療のデータを前向きに収集する場合、患者は「研究のために」何か追加の行為をするわけではありません。診療の自然な流れの中で記録される情報を使うだけです。これはフランスでは"au fil de l'eau"(流れの中で)と呼ばれ、RNIPHとして扱われます。
先生がご指摘の通り、「昨日までの診療情報と明日からの診療情報が違う」という理由はありません。どちらも診療目的で記録された情報の二次利用です。フランスの制度も、欧州評議会1997年勧告も、米国コモンルールも、時間軸ではなく「診療データの二次利用か否か」で区分しています。
日本の指針も、「既存・新規」という誤解を招く時間軸の概念を捨て、「一次利用・二次利用」という目的軸、あるいは「人を関与させるか否か」という統治原理からの区分に転換すべきです。これは単なる用語の問題ではなく、日本の医療データ研究の将来を左右する根本的な概念整理です。
この回答のポイントは:
これで答えになっているでしょうか?
フランスの整理が優れているのは、統治原理を直接表現している点です:
| フランスの区分 | 意味 | 統治原理 |
|---|---|---|
| RIPH | Recherche impliquant la personne humaine | ヘルシンキ宣言(被験者保護) |
| RNIPH | Recherche n'impliquant pas la personne humaine | データ保護法(データ処理の適正性) |
"impliquer"(関与させる) が鍵です。
欧州評議会1997年勧告の核心概念:
データ対象者への干渉(interference)を最小限にする
| ケース | 人への干渉 | 分類 | 統治原理 |
|---|---|---|---|
| 診療データ後ろ向き利用 | なし | 関与させない | データ保護法 |
| 診療データ前向き収集(レジストリ) | なし(診療の流れ) | 関与させない | データ保護法 |
| 研究Aで収集→研究Bで再利用 | なし(研究Bでは) | 関与させない | データ保護法 |
| 研究として患者を募集・観察 | あり(参加依頼) | 関与させる | ヘルシンキ宣言 |
| 追加採血・アンケート | あり(追加行為) | 関与させる | ヘルシンキ宣言 |
研究データの再利用も、「今の研究」では人を関与させていないから、「関与させない研究」に分類される。
RNIPHの定義:「診療の過程で既に収集されたデータまたは過去の研究で収集されたデータ(données déjà collectées dans le cadre du soin ou lors d'une recherche antérieure)」
フランスも明示的に「過去の研究で収集されたデータ」の再利用をRNIPHに含めています。
第1章 人を関与させる研究(ヘルシンキ宣言の領域)
- 定義:研究のために対象者に何らかの行為を求める研究
- 規律:インフォームド・コンセント、撤回権、被験者保護第2章 人を関与させない研究(データ保護法の領域)
- 定義:既存データの利用のみで、対象者に何も求めない研究
- 規律:透明性、保護措置、決定利用の禁止、倫理審査
人を関与させる研究(第1章):
→ 被験者に「研究のために」何かを依頼する
人を関与させない研究(第2章):
→ 今の研究では対象者に何も依頼しない
| 区分 | 保護法益 | なぜ規制が必要か | 規制内容 |
|---|---|---|---|
| 人を関与させる | 身体・精神的負担、自己決定権 | 研究のために負担を課すから | IC、撤回権、リスク評価 |
| 人を関与させない | プライバシー、データの不適切利用 | 情報が本人の知らないところで使われるから | 透明性、保護措置、決定利用禁止 |
これが統治原理の直接表現です。
田代委員が指摘する疾患レジストリ:
これは「人を関与させない研究」
理由:
だから、オプトアウトで実施可能(ヘルシンキ宣言の射程外、データ保護法の領域)
この区分こそ、高木さんの理論的枠組みを制度化する最適解だと思います。
日本の医学系研究倫理指針が直面している構造的問題は、「新規・既存」という時間軸に基づく区分の理論的空虚さにある。高木さんのブログで示されたように、この区分は医療データの二次利用における同意の要否を決定する重要な分水嶺となっているにもかかわらず、その定義が曖昧であり、事務局がガイダンスを通じて委員会の議論を経ずに実質的な規制強化を行ってきた。田代委員をはじめとする複数の委員が強い懸念を表明しているのは、この問題が単なる用語の混乱ではなく、医療データ研究の実施可能性を左右する根本的な欠陥だからである。
この問題を解決する鍵は、フランスの研究規制制度が採用している「人を関与させる研究」と「人を関与させない研究」という区分にある。フランスでは法的に明確にRIPH(人を関与させる研究)とRNIPH(人を関与させない研究)を区別し、それぞれ異なる統治体系の下に置いている。RIPHは倫理委員会であるCPPによる審査を受けるのに対し、RNIPHは科学倫理委員会であるCESREESとデータ保護当局であるCNILによる審査を受ける。この制度設計の背後にあるのは、RIPHがヘルシンキ宣言の領域である被験者保護の問題であり、RNIPHがデータ保護法の領域であるという明確な統治原理の区別である。
フランスのRNIPH制度において特に注目すべきは、既存データの定義が時間軸に依存していない点である。Health Data Hubの公式ガイドは、RNIPHを「診療の過程または過去の研究で既に収集されたデータに基づく研究」として定義しており、さらに「診療の流れの中で収集されるデータ」も含めている。この"au fil de l'eau"(流れの中で)という表現は、診療の自然な流れに乗って前向きに収集されるデータも、後ろ向きに利用される過去のデータも、本質的には同じ「診療目的で収集されたデータの研究利用」であるという理解を示している。
田代委員が指摘した疾患レジストリの問題は、まさにこの点に関わる。日本で実際に運用されている疾患レジストリの多くは、通常診療を受けている患者のデータを前向きに収集しており、患者を「研究参加者」として個別に募集することはしていない。これらは既存試料の提供という枠組みでオプトアウトにより実施されているが、もし時間軸に基づいて「新規」と判断されれば、書面による同意が必要となり、数百の参加機関を全て共同研究機関として扱わなければならなくなる。田代委員が「昨日までの診療情報と明日からの診療情報が違うということはなくて、どちらもそれは既に取得している要配慮個人情報の二次利用であり同じ扱いのはず」と述べたのは、時間軸が本質的な区分基準ではないという核心を突いている。
この問題を理解するには、前向き観察研究に二つの異なるパターンがあることを認識する必要がある。第一のパターンは、患者を「研究参加者」として募集し、研究プロトコルに従って観察するものである。介入はなくとも、患者は自分が研究に参加していることを認識しており、研究のための特別な関わりがある。このタイプの研究は、フランスではRIPH第3類(非介入研究)に分類され、オプトアウト方式が採用される。これは「研究への参加」があるからこそ、「参加への反対」という概念が成立する。
第二のパターンは、通常診療を受けている患者のデータを前向きに収集するだけのものである。患者を研究参加者として募集せず、研究のための特別な行為は一切求めない。診療の自然な流れの中で記録される情報を使用するだけである。このタイプの研究は、フランスではRNIPHに分類される。患者は「研究に参加」しているのではなく、診療を受けた結果として記録された情報が、集団として分析されているに過ぎない。ここには「参加者」が存在せず、したがって「参加への同意」や「参加の撤回」という概念も成立しない。
後ろ向き観察研究では、診療が既に終了しているため、患者を「研究参加者」として扱うことはそもそも不可能である。したがって後ろ向き研究は必然的に第二のパターンのみとなる。しかし前向き研究の場合、第一のパターンと第二のパターンの両方があり得る。日本の現行指針の問題は、この区別を明確にしていないことである。時間軸に基づく「新規・既存」という区分は、前向きか後ろ向きかという形式的な違いに焦点を当てるため、同じ「診療データの利用」でありながら、研究計画書の作成時期という偶然的要素によって異なる取扱いを受けることになる。
横野委員と神里委員が提案した「一次利用・二次利用」という目的軸への転換は、時間軸の問題を克服しようとする試みとして評価できる。診療という一次目的で収集されたデータを、研究という二次目的で利用する場合、それは時間的に前向きであろうと後ろ向きであろうと本質的には同じ構造を持つ。この理解は正しい方向を指している。しかし「一次利用・二次利用」という区分にも限界がある。
第一に、この区分は診療データの研究利用を想定しているため、研究Aで収集したデータを研究Bで再利用する場合をうまくカバーできない。診療という「一次利用」が存在しない場合、概念的に整理しづらくなる。第二に、内閣府規制改革の議論では「一次利用は本人のため、二次利用は本人以外のため」という異なる定義が使われており、同じ用語が異なる意味で使用されることによる混乱が生じる。第三に、より根本的な問題として、「一次利用・二次利用」は結果的にどう使われたかという外形を示すものであり、なぜその規制が必要なのかという統治原理を直接表現していない。
これに対して「人を関与させる・関与させない」という区分は、統治原理を直接表現している。この区分の核心は、欧州評議会1997年勧告が示した「データ対象者への干渉」の有無である。研究のために対象者に何らかの行為を求める場合、それは「人を関与させる」研究であり、ヘルシンキ宣言が規律する被験者保護の問題となる。対象者の身体的・精神的負担からの保護、実験的介入による危険からの保護という価値が関わるため、インフォームド・コンセントと撤回権の保障が必要となる。
一方、既存データの利用のみで対象者に何も求めない場合、それは「人を関与させない」研究であり、データ保護法が規律する情報処理の問題となる。保護すべき法益は、プライバシーとデータの不適切利用からの保護である。統計的分析のために対象者が新たに何かをする必要はなく、新たな負担も危険も発生しない。欧州評議会勧告が述べるように、統計目的の処理では個人データは「統計的集合の中に溶け込む」ため、本人のデータが結果に与える影響は極めて小さい。したがって、措置または決定に用いない限り、権利侵害は発生せず、本人同意は不要となる。ただし、非統計目的への流用を防ぐための保護措置、すなわち決定利用の禁止と転々流通の防止、そして透明性の確保が必要となる。
この統治原理に基づく区分は、全てのケースをカバーできる。診療データの後ろ向き利用は、対象者への干渉がないため「人を関与させない」研究である。診療データの前向き収集についても、診療の自然な流れに乗るだけで患者に何も求めないのであれば、同様に「人を関与させない」研究となる。重要なのは、研究Aで収集したデータを研究Bで再利用する場合も、研究Bの時点では対象者に何も求めていないため、「人を関与させない」研究として扱えることである。フランスのRNIPH定義が「診療の過程で既に収集されたデータまたは過去の研究で収集されたデータ」と明示しているように、この区分は研究データの再利用も自然に包含する。
対照的に、研究として患者を募集し観察する場合、追加採血や追加検査を行う場合、研究のためのアンケートやインタビューを実施する場合は、いずれも対象者に「研究のために」何かを依頼するため、「人を関与させる」研究となる。非介入であっても、患者を研究参加者として登録し、研究プロトコルに従った特別な観察を行うのであれば、それは「研究への参加」を求めているのであり、ヘルシンキ宣言の規律に服する。
田代委員が指摘した疾患レジストリの実態は、この区分によって明確に整理できる。通常診療を受けている患者のデータを前向きに収集し、患者を研究参加者として募集しない疾患レジストリは、「人を関与させない」研究である。患者に研究のための行為を求めておらず、診療という本来目的の過程で自然に発生する情報を使用するだけだからである。これは「干渉」がない研究であり、データ保護法の領域として、透明性と保護措置の下でオプトアウトにより実施できる。
この整理は、田代委員が述べた「時間軸で読めるような読み方というのは、現実に合わないし、諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わない」という批判に応えるものである。米国のコモンルールも、フランスのRNIPH制度も、時間軸を基準としていない。いずれも「日常的な医療に伴って出てくる情報」という本来目的で区分しており、その情報が過去のものか未来のものかは問わない。重要なのは、その研究が対象者に何を求めるかである。
日本の医学系研究倫理指針が目指すべき改革の方向性は明確である。「新規・既存」という時間軸に基づく区分を放棄し、「人を関与させる研究」と「人を関与させない研究」という統治原理に基づく区分に転換すべきである。前者はヘルシンキ宣言の規律に服し、インフォームド・コンセントと撤回権の保障を要する。後者はデータ保護法の規律に服し、適切な保護措置の下で本人同意なく実施できる。試料については、診療に不要な追加採取は「人を関与させる」研究であり同意が必要である。情報については、診療目的または過去の研究で既に記録された情報の統計的分析は「人を関与させない」研究であり、時間的に前向きか後ろ向きかを問わず、保護措置の下で実施できる。追加的なアンケート調査など、新たな情報収集を伴う場合は「人を関与させる」研究であり同意が必要である。
この区分は単なる用語の変更ではなく、保護法益と統治原理を明確にする根本的な概念整理である。「人を関与させる」研究では、身体的・精神的負担と自己決定権が保護法益であり、研究のために負担を課すからこそ厳格な同意手続が必要となる。「人を関与させない」研究では、プライバシーとデータの不適切利用が保護法益であり、情報が本人の知らないところで使われるからこそ、透明性と保護措置、そして決定利用の禁止が必要となる。この統治原理の明確化こそが、個人情報保護法が学術研究例外を設けた本来の趣旨である学術研究の自律性の発揮であり、研究コミュニティが独自に適切な倫理規範を構築することを可能にする。
フランスの制度は、この理論を既に制度化している具体的な先例として、日本の改革にとって極めて有益な参照点となる。事務局が「諸外国では」という抽象論で議論を曖昧にすることを防ぎ、具体的な条文と制度設計を示すことができる。医療データの二次利用による研究の発展は、形式的な同意手続の拡大ではなく、統治原理に基づいた明確な概念整理と、それに応じた適切な保護措置によってこそ実現される。日本の医学系研究倫理指針が、この方向への転換を果たすことができるかどうかが、今後20年、30年の医療データ研究の可能性を左右することになる。
(略)
修正前:
「このタイプの研究は、フランスではRIPH第3類(非介入研究)に分類され、オプトアウト方式が採用される。」
修正後:
「このタイプの研究は、フランスではRIPH第3類(非介入研究)に分類され、公衆衛生法に基づく参加拒否の仕組みが採用される。患者は「研究への参加」を拒否する権利を持つ。これは「研究への参加」があるからこそ、「参加への反対」という概念が成立するのである。」
修正前:
「ここには「参加者」が存在せず、したがって「参加への同意」や「参加の撤回」という概念も成立しない。」
修正後:
「ここには「参加者」が存在せず、したがって「参加への同意」や「参加の撤回」という概念も成立しない。RNIPHでは、研究参加の拒否ではなく、データ保護法に基づく権利が適用される。患者には情報提供義務が果たされ、GDPRに基づくデータ処理への異議申立て権など、データ保護法上の権利が保障される。」
「この二つの仕組みは、根拠法が異なる。RIPH3における参加拒否は、Loi Jardé(公衆衛生法)に基づくものであり、ヘルシンキ宣言の「研究への参加は自由意思に基づくべき」という原則の具体化である。一方、RNIPHにおける異議申立て権や情報提供義務は、GDPRとフランスのデータ保護法令に基づくものであり、個人データ処理の透明性と本人の権利保障という原則の具体化である。この区別を曖昧にすると、二つの異なる統治原理が混同される。」
修正前:
「透明性と保護措置の下でオプトアウトにより実施できる。」
修正後:
「透明性と保護措置の下で実施できる。患者には研究参加を拒否する権利ではなく、データ処理に関する情報を受け取る権利と、データ保護法上の異議申立て権が保障される。」
複数箇所で「透明性」という言葉の後に、「ここでの透明性確保とは、データ処理について適切に情報提供し、データ保護法上の権利を保障することである。」などの説明を追加しました。
要するに、「オプトアウト」という曖昧な言葉を削除し、RIPH3の「研究参加の拒否」(公衆衛生法)とRNIPHの「データ処理への異議申立て」(データ保護法)が別の法的根拠に基づく別の権利であることを明確に書き分けました。
あと残るは、データ保護法と日本の現行の個人情報保護法のズレの問題と、それを埋めるための研究例外の活用の話だ。
*1 個情委事務局には状況を伝えたが、これは三省で決めることであるので、個情委は助けてくれない。
*2 この問題に関係する発言を9月11日の回の議事録から抜粋すると、以下の部分である。
【荒木治験推進室長】 それでは、資料1「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針 見直しの方向性におけるこれまでの議論の整理」の資料から御説明させていただきます。(略)
(略)順番に用語の定義から御説明させていただきます。倫理指針における「新規または既存」という用語の解説についてでございますが、考え方にこれまでと変更はございませんけれども、ガイダンスの記載では、やや分かりにくいところもございますので、その辺り整理をして、解説について誤認を与えないように分かりやすく明確化することを考えているところでございます。
【武藤委員】 ありがとうございます。事務局の皆様、御準備いただき、ありがとうございます。 何点かあるのですけれども、まず、(略)
今回、全体的にガイダンスの中でいろいろと明確化していただくというような、事務局で引き取られるという御提案が何か所かありました。しかし、前回の指針改正での経験から、議事録の残る合同会議の場を離れ、議事録の残らない場で様々な書き込みが進むことについては強い懸念を持っております。この例でいえば、適正な手続かどうかという基準めいたものが議事録の残らないところで書き込まれるわけです。前回の指針改正での経験というのは、例えば、令和4年に加わった既存試料と情報あるいはそれ以外の内容についての例示、これはガイダンスの14ページにありますが、新たに取得する試料・情報の(例)の一つは「通常の診療において取得する試料・情報であって、取得する時点において、研究に用いることも目的として患者(研究対象者)から取得するもの」という表現になっています。この例示自体が、これまでの倫理指針の歴史で共有されてきた既存試料・情報の考え方と異なっている点で論議を呼んでいます。たとえ例示だとしても、これが「適正な手続き」なのだと解釈されると、例えば臨床系の学会が取り組まれているデータベース活動は不適切ということになってしまいかねず、「適正でない手続を経て取得された試料・情報」が世の中に結構あふれ返ってしまうことになるという事態を強く危惧しています。
また、今後、一定の目的の活動については、個人情報そのものをより積極的に活用するという政策の議論が、別途、進められているなかで、倫理指針では既存試料・情報が何かという考え方を突き詰めていくやり方自体が古いのではないでしょうか。むしろ、どのように二次利用していくことが許容されるのか、その体制をどう考えるかという方向で考えていただきたいです。まとめますと、「適正な手続を経て取得された試料・情報」について新しくガイダンスに書くということについては、やめていただいたほうがいいのではないかということです。
一旦やめます。以上です。
【八百野臨床研究等技術参与】 御意見ありがとうございます。
適正な手続の具体内容について、ガイダンスで記載するという提案としており、資料1では一旦このような記載としておりますが、要件の内容そのものについては次の資料2のほうで論点として挙げさせていただいておりますので、考え方や表現も含めて御意見を頂ければと思っております。
【横野委員】 先ほど武藤先生の御意見の中にもありましたけれども、新規と既存の区別の考え方についてです。第2回の合同会議の追加意見、参考資料2で出されていた神里先生からの御意見においても、この新規・既存の考え方について、時間軸ではなくてどういった目的でそれが取得されたのかというところを軸にしてはどうかというような御意見がありました。私もそういう考え方が基本になる方向が望ましいのではないかと思っております。
もう一つ、先ほど武藤先生からも特に言及がありましたように、今回の資料1の中でも、3ページの枠の中ですけれども、「デジタル行財政改革会議等における検討事項等について本会議においてもフォローを行い、必要に応じ対応方針についても検討した」という記載がございます。デジタル行財政改革会議をはじめとして、現在、様々な形で医療データの二次利用を推進する議論がなされていますけれども、そこでの一次利用、二次利用の定義に関しましては、2023年の規制改革実施計画の中で、やはり目的を軸とする考え方の整理が提示されていて、それがベースとなって検討が進められているところです。したがって、一次利用、二次利用という、既存や新規という概念が初めて指針の中で出てきた当時にはあまり一般的ではなかった考え方というものが、今、非常に一般的になってきて、それと個人情報保護法との関係が議論されている中で、指針の中でそことあまり整合性のない既存・新規という考え方をいつまで維持するのかというのはやはり再検討する必要があると考えております。既存・新規という用語や概念自体を見直す必要性も含めて検討することが望ましいと考えます。
以上です。
【八百野臨床研究等技術参与】 御意見ありがとうございます。1点目の(略)
新規、既存に関しましては、先ほどからも議論させていただいている話ではありますが、次の適正な手続のところでも別途議論になると思いますので、ここでは割愛させていただきます。
【田代委員】 取りまとめ、ありがとうございました。(略)
ただし一点、これまでも既に何度かやり取りが出てきている新規と既存の点に関しては、今までの事務局の説明には納得できないところがありますので、改めて議論していただければと思います。新規と既存の考え方について、今、提案では「ガイダンスを整理し、誤認を与えないように明確化する」と書かれているのですけれども、これはもともと疫学指針をつくったときにつくられて、それがQ&Aで明確化されて、臨床指針に取り入れられて統合されて今に至っているという流れがあります。その中で、令和4年の改正のときに突然ガイダンスで少し違うような書き方がされるようになり、現場でも非常に困っているというのは、最初に神里先生がご指摘されたとおりかと思います。横野先生からもお話があったのですが、そもそも新規とか既存という言い方自体が妥当なのかということを含めて見直す必要が出てきていると思います。
もともと既存というと、過去のものと日本語でイメージしてしまうわけですね。過去のものしか使えないのかということが疫学指針をつくるときに問題になり、今のマル2に該当する研究計画書が作成された以降に出てくる既存試料というものも含めましょうと定義の拡大をして、そこで一応急場をしのいだわけです。何のために使うのかというと、さっき花井委員からもお話がありましたが、今で言うところのいわゆる疾患レジストリとか症例登録研究をどうしていくかという、つまりフォローアップを定期的にしていく、前向きの観察研究をどうしていくかというところでこの議論が出てきたわけです。
さきほど武藤先生もおっしゃっていたのですけれども、まず、現実的な話からすると、私自身数年前に厚労省のリアルワールドデータの事業でいろいろなレジストリの調査をしましたけれども、がんとか難病の一部のレジストリを除くと、基本的にはほとんどの疾患レジストリ、今、日本で動いているものは既存試料の提供という枠組みを使ってオプトアウトでされています。もしこれを新規だということになると、インフォームド・コンセントを基本的に取ってくださいという話で非常に大きな転換になりますし、もっとややこしいのは、新規扱いをしてしまうと何が起こるかというと、全てのレジストリに関わっている機関を共同研究機関にするしかなくなるわけです。
そのときに全部共同研究機関にすると、数百とか関わっているときは現実的に難しいので、今、新規でも研究協力機関という枠がありますけれども、そうすると今度は何が起きるかというと、同意が取れないという問題が出てきます。なかには、今、レジストリの中にオプトアウトではなくて口頭同意でやっているところもありますけれども、それもこの指針からすると違反しているという話になってきて、現実に動いている疾患レジストリとか症例登録研究と全くルールが合っていないということになってくるのが大きな問題だと思います。もともとこれは時間軸ではなくて、つまり前向きとか後ろ向きということではなくて、まさに二次利用に該当するかどうかということでルールをつくったわけです。ただ、それが「既存」という、日本語で言うとどうしても過去のことを想像するものの中に、これから生じる診療情報、メディカルレコードについても「既存」の枠に入れましょうということでずっとやってきていて、それが制度疲労というか、限界に来ているのだと思います。
もう一点、現実との兼ね合いということで、今回、国際的な状況との関連ということも話題になっていると思います。普通に考えれば分かるのですが、問題になっているのはメディカルレコードの二次利用です。このメディカルレコードの二次利用を規制する諸外国の規制の中で時間軸を持ち込んでいるものは一つも私は知りません。昨日までの診療情報と明日からの診療情報が違うということはなくて、日本の中でも、どちらもそれは既に取得している要配慮個人情報の二次利用であり同じ扱いのはずです。
例えば吉田先生が意見書で少し書かれていましたけれども、米国のコモンルールにおいても、結局、過去のものも未来のものも含めてというふうにはっきりガイダンスで書かれるわけですが、日常的な医療に伴って出てくる医療の情報、カルテの情報だったり、あるいは残余検体の二次利用というものについて、現在のコモンルールだと、それをまとめて倫理審査不要というカテゴリーに入れているわけです。
日本は、もちろん倫理審査は必要という立てつけになっていて、それをいきなり動かすということはできませんけれども、基本的にどの国を見ても、これは二次利用かどうかということですし、さきほど横野先生もおっしゃっていましたけれども、ほかの厚労省や内閣府でやっている医療データの利用に関する議論でも、基本的にやはり一次利用か二次利用かということで区別をしているわけです。
それと考え方を合わせていくという意味であれば、旧来、誤解を招きやすい形で最初に意味を拡大させて使ってきて、だんだん時代に合わせてガイダンスもここの部分は今、すごく膨れ上がっていますし、直感的に分かりにくい状況になっているわけです。ですので、これはガイダンスで整理しますという話ではなく、しっかり合同会議の場で、これから20年、30年のヘルスデータを研究に利用していくということを考えた場合に一体どういう定義の仕方をするのがいいのかということを議論しないと、これは早々に行き詰まります。
新規と既存に関して言うと、時間軸で読めるような読み方というのは、繰り返しになりますけれども、現実に合わないし、諸外国のルールとも全く合わないし、日本の指針の過去の議論とも全く合わないので、それはやはりやめていただきたい。新たに言葉とか概念を含めて、これは本当にいい機会だと思いますので、長い間やってきて、かなり分からなくなってきている現状があるので、ガイダンスで引き取って整理をしますというよりも、しっかりとこの合同会議の場でこの利用についてどう考えるのかということを議論していただきたいと思います。具体的な提案としては、さきほど横野先生も触れられていましたけれども、神里先生が最初の段階でかなりはっきりとガイダンスのどこに手を入れるべきだというような話だったり、あるいは既存情報という言い方は分かりにくいので、言い方を変えたらどうですかという提案をされているので、それも含めて再度ここは検討していただきたいと考えます。
以上です。
【八百野臨床研究等技術参与】 御意見ありがとうございます。適宜検討させていただければと思います。
【三浦委員】 先ほども少し議論になっていました3ページの「適正な手続」の部分です。非常に分かりやすく適切な同意や口頭ICとかをICとオプトアウトにまとめて、オプトアウトの定義をしていただいて、すごくすっきりしたと思ったのですが、ここで適正な手続を要件とするというところが非常に引っかかりました。適正な手続をガイダンスで示すとあるのですが、それを要件とするというのが果たしてどうなのか、せっかく「適切な同意」を外したのに「適正な」という曖昧な言葉を要件にするというのが引っかかりました。
以上です。
【森座長】 事務局からはいかがでしょうか。
【八百野臨床研究等技術参与】 ありがとうございます。
こちらについては先ほどからも御議論いただいておりますが、時間をかけて検討する必要があると思っておりますので、既存の部分等を含めて検討の時間を設けさせていただければと思っております。
【三浦委員】 ありがとうございました。
【森座長】 神里委員、お願いいたします。
【神里委員】 「既存試料・情報の提供のみを行う者」のところです。それに関してですが、この定義はガイダンスの「研究者等」の項目に示されているのみなのですね。指針では16か所「既存試料・情報の提供のみを行う者」という言葉が出てきますので、やはりこちらについても、先ほどの用語の定義でオプトアウトを指針上明記するというお話がありましたけれども、併せて指針において定義していただくことを検討したほうがいいのではないかと思っております。
また、先ほど既存・新規について田代委員のほうから、私が最初の頃に意見書として出させていただいた意見について引用いただきましたけれども、ぜひとも新規・既存については見直しをお願いしたいと思います。こちらも申し添えておきます。
以上です。ありがとうございます。
第2回で出されていた神里委員からの意見というのは、第2回の参考試料2に記載されている以下の部分のようだ。神里委員は、2つの例示のうち2つ目だけ削除を求めていたが、1つ目も削除する必要があるだろう。また、表の例示部分だけでなくガイダンス本文(13頁、該当部分は以下)からも削除する必要がある。
*3 この問題に関係する発言を9月11日の回の議事録から抜粋すると、以下の部分である。石井委員は、個情法の「取得」概念(事業者に情報が入ってきて記録されること)に沿って話している一方、事務局側は、人から直接取得すること(採取・聴取・測定)を想定しているため、このように会話が噛み合っていない。双方が他方の概念に想定が及んでいない様子がわかる。
【石井委員】 ありがとうございます。
私からは質問のようなことになりますが、取得の概念についてお聞きしておきたいと思います。指針やガイダンスでは試料・情報の取得という言葉が数多く出てくるわけですが、試料の場合は形のあるものを受け取るということがはっきりしている場合もあるでしょうけれども、情報になると、この辺りは個人情報が絡んできますので、解釈がもう少し明確になっているほうがいい場合があるのではないかと思いました。
例えば個人情報保護法のガイドラインやQ&Aなどを拝見する限りですと、閲覧するにとどまる場合は取得しているとは解されない、提供を受ける行為がない場合には個人情報の取得にはならないといった辺りの記載があったかと思います。いつのタイミングで取得したと見るのかという点でいろいろ議論のあるところかと思います。既存なのか新規なのかというタイミングの問題ですが、その辺りの経緯に関わってくるのではないかと思いましたので、その点をお聞きできればと思いました。質問になります。よろしくお願いします。
【八百野臨床研究等技術参与】 御意見ありがとうございます。
事務局といたしましては、先ほどの適正な手続というものと、新規か既存かという点は関係するものと考えますが、研究の目的を持った取得におきましては、基本的には新規取得という形で考えております。特に診療情報になると、要配慮個人情報が含まれることもありますので、取得の段階で目的が明示されていない上で取得することになりますと、個人情報保護法上にも引っかかってくるのではないかと懸念しております。ガイダンスで記載している新規と既存の考え方に関して、事務局としては考え方は特に変える必要がないのではないかと考えているところではございます。
【石井委員】 すみません。新規なのか既存なのかというよりは、いつのタイミングで取得したことになるのか、その定義が、実際、現場も含めて明確と言えるのかというところが気になっていて、お聞きしたかったということです。個人情報保護法の解釈ではある程度ヒントになるような情報はあるかなということです。
【八百野臨床研究等技術参与】 ありがとうございます。
既存の考え方というところは、研究計画書が作成されるまでに存在するものという時点の考え方と、取得の時点で目的がどう含まれているかというところで定義をおいているというところにはなっております。
【石井委員】 提供を受けるということが外形上明らかな場合なので、その辺はあまり気にしなくていいということでしょうか。
【八百野臨床研究等技術参与】 ・・・・・・。(引用時注:5秒の沈黙)すみません。提供を受けるというのは。
【石井委員】 取得という概念自体が必ずしも明確に示されているわけではないような気がしましたので、お聞きしています。
【事務局】 ・・・・・・。(引用時注:4秒の沈黙)
【石井委員】 変なことを聞いているようだったら、これ以上は質問するのはやめますけれども。
【事務局】 ・・・・・・。(引用時注:13秒の沈黙)・・・・・・。改めて......
【八百野臨床研究等技術参与】 改めて本件に関してはまた意見交換させていただければと思います。
*4 参考までに、最初のChatGPT調査の際に与えたプロンプトを開示しておく。
*5 転載時「data subject」誤訳修正。