ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜 3ページ - ダム便覧
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◇ 4. 矢作ダム(矢作川)の建設
矢作ダムは矢作川の河口より80?q上流、愛知県東加茂郡旭町閑羅瀬(
左岸
)、岐阜県恵那郡串原村閑羅瀬(
右岸
)地先に、昭和46年に完成した。
矢作ダム工事事務所編・発行「
矢作ダム工事誌
」(昭和46年)によると、ダムは5つの目的をもって造られた。
(1)
洪水調節
ダム地先で最大2 300m3/sの洪水量を1 000m3/sカットし、ダム放水流量を1 300m3/sにおさえ、下流乙川合流点以降における矢作川最大流量を5 400m3/sから4 800m3/sに低下させる。
(2) 工業用水
衣浦臨海工業地帯等の鉄鋼金属、重化学、繊維等の各工業に6.69m3/sを供給する。
(3) 農業用水
明治用水、枝下用水地区の用水補給と北部南部地帯の既田、既畑に最大30.12m3/sを供給する。
(4) 水道用水
西三河一帯の市町村に水道用水として、4.425m3/sを供給する。
(5) 発電
発電所はダム下流の矢作第一発電所と下流の
逆調整池
による第二発電所により、最大出力91 200kWを発電する。
矢作ダム工事誌
矢作ダムの諸元をみてみると、
堤高
100m、
堤頂長
323.1m、
総貯水容量
8 000万m3、
型式
は放物線
アーチ式コンクリートダム
である。起業者は建設省、施工者は鹿島建設、事業費145億円を要した。
なお
補償
関係は、水没家屋旭町108戸、串原村67戸、上矢作町2戸、少数残存者8戸、県道付替1戸、合計186戸にのぼった。ダム完成後の移住地は豊田市へ70戸、明智町へ22戸、名古屋市へ7戸などであった。
鹿島建設(株)矢作出張所編、発行「
矢作ダム
」(昭和46年)は、ダム工事写真集である。この写真集から完成までの技術者の苦労の足跡をみてみたい。
仮排水トンネル
の延長428m、内径6m、通水能力400m3/s、掘削工法は上部半断面先進、下部ベンチカット工法で行われた。トンネル吐口付近の中部電力の取水ダムで水中発破を行っている、その水中用爆薬はコーズマイト23号を使用。本体
コンクリート
打設
時の昭和43年8月下旬、集中豪雨により、2万m3近い泥土が流れ込んだ。この遅れをとりもどすために適正な工程管理と寒中
養生
による冬期コンクリート打設により乗り切った。
矢作ダム
現在の矢作ダムの課題は
堆砂
問題であろう。平成12年、東海豪雨によって、通年の14年分にもなる約280万m3の土砂が一度にダム湖に流入した。矢作ダム建設後30年経ち、今ではたまった土砂が1 400万m3もあり、貯水池内の土砂処理対策として陸掘可能な区域の土砂約100万m3を取り除き、この土砂は川や海など本来流れ着く場所へ戻している。堆砂問題は矢作ダム貯水池総合管理計画検討委員会のなかで、協議がなされている。
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