「理の塔、技の塔」〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜(6)アメリカに追いつけ、追い越せ!戦後のダム技術開発 1ページ - ダム便覧
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フィルダムの戦後史
日本列島に構築されたダムの総数は、1999年版「
ダム年鑑
」(日本ダム協会)によれば、2613にのぼる。うち
フィルダム
は1711で、ダム総数の65%も占めている。そのうち、
アースダム
が1508で、
ロックフィルダム
が203である。アースダムは戦後の30年間、毎年10ダム以上のペースで建設された。昭和51年(1976)以降はペースが落ち、逆にロックフィルダムが台頭して数多く建設されるようになった。(以下、((独)土木研究所、国土交通省国土技術政策総合研究所、(財)ダム技術センター、(財)ダム水源地環境整備センターなどの論文や資料を参考にして一部引用する)。
アースダムは太平洋戦争が終結した昭和20年(1945)の段階で、既に1050存在していた。ロックフルダムは存在せず、すべて戦後に建設された。アースダムが江戸時代末期までに農業用ため池として、西日本を中心に大陸から影響を受けた技術や固有の技術を駆使して建設されたこと、明治期に入ると欧米の技術を取り入れてアースダムが水道用や発電用に建造されたことは既に論じた。これらのダム群は、中央に粘土
コア
を持ち、
フィルター
はなく、コアの上下流には粘土や土砂などが使われた。ダム技術は初歩的ともいえ、大雨による破堤と修改築を重ねながら経験的方法により施工法が改良された。
戦前の台湾では、日本人技師八田與一(よいち)が南部最大の平原・嘉南平原に烏山頭(うさんとう)ダムを完成させた。堤体高61メートルの当時「東洋一」の農業用アースダムである。荒れ野は一大穀倉地帯に姿を変えた。農民たちは八田の献身的な努力に感謝して、ダム湖畔に記念の銅像を建てた。
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