ダムの書誌あれこれ(9)〜温井ダムを訪れる〜 1ページ - ダム便覧
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《温井ダム》
平成16年3月4日、広島県山県郡加計町の温井ダム(龍姫湖)を訪れた。雪の日であった。この雪がまた貯水量を安定させてくれる。
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の傍、温井ダムスプリングスホテルから眺める雪化粧のダムは旅情をかきたててくれる。ゆるやかな放物線を描いた
アーチダム
は、4階建ての半円形ホテルとよく似合う。威圧感を感じさせない上品なダムで、気品があった。
ホテルの前からダム湖畔に向かって小さな半島が突き出ており、イタリアの長靴のような形をしている。この半島は自然生態公園として整備され、いまでは、四阿、展望台、バンガローも設置され、散策、自然観察、森林浴もできる。
温井ダムは太田川水系滝山川に国土交通省によって、平成14年3月に完成した。施工者は鹿島建設、西松建設、五洋建設である。
堤高
156m、
堤頂長
382m、堤体積約81万m3、非
越流
部標高EL 385m、
集水面積
253km2、灌水面積 1.6km2、
総貯水容量
8,200万m3、常時満水EL 360m、
サーチャージ水位
EL 381m、
アーチ式コンクリートダム
である。アーチ式ダムとしては、 186mの黒部ダム(富山県・関西電力)に次ぐ高さを誇っている。3位は 155mの奈川渡ダム(長野県・東京電力)である。
この温井ダムの用地取得面積は、道路用地を含めて225.34ha 、支障移転家屋27戸、このうち集団移転地の新温井地区21戸、広島市等に6戸、それぞれ移転している。
◇
太田川は広島県西部を貫流する中国地方有数の
一級河川
で、水源を佐伯郡吉和村北西部冠山(EL=1339m)に発し、上流では柴木川、筒賀川、滝山川などを集め、加計町を下り、中流では水内川、西宗川、吉木川を合流し、広島市可部町では根谷川、三篠川を合流、さらに、広島平野南南西を流れ、昭和42年完成の太田川放水路から東に旧太田川、旧太田川の中央部で京橋川、天満川、元安川などを分流し、広島湾に注ぐ。幹線流路延長 103km、
流域面積
1710km2、河川数74河川、総河川延長 597.3kmである。河床勾配は下流平野部(河口〜可部町)で1/4000 〜1/450、中流部で(可部町〜加計町)で1/450〜1/200程度である。
大正以降、太田川の水害は、大正3年、8年、昭和3年とおこり、流域住民が大被害を受けた。このことから、昭和7年に「計画洪水量4500m3/sとし、放水路に3500m3/s、市内河川に1000m3/sを調節する計画」に基づき、太田川放水路工事が内務省大阪土木出張所の手で着手されたが、放水路にかかる用地問題と戦争の影響で進展しなかった。
昭和18年、20年には、計画洪水量を上廻る役6600m3/sの水害が起こった。昭和23年「計画洪水量6000m3/s」に改定した。その後、太田川は、昭和25年9月13日〜14日キジヤ台風、昭和26年10月14日〜15日ルース台風、昭和29年9月13日〜14日台風12号によって水害が起こっている。
太田川の特筆する水害は、昭和47年7月9日〜14日の梅雨前線豪雨である。この豪雨によって、広島県から島根県にかけて中国山地沿いに有史以来の惨事が生じた。広島県の被害は、死者不明39人、全壊流出家屋 337戸、橋梁流出332ケ所、堤防決壊 8703ケ所となった。玖村地区で
ピーク流量
6800・/Sを記録している。加計町では国鉄加計駅に停車中の列車4両が激流に浚われ、太田川に沈み、また家屋14戸も流出、5人が亡くなった。このとき、加計町の上流における太田川の立岩ダム(完成昭和14年)、柴木川の樽床ダム(昭和33年)、滝山川の王泊ダム(昭和34年)の
水力発電
用ダムからの放流が、水害の一要因となったともいわれ、治水の役割をになう温井ダム建設の促進に拍車をかけることとなった。
なお、昭和50年建設省は、「基準地点玖村における
基本高水
ピーク流量を12,000m3/sとし、このうち 4,500m3/s上流ダム群により調節して、河道
計画高水流量
を 7,500m3/S」と改定している。
この水害については、中国建設弘済会編・発行
『昭和47年7月豪雨災害誌』
(昭和49年)、同
『水の爪跡ー昭和47・7災』
(昭和48年)、広島県編・発行
『昭和47年7月豪雨災害状況および県のとった措置』
(昭和47年)の書がある。
さらに、昭和63年7月20〜21日梅雨前線豪雨では、総雨量加計町 276mmとなり、加計町と戸河内町合わせて14人が亡くなった。
この水害についても、加計ライオンズクラブ編・発行
『山津波から生命を守るためにーS63・7・豪雨災害』
(昭和63年)、平成3年災害碑建設委員会編
『災害誌ー63・7・集中豪雨』
(加計町殿賀福祉会・平成3年)、中国新聞社編
『集中豪雨を追うー昭和63年7月加計・浜田災害』
(渓水社・平成元年)の書がある。
◇
温井ダムは度重なる洪水を防ぎ、その他に利水と河川環境の保全を図る目的で建設される。
・洪水防御として、ダム地点における計画高水流量 2,900m3/sのうち 1,800m3/sの
洪水調節
を行い太田川の水害の防止、軽減を図る。
・河川環境の保全として、河川の流況の改善を図るとともに下流の既得用水の補給を行う。
・水道用水として、広島市、呉市などの中核都市並びに瀬戸内海沿岸の島しょう部におる水道用水の需要増大に対処するため、玖村地区について、新たに広島県に対し日量最大 10万m3、広島市に対し、日量最大 20万m3の水道用水の取水を可能にする。
・発電として、ダム下流左岸温井発電所(中国電力)において温井ダムから放水する水の落差を利用して最大出力 2,300kWを行い、ダム直下で滝山川に放流する。
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