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ダム番号:841

有峰ダム [富山県](ありみね)



ダム写真


044676 加藤敦
027160 灰エース
027163 灰エース
027179 灰エース
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049777 Dam master
049799 Dam master
027166 灰エース
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どんなダム

折れ曲がった大型の重力式コンクリートダム
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堤高140m、堤頂長500mの大型の重力式コンクリートダム。堤体の両端が折れ曲がっていて、横から見るとZ字形に見える。
[写真]工事中、ほぼ完成
北陸電力が社運を賭けた有峰発電計画
___ 有峰ダムによる発電計画は長期の経緯を経て実現した。富山県は、常願寺川水系で水力発電を計画、大正9年、有峰村は県営発電事業のため全村買い上げられた。昭和14年、ダムコンクリート 打設が始まり、事業は富山県から日本発送電へと引き継がれたが、戦争で中断。戦後、昭和26年の電気事業再編成で北陸電力が発足。事業は北陸電力に引き継がれ、北陸電力の常願寺川有峰発電計画として、昭和31年に着工。当時北陸電力の資本金は50億円で、その6倍以上の330億円もかかる大計画で、北陸電力にとってはまさに社運をかけての建設であった。建設にあたっては世界銀行から90億円の借款を受けている。
発電出力第2位
___ ダムにより水力発電が行われているが、北陸電力の4発電所(和田川第一、和田川第二、有峰第一、有峰第二)の合計最大出力は、53万4千kW。これは、揚水発電を除いて日本で奥只見ダムに次いで第2位。
宝来島には有峰神社
___ ダム湖には宝来島があり、そこに有峰神社が祭られている。常願寺川有峰発電計画の完成記念事業のひとつとして建立された。1963年10月13日に鎮座祭が行われ、以来、北陸電力は毎年秋に祭礼を行い、自然の恵みに感謝し、地域の繁栄、社業の発展を祈願。
県立自然公園
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周辺は、昭和48年に有峰県立自然公園に指定された。ダム湖である有峰湖周辺は原生林に覆われ、湖岸を一周する道路や白樺林に囲まれたキャンプ場、ふるさと自然公園テニスコート、有峰青少年ハウス、有峰記念館などが整備されている。
[写真]有峰湖(撮影:Hisa)
シリーズ ダム百選 投票から
第 3 回 『 冬に行きたいダム 』
しかく 心に残ると思います。 (11〜20歳 男)
左岸所在 富山県富山市有峰 [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯36度29分22秒,東経137度26分55秒 (→位置データの変遷)
[近くのダム] 祐延(4km) 岩井谷(5km) 新中地山(6km) 真立(7km) 真川調整池(9km)
河川 常願寺川水系和田川
目的/型式 P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 140m/500m/1568千m3
流域面積/湛水面積 219.9km2 ( 直接:49.9km2 間接:170km2 ) /512ha
総貯水容量/有効貯水容量 222000千m3/204000千m3
ダム事業者 北陸電力(株)
本体施工者 前田建設工業
着手/竣工 1956/1959
ダム湖名 有峰湖 (ありみねこ)
ランダム情報 【ダム湖百選】(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定される(平成17年3月16日公表)
【ダムカード配布情報】2024年8月2日現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver1.0
しろまる有峰ビジターセンター 9:00〜16:30(土・日・祝日を含む)(注記)冬期期間(例年11月上旬〜5月31日)は有峰林道閉鎖のため、配付はできません。
ダムカード画像コレクション
有峰ダム Ver.1.0 (2016.05)
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】左岸所在地[上新川郡大山町有峰→富山市有峰] 流域面積[220→49.9]
【06当初→06最終】流域面積[49.9→220]
【06最終→07当初】河川名[和田川→増間川] 流域面積[220→219.9]
【07当初→07最終】河川名[増間川→和田川]

しかく テーマページ(抄)テーマページ目次

「ダムナイト5〜ダムのデザイン、どうしてこうなった〜」
そのあらまし

しろまる有峰ダムの堤体はなぜS字を描いているか

(萩原)北アルプスの麓、周りを見ると黒部、高瀬が近い。各電力会社のエース級がいっぱいあるあたり。「孤高の戦士」とか「北陸の王者」とか勝手に呼んでいます。


堤体が折れ曲がっている。何でこんなややこしい形をしているのか。


(萩原)また有峰ダムに戻って。有峰は山に囲まれた高原の盆地だった。昔から発電の開発計画があった。昭和初期に富山県が高さ50mのアースダムを計画。資金的に難しくすぐ中止。
その後昭和12年にまた県が高さ110mの重力式ダムを計画。昭和12年に110mはものすごいでかい。壮大な計画。実際掘削をし、コンクリート打設もした。戦争になって昭和18年に資材がなくて中断。堤体が20パーセントぐらいできていた。そのまま放置された。


昭和30年に北陸電力が再事業化。高さを140mに変更。31年に旧堤体を包み込む形で工事を再開。左岸上部に新堤体をつけて山に接続した。工事再開からわずか3年後に完成。



(中村)当時は24時間、土日無しで打設。今は夜は休みだとか土日休みだとかたるんだことを言っている。休まなければかなりコスト節減になる。機械設備が大きくて、休むとそれを遊ばせることになる。きちっとローテーションを組めば問題なくできるはずなのに。

(萩原)有峰ダムのS字には、日の目を見ることがなかった旧堤体の存在が現れている。


・・・→ 全文はこちら
(2011年8月作成)

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