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「『俺たちゃ裸がユニフォーム たまにゃ蜂にも刺されるけれどファィトファィトファィトひとつが財産さ だけど強いぜ負けないぜ♪』という花登筺作詞・服部公一作曲の主題歌は、よく考えれば今も昔も四国のあるべき姿である。」
「『俺たちゃ裸がユニフォーム たまにゃ蜂にも刺されるけれどファィトファィトファィトひとつが財産さ だけど強いぜ負けないぜ♪』という花登筺作詞・服部公一作曲の主題歌は、よく考えれば今も昔も四国のあるべき姿である。」
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「ピッチャー以外のチームの集合写真でこれがユニフォーム、当然、女子も選手である。主人公(右端)が赴任するまではダムの賛成派と反対派に分かれて争っていた。このほか村長の息子でどっちつかずの『コウモリ』とかがいた。これもベタな地方の縮図。」
「ピッチャー以外のチームの集合写真でこれがユニフォーム、当然、女子も選手である。主人公(右端)が赴任するまではダムの賛成派と反対派に分かれて争っていた。このほか村長の息子でどっちつかずの『コウモリ』とかがいた。これもベタな地方の縮図。」
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「投手の『網走』。サラシにテンガロンハットと高野連としてはちょっと困ってしまう格好(笑)だが、これで名門高松商業などと練習試合をする。」
「投手の『網走』。サラシにテンガロンハットと高野連としてはちょっと困ってしまう格好(笑)だが、これで名門高松商業などと練習試合をする。」
君は『アパッチ野球軍』を知っているか?
2011年12月18日
若い人はもちろん知らないだろうが、昭和30年代生まれの人なら多分覚えているであろう『アパッチ野球軍』なる強烈なテレビ漫画(当時はアニメとかは専門用語)が1972年に放映されていた。原作はなんとあの戦後を代表する脚本家の花登筺(はなとこばこ)。『細うで繁盛記』や『番頭はんと丁稚どん』の作者である。こうなるともちろんただの野球漫画ではない。時は1970年前後、場所は四国松山から山奥に分け入ったとある山村。傷害殺人なんでもありの無法地帯の通称『アパッチ村』。ここに指導者として招かれた甲子園優勝投手が、おりしもこの山村に建設中のダムの賛成派と反対派に分かれた高校がわりの私塾の生徒たちを野球で導いて行くという人間ドラマである。まぁ、それだけではつまらないのか登場人物のキャラが凄かった。ダム現場主任の息子であるピッチャーの通り名(本名わからず)は「網走」。ナイフ投げで飛んでいる蝶を刺せる。あと外野を一人で守れるというパーマン2号のような「モンキー」、4番打者は木こりの巨漢「材木」等々と、それはそれは凄まじくて最初はボールを打った後にサードに逆走していた。
・・・で「このアパッチ野球軍の舞台となった建設中のダムはどのダムだろうか?」がお題である。確か一話では主人公が松山港に船で到着して、そこから険しいがけ道を恩師である校長先生のロバ車に揺られて半日以上だった。とすれば松山三津浜港から20〜30キロ前後の高縄山系か?そのエリア1970年あたりに完成したコンクリートダムを右上の「堰堤スペック一覧」で調べると、ずばり「58番石手川ダム(1972年)」と「61番玉川ダム(1970年)」がぴったり当てはまるではないか?ただ玉川ダムとなると地名も松山というより今治であるし、距離的にも松山港からではなく今治港から上陸しているであろう。作者の花登さんはもう30年前に亡くなっているので確かめるすべもないが、「石手川ダム」でほぼ間違いないと思う。これより「石手川ダム」は『アパッチ野球軍のダム』として売り出していいぞ。多分、テレビっ子の中高年はわかってくれるはずである。なんならついでにダムのある「宿野町」の地名も「アパッチ村」に改名した方が見学者も増えるものと思われますが、いかがでしょう国土交通省様。