2014年08月05日

今夜のterra cafe kenpou

今夜のterra cafe kenpouは、吉?ア幸恵さん(福岡市原爆被害者の会幹事)を講師に長崎原爆被害についてお話を伺いました。
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吉?アさんは5歳の時に長崎で被爆されました。
21名が参加。

「あの日のことを知ってください」
1945年8月、広島長崎で原子爆弾が炸裂しました
罪もない20数万の人々が虫けらのように殺されました。生き残った40数万の人々は今も苦しんでいます
影だけ残して消えた人
目玉はえぐられ、ぼろきれのように皮膚をぶら下げ「水ば下さい」
人間が生きたまま腐れていった
なす術もなく、殺して、殺して、と叫ぶばかり
再び被爆者を作らないためにあの日のことを知って下さい。
人類の叡智で第二の広島、長崎を作らないために
核兵器のない世界を。平和のために

あの日のことを人に話すなど辛すぎるという被爆者も多い。

5歳の時に、長崎市伊良林町の家の中を妹と駆け回っていた(爆心地から3.5km)。
それまで青かった空が真っ白に光った。
何が起こったのかと立ち止まった時にすごい風が来た。
家の中の建具や家具、仏壇は倒れ、ガラスは畳に突き刺さった。
足を切りながら防空壕に入った。恐ろしくて防空壕の中で泣いていた。
一番上の姉は妹をかばって頭にガラスが刺さり気を失った。
二番目の姉は昼食の準備をしようと土間に下りたところ頭を叩きつけられ気を失った。
母は畑で人参の間引きをしていたところ背中を焼かれ吹き飛ばされた。
父は疎開者のために小屋を作っていたとこと胸を焼かれた。
夜、家の中はガラスが突き刺さって眠れないので、縁側の下にゴザを敷いて眠った。
夜になっても空が赤く染まって美しいと思った。町がまだ燃えているとは思っていなかった。
従兄弟のお兄ちゃんは三菱兵器大橋工場に学徒動員に出ていたが帰ってこなかった。
翌朝、父たちは従兄弟を探しに行った。
伊良林国民学校の校庭では大勢の人間がイワシの焼かれていた。骨まで焼けないので木で死体を叩きながら焼いていた。その匂い、光景。
3日目、伊良林国民学校に収容されていた従兄弟は無傷だったが放心状態で戸板に乗って家に帰って来た。
出血や嘔吐で体力は失われ、元気だった従兄弟は見る影もなくなった。
9日目、口からドロドロしたものを吐き、紫色の斑点が身体中に広がり、その日5回目の下痢を最後に死んだ。
翌日、父たちは従兄弟を荼毘に付した。
身内を自らの手で焼かなければならなかった大人たちの気持ちを考えるといたたまれない。

通常の爆弾との違い、熱戦、爆風、放射線。

戦後の対ソ戦略のため、原爆を人に落としてその効果を確認した。悪魔の所業。

20数年前、アメリカに行った。4人一組で被爆者は全米を回った。
ニューメキシコ州アルバカーキの原爆博物館でファットマンの実物模型に対面した。その瞬間、立ちすくんだ。これが何万人もの罪もない人々を生きながらに殺したのかと思い涙が止まらなかった。

ABCC(原爆傷害調査委員会)は治療をしてくれなかった。
友達もABCCがジープで迎えに来たが検査だけして治療をしてもらえなかった。
ABCCでも多くの人が死んだ。ABCCは、それを解剖し臓器を取った。内蔵を取り出す作業を同じ被爆者にさせた。臓器を取り出した後、藁屑を詰め縫い合わせる作業も被爆者にさせた。それは遺族に評判が悪く、その後、親指だけを切り取り遺族に返すようになった。被爆者は死んでからも人間扱いされなかった。

被爆者は死産が多く、1200人以上の赤ちゃんが原爆調査に利用された。

長崎で被爆した福田須磨子さんの言葉
何もかも いやになりました 原子野に屹立する巨大な平和像 それはいい それはいい けど そのお金で何とかならなかったかしら "石の像は食えぬし腹の足しにならぬ" さもしいといって下さいますな 被爆後10年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です

被爆者は何の補償もない中、倦怠感で働きにも行けず、ブラブラ病と蔑まれた。
子どもを育てるために何でもした。
結婚でも差別。被爆者と分かれば、子どもと引き離され離婚させられた。

山口仙二氏は、繰り返し皮膚の移植を受けたが、その費用が国ではなく医師や市民の寄付でやられていると知った時、下駄履きのまま列車に飛び乗り国会に行った。
彼らの被爆者救済の運動がなければ、国は何もしてくれなかった。

原爆で苦しんでいる人はいないとプレスコードが敷かれ原爆被害は世界に発信できなかった。もっと早く発信でき、世界中に被爆者の声が伝わっていれば、こんなに核兵器は広がらなかったと思う。

人類と核兵器は共存できない(国際司法裁判所勧告的意見)

「地平線の先には核兵器のない世界が見えています。これを現実のものにしようと活動する人々が見えています。どうか行動し続けてください。警告を鳴らし、圧力をかけ続けてください。皆さんの指導者に対しる」(潘基文国連事務総長)
来年は被爆70年、そして5年に1度のNPT開催年。
核兵器をなくすために署名を集める。5000筆集める目標を立て7000筆以上を集めた。

被爆柿の木の植樹で小中学校に平和を伝えている。
今日の聞き手は明日の語り部。

原爆と原発は同じ。
集団的自衛権で日本が外国に行けば、原発がテロでやられるのは明らか。私たちは逃げようがない。


来週(8/12)はお休みです。

再来週(8/19)のterra cafe kenpouは
山口実さん(福岡大学講師)を講師に湾岸戦争時に「人間の盾」としてイラク軍に拘束された体験をお話しいただきます。
ぜひご参加ください。

日時 8月19日(火) 19:00-21:00
場所 光円寺門徒会館(福岡市中央区天神3丁目)
参加費 無料
テーマ 人間の盾〜イラク軍に拘束されて
講師 山口実さん(福岡大学講師)
(注記)学習会終了後希望者で交流会を行います(交流会参加費2000円。学生1000円、留学生500円)
posted by 後藤富和 at 21:03| 平和

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