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ページID:69306更新日:2024年10月25日
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KSC0037
県指定 有形文化財(考古資料)
平成21年5月21日指定
員数 120点
所在地 山梨県立考古博物館(甲府市下曽根町923)
所有者又は管理者 山梨県立考古博物館
天正10(1582)年に武田氏が滅びると、甲斐は織田信長の領国となったが、本能寺の変後は徳川家康の支配下となり、平岩親吉が城代になった。豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川家康は関東に移され、甲斐は秀吉の甥にあたる羽柴秀勝が支配することになった。秀勝の移封後は加藤光泰が、光泰が文禄の役で没すると浅野長政・幸長の支配となった。関ヶ原の戦後に、甲斐は再び家康の支配下となり、慶長12(1607)年には幕府の直轄地となった。
甲府城は、戦国期の1590年代に、豊臣系大名によって櫓に金箔瓦、高い石垣、城門がある典型的な織豊系城郭として造られた。金箔鯱瓦は県指定史跡甲府城跡の発掘調査によって発見されたもので、城の中心である本丸やその周辺から出土したものである。
鯱瓦は、建造物の屋根の両端に配置された魚の形をした瓦で、表面には金箔や朱が施されていた。こうした鯱瓦の破片は120点あり、大形破片を復元したところ、その大きさは132センチの高さであったと推定される。この大きな金箔鯱瓦は、本丸周辺に金箔瓦が輝く大規模な建物があった可能性を示している。
実物は山梨県立考古博物館で観覧できます。←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。
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