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Vol.0035

31歳の時に急性骨髄性白血病と診断「移植のために多くの人が関わり、支え合う社会のしくみに感謝しています。」と語ってくれました。

みんなのストーリーより「佐藤 遼(さとう はるか)さん」

PROFILE

佐藤 遼(さとう はるか)さん

京都府在住
31歳の時に急性骨髄性白血病と診断。骨髄バンクを介して骨髄移植を受ける。
現在は仕事復帰。
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病気が発覚する前年の6月の健康診断では異状なく元気に過ごしていました。2018年の年明けから徐々に不調を感じ始めるようになり、3月に入ると、些細なことでの出血や疲労感、息切れなどの症状が出てきました。3月中旬に発熱したときは解熱剤を飲んでも熱が下がらず、これはおかしい、と思い病院で検査を受けたのがきっかけです。

「白血病」と聞かされた時「治りますよね...?」ととっさに言ったのを覚えています。
その後、確定診断検査のため処置室で待っている時に「死ぬかもしれない、いやきっと死んでしまう」という診断の実感というか不安や恐怖が襲ってきて涙が止まらなかったです。
反対に、「病名が分かって良かった」「治療法がある」という安心感もありました。
また主治医が「治るためにがんばるんだよ」という姿勢でいてくれたことはとても救われました。

まずは周りの人の生活を変えてしまうことです。妻はサポートに回らなければいけなくなるし、子どもを授かることができなくなるかもしれない。両親、友人、仕事の関係者といった周囲へ影響を与えてしまうことがつらかったです。
他にも無菌室での「人に会えない生活」は自己実現もできず社会から距離を置かれた感覚でつらかったです。また抗がん剤治療のたびに高熱や倦怠感が続くこと、脱毛、爪の剥がれ、激しい頭痛などの副作用を経験しました。さらに移植をしても50%という治癒率を移植前に提示されたときは、改めて生きていくことの意味を考えなおしました。

診断を受けたときはショックを受けていた家族でしたが、入院中は励まし続け献身的に支えてくれていました。
友人、同僚、親族から千羽鶴をいただき、無菌室の枕元に飾っていました。
友人や同僚、後輩たちからの寄せ書きやメッセージ動画、何でもない連絡など、こういった一つひとつが、社会との繋がりを感じさせてくれて、生きる活力・治療の活力になっていました。
また、会社の制度が充実していたため、私のケースでは3年ほどの長期休業が認められました。そのため、社会復帰に関しては安心して治療に臨むことができました。

本当にありがたいな、というのが第一でした。医療の進歩と人の血が通ったシステムに感動しました。一方で、移植にはリスクも少なからずありますし、相当の副作用もあると説明を受けていたので、不安と期待が入り混じった感覚でした。

移植を待っていても受けられない人もいる中で、早くに適合者がみつかり移植に踏み切れました。そして今、本当に元気に健康的に生活できています。病気への罹患は変えられないことですが、結果的に幸運だったなと感じています。私のようなケースが1件でも増え、一人でも多くの人が助かることを願います。
改めて移植のために多くの人が関わり、支え合う社会のしくみに感謝しています。今後もこのしくみが多くの人の協力を集めながら続いていってほしいと思います。
退院後に投稿したSNSを見て、後輩が「骨髄バンクに募金しました!」と言ってくれたことも嬉しかったです。

元気に仕事に復帰しています。妊孕性の温存をしていたので移植後1年半で子どもを授かり、さらにその後双子も誕生して、想像もしていなかった5人家族になりました。育児休暇を取るなど、育児と仕事のバランスをとらせてもらっています。

ドナーさんには感謝しかありません。見ず知らずの誰かのために長い時間を割き入院までして提供いただけたこと、本当にありがたいです。おかげで本当に元気に過ごせています、と伝えたいです。

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