歯舞群島の概要
貝殻島(歯舞群島)の島勢
位置
東経 145度51分〜145度58分
北緯 43度24分〜43度28分
概要
貝殻島は納沙布岬から3.7kmに位置する島で、同岬から遠くに島影が確認できる。
島には1937年(昭和12年)に日本が建設した灯台があり、周辺海域は昆布の好漁地となっている。
水晶島(歯舞群島)の島勢
位置
東経 145度51分〜145度58分
北緯 43度24分〜43度28分
面積
12.1km2
人口、世帯等(終戦当時)
人口 986人
世帯 154世帯
馬 325頭
概要
水晶島は東西6km、南北8kmの島で、根室半島の延長線上わずか7kmに位置し、かつて人家のあった島ではもっとも納沙布岬に近い。歯舞群島の中では志発島の次に大きく、天然の良港である税庫港は水深が7〜8mあり、50トン級の船を50〜60隻収容できる。
戦前、住民の大半は漁業に従事し、毎年春には富山、新潟方面から多くの出稼ぎの人がきていた。漁業の中では海藻採取が最大の収入源で、コンブが7割以上を占め、薄葉広幅の良質なものを本土に送り出した。また、カニ、サケ、マス、エビなども豊富で缶詰加工も行われた。
秋勇留島(歯舞群島)の島勢
位置
東経 145度59分〜146度02分
北緯 43度21分〜43度23分
面積
2.1km2
人口、世帯等(終戦当時)
人口 88人
世帯 14世帯
馬 155頭
概要
秋勇留島は周囲12km、面積約2km2の小さな島で、全島ササにおおわれ、樹木は1本も見られない。島の中心部にある税庫港は水深が6〜7mあり、30トン級の船を数隻収容できる。
歯舞群島の中でも「海藻の宝庫」とよばれ、戦前の住民88人は、缶詰会社直営のカニ刺網を除き、すべて共同漁業権に属する漁業を営み、その9割はコンブやノリ、ギンナン草などで生計を立てていた。
勇留島(歯舞群島)の島勢
位置
東経 146度01分〜146度07分
北緯 43度23分〜43度27分
面積
9.9km2
人口、世帯等(終戦当時)
人口 501人
世帯 79世帯
馬 213頭
狐 20頭
概要
勇留島は面積約11km2の島で、税庫とトコマの両港は水深が7〜9mに達し、30トン級の船を30隻ほど収容できる。
戦前は79戸が住み、海藻採取と沖合漁業が盛んで、北洋や中部千島への根拠地となっていた。缶詰工場が1ヵ所、ヨード工場が3ヵ所、フジコ工場が1ヵ所あったほか、200頭あまりの馬と20頭のキツネを飼育していた。
志発島(歯舞群島)の島勢
位置
東経 146度03分〜146度13分
北緯 43度27分〜43度33分
面積
58.3km2
人口、世帯等(終戦当時)
人口 2,249人
世帯 374世帯
馬 225頭
牛 2頭
羊 7頭
概要
志発島は面積約60km2で歯舞群島の中でもっとも大きく、西部の相泊港は沖合に瀬が8kmほど張り出し、シケのときも安全な沖合漁業基地となっていた。
戦前は、374戸、2,249人が住み、商家が6軒、旅館兼料理業が4軒あった。
いたるところにコンブが繁茂し、山のように岸へ押しよせるコンブを拾うだけで生計が成り立つほどだった。大きい缶詰工場が2ヵ所あり、ホタテ貝採取に潜水器を使ったのは、この島だけである。また、ジャガイモや牧草などの畑が約79haあり、馬を225頭飼育するなど、なかなか力のある島だった。
多楽島(歯舞群島)の島勢
位置
東経 146度16分〜146度22分
北緯 43度36分〜43度39分
面積
10.9km2
人口、世帯等(終戦当時)
人口 1,457人
世帯 231世帯
馬 185頭
牛 5頭
羊 3頭
概要
多楽島は歯舞群島の最北端に位置し、周囲は24km、ほとんど樹木がなく、最高部でも海抜30mという台地状の島である。
戦前は、231戸、1,457人が住み、暮らしは海藻採取で支えられていた。そのほかは良い港がないため小規模なサケ、マス、タラ、イカなどの漁業がほとんどで、缶詰工場が1ヵ所あった。また、島全体が放牧地で馬や牛が年中放たれていた。
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