このサイトではJavaScriptを使用したコンテンツ・機能を提供しています。JavaScriptを有効にするとご利用いただけます。
本文
三浦弥平 日の丸を背負って走る弥平
三浦弥平(みうら・やへい)は、明治24年4月、伊達郡白根村字木ノ田(現伊達市梁川町白根字木ノ田)に生まれ、旧白石中(現宮城県白石高校)から早稲田大学政治学科を卒業。小さい頃は体が弱く休学を繰り返し、早稲田大学に入学したのは24歳の時だった。
旧白石中時代から陸上競技の道へ入り、早大時代は各種大会で入賞を重ねた。大正8年の日本選手権、同年の関東学生大会(後のインターカレッジ)の25マイル走で優勝。大正9年の第1回箱根駅伝では山登りコースの5区を走る。同年の第7回アントワープオリンピックのマラソン競技に金栗四三らとともに出場、福島県第1号のオリンピック選手となる。その後、ドイツに留学し大学で学びながら地元のスポーツクラブに所属し活動する。大正13年の第8回パリオリンピックにも連続出場する。
昭和3年に帰国後は、母校の早稲田大学の講師要請を断り帰郷、昭和4年、郷里の山林に「オリンピック村」を建設し、青少年の体力づくり、健全育成に尽力するが、戦況の拡大によりわずか4年で閉村。
昭和17年、東京・新京間親善マラソンを行い渡満、戦後は再び郷里へ戻り、地域青年を集めてのマラソン大会や私設保育所の開設、自宅を「白根体育公民館」として開放するなど、晩年まで地域スポーツの振興に尽力した。昭和46年4月、80歳で永眠。
1.早稲田大学競走部時代 2.シャーロッテンブルグスポーツクラブ時代
3.オリンピック村のスキー場 4.金栗四三(右)とともに
1.早稲田大学競走部時代
2.ドイツ・シャーロッテンブルグスポーツクラブ時代
3.オリンピック村に作ったスキー場
4.金栗四三(右)とともに
西暦(和暦) | 歳 | できごと |
---|---|---|
1891 (明治24)年 | 0 | 4月2日、伊達郡白根村木ノ田の蚕種製造を行う農家に生まれる。 |
1898 (明治31)年 | 7 | 白根村立白根尋常小学校に入学。 |
1902 (明治35)年 | 11 | 梁川町立梁川尋常高等小学校に入学。 2年生の時にリウマチとなり、1年半休学。 |
1907(明治40)年 | 16 | 刈田郡立刈田中学校(後の宮城県立白石中学校、現宮城県白石高等学校)に入学。 2年生の時に病気となり1年留年。遠刈田温泉で湯治、ランニングなどで健康づくりに努める。 5年生の秋季運動会1000mに出場し優勝、マラソンの道を歩むきっかけとなる。 |
1913 (大正2)年 | 22 | 白石中学校を卒業。 |
1915 (大正4)年 | 24 | 早稲田大学政治経済学科へ入学。創部間もない競走部に入部。 |
1919 (大正8)年 | 28 | 第1回関東学生大会(後のインターカレッジ)25マイル(約40km)走で優勝(2時間52分24秒)。 第7回日本選手権大会25マイル走で優勝(2時間39分40秒)。 |
1920 (大正9)年 | 29 | 第1回箱根駅伝で往路山登り区間(5区)を走る(区間3位)。 第7回アントワープオリンピックのマラソン競技に金栗四三、茂木善作、八島健三とともに出場。2時間59分37秒で24位。 その後、ドイツへ留学する。 |
1921 (大正10)年 | 30 | ベルリン市内のシャーロッテンブルグスポーツクラブに所属して活動。 ベルリン大学で経済学を専攻。 |
1923 (大正12)年 | 32 | ドイツ体育大学に入学、体育学を専攻。 |
1924 (大正13)年 | 33 | 第8回パリオリンピックのマラソン競技に金栗四三、田代菊之助とともに出場。痛めていた踵の痛みが再発し、途中棄権。 |
1928 (昭和3)年 | 37 | ドイツから帰国。母校早稲田大学の講師要請を断り、白根村に戻る。 地元青年らと「オリンピック村」建設を目指す。 |
1932 (昭和7)年 | 41 | 宮城県伊具郡筆甫村早稲田地内の山林にオリンピック村を創設。バンガロー、テニスコート、スキー場などを設置。 |
1936 (昭和11)年 | 45 | 戦況の拡大に伴い、オリンピック村が閉村。 |
1942 (昭和17)年 | 51 | 満州建国10周年とスポーツ親善を目的に「東京・新京間親善マラソン」を実施。 |
1947 (昭和22)年 | 56 | 衆議院議員総選挙に立候補するも、落選。 |
1948 (昭和23)年 | 57 | 自宅を「白根体育公民館」として地元青少年に開放。 各種マラソン大会や駅伝大会を開催。綿羊を連れて富士登山。 |
1949 (昭和24)年 | 58 | 霊山登山マラソン、天神社祭礼記念マラソンなど、多くのマラソン大会を開催。 |
1954 (昭和29)年 | 63 | 白根村教育委員となる。 |
1956 (昭和31)年 | 65 | 東京オリンピック誘致運動を始める。 |
1964 (昭和39)年 | 73 | 第18回東京オリンピックに招待される。 |
1971 (昭和46)年 | 80 | 4月、永眠。 |
各ページに掲載されているすべての写真・音声・CGならびに記事の無断転用を禁じます。
© 2021 Date City.