環境省 Ministry of the Environment
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No.13
インタビュー:2020年10月 飯舘村
[画像:村全体で、1,000頭の牛は決して夢ではありません]
山田 猛史(やまだ たけし)さん
畜産家
震災前、飯舘村内で和牛の繁殖と農業を営む。震災後も避難先で畜産を継続。避難指示解除後の遊休農地を牧草地として活用し、現在は息子の豊さんらと飯舘村で牛舎を再建。畜産の村 飯舘の復活を目指して取組む。
飯舘に戻って新しく牛舎を建て、90頭ほど、繁殖牛を中心に肥育牛も飼っています。避難先だった飯野でも引き続き子牛を15頭ほど飼っています。
餌の牧草を育てる場所は25町歩ほどになり、このうち田んぼだったところは2町歩で、来年以降、更に増やしていく予定です。放牧はこれまで試験区域でやっていましたが、集落の中で使われていない田んぼを活用して広げていく予定です。 11月には、後継者の息子が主体となって農業法人として動きだします。
[画像:牛舎で刈り取られた牧草を食む牛たちの写真]
牛舎で刈り取られた牧草を食む牛たち
[画像:多年草の牧草地の写真]
オーチャードグラス、ペレニアルライグラスリードなどの多年草の牧草地
[画像:放牧されていた牛の写真]
広々とした秋空の下、放牧されていた牛
[画像:飯舘の畜産を語る山田さんの写真]
バイタリティにあふれ、飯舘の畜産を語る山田さん
以前の「飯舘牛」ブランドで有名だったような状況にはすぐには戻りませんが、若者が飯舘に家族ぐるみで移住してきて頑張っていたりして、畜産はとても希望がある仕事です。村の集落毎に畜産をやる人が増えれば村全体で1,000頭だって夢の話ではありません。「青々した草地で、のんびりと牛が草を食む、あたりまえに牛がいる風景を必ずまた」と思って頑張っています。
原発事故前は、米とタバコ、ブロッコリー栽培、和牛の繁殖を自宅で手掛けていました。飯舘村は畜産がさかんで、223戸の農家が和牛を飼っていました。その数は村人口の半分の約3,000頭でしたが、避難により市場で競売に掛けられ、農家の大半の方は身を切られる思いで牛を手放し村を離れました。
避難先の中島村で牛舎を借りて、飯舘から連れてきた3頭をもとに畜産をすぐに再開。2014年秋には福島市飯野町にあった鶏舎を買って牛舎に直し、36頭の牛を飼っています。
現在(2017年当時)は、飯舘村で約25ヘクタールの水田を活用して牧草を作っています。北海道並みのできるだけ広い面積の牧野にして牛を放牧し、放射性物質が牧草や牛に移行しないか検査をしながら、本格的な畜産の再開を目指して日々取り組んでいます。
挑戦もしないであきらめたくない。息子と一緒に、いつかは全国の産地と競えるような高品質の牛を飯舘で育てたい、息子の世代にいい環境の農地を託したい、少しでも希望をつなげたいと思っています。
お年寄りが今できることをやって、次の世代に伝えるというお考えに感動しました。ポジティブな考えを学ばせていただきました。飯舘村は素晴らしい人がたくさんいらっしゃいますね。
若い人に戻って来いとは言わず、戻って来れるようその土台を作りたいという頼もしさに憧れるとともに、私自身が噴気させられました。
転んでもただでは起きない。良い意味でのしたたかさが東北の人の強さかもしれません。次世代にどう繋げるかでいえば、時分の生き様をどう見せるかということなのでしょう。継いでと言わず、自然と継ぐように仕向けられるのも、自身が人生を楽しんでいるからなのでしょう。
住所:〒960-1631 福島県相馬郡飯舘村松塚松塚58