★3月11日に下のような記事があったのですね。
東日本大震災、きょう1年・・・(2012年3月11日)
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◆だいやまーく忘れないために 東北復興取材センター長・青木康晋
「私たちのことを忘れないでくださいね」。東日本大震災の被災地で何度も聞いた言葉だ。それがいまの被災者の思いなのだと思う。
あの日から1年になるが、何がどう変わったのか。仙台市内で巨大地震を経験し、震災と復興の取材にかかわってきた私の目には、ほとんど何も変わっていないように見える。それがなんとももどかしい。
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お互いに支え合えるような国の仕組みをつくり、安心して暮らせるまちにすることが、今回の震災と原発事故を「忘れない」ということだと思う。
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★私のようなへそ曲がりは、同情やら慈善やら絆やら、「忘れないで」いられるなんて鬱陶しいことだなぁ、さっさと忘れてほしいよ、じゃないのと思ってしまうわけです。
もちろん、忘却の彼方へおしやられてよいというわけではありません。
一段上から同情され、慈善の施しを受け、自己満足的な絆に酔って「忘れないよ」などといわれるのは嫌なんです。
以前から時々つぶやいてましたが、それって差別の構造そのものでしょ。
いやなんだよなぁ。
★昔々の大昔、1970年。
私が朝日ジャーナルに書いた文章の一部をお目にかけます。
22歳、若くって気負いばっかりで、生硬な文章で、こっぱずかしいったらありゃしない。
でもまぁ、私が書いたということは確かですから、責任は取ります。
ではどうぞ。
<以下、引用文>------------------------------
「自らをして毒虫とせよ」 自主講座 朝日ジャーナル 1970年9月27日
報告者 和 崩彦(なぎ くえびこ)
五体満足の普通人にとって身障者の存在はどんな意味を持つのか。また身障者が人間らしく生きるというのはどういうことか。普通人が真に人間らしく生きるためには、この課題を解明しなければならない。
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さて、「足もとからの反乱」とは何か。およそ人間関係の存在するところには、必ずといってよいほど抑圧差別の構造が存在する。簡単に言えば「踏みつぶす」ということだ。人間はまったく無意識に花を踏み、アリを踏みつぶす。無意識のうちに、人は他人にとりかえしのつかない傷をつけてしまう。これに対し、これまでは踏みつぶしてしまう側の一部がそれを意識化し、差別撤廃運動を始めることがよくあった。しかし、これはいつも優越者意識・同情・慈善へと堕落してゆく危険をはらんでいる。真にこの踏みつぶしの構造を破壊し去るには、この構造の中で抑圧を受ける者の側からそれをあからさまにあばき出し、突きつけ、破壊してゆかなければならない。それは、人間を作り変えてゆくということで、果たして人間が変わりうるものであるかどうか分からないが、私は信じる。きっといつか、人間は<良い>ものになれると。
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次に、「正常」なものが「異常」なものと出会った時、どのような反応を示すか考えてみたい。本野享一氏が「変身」にふれて述べている。(角川文庫版『審判』カフカの解説参照)
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グレゴールの変身に対する家族の反応は五段階に変化する。驚愕、憐憫、不安、嫌悪、無関心。作品に即して注を付ければ、1おどろき=事件の発生そのものへの驚き。結果としてこれから起るべき変化は意識にのぼらない。2あわれみ=グレゴールの人間としての存在が意識されている。毒虫という嫌悪は主位にならない。3不安=愛着と嫌悪は共存し生活にまつわる不安が発生する。4嫌悪=毒虫という認識が主位に立ち、生活の不安は実体化する。5無関心=生活のみが意識を占領する。
これは、あくまで一つのパターンで、いくらでもバリエーションが考えられる。日本人と仏教、あるいはキリスト教との出会い、明治の西欧文明との出会い・・・・・・。「変身」の場合、他者の変身が己の生にかかわってくる時、人はまず生を確保する方へと志向し、生そのものが保証されている場合は自らの変身の可能性を現示するものを嫌悪、いずれにしても毒虫を自分の思考から追い出さずにはいられない。
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身障者の場合はどうだろうか。この場合、時間的にあるとき突然出現するものではないので、子供が成長してゆく過程で身障者に出会うという形の反応になる。そこにも、同じようにおどろき-あわれみ-不安-嫌悪-無関心という過程を見出すであろう。
非人間に近い身障者の存在はあなた方にとって何なのか。事故による障害が20%もあることからもわかるように、われわれはまさにあなたがたが身障者になるかもしれないその可能性を現示するもので、たとえ、無関心の暴力によってわれわれを世界から抹殺し得たとしても、われわれの毒虫性を、あなたがたの心の中の不安を消し去ることは決してできないはずだ。水俣病の患者の方々は、普通人に公害・企業病を現示して迫っており、彼らを葬り去ることは決してできない。われわれ身障者は、この毒虫性をあからさまにし、人々に消え去ることのない不安と嫌悪を喚起し、そのことによって人間としての身障者を生かしてゆかねばならない。これこそが、身障者における足もとからの主体的な反乱である。
ここまで身障者を毒虫として語ってきたが、果たしてあなたがたは毒虫ではないのか。自分は人間だといえるのか。われわれ毒虫によっておびやかされて不安にさらされているあわれな仔羊でしかないのか。自らの中に毒虫性はないのか。自らを毒虫となし、その毒虫性の徹底的な追及の中から、人間を求め、人間へ回帰してゆくことこそが、自らの生と切り結んだ永続的闘争だろう。
最後につけ加えておけば、わたし自身が毒虫性を獲得したのは、身障者という例外性と、身障者としては頑健な身体を持ち、普通人の中で普通に成長してきたという二重の例外性によってなので、わたしのことばの特殊性と普遍性を十分に考慮していただきたい。また、わたしはわたしなりに、この22年間の生活と先取りした将来の生活との重みをもってことばを語ったつもりであり、できる限りことばの遊びを避け、体験に裏付けられたことばと概念を使ったつもりだ。こんどは、あなたがたの責任において語られることば、生の重みを背負ったことばを聞かせてほしい。
みにくいものは
てぢかにみえる
うつくしいものは
はるかにみえる
うつくしいものはかすかだ
うつくしい野のすえも
うつくしいかんがえのすえも
すべてはふっときえてゆく
いつになったら
すこしも人をにくめなくなるかしら
わたしとひとびととのあいだが
うつくしくなりきるかしら
八木重吉
<引用文終わり>------------------------------
★すごいっしょ。笑えますでしょ。
いやぁ、恥ずかしい。
★「およそ人間関係の存在するところには、必ずといってよいほど抑圧差別の構造が存在する」という認識をこの時に持ってたんですね。
で、20年以上もの後、「すべての人間関係から、差別・抑圧・権力というような関係が消えてなくなることが私の夢だ」と娘に話したら、「父さん、そりゃ無理だ」「なんで」「だって私らサルだもん」「そうなんだよなぁ、ナットク」という会話もあったなぁ。
★無意識に踏みつぶされてたまるか、どうせ踏みつぶされるんなら意識的に踏みつぶしてくれよな、と思うわけですね、好戦的なかかしは。
★この時に水俣病に触れてますね。それが40年以上も経った今もって解決されていないというのは、一体どういうことなんでしょう?水俣病の患者さんが受けた「差別」を思い起こして下さい。「けがれたもの」として扱われたんですよ。今だってそれは残っている。
そして今、放射性物質を「けがれ」として受け止めている方々がたくさんいらっしゃる。
けがれたものは近くに来ないでくれ、といってますものね。
状況は変わってませんねぇ。
★「おどろき-あわれみ-不安-嫌悪-無関心という過程」のなかで忘却の彼方へ流し去られてしまってはたまらない。被災者の方々を差別の彼方に忘れ去ってはいけない。
災害によって生じた痛みを想像力によって共有しなければなりません。
そして、地球の活動としての災害が来ることは避けられないことですので、その際にどのように生きていくかをきちんと考え実践していく。それが「忘れない」ということの本質ではないでしょうか。
★ぬくぬくと湿っぽい「絆」は嫌いなんです。
バリバリに乾燥した「生きる努力」をそれぞれがその場所で積み重ねていくことが大事だと思っています。
自分の足元をちゃんと掘り崩しましょう。
★昔、大学闘争というやつに関わった私は、実は、今もそれを継続しているつもり、なのですね。私としては。
しつこいでしょ。
そうそう簡単にやめたりはしません。
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