長崎しにせ会 長崎歳時記

ながさきみなとまつり (7月27日・28日)
港を中心に栄えた長崎で開催される夏の一大イベント。長崎開港360年にあたる昭和5年に開催された「みなとまつり」がそのはじまり。戦時中の中断や数次の名称変更等を経て、当初行われていた開港記念日である4月27日から7月下旬の週末に開催時期を移し、海に関するイベントを統合して平成6年から現在の形になりました。
ステージイベントや花火大会をメインに開催され、会場内には多数の露店が出店し、子どもから大人まで楽しむことができます。


精霊【しょうろう】流し(8月15日)
8月15日夜に行われる「精霊流し」は、初盆の精霊(故人の霊)を船に乗せ、極楽浄土へ送り出す長崎の伝統行事です。精霊船は、竹、板、ワラ等、各家庭で趣向をこらした材料で作り長く突き出した船首(みよし)には家紋や家名、町名が大きく記されています。夕闇がせまるころ、町の あちらこちらから鐘の音が響いてきます。故人の好きだったものや供物を乗せ、線香をたき、精霊船は個人の親しかった人々にかつがれます。耳をつんざく爆竹の音、「チャンコンドーイドーイ」の掛け声とともに行列は夜遅くまで続きます。

長崎くんち(10月7日・8日・9日)
「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭で、毎年10月7日から3日間、長崎の町を挙げて催されます。
寛永11年(1634年)に、当時の太夫町(後に丸山町と寄合町に移る)の二人の遊女、高尾と音羽の両人が、諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが長崎くんちの始まりと言われています。
長崎ではこの年に「出島」埋築が着工され、「眼鏡橋」が架けられています。
以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。
現在、踊町は長崎市内に全部で59カ町あり、全町が7つの組に区分されています。奉納踊を出す当番は7年に一度回ってきます。演し物は龍踊、鯨の潮吹き、コッコデショなどがあり、これらの奉納踊は国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
くんちの語源は、旧暦の9月9日を重陽の良き日として祝う中国の風習が伝わり、9日(くにち)をくんちと読み、祭礼日の意味としたとする説が一般的なようです。
長崎ランタンフェスティバル(2019年2月5日から2月19日まで)
長崎ランタンフェスティバルは 、もともと長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝う「春節祭」として始めたもので、長崎市の新地中華街や繁華街で華やかに行われます。期間中は、約1万5千個のランタン(中国提灯)や龍、鳳凰、獅子などを型どった大型オブジェが設置され、幻想的な中国独特の灯りで街はまさに中国一色へと変貌します。また、期間中は多彩なイベントが繰り広げられ ます。なかでも清王朝をイメージし、豪華な中国服を身にまとった「皇帝パレード」や江戸時代に実際に長崎で行われていたという荘厳な「媽祖行列」は一段と祭りの雰囲気を盛り上げています。すべてが異国情緒を感じさせる長崎ランタンフェスティバルは魅力あふれる冬の一大祭として注目を集めています。

長崎ハタ揚げ大会 (4月上旬)
長崎では凧のことを「ハタ」と呼んでいます。単にハタを高く、長く揚げて楽しむのではなく、ガラスの粉をよま(糸)にのりづけしたものを揚げ糸に使用し、空中でハタを切り合い、数多く切った人が勝ちといういわゆるハタ合戦です。ハタ揚げの由来は、出島に住んでいたインドネシア人やマレーシア人から伝わったといわれており、江戸時代から続いている長崎の風物詩です。ハタは多くの地方で正月のものですが、長崎では4月〜5月上旬にかけて風頭山、唐八景、金比羅山、稲佐山などで行われます。図柄は、異国船がもたらした外国旗や万国船舶信号旗及び、紋章、商標、文字、動植物などから案出されたものが多く、200余種もあります。

長崎帆船まつり (4月下旬)
毎年、GWに差し掛かる4月の下旬に開催されています。
航海訓練所の練習船として有名な日本最大の帆船『日本丸』や国内外の帆船が長崎港の長崎水辺の森公園及び出島ワーフの岸壁に集います。
船内一般公開、セイルドリル(操帆訓練)や体験クルーズ、ライトアップイルミネーション、打ち上げ花火等の様々なイベントが催されます。また、会場は飲食などの出店もあり賑わいます。
2000年から始まった、長崎帆船まつりは長崎の春のイベントとして帆船ファンのみならず多くの地元、観光客を魅了しています。

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