第七回/今年は歌人・斎藤茂吉来崎100周年
長崎歌壇に大きな足跡を残した斎藤茂吉は、いまから丁度100年前の大正6年(1917)12月17日午前8時5分に当時の最大特急列車で東京を出発し、翌18日午後5時5分に長崎駅に到着している。長崎医学専門学校(現・長崎大学医学部)教授に赴任するためである。同年11月にはそのための下打合せに約1週間滞在している。
しらぬひ筑紫(つくし)の国(くに)の長崎(ながさき)に
しはぶきにつつ一夜(ひとよ)ねにけり
親しく交際した郷土史家の古賀十二郎から「唐寺」は「とうでら」と読むと教えられ、以後の短歌ではそう詠んでいる。福済寺が好きで時々散歩に立ち寄っている。
福済寺
「斎藤茂吉寓居の跡」の石碑
「太笛」の石碑
聖福寺(しやうふくじ)の鐘の音ちかしかさなれる
家の甍(いらか)を越えつつ聞こゆ
聖福寺
中町の天主堂(てんしゅだう)の鐘近く聞き
二たびの夏過ぎむとすらし
中町天主堂(長崎市提供)
けふ一日(ひとひ)腹をいためて臥(ふ)しをれば
聖きまとゐに行きがてなくに
大浦天主堂(長崎市提供)
浦上天主堂(うらかみてんしゅだう)サンタマリアの殿堂
あるひは単純に御堂(みだう)とぞいふ
浦上天主堂(長崎市提供)
西坂(にしざか)を伴天連(ばてれん)
不浄(ふじやう)の地(ち)といひて
言継(いひつ)ぎにけり悲しくもあるか
日本二十六聖人殉教地
信徒のため宝盒抄略といふ書物
御堂の中にぽつりとありぬ
かかる墓もあはれなりけり
「ドミニカ柿本スギ之墓行年九歳」
崇福寺
興福寺