姫城<ふしぎ山

姫城 ひめぎ
鹿児島県霧島市、169.9m

注:登ってません。麓をウロついたのみです。

1月1日、元旦である。
そのとき俺はなぜかJR肥薩線に乗っていた。

だいたいの場所

朝っぱらからお屠蘇と温泉でホーケた顔をぶら下げて車窓をぼんやり眺めていたら、こんなのが見えた。

もしかして、あれは・・・

あの右端の突起に見覚えがあるぞ。たしか梅原猛の日向神話のナントカいう本に写真が載っていた。ヤマト朝廷に抵抗した隼人の城があったと伝えられる山、姫城に違いない。

まもなく停車した日当山(ひなたやま)駅で下り、さしあたって元日の予定ゼロな俺はこいつに向かって歩いていった。

天降川にかかる橋からの全貌

ふーむ。右側(南)の突起部分はガケに縁取られて白く輝き、横から見たカエルの目のようになっている。そこから左へ伸びる体はナメクジだな。
正月早々、全長1500mにも及ぶナメクジガエルがシラス台地に這いつくばって南を向いてやがるの図である。


左の体部の上半分も垂直のガケになっている。地図によると標高は目玉が132m、臀部が169.9m

この日の俺は足首の調子が悪いのと、靴も裏側ツルツルの安物スニーカーなので、ガケ登りはやめとくほうがよさそうだ。
でもせっかくなので、とりあえず頭部を目指してゆっくりと歩いていった。

赤線は歩いたルート

日当山駅から東へ1kmほど歩くと道路はナメクジガエルに突き当たって、自然に右の頭部方向へ曲がってゆく。それにつれて目玉の突起が少しずつ形を変えてゆく。


(左→中→右)南へ歩くにつれて、目玉がだんだんこっちをギョロッと見下ろすようになる

ナメクジガエルの口先まで南下したところに四つ角があり、顔の正面へまわりこむべく左折して見上げたら・・・おっと、目を反対側に逸らしやがった!(冒頭写真)

その拡大。左を向いちゃった

そのままちょっと進むと赤い鳥居が現われた。左向きの目玉に向けて参道が伸びている。
そこを進んだ。


(左)稲荷神社とある (中)しかしかつてはこの山自体がご神体だったろう (右)なにか怪しくなってきたぞ


(左)振り返ると、あれに見えるは・・・ (右)まぎれもなく桜島様だ

階段を上りきったところに拝殿があった。その背後に垂直の岩壁があり、右手に磐坐(いわくら)らしき大岩があった。稲荷という割にはモロに原始信仰の形態を留めている。
いわれ書き看板によると、「元は妙見神社と呼ばれていたが、明治になって天御中主神社と改名し、さらに明治45年に別の場所にあった稲荷神社などを合祀して稲荷神社と改名」とのことだ。
まあよくある明治期のゴタゴタね。


(左)拝殿と岩壁 (右)小さな鳥居の背後の岩が磐坐っぽい

そこには神主の格好をしたおじさんと、80代のバーサマ2人がいて、折りたたみテーブルに酒瓶とツマミらしきものが置かれてある。
そうか今日は元旦だもんな。これが俺の初詣になるわけだ。

バーサマが「オサケとソーツー(焼酎)とどっちがええか?」と俺に聞く。
「じゃオサケをいただきます」と言うと、バーサマは竹筒に入った日本酒を竹のぐい飲みに注いでくれた。


(左)俺に酒を注ぐバーサマ (右)さつま揚げ、なんぼでも食えとおっしゃるのでたっぷりいただいた

酒とさつま揚げをよばれながら、
「この山はてっぺんまで登れますか?」と聞いた。するとバーサマはこうおっしゃった。
「登れる。昔は踏み分けがあって、こまいころに登った。道はない、あくまで踏み分け。でも今は完全にヤブに閉ざされとる」

どうやら昔は、磐坐の右側の谷から這い登ったらしい。
しかし、「行ってみようかな」と俺が言うと、
「いや、そんな靴ではすべって落ちて救急車を呼ばんならん。それに一人じゃ危ない。もっと頑丈な靴をはいて、2人で登らにゃだめ」
と忠告してくださった。さらに、
「こっち側の外姫城(そとひめぎ)は道がまったくなくなっとるが、西側の中姫城(なかひめぎ)からのほうが、まだ20%ほど登りよいはずじゃ。眺めは最高じゃ」
ともおっしゃった。

この大岩の右側が大きくえぐれて谷になっている

バーサマによると、このガケには戦時中に掘られた防空ごうがたくさんあるらしい。対空砲を打つために海軍が掘った大穴もあるそうだ。
「海軍が陸へ上がって穴を掘ったって役には立たんわな」

山の奥には戦国期の城跡の石垣もあり、さらに北のほうにはクマソの穴もあるという。はるか昔からこの地域の拠点として重要な山だったようだ。

俺のあとから、94歳になるというジーサマが登ってきた。とてもそんな歳には見えない達者なジーサマだ。毎年元旦にはここを含めて3ヵ所の神社に詣でるとおっしゃる。

クマソの神に今年1年の無事と幸福を祈り、バーサマに礼を言って、来た道を戻った。

帰り道に振り返る

上写真で出光の右隣の家の屋根上方に、植林帯と自然林の切れ目がある。その部分が心持ち窪んでいるようにも見えるので、もしかしたらそこから登るのがいいかもしれない。
次に来たときはそうすることにしよう。

見知らぬ土地で見知らぬ老人たちに酒を振舞われ、昼間からなんだか心がほっこり穏やかに満たされた、ふしぎ山のふしぎな正月だった。 (2010年1月1日)

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