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更新日:2024年9月18日
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さつまいもは、鹿児島県の主要農産物の一つです。
全国の都道府県生産量では、鹿児島県は全国一位となっています。
さつまいもは秋に収穫され,焼き芋で食べられたり,焼酎の原料になったりします。
特に種子島では,「安納いも」と呼ばれるさつまいもが栽培され,甘さとねっとりとした食感が人気となっています。令和4年3月2日,「種子島安納いも」として,地理的表示(GI)保護制度(農林水産大臣登録第115号)に登録されました。
[画像:石焼きいも]
さつまいもの原産地は,中南米(南アメリカ大陸)といわれています。中南米には紀元前3000年頃(今から約5000年前)にはさつまいもを農耕で作っていたあと(遺跡)もあるそうです。
[画像:原産地]
さて,西暦1500年頃,ヨーロッパの人たちがコショウなどの香辛料を求めて,長い航海に出るようになります。この時代のことを,大航海時代と呼びます。
インドを西回り航路で見つけようと海に出たコロンブスが,1492年,新大陸(北アメリカ大陸)を発見し,その後多くの航海者が,ヨーロッパと新大陸の間を行き来し,貿易が始まります。
その中に,新しい作物としてさつまいもがありヨーロッパに伝わります。ついでに,じゃがいももヨーロッパに伝わります。
しかし,さつまいもはあまりヨーロッパの気候に合わず,ヨーロッパではじゃがいもの栽培が広がることになります。
インドへ航路をアフリカ大陸を回って開こうとした,ヴァスコ・ダ・ガマが1498年インドに到達します。これで,ヨーロッパと香辛料の産地であるインド・東南アジアとの往来も盛んになります。
この貿易のいずれかのタイミングで,アジアにさつまいもがもららされます。アジアの気候がさつまいもに合ったのか,盛んにさつまいもが作られるようになりました。
そして,下の地図のとおりようやく日本に入ってくるのです。
その頃日本では,飢饉(作物が取れなくて,人々が飢えて亡くなってしまうこと)がたびたび発生していました。
日本から遠く離れたアイスランド(大西洋の北に浮かぶ島)やニカラグア(中南米)の火山の噴火や,太陽の活動の低下もあり,この時期は日本だけでなく世界的にも飢饉が発生していたのです。
[画像:享保の飢饉]
[画像:天明の飢饉]
[画像:天保の飢饉]
1604年に琉球(今の沖縄県)に,1623年に鹿児島県の奄美諸島へさつまいもが到来します。
1698年に種子島を治めていた種子島久基(たねがしまひさもと)が,時の琉球中山王尚貞(りゅうきゅうちゅうざんおうなおさだ)よりさつまいもを1かご譲り受け,種子島でのさつまいもの栽培に成功します。
また,指宿市山川の漁師であった前田利右衛門(まえだりうえもん)が,1705年にさつまいもの鉢植えを指宿に持って帰り,こちらも栽培に成功します。
特に,種子島久基は,薩摩藩第4代藩主島津吉貴(しまづよしたか)の命により,1706年から薩摩,大隅,日向の領内を巡察することになります。このとき,さつまいもの普及に努めたのではないかと考えられます。
享保の飢饉が,1732年に薩摩藩を含む西日本で発生しますが,このときすでにさつまいもが普及していた薩摩藩では餓死者を出さなかったといわれています。
さつまいもは,痩せた土地でも育ち,収穫量も多いことから,飢饉対策の救荒食(きゅうこうしょく:作物が育ちにくい環境でも育つ作物のこと)として日本全国に普及することになります。
青木昆陽(あおきこんよう)は,江戸幕府第8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)に,享保の飢饉の時に薩摩藩では餓死者を出さなかったことから,「さつまいもを救荒食として導入するべき」という上書(じょうしょ)をしています。
青木昆陽は,東京の小石川や千葉県の九十九里でさつまいもを栽培し,これに成功します。
その後,青木昆陽は,徳川吉宗によって,江戸幕府に仕える直臣(じきしん)となり,薩摩芋御用掛(さつまいもごようがかかり)に任命され,さつまいもの普及に努めることとなります。
さつまいもは,「さつまいも」「からいも」「かんしょ」などいろいろな呼び方があります。
読み方 | 漢字 | 由来 |
---|---|---|
さつまいも | 薩摩芋 |
薩摩から普及した芋ということ。だいたい青木昆陽のせい(おかげ)で この呼び名が全国に広まる。 |
からいも | 唐芋 |
中国の古い王朝に唐(とう)という国があり,そこからもたらされた芋と いうことで,主に鹿児島県や九州地方でこの呼び名が使われている。 |
かんしょ | 甘藷 | 中国でのさつまいもの植物名。 |
ちなみに,種子島久基や青木昆陽は,それぞれ神社が作られて,神様として祀られています。
すぐ下の画像は,種子島久基の神社である,鹿児島県西之表市にある栖林神社(せいりんじんじゃ)と久基の功績をたたえる碑。
[画像:栖林神社] | [画像:甘藷栽培初地の地] |
[画像:栖林神社縁起] | 栖林神社縁起
1.イ甘藷が栽培容易で収量大しかも美味と
知り,1698年琉球中山王尚貞より甘藷を
得て成功させております。 その後,7年経って山川の前田利右衛門も 伝えます。甘藷の伝来によって幾多の飢饉 が救われたことは歴史の示す通りです。 (途中を省略しています) |
[画像:初地の碑文] | 種子島当主久基は,1698年に琉球王尚貞に 懇願して,一籠(ひとかご)の甘藷の寄贈を 受けた。 家臣に試作を命じ,栽培を可能とさせた。 碑文
「本邦甘藷の栽培は実に我が種子島に創まり
栖林神社をカライモの神社という由縁でもある。
種子島は我が下石寺を以て試作の地となす。 故に題して日本甘藷栽培所地の碑と曰ふ。」 (途中を省略しています) |
青木昆陽は甘藷先生とも呼ばれた。
[画像:昆陽神社]
ここでは,他の作物と比べてみます。
作物別の10a(アール)当たりの収穫量と特徴
作物名 | 収穫量 | 特徴 |
---|---|---|
さつまいも | 2020kg |
温暖な気候を好む (ヨーロッパでさつまいもの栽培が広がらなかった理由) 痩せた土地でも育つ あまり水がいらない 連作障害が起きにくい |
米 | 535kg |
水がとにかく必要 田んぼに水を貼るため,平らな広い土地が必要 田んぼに水を張るため,連作障害が起きにくい |
じゃがいも | 3070kg |
冷涼な気候を好む(ヨーロッパでじゃがいもの栽培が広がった理由) あまり水がいらない 植え付けから3ヶ月程度で収穫できる(一年で2シーズン収穫できる) 肥料が結構必要 連作障害が重い |
小麦 | 473kg |
冷涼な気候を好む 水はほどほどに必要。だけど湿害には弱い 肥料は結構必要 連作障害が重い |
連作障害が起きにくく,たくさんの収穫量があり,人間の活動に必要な糖質を多く蓄え,しかも甘いさつまいもは,まさに救荒作物だったのです。
第二次世界大戦後の日本でも,物資がなく食べ物がなく中には餓死する人がいましたが,このときもさつまいもは日本を救っています。
ちなみに,ヨーロッパで広まったじゃがいもは単に「potato」と表記されますが,さつまいもは「sweetpotato」と呼ばれます。
さつまいもは,たいへん素晴らしい作物ですが,最近,サツマイモ基腐病(もとぐされびょう)という,病原菌による被害が,全国的に広がっています。
[画像:基腐病]
サツマイモ基腐病は,株元が変色し,葉が落ちて枯死し、サツマイモの首側からやや硬く腐敗するのが特徴で,このため近年,サツマイモの収穫量が減少しています。
さつまいも基腐病,以下の3つの対策「持ち込まない」「増やさない」「残さない」で,まん延を防止しようとしています。
(4)種苗の選別・消毒を行う―などして、無病健全苗を生産する
(4)機械を用いて耕盤(こうばん)を破砕する
(2)持ち出しできない残渣は,収穫後速やかに細断,耕うんなどを行ってすき込み,分解を促進する。
農業農村整備事業では,サツマイモ基腐病の全国的な流行を受けて,国が農地耕作条件改善事業の工種の一つである土層改良を拡充し,「病害虫対策型」というメニューの創設を行いました。
詳しいことは,各市町村で実施していますので,そちらにお問い合わせください。
工種名 | 読み方 | 対策 | 内容 | 狙い |
反転耕 | はんてんこう | 「残さない」対策 | 病害虫発生又はまん延 恐れのある農用地におけ る50cm以上の反転耕 |
基腐病が発生している 表面の土と,50cmより 深い場所の土とを入れ 替えて基腐病を発生し なくする |
混層耕 | こんそうこう | 「残さない」対策 | 病害虫発生又はまん延 恐れのある農用地にお ける耕起深60cm以上の 混層耕 |
基腐病が発生している 表面の土と,60cmより 深い場所の土と混ぜて 基腐病を発生しなくする |
堆肥施用 | たいひせよう | 「残さない」対策 | 病害虫発生又はまん延 恐れのある農用地への 堆肥散布 |
堆肥を散布することで 基腐病が残っている残渣 などの分解を促進する |
明渠排水 | めいきょはいすい | 「増やさない」対策 | 病害虫発生又はまん延 恐れのある農用地の周 囲に排水溝を掘る |
農地の周囲に溝を掘って 表面水や地下水をその 農地に入れさせない |
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