「2-2 たーちゃん ベトナム+バンコク旅行(完)」カテゴリーアーカイブ

22日 最終日

いよいよ帰国の日。バンコク〜ハノイ〜仁川〜福岡。ハノイからベトナム航空で福岡直帰だったけど、
2週間前にキャンセルされた。放射能騒ぎで福岡への搭乗者がいなかったか少なかった????

朝7時に7/11で買った総菜パンとジュースで朝食、バンコク空港へ。ヤマタノオロチみたいなモニュメントがあった。

ハノイは夜11時発。いったん前に止まっていたホテルへ。ホテル前のたーちゃん家ご用達のレストラン(食堂)で、
好きなものだけをたっぷり食べる。その後、街をブラブラ。
前には気づかなかった映画館が・・・暗く、上映はしていない・・・看板はあるので、週末だけとか????
雰囲気が・・・・昭和何年頃かな?の雰囲気・・・・江戸川乱歩の世界みたい。

この雰囲気! 良いなー
楽しい2週間でありました

=完=

21日バンコク5・最後の宴?

ディナーからの帰りはタクシーで。ディナー企画の会社に頼めば安心です。
10時前にホテルへ戻る。シャワーの後、昼間に買っておいたものを冷蔵庫から取り出し、温める。
下の写真の白い粒はトウモロコシの茹でたやつ。黄色の普通のものは、日本で食べるスイートコーンに比べれば、
あっさり素朴な味。白いのは更にあっさり味。茹でたのをナイフでサーっと切り離していた、茎の部分は少しも付いて
いない。どれも結構、美味しい。レストランで食べるよりも味、料金にしろ、断然お勧め。
ビールはあっさりしたのが多い。

明日はハノイへ戻り、帰国の途・・・・。

21日バンコク4・クルージングディナー3

舞踊は手先の動き・・・インドネシアなどと同じような感じ。ベトナムで見た軽快、素朴な可愛い踊りと少し違う。

踊り手でただ一人の男性、よくある女性にちょっかいを出す役どころ。
サービス精神大! わが奥さんにもちょっかいを・・・・。
その他、いろいろ面白いことあり。
写真撮る時間が無く、また、写真に妻、娘が大きく写っているので割愛。

終わりのご挨拶。すぐ横のテーブルだったので、拍手したら眼が合いニッコリと・・。で、写真を撮った。
それがどうした! いや特には・・・。街で会う人は同じような顔立ちだってけど・・・・いろいろだ。

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21日バンコク2・クルージングディナー1

夕方になり、クルージング・ディナーへ出発。電車〜少し歩いてチャオプラヤー川に出て、ボートで出発船着き場へ。
少し時間があったのでブラブラ。船着き場に大きなビル・・・入ってみようか・・・トイレ・・・2回への階段・人通りなし
・・・4,5軒の店・・・・買い物客、いない・・・・店に入る・・・店の人もいない???民芸品など良いなと思う品・・・
奥からご主人・物静か方である・・・・
高さ5,6cmのベンジャロン焼(王室ご用達)、写真よりも奇麗な模様です。
帰りの空港の店よりも安かった。観光・観光したお土産屋さんよりも、ちょっとした所で買うのがお勧めです。

時間が来て、船に乗り込む。夜景と古典舞踊を見ながらのディナー。
それらしき飾り付け。

こちらの船は、ディスコなどがあり、若い人向き?? タイまで来て??? 大きなボリュームの音楽!
少々、うるさい。

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21日バンコク1

21日06時過ぎに起床、1時間ほど散歩。公園ではウォーキングの人が6人。
朝食用の屋台を覗きながら、夜の為に狙いを定める。

10時30分、買い物に行くべく、ツクツクで表通り(スクンビット通り)へ。上に上がり電車に乗る。切符は自動販売機で。
3カ国後に切り替わるので分かり易い。ただし硬貨しか使えない。硬貨は他には使わないので手持ちがない・・・・。
心配は無用、改札口の所で両替してくれる。切符は売ってはくれないよ。3駅で20バーツ、60円と云った所。
電車はきれい。載っている人は同じような顔立ちの人が多い。

スクンビット通りは大きなショッピングセンターやフード・コートが幾つかある。
サイアム・センター、サイアム・パラゴン、セントラル・ワールドを周り御土産を。
奥様と娘がデゥーティフリーで金のネックレスを・・あれやこれやと・・・・始まった・・・・。可成り易いし、3割引きセールもやっていた。
こちらは民芸品などを・・・・もちろん買うのは街の店で、その方が安いのだ!。

お腹が減ってきたので先日食べそこなったフィッシュ・ボールの何とか麺を食べにデパ地下のフード・コートへ。
具はもちろん、麺、調味もトッピング、辛味を聞きながら、おとなし目に頼む。モヤシは生。
フィッシュ・ボールは柔らかい蒲鉾の食感。これも少しずつ違うもの分けて食べる。
手前の白く平べったいのは、ベトナムで食べたホワイトローズと同じようなもの。

スカイウォークを降りて、買い物袋をぶらぶらさせながら通りの横道に入ると・・・・・。
白いコーンが気になる。誘惑に負けて、夜食&ビルのつまみにと、つい幾つか買ってしまった。
この手のものは美味しそうなんです!!


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20日アユタヤ8

14:30にホテルへ戻る。シャワーを浴びて一休み。娘と奥様は何やらペチャクチャ・・・・。
一人で通りを2時間ほど散策。7/11でご当地スナックを物色、ビールもと思ったら扉に鍵が掛かっている。
そう、タイでは14時〜17時まではアルコールは売ってくれないのだ。時計を見ると後5分。
レジの娘が後5分ねとニッコリ・・・・。少しホテル寄りにも7/11があるのだ。途中、果物を買い、7分たったのでビールを。

夕食に出かける。どうもタイ料理は甘いので、インド料理に行くことにする。一昨日、ツクツクでパキスタンの人のお勧めの店に。
チャパティ(クレープみたいな感じ)とパパド(多分、パリパリと焼いたもの)が出てきた。北インド系かな?
チャパティは少し高級的なもので、パパドは庶民が食べる一般的なものだそうだ。中央はインディカ米、細長くて少しパサパサ。
ベジタリアン定食と云った所。

腹6分目・・・・ 少し肉類も・・・・。ビールはKingfisher、さっぱりとして料理に合う。

ぐっすり寝られた。
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20日アユタヤ7 象さん&ワット・ロカヤ・スタ

遺跡を後にエレファント・パークへ。象さんと同じ高さの台へ階段を上る。2人掛けの椅子へ。
少し揺れるが、大丈夫。
少し高い目線での風景は又良いものでした。写真は一緒した千葉からの娘さん。
写真を写し合い。こちらは2人掛けでバランスが良かったのか、そんなに揺れなかったけど、
彼女の方は結構揺れて怖かったそうです。象さんはモンローウォーク???

餌を・・・。少し腰が引けてる?????。
帰ろうとすると、像にチップをと云う。これは頂けない。入場料を取ってるだろうが。

アユタヤの最後はワット・ロカヤ・スタ。
元は寺院があったらしく、土台が残っている。広ーい廃墟に、これまた30m近い涅槃仏。
雑誌等では黄色い袈裟が掛かっているが・・・・。雨季と乾季で」なのかな?。
地元の母・男の子がお参り、供物と菊の花。

車で帰路に就く。残念ながらアユタヤの街をウロウロは出来なかった。
車窓から見た感じは王宮、都の意識があるのか、落ち着いた奇麗な街並み、中に入るとどうなのか。
庶民的なワイワイガヤガヤが好きなんだけど。
ちなみに、東京にいるとき、最後は戸越銀座のマンションでした。

途中で昼食、大きなホテル・レストランでバイキング。夕食でもOK,色んな料理が揃えてあった。
ガイドさんが大きなお皿に一杯にスートを持ってきた。これがタイでは一番のもの、是非」と云って、
そのまま両手に持って向こうのテーブルへ行き、満足そうに食べてた。フーンそうなんだ。
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20日アユタヤ5 ワット・プラ・マハタート2

横手に完全なお姿の仏像。奇跡的に残った????・・・そんなはずはないだろうと・・・・・
やはり、後から復元した跡がある。

有名な、菩提樹に抱かれた仏頭。マスクの女性は誰?無視してね。
このお顔・・・他のお顔と表情が違うと見たのは、このありさまから?????
悲しみ・・・・憤りを我慢・・・・・

世界で、何回もの宗教戦争と言われるものがある。
その教えに他の宗教、信者は破壊せよ!との教義があるのか。
単に、時の権力者が宗教を利用したのではないかと思うのですが・・・・。
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20日アユタヤ4 ワット・プラ・マハタート1

ここも直ぐにでも崩れ落ちそうな様子。1767年の戦争で破壊されたまま。

買っては50mほどの大仏塔があったと云う。ここがそうなのかな?
ここもレンガ造り。隙間にペアの?鳥が巣を作り、住んでいた。愚かな人間の話が伝わっているのかな。

仏頭を切り取られた仏像が並ぶ・・・・・・。
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20日アユタヤ6 ワット・プラ・シ-・サンペット

初めはアユタヤ王朝が建国された時の王宮があった。その後、1941年に王宮専用の寺院として建立。
戦争で破壊さた。今は3つの仏塔があるのみで、歴代の3人の王の遺骨が納められているとの事。

新しく改修された、今も使われている寺院には奇麗な仏様があるが、外のものは仏頭がないのが殆ど。
ここに一つ、仏頭が付いている仏像があるが、よく見ると 後から繋いだものだ。元のものを復元したのか、
別のものを使ったのかは不明。
なんとなく悲しげなお顔に見える・・・・・・。
遺跡の仏塔などはレンガ作りです。戦争、自然災害で傷みが激しく、殆どのものは放置されているみたいだ。

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20日-3 アユタヤ:ワット・ヤイ・チャイ・モンコン2

大仏塔 かなり古く感じる所と比較的新しい所がある。幾度か改修されながら今に続いて来たものでしょう。
途中まで階段をエッチラ、オッチラと上がる。

登りきった所から周りを見渡す。お坊さんが若者をひきつれててやって来ている。
そう云えば、外塀に沿った沢山の仏像の前に中学生くらいの一団が座り、先生みたいな人が何か話していた。
修学旅行????
影から見るに、南が正面になっている。どこもそうなのかな?

北側に白い(石膏塗り?)の10体近くの仏像が立っている。降りて見に行くと、お釈迦様を中心に半円状に弟子かな? 説法を聞いているのか、問答なのか?

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20日-2 アユタヤ:ワット・ヤイ・チャイ・モンコン1

世界遺産の中心に入る。
Wat Yai Chai Mongkon:アユタヤ朝開祖ラーマーティボディー1世、1357年建立。
入り口、向こうに見えるのがランドマークになっているスリランカ様式の大仏塔。

入ってすぐの横手に涅槃仏があり、端正なお顔。地元と思われる母子がお守りしてた。
何処の寺院でも、観光客がいても、我関せず、地元の人がお参りしていました。

お堂の中ではお坊さんが何やらお話を、説教????。
若者も半分くらい・・・・・そこは年頃で、右手ではなにやらペチャクチャと。
靴は脱いで素足です。王宮、寺院では素足にならなくてはいけない所が多いです。
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20日-1 アユタヤ・バンパイン宮殿

20日:今日は妻と二人でアユタヤ観光へ。
娘はホテルに残り、買い物と調べ物(後日、バンコクからベトナムへ戻り、
一人少数民族などなど1週間ほど行くつもり)

5時起床、昨日買っておいたもので朝食、15分歩歩いてツアー集合場所の何とかホテルへ。
千葉から来た娘さんと3人で出発。

最初はバンパイン宮殿へ。アユタヤ朝26代プラサ-ト・トン王が造った(造らせた)宮殿で、
歴代王の避暑地として使った夏の離宮。今も王族が住んでいる。
チャオプラヤー川の傍にあり、敷地も池が多くて水の離宮だ。水面からそよ風・・・。

昔の様式の建物は金色が多いが、白が目立つ。すっきりとした感じはこれからか。
建物の間が広く、歩いていると仄かに南国の花の香りが何処からとなく(いや実は歩いている傍からなのだが)
漂ってくる。おー実が成っている・・・ガイドさん、「これは食べられないパパイヤ(だったと思う)ですよ」と。
実があれば、全部が食べらそうなものばかり。
南国の花=鮮やかな色彩 と思っていたが、淡い色が多く、香りもさわやかだ。

とは言っても・・・・・
ここで好きなだけ住んで良いと言われたら・・・・・
多分、一カ月したら もう勘弁してよ となりそう。貧乏性と云うか、庶民なのか。

次へ向かう途中に日本人村の跡。山田長政もここに住んでいたとの事。
色々と修復した入り、集めているそうだが・・・・目玉になるものが少なく、料金が高く・・・・
あまり観光客が入ることはないそうです。

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19日バンコク・夕食

雷雨で帰りが遅くなり、午後2時過ぎ。お昼なしでおなかが減った。
電車で3駅、サイアム・パラゴンのフードコートへ。電車は3駅で20バーツ、60円程度。
フードコートは滅茶広い、3人別々のものを頼み、シェア。これが色んな物が食べられて良い。
食事の後はウィンドウショッピング&スーパーで朝食の買い出し。

ホテルで一休みして、夕食へ。フロンで聞いてタイ料理を食べにブラブラと歩いて行く。
ここでもシェアで、店の外のテーブルで。蚊取り線香かな、良い香りで煙が。
こんな感じの所はドルもOK。円が使える所も多い。

帰りの途中で、屋台で鳥の足のから揚げ、カリカリとしてビールに合う。
ビールはホテル近くのコンビニで、ビールの向こうはご当地カップヌードル。
これが結構イケるのです。
食事どころはドアボーイ、ガイドさんに「地元の人が多い店」を聞くのが秘訣。
安くて美味しいものが食べられる!

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19日王宮

お堂を見物していると急に暗くなってきた。空を見ると、あの雲が拡がっている。
「乳房雲」だ! 名前からは想像できない危険物である。下心があると言葉にだまされる。
雷注意報、いや警報である。すぐに土砂降り、近くに落雷!!
みんなキャーキャー言っている。そこは気象予報士、1時間ほどで収まるとお堂に座る。

ほどなく止む、約1時間。
帰り道、王宮をもう一度。正面の門は王様専用である。

丁度、衛兵の交代。こちらへ来る時はビシッと見えたのだが・・・・後ろか見ると・・・・
後ろへ行くほど ゆるいのである。右の兵士は一人、銃を背中に背負ったまま、真中はズット下を向いたまま、
左手の服装は、ベルトに挟んだまま・・・・。 マー平和と云うことか。

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19日ワット・ポー3

涅槃仏から外に出ると傍に本堂がある。入り口の前に本堂を守る鬼。
日本のお寺でよく見る風神、雷神を思い出す。ズーット遡ると、同じものに辿りつくのかな?
違うのは顔! 何ともユーモアがあり、怖さはない。

このお寺は又「タイ・マッサージ」の総本山。マッサージと云っても医学的なもの。
壁には「つぼ」の系統図、解体新書みたいなものだろう。


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19日 ワット・ポー2

涅槃仏の後ろへ。2段の枕に手枕。初めて見た。

足の裏、見事なまでのへん平足なのだ! 超人の証しだそうです。刻まれているのは宇宙の真理。
何かで読んだことがある。その心理とは・・・・・・????・・・・・ムニャムニャ・・・・

壁には細部までハッキリとした曼荼羅、壁一面に、よくここまで。

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19日バンコク ワット・ポー1

ワット・アルンからすぐの所にバンコク最古の寺院ワット・ポーがある。
礼拝堂に入る。でっかい!!! 長さ46m、高さ15mの涅槃仏。それでもタイで三番目だそうだ。
*タイでは涅槃仏が多い。日本にもあるけど、そんなに数はないと思うけれど、教えだけが伝わったからか?
お釈迦さまが悟りを開き、涅槃に入った時のお姿。
全身写真はこの構図しかない。旅行誌と同じで面白くないが、仕方ない。

お顔、拝む角度によって表情が違って見える。涅槃に入った時だから、そんなことはないと思うけど、
「んー・・ そうか、 マー仕方ないか、 そーそりゃよかった」とも見える。

涅槃仏の向かいにお布施を入れる鉢がある。小さなコインに両替して、一つずつ入れて行く。
幾つかは忘れたが、百八つの煩悩をである。コインを入れたときの音色が何ともいえず清々しい。
南部鉄の風鈴の音色に似ている。一瞬、蒸し暑さを忘れる。
地獄の沙汰も金次第か・・・・、いや、こんな事を考えてはいけないのだ!・・・
入れ終わった所で、まだ余っている。妻と娘の方を振り返ると、二人とも立ち止まっている。
途中で、無くなった・・・・。「救われるのは我一人なり! いや、それは可哀そう。」余ったのを分ける。

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19日バンコク・ワット・アルン

船で2分?、対岸へ。通勤時の当たったのか、ほとんどがベトナム人で、こちらをちらちら見ていた。

前庭を通ってワット・アルン(暁の塔)へ少し離れてみると端正な感じ。
左手の白い所が階段で途中までが45度近い急な階段。その先は更に急で、一段一段が高い。
上る前にガイドさんが「日本人女性は足が短いから大変よ」。妻と娘が失礼な! 確かに。
小柄 とか いえば良いのに、ガイドとしては?????
しかしである。結構辛いねと言っていた。女性は長パン必須!!。足首くらいまでのスカートでなくては丸見えだ。

側壁は陶器の破片で模様が描かれ、雨上がりには一層映えそう。
何チャラ神や象の石像が埋め込まれたり・・・・。

塔の中ほどまで階段が続く。登りきって見渡すと・・・・すっきりとした風景が拡がる。
白の壁・柱と赤い屋根のコントラスト、どぎつさや派手な感じはなくて大変きれいだ。

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19日バンコク市内見物1

今日は朝6:45にホテルを出る。大通り(スクンビット通り)までトゥクトゥクで。
角では朝食に屋台が出ている。若い人が結構買っている。
大体はビニール袋に入れ、ブラブラさせながら歩いていく。勤め先で食べるらしい。
写真手前の手すり、奥の階段を上ると空中歩道&電車。
通りは近代的なビルが並んでいるが、その間にはこんな店が、電車から降りてくる通勤者目当てかな。

ここをまっすぐ10分くらい歩いて、集合場所のホテルへ。迎えの車に乗り込み船着き場へ。
チャオプラヤー河の船着き場。通勤水上バスが行き来している。
近代的な大通りとの格差、なんとなくほっとする。昭和何年代・・・・・。

向こう岸に王宮の屋根、暁の塔ワット・アルンが聳え立つ。

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18日バンコック1

3人でバンコックへ。
朝が早くて朝食は車の中で、ホテルでテイクアウトのサンドイッチ。
気合を入れて作ってある。ありがとう。

昼食の機内食、甘ーい・・・・んー 苦手だ。バンコク空港、ハノイよりも一段と暑い!
ホテルの車で移動。中心部にあるのでバイク部隊はいない。 街は近代的なビルが立ち並ぶ大都会。
大通りから一寸横道へ入る。静かな、小さめのホテル街と云った所。

夕方まで時間があるので、探索を兼ねてスパーへ(大きな商業ビルの中)行く事にする。
ホテルは自炊が出来るので、明日の朝食用に・・・なんでもトッピングが自由・・・・
サラダ、果物(カットしてあるものは)は好きなものを詰め合わせを作る・・・量り売りでなかなか良いことだ。
帰りは高架の歩道を。大通りは高架があり、電車が走り、2車線くらいの幅の歩道が付いている。
ここからデパートなどにも入れる。伊勢丹が入っているでっかい商業ビルのがあった。

大きな4つかどで、フト、下を見ると角に何か黄色の花が飾ってある。降りてみる。
仏様だ。後日、街をブラブラしている時も時々見た。タイは仏教の国と実感!

通りにはお供え用に花屋さん、供物を売る屋台店が5,6ほどあった。お参りする人も多い。
で、お参りをして頭を上げると・・・・うぉー!!! 写真右下・・・・豚のお頭!!本物だよ。

日が暮れるまで一休み。夕食に出かける。
ホテルのスクスク(ツクツク)で大通りまで。歩いても7,8分なのだけれど暑いし・・・・。
一人飛び乗ってきた。イスラエル人で、1年ほど働いているそうだ。美味しいインド料理店を教えてくれた。
今日は甘い味に厭き少し・・・口直しに?韓国料理へ。インドは次に行こう。

ツクツク(トゥクトゥク:写真右下のSUK)
3輪自動車の後ろに2人掛けのシートが2つある改造車。どこのホテルも持っていて、
ホテル〜大通りを往復している。

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17日ハノイ3バッチャン2

物色していたら・・・・・あっ良いなー ! すっきりしている。 この手の物でカップとの一式で35US$程度。
カップだけのばら売りもOKで、日本円もOK。 緑色は写真で見るよりも明るい薄緑・・・・心惹かれる・・・・・

伝統的な模様は菊の花とトンボだそうで・・・・ふと目に留まったのがこれ。トンボが愛嬌がある。
好みからいうと緑のものなんだけど・・・・こんなのが一つくらいあっても・・・・・。
帰国してから こいつで毎日ベトナムコーヒーに練乳を入れ飲んでいる。
一寸趣味が違うと思ったけど、いやいやなかなか良いものだ。段々と愛着がわいてくる。
でも、どうして緑も買わなかったのかな??? 何も一つだけとは決まってもいないのに・・・。

隣にある工房、総勢14,5人か。鮮やかに絵付け・・・絵付けは5人で皆女性だった。
写真を取っていたら、手前の娘が見たいみたいな素振り。自分が写っているのを見てきゃーきゃー。
皆集まって来てキャーキャー。一緒にと云ったら(いや、身振りで)、恥ずかしそうにイヤイヤをする。
でも、撮った。

ここを出て、歩きがてら別の窯元へ。家族でやっているようだ。ご主人・作家が出てきてベトナム語でこんにちわ。
どこか見たような・・・・・旅行雑誌に載っていたおっちゃんだ!

少し暗くなった頃にホテルへ戻る。
一休みして、斜め向かいのたーちゃんご用達の食堂へ。骨付き鶏を甘辛くフライパンで炒めたようなのが美味しい。
身は少し硬いが、味が良い。無理に太らせたのではなく、地鳥・放し飼いみたいにして育てているのかな。

今夜遅くに娘婿は一人帰国、仕事で休暇切れ・・かわいそうに・・・。明日は3人でバンコクなのだ。
ホテルへ戻るとドアマンが「こんにちわ」、これはいかんと「おはよう、こんにちわ、こんばんわ、行ってらっしゃい、
お帰りなさい」の4人相手に臨時日本語講座を1時間。

楽しいベトナムだった。
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17日ハノイ3バッチャン1

昼食をホテル近くのベジタリアン・レストランで取り、妻と二人で焼物の里バチャン村へ車で。
古くから焼き物の村と云うことで、山里のと勝手に思っていたら平地にあった。
日本の窯元のイメージではなかった。ちょっと残念・・・・。
写真のような店が道の両側に連なっている。平日だったからか買い物客はほとんどいない。
この通りを牛車(水牛)でのんびりと・・・・・。
ツアー会社ご用達? の店へ向かう。

どこも店先には大きなものを置いてあり、ウィンドウには現代的な花瓶もあるが、店の中は小物が多い。
品ぞろえはどこも同じようなもの。

一番多いのが、日本の瀬戸物でお馴染みの青色系。さわやかで上品だ。


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17日ハノイ2

朝食はホテルのレストランで、フランスパンのサンドイッチとレモンジュース。
市内観光ツアーへ。日本人の男性の友人組2人と一緒。二人ともシニア海外協力事業で一人は中国から、
もう一人はベトナムで仕事のこと。

ホーチミン廟は残念ながら撮影禁止、兵士が守っている。ホーおじさんのご遺体が公開されている。
防腐処理をされ、眠っているようだ。
でも、亡くなったら土に返して上げたらと思う。ベトナムは仏教7割、キリスト教3割、土葬で墓地には長方形のお墓?が
並び、キリスト教の墓地と似ている。

迎賓館

文廟:初めての大学。ここはなぜか白人客が多かった。

ホアンキエム湖、玉山洞
この背中側に大きな亀の剥製が置いてある。推定二百数十年。確か、歳は甲羅の年輪みたいなものから分かると
聞いた覚えが・・・。体長約1メートル4,50センチ。同じくらいの生きた亀さんがいるが、病気で動物病院に入院中。

その後、ハノイ大教会、オペラハウス等を周りホテルへ戻る。
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16日ハノイ1

午前中にチェックアウト。迎えに来たホテルの車でハノイへ。3時間!市内に近づくと車が多くなる。
街は奇麗なのだが、これまでのホーチミンやダナンと何か雰囲気が違う。よそいきの感じ、北と南がまだ残っているのか?
ただ、旧市街は入ると下町の雰囲気、なにやらほっとする。

ホテルの二階から街を除く。どこも間口が狭くて奥があるーうなぎの寝床だ。
結構外人向けのホテルが多くい。写真左下のパラソルの向こうはレストランで、テラスは白人で満杯。
案外と群れたがる人種なのか? 小ジャレタ作りが安心感を与えるのか?
左下はレストランと云うより食堂と云った感じの店。ホテルのドアマンに聞くと、安くておいしい・お勧めと云う。
ここで夕食をとる。一杯で歩道に出したテーブルに着く。1組の外人の他はベトナム人。
料理はおいしい。これは4人では多すぎるし、こちらを増やした方が良いとか気が利く。
以後、たーちゃん家のご用達!!
食事後はナイトマーケットをうろつく。今夜はウィンドウショッピングで品定め!

翌朝早くホテルの入り口から見た通り。夜にゴミ収集と掃除、奇麗だ。
バイクは歩道に乗り上げて止まっている。信号は大通り以外はほとんどなく、バイクと車をぬって横断する。

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15日ハロー湾3

船に戻ったところで昼食。これが豪華!ディナーより少しボリュームが小さい程度。
料金追加もないし、手違いで儲けたねと4人で大満足。

食事の後サンデッキ・・・船首へ。白人の男の子が走り回りながらちらちら見ている。ちょっと離れて座る。
何処から来たか聞くと 嬉しそうに イングランド。「フランスまでは行ったけど、そっちまでは行ったことが無い」
と云うと、「遊びに来い」。 さーこれから先の話は我がプアーイングリッシュでは・・・・・。
タイミング良くお姉-ちゃんが呼びに来た。ホットすするような、おしいような気がした。

周りに次々といろんな形の島や岩が現れる。何処も同じで、鶏岩、鳥がチューしている岩などなど。
2000近くの島があると云う。

船の速度が遅くなり、桟橋に船が一杯泊っている所へ。ボートに乗り替えて上陸。鍾乳洞があるそうだ。
そうするとこの辺は石灰石で出来ているんだ。

エッチラオッチラ階段を上り、鍾乳洞の入り口から下を見た所。

ずいぶんと広い。1時間ほどで1周。天井から垂れさがった物よりも石筍が多い。
ライトアップの色を変えてきれいに見せていた。

帰路に就く。途中で船足が遅くなり、ストップ。後1か所見る所があった。ボートに乗り換え船着き場へ。
救命具をつけて順番待ち。中国人のツアーがやってくる。やっぱり甲高い声でワイワイとうるさい。
こちらはチャーターの船へ。船尾に櫓がついている 矢切りの渡し船 。岩の崖に洞窟がある。
洞窟を抜けると、そこには猿がいた!なぜか笑ってしまった。餌を投げると器用にとる。
小さな島なので観光用に連れて来たのでは???
内はぐるっと崖に取り囲まれたところで、テレビで 太平洋だったか? 同じようなシーンが。
残念ながらここは白浜はない。

ホテルに着いた所で、ガイドさんに近くに地元の人が行く食事どころを聞く。
シャワーを浴びて、一休み。食事へ・・・・店内に小さな生け簀・・・・材料を選んで・・・・ビールを頼む。
エッ・・・生ぬるい・・・・冷たいのを」と云うと怪訝な顔・・・・やりとり・・・・冷やして飲む習慣がなさそう。
外国人相手のホテル、レストランは別扱いみたいだ。
昨夜のレストランでもそうだったが、ウエイトレスがみんな若い。どう見ても、せいぜい20歳くらい。
料理を待っていると、生け簀に皆が集まっている。覗きに行く・・・・でっかい魚が弱っているらしい。
聞いてみる。英語が通じない。後は身ぶり手ぶり。魚が弱って、助けているらしい。
女の子たちは日本人は初めてらしい。食事が終わるまでつきっきりでいろいろと。

食事は地元の店に限る!美味しいし、むちゃ安い!
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15日ハロー湾2

朝食:フランスパン、海鮮ホワイトローズ、野菜サラダ、5種類のフルーツ。満足!
今日は6時間のハロー湾クルージング。
ガイドさんが来て船着き場へ。中国人のツアーがドヤドヤと、例のごとくうるさい。
こうなるだろうと船をチャーターしていて良かった。
大小様々の船が・・・・・・

船に乗ります とガイドさん。 ん? 小さな船外機ボート??? 「これで沖の船まで行きます」 うんうん。
でっかい船に近づく・・・・・まさかと思ったら横付け・・・・・初めに船室へ・・・・ベット、シャワー、トイレつきの部屋が
10室ほど・・・・これで4人で行くの???
こちらへ・・・・・4人がけのソファー、テーブルが6つ。後ろにはカウンターバー、その奥に調理場。
ホントにチャーターした船? と思ったら、外人の親子4人連れがランチボックスを持って乗ってきた。
エッツ チャーターのはずでは? それにランチは???? ガイドさんを呼ぶ。
何やら携帯でやり取りをしている。 「こちらの連絡ミスですみません、この船でお願いします。」
「食事は船の方で用意いたします。もちろん追加料金はなしです。船室もご自由にお使いください。」
外人さん(こちらも外人だ)は4人は上品なご夫婦と小学校高学年くらいの女の子、低学年の男の子。
今更どうしようないし OK を出す。船はここで1番の大きさ、普通は1泊クルージングに使っているとの事。

波は穏やか、船も大きいので揺れはほとんどない。さー出港! 姉弟が興味深そうに、こちらをちらちら。
お母さんがたしなめている。
前方に島が近づいてくる。あいにくの曇り空だけど、オー・・・。海岸に沿って人家、漁業を営む人たちの住居。
世界遺産でもあり、今は本土への移住が進められているそうだ。

島と島の間へ20隻位の船が突き進んでいく。少しわくわくする。
少しした所で左手に街並み?が見えてきた。船が止まりボートに移る。男の子がウズウズと、先に乗せる。
着いた所はいかだ造りの生け簀。いつの間にか船員さんが来て、美味しい料理法云いながら説明、
「何か食べたいものは?」、「ランチの材料に加えるから」。昨夜のイカが美味しかったので、イカと+見たことが無い魚
を頼む。
写真右下にサンデッキ。20人くらい座れる。
タバコはここででと。ベトナムは原則禁煙、ホテルではどこも入り口の外かプール脇などに灰皿が置いてある。

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14日ハロー湾1

朝5時過ぎに眼が覚める。庭に出て コケっコッコーのあいさつを受け南シナ海へ。
2時間ほど遊んでシャワー、朝食。元気者の料理長が何やかやと勧める。
朝からディナーみたいだ。もう来ることはないんだろう・・・・。

12時にチェックアウト。車でダナン空港・・・ハノイに15時半頃到着。
ホテルの車でハロー湾のホテル ノボテル ハロンベイへ向かう。約3時間の長旅だ。
こちらに来て、小さな町を通るたびに 何か変だ と感じた訳が分かった。
道の両側に店が並び、店番が入り口に座っている・・・が・・・お客はおろか通行人もほとんどいないのだ
??????
だいたい、どこの街もハズレの所に生鮮食品(野菜、果物、肉、魚)を売っている所(屋台+地面にシート)があり、
そこにはおばちゃん達が集まっている。半分は井戸端会議見たいだった。

暗くなってからホテル到着。一休みしてフロントに人に聞いてシーフードレストランへ。ホテル契約のタクシーで44万ドン。
乗る前に料金を決める。

レストランの入り口に魚介類(活魚)がズラリ。ここから選んで調理をしてもらう仕組み。
先ずは生ガキ、レモンで良し、魚醤でも、何とか云うタレ(ピリ辛系)でも良し!ワインが美味い。
意外?だったのがイカ料理、お勧め!!
食事料...安い!・・・ハノイの4星のレストランの1/4位。

帰りのタクシーを読んでもらい、レストランの人に加わってもらい料金交渉。
初めは60万ドンだと云う。来る時は44万ドンだったと云うと、ホテルと契約しているから稼ぎが良いからだと云う。
最終的に55?万ドン。
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13日フエ4

夕方5時半頃にホテルへ戻る。さすがに疲れ、汗とほこりをシャワーで流してさっぱりする。
少し早めにレストランへ。初めにビール! ベトナムのビールでまだ飲んでいない種類を頼む。
今日は演奏付き。暗くなった所でレストランのすぐ下を流れるトウボン河に流れてきました!

料理はバイキング方式。フ-はその場で作ってくれる。おばちゃんに 「香菜、特にパクチは苦手だ」と云うと、
小さな茶碗に幾つか作って、「好きなものを」と。メンが種類あったのでそれぞれ違った味で。満足!

オムレツの中身のトッピングを考えていたら、料理長が来てあれこれ教えてくれる。なかなかキレイナ日本語を話す。
ガイドさんよりはるかに上手い。(ガイドさんたちはテニオハが総じていい加減。)。
ここは海と川に近いので刺身が上手いよと盛んに進める。魚醤系のタレで食べると美味い。
デザートに これを と・・・・豚マン?・・・栗と何か?のものが入って、美味しかった。

明日はハノイ経由でハロー湾への移動日。あっという間の3日間だった。
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13日フエ5グエン朝王朝2

午門から少し歩くと王宮、Dien Thai Hoa 太和殿。中国の紫禁城を模したもので、1970年に再建。
ガイドさんの説明は旅行雑誌に書いてあることと変わりなく・・・、秘話みたいなのは無いかと思う。

敷地内は幾つかの建物が再建されているが、荒れた空き地がほとんど。ほとんどがベトナム戦争などで崩壊。
王はパリに亡命しているが、空き地の奥に王族が住んでいる家屋の屋根が見える。どんな地位、扱いなのだろう。

王宮を後に河を渡り 新市街地へ。コジャレタ レストランでゆっくりと昼のコース料理。
ベトナム料理も大体は食べてきたけど、米粉のお餅(と云うよりギュウヒの食感)に魚の切り身を載せて、バナナの皮で包んで焼いたのがほのかな甘み、さっぱりとして美味しかった。
その後、アンク―市場でお土産を買う。
一路、ホテルへ・・・・ フエの街は 落ち着いた所で街もきれい。 帰り道で幾つかの街を通ったけど、何か 変と云うか・・・・
ダナンの元アメリカ軍の基地跡の南の方に小さな山。大理石などの産地・・・・・で、大きな敷地に大理石の彫刻が いやと云う
ほど置いてある店へ立ち寄る。小棚に飾る小さな大理石の象と紅水晶の亀さんを買う。
外に展示してある大きな大理石の彫刻(大人一人では手が回らい)が日本までの輸送費込みで20〜30万、無茶苦茶安い。
ライオン、ビーナス、布袋様・・・・無国籍、外国からのバイヤーが来る所。周りには家、店などはない。
*こういった所でトイレは済まさなくていならないのだ!

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13日フエ5グエン朝王朝1

ティエンムー寺を出てフオン河沿いに走り、グエン朝王宮へ。塀が長い長い。
王宮の南側にある午門から入る。真ん中が王が通る所。 車にやられた・・・まーいいやと中に歩く。

2階に王と王妃のお立ち台、座ってみた。ここから謁見、閲兵等したのだろう。
遠くにフエのシンボルと言われるフラッグタワー(ザーロン帝:1809年1969年再建)が見える。


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13日フエ4:ティエンムー寺2

門から中へ。かなり広い前庭、参道の向こうの本堂の壁・・・・・又もや・ピンク系だ!
そして・・・・・・鎮座まします・・・・・・エーッ布袋様?。珍しい、こんな形で祭られているのは初めてだ。

この奥にはお坊さんたちが生活している建物がある。そして・・・・壁は そう・・・・・・ピンク系だ!
厨房を覗くと、広い土間で20人くらいが座れる細長いテーブル・椅子。片方の壁際が炊事場で、若いお坊さんが何やら洗っている。

外に出ると、白人の母娘(4歳くらい)がいた。ハローと云うと女の子は不思議そうな顔。お母さんからボンジュールと返ってきた。
脳味噌をフル回転させて サリュ ボンジュール !(これしか知らない) 途端に女の子がにっこり
こちらには 分からない言葉でしゃべり始めた。
白人の小さな(?)女の子はどうして可愛いの? ホテルのプールにいたビヤ樽タイプに結び付かない。


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13日フエ3:ティエンムー寺1

帰りの前にトイレに。出てきた奥さん「んー・・・・」。用足しは大きな御土産屋、レストラン等で。女性はつらい。
フエ市内に戻り渡船場〜川向うへ。橋はあるのだが、ツアーだし、ガイドと渡し船との関係か?
専用船だけど、中でおばちゃんが土産の売り込み。わが奥さんはこの手に弱いのだ。

洲に家が点々とある。水面すれすれで、ガイドさんに聞くと雨季には1回は水浸しが当たり前とのこと。
政策で、今は陸上へ移住が進んでいるそうだ。

車で川沿いを行く。王宮の横(かなりの距離)をすぎてティエンムー寺へ。
ここも雨季には道路は冠水するのが普通、でも家は高床ではない。

少し階段を上ると塔がある。8角形の7重の塔、トウニャン塔(慈仁の塔)×ばつ8=56!
ホント?出来過ぎ!
これもまたピンク系だ。

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13日フエ2

フエ市内を通り抜け、次第に山道へ入る。舗装が途切れ凸凹道が続く。 途中、工事中の所が多くて砂埃。
トラックターが入っているわけではなく、雨季に入るとどうなるのかと心配。
ガイドさんから もうすぐです」 目指すは カイディン帝陵。1931年完成。カイディン帝の遺体が安置されている。
大きな石造りの陵だ。どこでも王と云うのは絶大な権力と富を持っていたんだと思う。

階段を龍が守っている。カンボジアに行った時も・・・・・・蛇だったかな????? 足が可愛い。
階段を上ると象(戦車隊と云ったところか)、武官 反対側に文官が守っている。

前庭を抜けて階段を上る。奥に堂々たる本殿(と云うのかな?)。壁、天井は螺鈿のようにきれいに作られている。中国風である。
残念ながら日本語のパンフレットは無かった。観光客も少なく(数人)落ち着いた時間を過ごす。
凸凹道を市内へと帰る。道路工事は観光ルートの整備だろう。

13日フエ1

朝食をホテルレストランで。リゾートホテルなのでお昼近くまでやっている。
フランスパン、肉のスープ、7種類の果物、ミルクとベトナム料理を離れる。
ミルクがほんのり甘い味でおいしかった。

今日はわが愛すると云ううか・・・・妻と2人でフエの観光ツアー。
道路は広く、7,80km/h位で飛ばす。制限速度の標識は・・・ないようだ。
ダナンとの中間くらいの所で、海岸寄りの所で広い敷地のリゾートホテルが3か所位建設中。そんなに人が来るのか?
ダナンで学校の傍を通る。女の子は紺-青の方から吊ったスカート。日本の私立学校でもよく見るやつ。
4月になると夏休みで、その後に雨季休み。そのかわり冬休みはないそうだ。午前、午後の2部制。

ダナンを抜けると山道に入る、眺望が素晴らしい。トンネルが出来たけど行きは峠越えをするとの事。
材木を積んだトラックがのろのろと登って行ったり、薄茶色の牛さんが6頭道をゆっくりと散歩?したり・・・
近くのお金持ちが放牧しているそうだ。

そのうち峠につく。峠の茶屋でトイレタイム。ベトナムコーヒーを飲む。練乳を入れることは知らなかった。
ココア味みたいな感じ、美味しい。
道の向こうに半壊の建物がある。ベトナム戦争時代のもので、ここは北と南をつなぐ要所だったそうだ。

峠を少し下った所で眼下にコバルト色の海が拡がる。写真よりも透き通ったホントにきれな海。白浜の向こうはリゾートホテル。
たまたま列車が来るらしく信号待ち。いつの間にか三角の傘を被った絵葉書売りのおばさんが現れる。
ざっと見回しても、店や人家はない。列車が通る時を見計らって来るらしい。道端に自転車があった。


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12日ホイアン6

再び河岸へ戻る。河から張りぼての龍が迎えてくれる。
写真奥の橋を渡って向こう岸へ。ブラブラしているうちに日が暮れてきた。
すると・・・・「明りをつけましょ ボンボリに」の雰囲気とは違うのだが、
なんとも鮮やかな色彩のボンボリの店がずらっと。週末はイベントがあるとの事。
パーティ等には良さそう。

シャトルバスの時間が近づき、帰ろうか・・・。橋のたもとで何やら売っている。サツマイモの大判(回転)焼きみたいなもの)。
この手のものに弱い・・・・頬張りながらランドマークへ。ほのかに甘い味。

12日ホイアン5

帰りの時間もあるので、早めの夕飯とする。チュンバックという百数十年前の建物を改築した食堂へ。
4種類のフォーを4人で分け、あのホワイトローズも、
白ご飯(フォーに浸けるとおいしい)。空心菜の炒めものは何処で食べても美味い。
未だ歩くので、薄いビールも良かった。外人は自分たちだけだった。なぜかな?

で、店先からおっさんがバイクにまたがり、足で蹴りながら店の奥へ。エッ 何だ??????。
しばらくすると奥からバイクで外へ、すぐに今度はおばちゃんが自転車を押しながら入ってきた。
そのあとバイク2台、自転車2台が入ってきた。奥を覗いても通り抜けではないようだ????。
トイレは奥だと云うのでそれを口実に、娘夫婦とわが奥様が探検へ。3人ともバイク、自転車が無いと云う。
これは解明せねばと席を立つ。観察眼を働かしながら奥へ。
土間になっていて、すぐに厨房・・・・かまどみたいな物と普通の調理用品、割と小ざっぱりしている。
隅に眼をやると、ビニールシートをかぶせたバイクと自転車! あるじゃん!!
さらに奥は居住用の部屋。その先にトイレ。

安心してビールのつまみに牛肉、玉ねぎをバナナの皮に包んで蒸し焼きにした何とかというものを頼む。
これも少し甘口。これまで食べたものもそうだったけど、ベトナム料理は甘口が基本の味付けで、
スパイスとタレで変化をつけるものらしい。

満足した所で、いざ外へ。歩いて3分ほどの所に来遠橋(ライレン ドン:日本人が作った屋根付きの橋)があった。
日本人が造ったと云うが、中国風。なぜか、いや又もやピンク色の中を除くと自転車を押したりして今も役立っているようだ。
たもとにいた娘さんは地方から遊びに来たらしい(片言の英語どうしで推定)。日本人に会うのは初めてだそうだ。

12日ホイアン3

ホイアンの街をぶらぶらと歩き始める。一寸大きな建物は中国風のものが多い。まず、クアンコン廟(1653年)へ。
三国志に登場する関羽が祭ってあり、大きな像などがある。次に、旅行雑誌には必ず載っている福建会館、
そのほかにもしろまる×ばつ会館と云うのが多い。大体が中国風の建物が多く、結構派手で写真のように赤〜ピンク。瓦の形が色々あり面白い。
ほとんどが漢字で何やら書いてあるけど古い書体なので?????。
中国でも今は略字だし、欧米人は?だろうし、ベトナムの人も漢字は?だろうし、誰が分かるのかな。
パンフレットは英語、中国語が多く次に韓国語、日本語のものは非常に少ない。

12日ダナン(ホイアン)2

朝6時頃に眼が覚める。そっと部屋を抜け出してビーチへ。地元も子供たちが松林ならぬヤシ林で元気に遊んでた。
7時を過ぎると、それこそ潮が引くように居なくなった。朝ごはん、学校へ行く支度?????
ブラブラ歩きホテルへ、レストランで朝食。バイキングでベトナム料理を。日本食が恋しくなることはないだろう。

昼過ぎにシャトルバスで、世界遺産ホイアンの街へ、ランドマークのホテルまで30分くらいで着く。
帰りは19時が最終。5回分の施設入場券は5ドル。上手く考えてもので、街を5ブロックに分けて1ブロック1か所しか
入れない。

さてと歩き始める。夏だ!蒸し暑い! 表通りから夜道に入るとバイクは少ない。
バイクに乗っている人は 殆どマスクをしている。眼の下まであるでかいやつ。
排気ガスだけでなく、埃っぽい。

少し歩くと 何チャラ市場。何かあるかと入ったが、食料品と日用雑貨が主で地元の人が多い。
この蒸し暑さの中で野菜や果物はともかく、肉・魚は大丈夫?大丈夫なので売ったり買ったりだろうけど。

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11日ダナン(ホイアン)1

ダナン空港へ予定より30分遅れて到着。待合室から外へ出ると真夏だよ!一気に汗が噴き出す。
ホテルからの車が無い・・・電話する、通じない、番号が変わった見たい。・・・近くにいた人に聞いても分からない。
・・・・・空港の職員に help me・・・・やっと分かる・・・ホテルでは キャンセルで6時間遅れの情報で車は出していない。
今からだと1時間ほどかかるので、タクシーで・・・・・やり取りを聞いていた空港職員が、安心できるタクシーを紹介してくれる。
・・・・・載る前に料金交渉、44万ドン。50分でホテルへ
ホイアンビーチリゾート:道を隔てて南シナ海、パーソナルビーチがあり、敷地内にプールが2つ。
夕方に着いたので、一休みしてレストランへ。ホテルの前は 何とか河。バイキングでベトナム料理が揃っている。
4人で別々のものを取り、一通りの名物料理を。

部屋の前の散歩道から:左のオレンジ色の屋根がレストラン。対岸の建物付近にスイギュウとアヒルがいた。

部屋の対岸:地元の人が乗った渡し船。この奥から毎朝 コケ コッコ-、懐かしいような安らぎの朝でした。

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4月11日ホーチミン5

午前中、ホーチミン市内をブラブラ歩き。
聖マリア教会。赤レンガ作りのおしゃれなゴシック建築。中には入れなかった。
周りでは何組もの結婚衣装のカップルが写真撮影。縁起が良い日とのこと。

中央郵便局
ここもフランス統治時代のお洒落な建物で、天井はガラス張りのアーチ。観光を意識して使っているのかな?
中央にはベトナムシルクの小物などを土産を売っている。
支払いはドル払いもOK。ベトナムドンだと十何万ドンと言われてもピンとこない。お土産の小物を買う。

この後、統一会堂などを回りホテルに帰る。表通りのきれいな所ばかりを回ったので、面白みは???だった。
帰国前に2泊するので、その時は旧市街地を歩いてスっピンを見てみよう。

飛行機便のチェックインを確かめ、一休みしてチェックアウト。
所が・・・・空港でいきなり便がキャンセルと言われる。2時間前にはOKだったろう!
6時間後の便へと言われても・・、到着後アポイントが幾つかあると粘ると、前の便が遅れて30分後に出るので、
それを手配すると。初めからそうしてよ。申し訳ないような素振りは全然なかった。
ベトナム航空はキャンセルが良く出るとは聞いていたけど、いきなり洗礼かよ!!!
初めの予定より30分遅れで済んだから良いようなものの・・・・・。
なんとかダナン行きに搭乗。
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4月10日ホーチミン4

泊ったレックスホテル。古くからある4つ星のホテルがどんなものかと、最初は張り込んだのですが・・
料金はそれなりに取るし、ホテル直営の舞踊付きディナーもそれなりに。
外国人相手のホテルは日本よりは安いものの・・・・・。
これ以後の2流?ホテルは設備も揃っているし、料金も可成り易いです。

右側の建物がホテルで道路を渡った所の公園から見たもの。適当にバイクを避けながらの横断。
ホテルの中は落ち着いているのですが、外観はかなり派手ちィ。
屋上の所にホテルの目印になる王冠があり、結構、有名なものだそうです。

同じ場所から見た人民委員会庁舎。ルネッサン様式でおしゃれな建物です。フランス統治時代のものだそうです。
暗くて分かり難いのですが、右側に ホーおじさんが子供を抱いている銅像がありました。

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4月10日ホーチミン3

食事の後、ブラブラ歩いてベンタインの夜の市場へ。
種々雑多のものが日用品から土産物まで所狭しとひしめき合ってる。
一寸立ち止ると売り込みが凄い。市場では通過はベトナム・ドン。一部でドル。
プライスダウンは有り。相場が分からので買い物は後日にすることにした。
無茶苦茶広い。右折、左折しているうちに迷ってしまう。

こんな感じで延々とぐるぐると続く。通路は人2人程の幅。
日本でもおなじみのフルーツ、初めてのものまで。これから少しずつ試してみよう!

ちょっとばかり疲れた時に チュー(ベトナムあんみつ)を見つけた。
4人で別々のトッピング。氷が入るので大丈夫かなと思ったが・・・・・。
ヨーグルトを入れるとさっぱりしてほっとする。何せ昼間は30度を超す蒸し暑さ。
店のおやじさん、なかなか愛想が良い(観光客には誰にでも?)。
盛んにトッピングの仕方を説明。いかんせん片言のベトナム・イングリッシュとジャパニーズ・イングリッシュ、
娘もベトナムイングリッシュに少々手を焼く。
でも、なぜか値段は日本語だった。
おっさんの後ろの白い竹はサトウキビ。
帰るときに エンジョイ ホーチミン! ハブ ア グッド タイム だと。

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4月10日ホーチミン2

暗くなり、ホテルから少し歩いて民族舞踊を見ながらディナーを。
左のおじさんの楽器:右手で弦を爪弾き、左手で上に延びているしなやかな棒みたいなものを操り、
ぴよーん とも びよーん ともつかないような スティールギターみたいな感じの音を奏でる。

踊りは意味が分からないので・・・・・・・・。察するに、田植え〜収穫〜収穫祭ではないかと。

料理はベトナム料理の代表選手団。一通り食べて、これからの参考に。
基本的に甘口の味付け。これにドレッシング・・・・これが・・・激辛・ド辛!
用心して春巻きにほんのちょっぴり・・・食べ始めは、これなら・・・野焼きのように口が燃え始めた!!!
サイゴンビールで消火。
その中で、魚醤はおいしかった。
スープも色々ありましたが、蓮華にご飯(いわゆる外米:少し硬くてパサパサしている)を取り、
これをスープに浸して食べるとイケるのです!
以後、定番メニュー。

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4月10日ホーチミン1

10日にベトナム航空で福岡空港からホーチミンへ。出発が15分早くなる。
遅れることはあっても速くなるとは????・・・到着が1時間早くなった?????????
入国審査場で娘夫婦との待ち合わせ時間まで・・・1時間ほどすることもなく・・・・・・

ホテルの車で・・・・・一般道路なのに7,80km/h位でトバスはトバスは・・・隙あらば追い越し・・・
話に聞くバイク軍団も負けじと飛ばす。片側2車線くらいだと左側が車、右側バイクの暗黙のすみ分けのようだ。

市内に入ると更にバイクが多くなる。2,3人乗りは普通、原付とちょっとだけ大きいなバイクがほとんど。
交差点はロータリーがほとんどで、反時計回りに回りながら目指す道路に入る。
ベトナムは左ハンドル、右折が大変だ。右側がバイク道みたいで、皆が同じように右折するわけでなく、
接触すれすれで止まったり、割り込んだり。とても運転できる気がしなかった。
クラクションの音だらけ。

ホテル到着後、ウェルカムフルーツを食べる。おなじみ南国の果物。バナナが小さくて変わった味だった。
夕食まで時間があったので、ペットボトルの水を持ち(必需品)ホテルの近所をぶらぶら歩き。
大きな通りは信号があり、信号が変わるとバイク軍団がダッシュ!

少し中に入ると信号は無い。写真の状態の所を適当に・無理やりに横断する。
良くしたもので、こちらが一寸遠慮したり、バイクがスピードを緩めたりして問題なく?渡れた。
最初の1歩の勇気が肝要。