丸亀市飯野町東分826(平成21年3月29日)
東経133度49分31.43秒、北緯34度17分04.20秒に鎮座。
この神社は青ノ山南麓に鎮座しています。本殿の裏山に4世紀初頭・古墳時代前期に築かれた青ノ山唯一の前方後円墳が築かれており、境内も小丘上に造られています。
参道入口の明神鳥居を潜ると、すぐ右手にまっ二つに割れた巨石が横たわっています。なんだか良くは分かりませんが下部がコンクリートで固められ、由来のある磐のようです。参道は途中に踊り場があり、それほどきつくはなく神門に行き着きます。
山頂部の境内は明るく、結構広々としており、中央奥の石垣の上にコンクリート製の拝殿・銅葺きの本殿が建ち、本殿後ろ、古墳頭頂部には旧社殿跡の様に方形に礎石が並べられていました。
御祭神:行方親王
例祭日:10月体育の日
由緒:この社は往古には若皇子宮と称していました。ところが安政4年(1857)4月13日より、社内鳴動すること三日間、同19日に神像が出現し、その背面に行方親王と記されてありました。
説によれば、細川定禅の創祀とも、亦、源頼朝が讃岐の勅使に命じて熊野権現を祀らしめたとの説もあります。
江戸時代には石ヶ鼻神社と称せられていましたが、明治維新の際吉岡神社と改称されました。
神社建造物は、明治34年焼失し、同41年本殿・幣・拝殿を再建し、その後老朽化に伴い昭和44年 幣・拝殿を改築し、現在に至ります。