▼鹿教湯温泉===霊泉寺温泉入口(独鈷山登山口)===車道行き止まり(12.30)−−−独鈷山(13.20)−−−下山(14.00)===霊泉寺温泉入浴後帰京
聖 山(1447m)信州百名山=56才
聖山一等三角点
越後の高僧『聖』が開山、盛んなときには36寺院あったという。山麓は別荘、
リゾート施設が次々と建設され、かつて修験道場であったという面影はどこにもない。
麻績村、本城村、坂北村、坂井村という小さな山村の点在する
盆地の北に、冠着山から聖山へ生坂山地が連なり、この山地を南北につなぐ峠がいくつも拓かれたている。一本松峠、猿ケ馬場峠、三和峠、聖峠などである。なかでも猿ケ馬場峠は善光寺西街道の要衝として盛時には10軒もの茶屋があったという。田山花袋はこの峠を越えたとき、往時を託して次のようにうたった。
《今もなお ありやあらずや信濃なる 峠の上にわがみたる茶屋》
『更級紀行』の芭蕉もこの峠を越え、子規もまた同じ道をたどって峠の上で
《またきより 秋風ぞ吹く山深み 尋ねわびてや夏もてなくに》とうたった。
明治45年、牧水もまた峠を訪ねている。峠には牧水の歌碑
が立っている。
《山に入りて 雪の中なる朴の木に から松に何とものをいうべき》
小学校6年生の修学旅行で長野市へ行った。蒸気機関車の石炭の臭いを嗅ぎながら、汽車はこの山の下をトンネルで抜けていった。長野駅へ着いて駅前に整列しているとき、出張中の父が偶然目の前に現れ、キャラメルを手渡してくれた。父親との甘く懐かしいできごとは、まったくと言っていいほど覚えていないが、ふとそんなことがあったの
を思い出した。父親とのそうした接触がなかったので、どう対応していいか戸惑って、子供ごころにうろたえて、「ありがとう」の一言も口にできなかった。
冠着山登山口から林道伝いに聖高原へ向けて自動車を走らせる。
途中、一本松峠は田毎の月の姨捨から上って来た峠、次の峠は猿ケ馬場峠でその昔茶店が軒を並べて旅人で賑わった峠、今はそこに人造湖の聖湖がある。近代
的なホテルが建ち、都会地のような道路が回周し、余りの変わりように呆然とする。
聖湖から先が聖高原と呼ばれるエリアで、今でも別荘地としての開発が急ピッチで進められていた。
三和峠を過ぎ、聖峠付近で『聖山登山口』 の標識を見付けた。そのまま別荘団地の中を車を進める。シーズンオフの別荘地は人の気配もなく静まりかえっていた。『信濃路自然歩道 聖山へ1キロ』の標識近くへ自動車を止めて山頂へ向かった。
遊歩道のような登山道が、霧に包まれ落葉した林の中を縫っていた。高低差200メートル程度、20分余で山頂に立った。
本来なら一等三角点らしい山岳展望が楽しめるはずだが、あいにくのガスで視界はまったくない。雰囲気としては公園の丘にでも立っている感じだった。山頂のすぐ下に自動車道が来ている。
もう歩いて登る山ではなくなっていたのだ。
設置されている展望案内板で大パノラマを想像する。
白根、四阿、浅間、蓼科、八ヶ岳、美ガ原、中ア、妙高、高妻、戸隠、白馬岳、鹿島槍、爺ケ岳、岩小屋沢、針の木、不動、南沢、立山・・・
一等三角点標石の頭をなでてから同じ道を戻った。
2006年02月21日 スキー&聖山はこちら 2013年11月18日 聖山はこちら