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「この弁護士に聞く」にじゅうまる 櫻井光政

若い人たちが刑事弁護の頼もしい担い手に育ってきているなと感じます

インタビュイー/櫻井光政 さくらい・みつまさ
1982年弁護士登録、第二東京弁護士会

インタビュアー/南川学 なんかわ・まなぶ
2005年弁護士登録、千葉県弁護士会所属

日本で最初の公設弁護人事務所を開設

南川 櫻井先生は、1998年に日本で最初の公設弁護人事務所(若手弁護士を育成し、任期付きで弁護士過疎地等に派遣して、任期終了後は事務所に受け入れる)として桜丘法律事務所(当時は「のぞみ綜合法律事務所」)を開設されました。なぜそのようなことをお考えになったのですか?

櫻井 当時、私は日弁連の刑事弁護センターの事務局をしていました。当番弁護士制度が成功して、起訴前弁護の重要性が広く認識されるようになっていた頃です。そして、やはり被疑者国選制度にすべきだという声が大きくなっていました。

ところが、そのためには(弁護士)ゼロ支部が障害になった。被告人の国選であれば裁判所と期日の調整ができますが、被疑者段階では迅速な対応が不可欠ですから。

しかし、弁護士の側の問題でできないというのは癪じゃないですか。そこは業界団体としてきちんと取り組むべきだろうと思いました。

そのためにはどんな方策があるかと考えたときに、中堅の弁護士はやはりいろんなしがらみがあってゼロ支部に行くのは難しいので、身軽な若い人が行ったほうがいいが、トレーニングもせず、経済的保障もないなかで一人で行くというのも大変なことだ。そこで、ある程度教育して、任期付きで行ってもらって、資金が足りなければ援助もするという体制ができれば、行ってもいいという若い人がけっこういるんじゃないか、と思ったのです。

だから、若い人を育てて送る事務所があれば、ゼロ支部は解消できるだろうと考えたわけです。

南川 それを櫻井先生ご自身でやろうと思われたのはどうしてですか?

櫻井 議論だけしていても、それだけで何年もかかってしまうと思ったからです。私にはできるという確信がありましたので、「無理だ」という人と長々と議論をしても時間がもったいないと思いました。

それに、やってみて「できる」ということを立証できれば、ほかにも「やってみよう」という人が出てくると思ったんですね。私が個人的な試みとしてやるぶんには、誰にも文句はつけられませんので。

南川 そのような観点から櫻井先生が公設弁護人事務所を立ち上げられて、それがひまわり基金法律事務所につながっていったと。

櫻井 そうですね。司法過疎については、すでに1996年に今後5年以内に弁護士ゼロワン地域に法律相談センターを設置するとの名古屋宣言がありましたから、その動きとちょうど重なったということでしょうね。


若手を育てるにあたって

南川 桜丘法律事務所から第1号の松本三加弁護士が紋別に赴任されて10年が経って、スタッフ弁護士も含めてすでに15人の方が地方に行かれています。彼らを育てるにあたってどのようなアドバイスをされていますか?

櫻井 数をこなすことよりも、ひとつひとつの事件に丁寧に取り組んでいくということですかね。あとは、「自己満足にならないように」という注意をしています。たとえば、接見は何度も行けばいいというものではない。きちんと目的意識を持って行くべきです。

あとは、被害者との接し方ですかね。

南川 どのようなことですか?

櫻井 私は、被告人と被害者との関係は対立するものではないと思っています。もちろん冤罪を争うような場合は別ですが、情状の場合は被害者は敵対するものではない。ややもすると被害者に対して、この犯罪は違法性がどんなに少ないかということを訴える人がいますが、それは間違いだと思います。やはり被害者の気持ちになってしかるべき謝罪をすることが、情状弁護として実を結ぶんだということをアドバイスします。

私は被害者に会ったときは、被害者と一緒になって被告人の悪口をさんざん言うんです。だって、被害者の側からすれば、被告人の肩を持たれるのは嫌でしょう? 被害者の気持ちに同意して「私があなたと同じ立場だったら、ぶっ飛ばしてやりたいという気持ちになりますよ」と言うと、被害者もホッとするんですね。被害者は、やはり弁護士に接した人が少ないですから、「弁護士はどうせ被疑者・被告人の味方だから、黒を白と言いくるめにくるんだろう」と思ってるわけです。そうではなくて、罪は償わなくてはいけない、賠償はしなければいけないというところで私とあなたの思いは変わらない。ただ、その罰の重さをどうするか、賠償の額をどうするか、について被疑者・被告人の利益になるようにするのが私の役目なんです、と。

南川 私も弁護士になりたてのときに、交通事故の被害者のところに行ったら、1時間ぐらい罵倒され続けたことがあって、被害者対応って難しいなと思いました。被告人との関係では、どのようなアドバイスをされていますか?

櫻井 よく若い人は、自分が関わって立ち直ったと思うとすごく喜ぶけど、またやったとなるとすごく落ち込む。だけど、私に言わせれば、そんなにいっぺんによくなるわけがない。

私は、自分が担当した事件の被告人が、その後に覚せい剤をやってラリって自宅に火をつけ、現住建造物放火で捕まったことがありました。そのときに、奥さんから電話があって、本人は「覚せい剤をやったことを先生には恥ずかしくて言えないからほかの先生に頼んでくれ」と言ったけど、ほかに知り合いもいないから私のところに電話したと言われました。それを聞いたときに、彼は私とつながっていることがなんとなく抑止力になっていたのかと思いました。

そんなふうに、被疑者や被告人がすぐに更生できないとしても、弁護人との関わりを通じて歯止めになっているというところもあるのではないかと思ったんです。それはそれで刑事弁護人ができる役割だと思うんですよね。何回弁護しても問題を起こすと思っても、実はそれ以上ひどくはなっていないということもある。だから一喜一憂することはない。そういうものとして弁護士は被疑者・被告人と付き合っていかなくてはいけないんだという話をしていますね。

刑事弁護技術を継承するために

南川 事務所開設当初から神山啓史弁護士も加わられていて、月1回ペースで「神山ゼミ」を続けられていますが、ゼミでは具体的にどういったことをされているのですか?

櫻井 新人の弁護士は必ず毎月、持っている事件についてレポートをしなくてはいけないことになっています。その方針について、みんなで議論します。それが神山ゼミの基本です。これをオープンな形でやっています。

南川 拡大弁護団会議のような形ですね。修習生や他の事務所の弁護士などにもオープンにされているのは理由があるのですか?

櫻井 今でこそ、刑事弁護は面白くてやりがいがあると感じる若い人が増えて活躍するようになってきましたが、事務所を立ち上げた頃は、刑事弁護はやってもやりがいがなく、冬の時代といわれていた時期でした。しかし、それは弁護技術が稚拙なせいもあるのではないか。ダメな弁護士ばかり見ていたら、裁判官も弁護人は頼りにならない、検察官のほうが信頼できると思ってしまう部分もあるんじゃないか、と思ったのです。

ただ、なんで弁護士がこれほどダメなのかというと、検察官は組織の中できちんと教育されているのに対して、弁護士は優れた弁護士がいる事務所にたまたま入った人の中からやる気のある人が優秀な弁護人になっていくという、伝統芸能のようなところがあったと思うんです。だから、ときどき弟子がとだえちゃったりもする。それはいかんじゃないか、と。

それで、神山弁護士は刑事弁護のスペシャリストですから、その技術を系統的に多くの人に継承させていきたいと思ったわけです。

今こそ問われる弁護人の技量

南川 近年、被疑者国選が実現し、裁判員裁判が導入されましたけれども、そのことについてはどのように思われますか?

櫻井 市民の目が入ることによって、裁判所が緊張感を持つようになったと思います。市民に検察と癒着していると思われてはならないという自覚や、わかりやすくしなくてはならないという意識、法廷に対する責任感が出てきているように感じます。

だからこそ、弁護人の質が問われる。それはある程度うまくいっているけど、まだまだ課題は多い。

南川 ある程度うまくいっているというのは、どのようなことですか?

櫻井 日弁連や各弁護士会で裁判員裁判の研修をやっていますよね。それを受けた人たち、とくに若い人たちの技量が確実に上がっていると思います。

また、若い人たちが中心になってやっている刑事弁護フォーラムの存在も大きいですね。ここで頑張っている若手の方の活動は、私たちが新人の頃は考えられなかったほどのレベルの高さです。今後も、メーリングリストでの議論や、継続的に若手ゼミを開催する中で、どんどん優秀な人が巣立っていく素地になるだろうと期待しています。

剣道に心得のある神山弁護士は「技というのは、まず型で覚えるのが重要だ」とよく言います。個別事件の個性に注目して分析することはもちろん必要ですが、たとえば尋問の方法などは最低限のやり方があります。それを学ぶと学ばないとでは全然違うんですよね。そういうことを学んだ50期以降の人たちが、刑事弁護の頼もしい担い手に育ってきているなと感じます。

南川 逆に、課題はどのあたりに感じられますか?

櫻井 それについていけていない人たちがいるんですね。中堅以上の人たちで、今さら教わるというのがカッコ悪いとでも思ってるんでしょうかね。

また、若い人の中でも、依然、裁判員裁判以外の簡単な事件をやればいいと思っている人たちもいて、それはなんとかしなくてはいけないと思います。

南川 弁護士が増員するなかで、二極化しているということでしょうか?

櫻井 そうですね。ただ、今まではやり手が少なかったから、国選はやりたくなくてもみんなで交替でやっていこうという感じでしたが、これからは違うんじゃないかとも思っています。嫌々やっても成果は上がらないだろう。これからは専門化していくべきだろう、少なくとも刑事弁護をきちんと扱う意思と能力を持った弁護士が担当していくべきなんじゃないかと思うんです。そういう過渡期に来ているのではないかと思います。

南川 それはなぜですか?

櫻井 裁判所が刑事裁判をきちんとしようとする意識を支えていくのは、有能な弁護人の熱心な弁護活動だと思うんです。だから、今のように制度が新しく変わったときに、この制度をよくしていくには、そうした弁護士が必要だということです。

戦後、アメリカの刑事訴訟法を範に日本の刑事手続が作られた。でも、アメリカでは60年代にミランダルールができた。一方、日本では、伝聞証拠の排除もままならない。同じルールで始めたのに、日米でそうした違いが生じたのは、アメリカでは刑事手続の原則を守って推し進めた弁護士の活動があったからこそだと思います。そうすると、裁判員裁判になって、証拠もこれまでより引き出しやすくなってきたときに、それを弁護士が有効に使えなければ武器が錆びる。その武器を錆びさせないようにするためには、優秀な弁護士が必要なんです。総体としては、今は確実に弁護人の技量が上がっていると感じます。

南川 裁判がよくなってやりがいが出てくれば、さらに優秀な弁護士が生まれて、よい循環が生まれますね。ありがとうございました。
掲載:「この弁護士に聞く➀」季刊刑事弁護70号(2012年)4〜7頁

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