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日野川の紹介

日野川は、鳥取県の西部に位置し、北の河口部は日本海に、南は中国山地の三国山を源流とし、美保湾に流入する全長約77kmの県内最大の河川です。

日野川上流には鳥取県では珍しい非変性の古生層、三郡変成岩、そして砂鉄の母岩である中生代末から古第三紀に貫入した花岡岩が広く分布しています。これらの岩石を日野川が浸食して美しい渓谷をつくりだしています。

鮎を始め、イワナ、ヤマメなど清流に住む魚が捕れることでも有名で、河童を始めとする清流ならではのさまざまな伝説があります。

特有の歴史

日野川本流の支川には古来から集落が発達し、たたら製鉄による「かんな流し」が栄えました。この「かんな流し」の廃土等で土砂が流れ、支川の出口に小扇状地が発達したり、皆生海岸の形成・保全に帰していました。

かんな流し(鉄穴流し)とは

かんな流し

かんな流し

かんな流し(鉄穴流し)とは、花岡岩を掘り崩して水路に流し込み、比重の差を利用して砂鉄を採取する方法で必要な砂鉄を得るためには莫大な土砂を掘り崩す必要があった。

地域社会とのつながり

日野川の利用については、上流部(砂防区域)には水辺の楽校、日南湖畔(菅沢ダム)が、下流部には高水敷に運動公園、桜堤の公園等があり、さらに河口は砂浜の復旧により再生した皆生海岸があり、周辺住民のみならず、広く多くの人々に利用されています。

自然環境

国立公園大山の麓を流下していることなど自然豊かな環境を反映して、オオサンショウウオやコハクチョウ、コアジサシといった希少な動植物を含めた多くの生物が生息しています。

主な災害

年月日 原因・雨量 概要
明治19年
6月24・25日
台風
274mm(境)
  • 明治最大の洪水、死者76人、箕蚊屋一帯浸水
  • 日野川水浜堤防、法勝寺川兼久堤防決壊(米子市史、五千石風土記など)
昭和9年
9月21日
室戸台風
295mm(米子)
  • 左岸殿河内、津ノ森付近破堤、福市被害大、浸水2,390戸
  • 県内死者75人、浸水約3万戸
昭和20年
9月15日
枕崎台風
205mm(米子)
戦後最大流量3070m3/s
昭和39年
7月15・16日
梅雨前線
283mm(米子)
  • 山陰北陸集中豪雨、加茂川氾濫、米子市街地浸水
  • 県下の床上浸水495戸、床下浸水1万余戸
昭和47年
7月9〜12日
梅雨前線
406mm(米子)
  • 流域で床上浸水265戸、床下浸水2,821戸
  • 日野川直轄管理区間3箇所で護岸、根固被災
平成18年
7月18・19日
梅雨前線
  • 日野川直轄管理区間2箇所で水制、護岸被災
  • 流域内で床上浸水1戸、床下浸水31戸
平成23年
9月2〜4日
台風12号 流域内で床上浸水8戸、床下浸水20戸

日野川は他の河川に比べて急流です

日野川水系の河川は中国山地が北に位置しているため、一番長い日野川でも約77kmしかありません。中国山地のちょうど反対側を南に向かって流れている高梁川は約111kmもあります。

どちらもほぼ同じ高さの山から水が流れ下っているとすれば、日野川水系の河川のほうがはるかに急流であることが分かります。流れが速いほど山や川を削り、土砂を下流に流す力が強くなります。また、流域内には崩れやすい大山の噴出物がつもっている所も多く、土砂が下流に流れ出やすいなど洪水を引き起こす要因が備わっています。

大山からの多量の土砂を運搬して、岸本より下流は氾濫を繰り返しました。かつて日野川は尾高・佐陀川方向に流れていましたが、1702年の洪水により現在の流路になりました。下流の平野部は砂礫質で伏流水に富んでいます。

弓ヶ浜半島

弓ヶ浜半島は日野川や佐陀川から流れ出した砂が北東風による波の力と対馬海流の分岐沿岸流によって、土砂が北西方向に堆積してできあがったと考えられています。外浜の海岸線では海岸侵食が問題となっていますが、サンドリサイクルや離岸堤により砂を呼び戻す事業を行っています。

昭和30年頃の皆生海岸のようす

昭和30年頃の皆生海岸のようす

[画像:現在の皆生海岸]

現在の皆生海岸

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